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2010年7月 8日 (木)

ネパール再会の旅 52 『パブラム宅へ』

5月9日(月)曇りのち晴れ
カトマンドゥ

 明け方まで激しい雷雨。良く眠れぬまま朝を迎え、8時に起床。10分後に早や来客。パブラムだ。こんなに早く来るとは思っていなかったので、慌てて準備する。彼の奥さんも自宅で待っているそうで、彼のバイクに2人乗りして向かう。

現在の彼の自宅は、空港へ向かうちょうど中間あたりにある。2年前のあの狭い部屋に比べ、ずいぶん大きな家の3階に彼らは住んでいた。キッチンにベッドルーム、ちょっとしたオフィスも構え、さながら『青年実業家』だ。ランチョンマットのセットやエプロンなどのハンディクラフト商品を作り、ニューヨークや東京、インドあたりにも輸出しているそうだ。なかなかおしゃれなものもあって、両親や姉、兄夫婦のところへのお土産に少し注文した。そして朝食のダルバートをいただき、皆で写真を撮る。

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92年、当時は狭いアパートで暮らしていたパブラム夫妻。

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パブラムの自宅前で。奥さんがずいぶん垢ぬけた感じがします。

9時半過ぎにゲストハウスへ送ってもらうと、アルジュンが我々の帰りを待っていた。昨日アルジュンに今朝の予定のことを話したら、「久しぶりにパブラムとも会いたいから」と言っていた通り、再びゲストハウスを訪ねてくれたのだ。パブラムはアルジュンが来ているとは思ってもいなかったようで、しばらく3人で楽しく話をしていた。

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再び訪れてくれたアルジュンと。

11時過ぎにシャワーを浴びヒゲを剃り、1時ごろアンジュに「今から日本大使館へ行く」と言って、この日はとりあえず1人で行く。が、午後は2時30分からになっており、近くのレストランへ行き昼食にして時間をつぶす。チキンカツレツとコーラを注文する。このチキンカツレツがまたとなく美味しい。

再び大使館へ行き、日本ビザ取得のために必要な情報を得る。しかし、いずれにしても招待状がいる。『友人だから招きたい』などと言う簡単な理由では、100%間違いなく断られる。何らかの大義名分がないとダメなのだが、果たしてそれが俺に可能なのか?ゲストハウスに戻りアンジュにそのことを話す。アンジュは初めての海外だし、もし可能であれば、俺の帰国時に一緒に行きたいようだ。1ヵ月以内に事がうまく運べばいいのだが・・・。

7時過ぎ、再びパブラムがやって来て「どうしたのか?」と聞くと、「夕食もうちで一緒に食べよう。妻が『今朝は時間があまりなくて、話ができなかったから』と言っているんだ」というわけで、夕食をご馳走になりに行く。

パブラムの家に着くと、まだ支度中だったが、ご飯が炊きあがるまで彼の奥さんも一緒に3人で話をしていた。彼女は嬉しそうな顔でアルバムを1冊持ってきた。その中の1ページを開くと、2年前彼らの小さなアパートに招かれた時に撮った写真があり、彼女は「2年前のことは良く覚えています。昨日主人から話を聞いて、すぐに思い出しました。」と話した。「本当かい?」と聞くとパブラムが、「あぁ、あなたのことを話したら、このアルバムを持ってきて『この人でしょ?』って言ったんだ。そしたら『ぜひ食事に招待して!』って言っていたんだ」。その時の彼女の表情がすごく印象的だった。

そしてダルバートをいただく。すっかり馴染んだネパールの一般家庭の料理。とても美味しい。ダル(豆)スープは、それぞれの家庭で使う豆が違ったりするのだが、どれもこれも美味しい。

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夜もパブラム宅で。パブラムと彼の子供。

パブラムにバイクで送ってもらい、9時30分にゲストハウスに戻る。そしてククリラムを飲み、眠る。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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*先月、母が片づけものの途中偶然見つけたランチョンマット。これこそが、パブラムが製造販売していたものでした。4セット1組で2セット未使用のまましまいこんで、今まで忘れていたものでした。まさか今頃出てくるとは・・・w(^o^)w!

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コメント

ほんとうに、奥さんだけでなく、彼も、変なダンディーが、まともな紳士になりましたよ。すごい。子どもさんも可愛いですね。生活にゆとりができてきたのでしょうね。
この時アンジュを奥様にすれば間違いなく日本に来られたのに…と誰もが思いませんか?


hannaさんへ

こうやって2年前の写真を並べると、よく分かるでしょ?!パブラムの恰好を見ても、妙にカッコつけていた(?)時より若く見えるし、奥さんの雰囲気が本当に違っていました。おっしゃるように、それだけ生活にゆとりができたのだと思います。
帰国後、旅の話を両親にした時、2人とも『アンジュさんを連れてこい』と言っていたような記憶があります。なぜかって、いつでもマッサージしてもらえるでしょ?でもその頃は、自分自身が不安定でしたから、決断できませんでした。で、そのまま今だに・・・です(笑)。

投稿: hanna | 2010年7月 8日 (木) 23時23分

おしいことをしましたね。
可愛い人だったのに。


hannaさんへ

いやぁ~、実は、アンジュは・・・。近々、これについてふれますので、しばしお待ちを~!

投稿: hanna | 2010年7月 9日 (金) 00時13分

ネパール紀行興味深く拝見しました。
もう一度行きたいと思いながら行けないまま
12年も過ぎました。
あの当時(1998年)空港にピストルを持った軍人がいて
治安のことも少し心配でした。
今はマウイ族には注意しなくていいのでしょうか。
支援物資を待つ人もいるのですが、なかなか行けません。


matsubaraさんへ

たくさんお読み頂いて、ありがとうございます (^_^) 。私も『またいつか』と思いながら、もう16年。ヨーロッパやアメリカほど遠くはないのですが、それでもなかなか行けませんよね。特にここ数年、政情が不安定な状態ですし。
毛派と呼ばれるマオイスト、私も心配で何度かネパールの友人に手紙を書きました。すると返事には『何の影響もないし、普段通りの生活をしている』という内容が書かれていました。過激なマオイストたちは、ネパールでもかなり奥まった地方で暗躍しているようです。それでも空港では、警戒が必要なのでしょうね。

投稿: matsubara | 2010年7月13日 (火) 13時13分

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