廃線後の終着駅、旧・名鉄谷汲線谷汲駅
先日訪れた岐阜県、旧・谷汲村(現・揖斐川町)にある『谷汲ユリ園』。今日の地元紙の朝刊一面に、写真と共に掲載されていました。その記事を見たからなのでしょうか、アクセス解析を見ると、たくさんの方が『谷汲ユリ園』で検索し、先日の私のブログ記事を訪問されたようです。少しでも多くの方のご参考になれば、幸いです。
『谷汲ユリ園』からその後、西國三十三番満願霊場の『谷汲山・華厳寺』を参拝し家路へと向かおうと、参道から『山門前』交差点を左折すると・・・、旧・谷汲駅の駅舎がありました。
ここはかつて、名鉄谷汲線の終着駅。岐阜市内の『忠節』駅から名鉄揖斐線の『黒野』駅、そこからの支線で、ほんのわずか10kmほどの短いローカル線でした。旧・谷汲村の人々や、谷汲山・華厳寺を参拝する人々の足となった鉄道は、残念ながら、2001年10月に廃止されました(ウィキペディアより)。しかし、「かつてここに、電車が走って来ていたんだよ」と後世へ語り継がれるように、『旧・谷汲駅』が保存されていました。
旧・谷汲駅。何となく『札幌・時計台』に似ているような・・・。
↑の駅舎から改札を通ると、プラットホームもそのまま残っていました。そして21世紀初頭まで走っていたとは思えないようなレトロな電車が・・・!
かつての姿そのままでしょうか?今もプラットホームが残され、このような列車が活躍していたのでしょう!
こちらもまた、いかにも『ローカル線』っぽい列車。でも、何十年もの間、この地域の人々のために頑張った列車だったのでしょう!
駅標も、そのまま残されていました。この駅と深い関わりを持つ人々にとっては、これも大切な思い出の1コマなのでしょう。
駅の向こうへと続く線路。「♪線路は続くよ~、どーこまでもー・・・♪」、しかし今はもう・・・、数10m先にはもう、線路がありませんでした。
私の亡き父は、元・名鉄鉄道マンでした。それゆえ私が幼い頃、亡き父の運転士ぶりを見て「スゴイ!カッコイイ!」と思ったものです。この路線を運転していたわけではありませんが、もし父が今生きていたなら、きっとこう言うでしょう・・・「こんな電車、簡単に運転できる!」と。子供の頃、どこかで地下鉄の原寸大の模型を見たときも父は、たしか「名鉄(の電車)と大して変わらんなぁ!」と言っていたのを記憶の片隅で憶えています。亡き父は、自動車の運転免許は持っていなかったのですが、列車の運転はできる人でした。
帰り道、偶然通りかかり、ふとブレーキを踏み立ち寄った駅。私が運転免許を取得する前は、鉄道をメインに旅していたものです。だからこそ、ノスタルジー!が甦って来ます。時代の流れと共に消え去る運命となった『旧・谷汲駅』。私にはまったく馴染みのない駅ですが、それでも『懐かしさ』を感じる駅でした。
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コメント
線路は外しても、メモリアルとして残しているのですね。本当になんだか懐かしい感じがしますね。でも、そんな駅で乗り降りしたことがあるわけではないのでしょうけれど。
ふと思い出しても、昔通った東横線の駅舎さえ思い出しません。60年も前は歴史の中ですね。
hannaさんへ
きっと旧谷汲村民(現;揖斐川町民)の人々にとっては、たくさんの思い出がある駅だったと思います。廃止が決まった時は、たくさんの人が涙を流したのではないでしょうか?小さな駅、小さな列車、利用したことはなくても、郷愁を誘います。
学生の頃菊名に旅仲間がいてよく泊めていただいたので、東横線はそのときよく利用しました。
投稿: hanna | 2010年7月 4日 (日) 23時27分
樽見鉄道路線とは別なのでしょうね。
土地勘が無いのでトンチンカンなことを云っております。
最近は廃線跡を歩くことが流行っているようで
できれば参加したいなって思っています。
北海道の幸福駅は現在どうなっているのでしょうね。
あそこは廃線になったのかしらねえ。
杖突坂・・これは知りません。采女町は知っていますが・・。
それから明日にでも谷汲ユリ園に行こうかなと思っていましたが
都合が悪くなりました(~_~;)
またの機会に訪ねてみます。
Saas-Feeの風さんへ
樽見鉄道とは違う路線です。でも一部区間は、川を挟んで同じようなところを走っていました。
昔に比べれば、ずいぶん廃止になった線路がありますからね。特に北海道は多いですネ。幸福駅、たしか駅舎だけは残っていると聞いたことがあります。
杖突坂は日本武尊が伊吹山で難に遭い、杖をつかないと歩けなくなったことから、その名が残されたようですが、その伝承地が2ヵ所ありますので、はたしてどちらが本当やら・・・?采女町には、杖突坂のすぐそばに『御血塚』があります。尊がここで血を吐いて倒れたと伝えられています。1号線から旧道を入ったところにあります。よろしければ、訪ねてみてください。
谷汲ユリ園、今週末までは大丈夫のようですから!それに明日は天気が心配ですし。
投稿: Saas-Feeの風 | 2010年7月 5日 (月) 20時51分
1号線から采女町に出ようとして左折したときに
斜め横後ろから4トントラックに追突されました。
もう10数年前になりますかねぇ。
思い出の采女町です(泣)
杖突坂、御血塚を今度訪ねてみます。
Saas-Feeの風さんへ
あの辺りはトラックが多いですからネェ!お気を付け下さい。私がそこを訪ねたのは、もう20年ほど前で、当時場所が分からなくて1号線沿いのガソリンスタンドで場所を尋ね教えていただきました。おそらく旧・東海道だと思います。ともに石碑が建てられていますので、きっと分かると思います。お近くですから、思い出した時にいつでもお訪ねください。ちなみに、日本武尊のお墓とされるところは、亀山の能褒野町の能褒野神社内にあります。
投稿: Saas-Feeの風 | 2010年7月 6日 (火) 21時29分
谷汲ゆり園には明日、出かけることにしました。
殆ど下を通ることになりますね。
明日までは何とかゆりが見ごろを続けてくれますように・・。
能褒野神社には何度か行っていますよ。
神社の脇の溝にクレソンがあって、それを摘んだこともありました。
Saas-Feeの風さんへ
明日(といっても、このレスを読んでいるときは今日でしょうネ)は、天気も良さそうですので、きっと良い写真が撮れると思います。もちろん、写真を撮るだけが本来の目的ではないでしょうが。ブログ、楽しみにしています (^_^) 。
能褒野神社、ご存知でしたね。比較的近いでしょうから、不思議はありませんネ!失礼しました (^_^;;!
投稿: Saas-Feeの風 | 2010年7月 7日 (水) 21時03分
>かつての姿そのままでしょうか?
そうです。かつては何度も乗ったことがあります。
前の駅舎はローカルっぽいものでした。
どうして乗降客が減るのに改築したのか
よく分りません。
matsubaraさんへ
そちらの方にお住まいなのですネ!でしたら、とても思い出深い駅なのでしょうね。何度も利用された方に読んで頂けると、書いた私としてはとても嬉しいです。
前の駅舎がどんなだったのか、見てみたかったです。
matsubaraさんのブログへも、お邪魔させていただきます。
投稿: matsubara | 2010年7月10日 (土) 12時17分
この旧駅舎を改築したあとの昆虫館の横に
旧駅玄関の屋根瓦の一部が残してあることに気づかれましたか。
昆虫館の整備と駅舎の改築に合わせて旧駅舎が取り壊されたと記してありました。
Saas-Feeの風さんへ
そうだったのですか?!昆虫館の方へは行かなかったのですヨ!駅舎を通り過ぎてから車を停めたもので・・・(^_^;;!
matsubara様、ご訪問してくださいました。Saas-Feeの風さんのところから、いらっしゃったようですネ!何度も利用されたことがある方に、この記事を読んでいただけて、とても嬉しく思います。
そうそう、先日ですが『美しきハンター…』で、お魚咥えたカワセミの写真、掲載しました。ご覧になられましたでしょうか?
投稿: Saas-Feeの風 | 2010年7月10日 (土) 14時52分
何度もごめんなさい。
明日はこの谷汲駅をアップします。
そこで改めて記事を拝見したところです。
Saas-Feeの風の記事では、
↑と似たような写真になっていますがご容赦ください。
Saas-Feeの風さんへ
(^o^)/ハイ!全然構いませんヨ!私もseibo様やあま・コスモス様のブログに紹介されていたところを訪れ、ブログに書いていますし、人それぞれの視点があると思いますので、それも楽しみです。Saas-Feeの風さんが、あの駅を見てどのようなことを感じられたのか、楽しみに後ほど伺います。
投稿: Saas-Feeの風 | 2010年7月11日 (日) 17時22分
おはようございます~♪
同じ場所をお二人のブログでご紹介
そしてそれを拝見しました。
これも愉しいですね(^_-)-☆
写真はほぼ同じですが
記事に其々の思いがこめられていて
興味深々です。
お父さまが鉄道マンだったとか、鉄道に対しての思い入れに
少し胸が・・・・
これからは、海外旅行の記事を少しずつ愉しみに拝見させて頂きます
コスモスさんへ
ありがとうございます。昨年までの私のブログ仲間の方々は、関東と関西に少しずつでしたが、最近はこの地方の方が増えて、情報を教えてもらったり、またこちらからも発信したりしています。同じところを訪れても、それぞれの感性で写真を撮られたり、感じ方なども違うので、それも面白いと思います。それに皆様、花が好きなようですし、あちこち旅することもお好きなようですから、とても楽しいです (^_^)!
私は決して『鉄ちゃん』とか『乗り鉄』『撮り鉄』ではありませんが、あのような列車を見ると、どこか懐かしさを感じます。幼い頃走っていた市電を思い出します。京都の京福電鉄も昔、これと似た感じの列車が走っていませんでしたか?
投稿: コスモス | 2010年7月13日 (火) 07時38分