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2010年7月

2010年7月31日 (土)

ちょっと贅沢な『ふりかけ』と『そうめん』

先日、一日だけ雨で、最高気温も30℃を下回るほどだったのに、再び猛暑日ですネ。皆様、体調崩されたりしていませんでしょうか?

日本人の主食と言えば、もちろんお米、つまりご飯!そのご飯のお供として、お弁当やおにぎりなどで大活躍する『ふりかけ』。私が子供の頃は、『のりたま』が多かったですが、最近は色々な『ふりかけ』が出ていますよね。『わさびふりかけ』はとても有名ですが、地方へ行くとその土地ならではの『ふりかけ』がありますよね。

で、今我が家にある『ふりかけ』は、この2種類です。

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『伊勢海老ふりかけ』と『かにふりかけ』です。ちょっと贅沢でしょ?

ご飯にかけると、こんな感じです。

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伊勢海老ふりかけご飯。

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かにふりかけご飯。

肝心なお味ですが、そりゃぁ本物の伊勢海老やカニと比べてはいけませんヨー
でも、やっぱり美味しいです
風味だって、それなりに・・・
そういえば、『松阪牛ふりかけ』だったかなぁ?以前買ったことがあるような・・・?

それからもう一つ・・・、こんな『そうめん』見つけました

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ブルーベリーそうめんです。

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薄紫色のそうめんが出来上がりました。

こちらのお味は、麺つゆにつけずに1本だけ食べてみたところ、「うん、確かにブルーベリーの風味がする」そうめんでした
暑い夏に、涼しげでさわやかなブルーベリーそうめんでした。

エッ!「どこに売っていたの?」ですか?とある『テーマパーク』や、『道の駅』ですヨー!
こんなささやかな贅沢(?)を楽しんでいる、小市民の慕辺未行です(笑)!

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2010年7月29日 (木)

ネパール再会の旅 62 『ブプサの夜』

夕食は、ララ・ヌードルスープ。そしてポテトチップスをつまみにムスタンコーヒー。すると、チリのタブラ(日本の太鼓や鼓に似た打楽器)に合わせ、ダワが踊る。そして歌に合わせて、マヤとチリ、ダワの3人でシェルパダンス。ヤンジーは・・・、相変わらずお手伝いだ。

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幼い弟のダワ。「どう?僕踊れるんだよ!」というような顔をしています。

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チリのタブラに合わせて踊るダワ。

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チリとダワ、マヤのシェルパダンス。

ムスタンコーヒーのグラスが空になると、「もう1杯飲みますか?」と母親のドマ。そしてにっこりしながらムスタンコーヒーを持って来てくれるヤンジー。昨夜も飲んでいたので、気がつくと1杯分ではなく、小さなお鍋にいっぱい作ってあった。きっと俺が何杯か飲むだろうことを予測していたのだろう。気配りを感じる。

ずいぶん夜も更けてきた頃、彼女らはこの日2回目の食事(ネパールでは食事は1日2回、午前10時ごろと午後8時か9時ごろに食べる)をとり始めた。今夜はシェルパシチューである。この家庭のシェルパシチューは、日本で言うならば、『おじや』と『おかゆ』と『雑炊』を足して3で割ったようなもの。以前、カリコーラで泊まった時に食べたことがある。野菜や卵が入っていて、とても美味しかったことを覚えている。すると母親のドマに「食べますか?」と訊かれ、どうしようかと思ったが、やはりもう一度食べたい。すぐに俺の分の茶碗とスプーンが用意され、ご馳走になる。やっぱりウマイ!「もう1杯食べますか?」と再び訊かれ、図々しくもおかわりしてしまった。それほど美味しいのだ。美味しそうに食べている俺を、家族の皆も嬉しそうに見ている。家族の夕食に俺も加わり、ますますこの一家の一員になったような気分だ。他のトレッカーは、もうとっくにベッドルームに戻っているのに、俺はいつまでもそこにいた。

やっと自分の時間が取れたヤンジーは、今度は勉強(宿題?)である。数学をやっているのを見ていると、ある公式の問題でヤンジーと俺の答えが合わない。俺が間違っているのかと思い再び頭の中で計算しても答えは・・・?
「・・・、ヤンジー、この問題の答え、間違ってるんじゃないかな?ほら・・・・・・でしょ?」
ヤンジーも間違いに気がついたようだ。両親がヤンジーに何か聞いている。ヤンジーが答えると両親は俺に「ダンニャバード(ありがとう)」と言った。きっとヤンジーは「間違っていた問題の答えを教えてくれたの」とでも話したのだろう。少しはヤンジーの ”兄”としての ”威厳(?)”を見せられたかな?

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マヤとチリ、ヤンジーの3人は、昼間教えた『春が来た』『チューリップ』を覚えようと練習しています。

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勉強(宿題?)中のヤンジー。この笑顔が堪りません。

10時をまわってベッドルームに戻り、寝支度をしていると、1階からヤンジー達の歌声が聞こえてきた。昼間に教えた『春が来た』と『チューリップ』、まだ練習している。忘れないようにしているのだろう。

この日、ここで過ごした時間、子供たちの遊んでいる姿、勉強している姿、お手伝いしている姿、すべてが微笑ましい。ここまで来て良かった。本当に良かった。とてもハッピーな気分で床に就いた。

ブプサ、ホテル・イエロートップにて

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2010年7月27日 (火)

ネパール再会の旅 61 『ブプサでの1日』

5月14日(土)晴れ時々曇り
ブプサ

 7時起床。足に疲れを感じる。昨日はずいぶんアップダウンがあったし、長い距離を歩いたからナ。子供たちは朝から勉強(宿題?)だ。朝食は、オートポリジとミルクコーヒー。朝食後、子供たちとバレーボールをやったり、ダイニングルームで休んだり。ヤンジーは、相変わらずロッジのお手伝いをしている。

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マヤとチリとバレーボールで遊びました。

11時にヤンジーの手作りのダルバートを昼食(彼女たちにとっては朝食)に、皆と一緒に頂く。子供たちが食べるときに、俺の分まで用意してくれたのだ。ヤンジーがいつも一生懸命、楽しそうに手伝って作っているせいか、本当に美味しい。皆と一緒にダルバートを食べていると、まるでこの家族の一員になったような気分だ。

ヤンジーは朝から忙しく働きまわって、食後にやっと時間が取れるようになった。「日本語や日本の歌を教えて!」という彼女たちに、簡単なあいさつと『春が来た』『チューリップ』を教えてあげる。ノートにメモをし、一生懸命覚えようとしている。皆で一緒に写真を撮ったり、また彼女たちだけの写真を撮ってあげたり・・・。

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ヤンジーの父プーリーと。私より少しだけ年上です。

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我がネパールの妹(?)、ヤンジーと。

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マヤとヤンジー。

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子どもたちと一緒に。私が教えた日本語や歌をメモしています。

1時半ごろ、いったんシャワーを浴びることにする。はるばるやって来たのだから、身だしなみはきちんと、清潔にしておきたい。子供たちは、相変わらず外で元気に遊んでいる。ヤンジーも時には遊んだり、幼い弟の面倒を見たり、そうかと思えばロッジの仕事を手伝ったり。2年前に比べ、本当に大人びた感じがする。そんな彼女に、俺はそっと腕時計をプレゼントした。それは、俺がここ2年間毎日使っていたものだ。しかし俺は、新品ではないそれをプレゼントしたかった。

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2010年7月25日 (日)

おしろい花は、おもしろい花?

 暑中お見舞い申し上げます

連日、猛暑日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

我が家の狭いベランダに、おしろい花が咲いています。毎日、夕方になると赤と黄色の、小さくて可愛らしい花を咲かせています。

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赤と黄色のおしろい花。もっときれいに撮れると良かったのですが・・・。

ところが、このおしろい花の中に「(・_・?)ハニャ ...???これは、一体・・・?」という花がありました。他のおしろい花とは、ちょっと違う・・・!「これは!『おしろい花』じゃなくて『おしろい花』だ!」。それがこちらの花です。

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ひとつの花が、2色にハッキリと分かれています。これはまさに『おしろい花』です(笑)!

たぶん、プランターの中で赤と黄色の花の茎が交配してしまったのでしょうか?このような花が咲いていました。あまりに面白い、というか嬉しくなって、つい写真に撮りました。それにしても、「よくぞ、咲いてくれました (^o^)!」。赤と黄色の見事なツートンカラーのおしろい花。こういうことって、よくあることなのでしょうか?それともやはり、珍しい?

この花が咲いてから毎晩見ているのですが、それ以降このツートンカラーの花は咲いていません (>_<)ショック!

ところで・・・、相変わらず暑い日々が続いていますネ!皆様、くれぐれも熱中症にお気を付け下さい。熱中症は侮ると死に至らしめることもあります。適度に水分を補給し、体を冷やしてくださいネ (^_^)!

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2010年7月24日 (土)

ネパール再会の旅 60 『ヤンジーと再会!』

6時ごろ、「ヤンジーがもうすぐ帰って来るぞ!」と、ここへ案内してくれた男が呼びに来た。外へ出てカリコーラへと続く道を眺めていると、3人の子供が歩いているのが見える。そこでヤンジーの帰りを待つ。ようやく顔がはっきり見えるところまで来たので、「ヤンジー!」と声をかけてみた。すると「ジャパニ・ダイ(日本のお兄さん)」と、ビックリした顔で言った。すぐに分かってくれたのが、何より嬉しい。

小さな村なので、『ヤンジーに会うために日本人が来ている』という噂がアッという間に広まったのか、たくさんの村人たちが見守る(冷やかす?)中、ヤンジーは嬉しいような恥ずかしいような、駆け足でロッジへと入って行った。俺もロッジへ戻ると、ヤンジーが母親に「いつ来たの?」と問いかけている。「今日よ。あなたに会うために来てくれたのよ」と答える母親。2年と2ヵ月ぶりに会うヤンジーは、背が高くなって大人びてきれいになっていた。そして相変わらず、素敵な笑顔をしている。

「いつまでいられるの?」と尋ねるヤンジーに、
「ヤンジーがカリコーラへ戻って行ったら、僕もカトマンドゥへ帰るよ。そのためだけに来たんだからネ」と答えた。
すごく嬉しそうな顔をしている。そしてヤンジーや家族の写真を撮る。ブプサ滞在中は、カメラが手放せないぐらいであろう。少しでも思い出を多く残しておきたいから。

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2年ぶりに再会したヤンジー(ニマ・ヤンジー・シェルパ)と。

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左から、従妹のパサン・マヤ、母アン・ドマと末っ子アン・ダワ、弟ミンマ・チリ、ヤンジー

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中央はヤンジーの父、リンジー・プーリー

家に帰って来てからのヤンジーは、ロッジの仕事のお手伝いに一生懸命だ。弟のチリやダワ、従妹のマヤは遊んでいる。前もそうだったのだが、ヤンジーは本当に働き者だ。しかも楽しそうに手伝っている。彼女にとっては、遊ぶことよりお手伝いの方が面白いのかもしれない。偶然ここへ世界中からやって来るトレッカーが宿泊し、食事などのお世話をしながら少し会話をする。それが楽しいのかもしれない。

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お手伝い中のヤンジーを

ムスタンコーヒーを飲みながら夕食をいただく。夕食が終った後の片づけを済ませてから、ヤンジーは学校の宿題を始めた。そんなシーンも漏らさずに写真に撮っておく。他のトレッカーはもうベッドルームへと戻って行ったが、俺はもうしばらくそこにいた。しかし、朝が早く眠い今夜は、9時半には寝ることにする。

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カリコーラから帰って来た3人の子供たちは、トレッカーがいなくなった後の食堂兼ダイニングで宿題を始めました。

ブプサ、ホテル・イエロートップにて

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2010年7月22日 (木)

ネパール再会の旅 59 『ヤンジーの自宅発見』

再びブプサに着くと、俺を呼び戻した男がヤンジーの自宅・ロッジへと案内してくれた。見ると『ホテル・エヴェレストトップ』ではなく『ホテル・イエロートップ』となっている。しかし建物は、ヤンジーから送られてきた写真そのもののようだ。中へ入って行くと、そのロッジの女性が出迎えてくれた。2年前、カリコーラのロッジにいた女性と同じだ。間違いない!彼女はヤンジーの母親だ!

「ナマステ!マ ジャパン バーター アーエン(こんにちは!私は日本から来ました)。」とネパール語で挨拶すると、母親はある方向を指さした。見るとそこには写真が額に入れて飾られてあり、下の方に3枚の小さな写真、それらは2年前俺とヤンジーと一緒に撮った写真、そしてヤンジーの笑顔の写真。
「オォ!メロ フォト ツァ!(オォ!私の写真だ!)」と言うと、
「そうよ。ヤンジーの日本の友達が来たって聞いたから、この人じゃなかった?って聞いたの」。案内してくれた男も、
「私もこの写真を見て、間違いなくあなただと分かったから、彼女に言われてあなたを呼び戻したんだよ」と答えた。俺は彼に
「サンキュー、ダンニャバード!(ありがとう!)」とお礼を言った。今日が金曜日だということも含めて、非常にラッキーだった。

2階の部屋に案内され荷物を置いて、1階のレストラン兼ダイニングルームへ。そこで急坂を登って来てまだ汗をかいていた俺に、コーラを出してくれた。やがて父親が戻って来た。彼とは2年前カリコーラでは会っていなかったのだが、すでに俺が来ていることを外で聞いていたようで、にこやかに挨拶してくれた。そして俺がカリコーラへ向かいかけたことを、「自分がロッジの名前を変更していたから」と言って、詫びていた。そしてこの日が初対面だったので、彼はこう話した。
「ヤンジーが『日本にすごくいい友達がいる』と言っていたのだが、私はあなたとは会っていなかった。だから今日、こうして会うことができてとても嬉しいよ。」と大歓迎してくれた。そして、
「ところで、今日はどこから来たんだい?」と尋ねた。
「カトマンドゥからですよ」と答えると、
「エッ?カトマンドゥから?」
「エェ!カトマンドゥからルクラまで飛行機で来て、ここまで歩いてきました。」

父親は、ヤンジーに会うためにこの日俺が、カトマンドゥから一気にここまで来たことを、とても驚きながらも大喜びしていた。そして、

「このあとはどうするのですか?」
「ヤンジーと会えたら、ルクラへ戻り、飛行機でカトマンドゥへ帰ります」
「エッ?!それじゃぁナムチェへも行かず、エヴェレストも見に行かないのかい?」
「えぇ、そうです。今回の目的は、ヤンジーと会うことだけですから!」
「本当かい?今日カトマンドゥから来て、ヤンジーに会えたらそのままカトマンドゥに帰るのかい?」
「そうですヨ!」

『信じられない』という表情でヤンジーの父親は、このことを母親にも話し、2人ともとても喜んでいた。両親はヤンジーの『日本のいい友達』であり、ヤンジーと再会するためだけが目的でやって来た俺を、ソチャ(チベット茶;ミルクティーに塩とバターが入っている)でもてなしてくれた。久しぶりに飲むソチャ、かつて初めて飲んだ時は、奇妙な味だと思ったが、今はそうでもない。
「日本にもソチャがありますよ。大切なお客様を迎え、お茶を出す時『粗茶ですが・・・』と言って出すのです。」と言うと、彼らは大笑いしていた。

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『ホテル・イエロートップ』。1階の入り口を入るとレストラン(と言うより食堂)。左半分は家族の部屋だと思います。2階はトレッカーの客室。


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ヤンジーの母。キッチンでジャガイモの皮をむいていました。

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2010年7月21日 (水)

ネパール再会の旅 58 『ブプサへ到着して』

4時にブプサへ到着。そこでオングさん達に別れを告げ、俺はヤンジーがいる『ホテル・エヴェレストトップ』を探した。しかし、ほんの10軒ほどもないロッジのどこを見ても、その名のロッジはない。声をかけてきた村の男の人に訊ねてみても、「そういう名のロッジはこの村にはない。」と言う。さらに「『エヴェレスト』がつく名前のロッジは私のところだけだから、うちへ泊まりなさい。」とまで言うので行ってみると、ヤンジーから送られてきた写真の建物とは全く違っている。

俺は彼に「ニマ・ヤンジー・シェルパという女の子を知っているか?」と尋ねると、しばらく考え「あぁ!知ってる。」と答えた。俺は「彼女に会うためにここまで来たのだ。」と説明すると、にわかには信じてもらえず「手紙を持ってきているのか?」などと聞かれた。持ってきていなくても、実在する女の子の名前が分かっているだけで充分だと思うのだが。
彼は「ヤンジーは今、この村にはいない。学校がカリコーラにあるから、そちらに住んでいる。しかし彼女の両親はこの村にいる。」と教えてくれた。「俺はヤンジーに会うために来たのだから、ここにいて会えなければ、来た意味がない。カリコーラまで行くよ。」と言って、カリコーラへの急な山道を下り始めた。すると、オングさん達が俺に気付いたようで、またしても立ち止まって待っていてくれた。

しかし、下り始めて10分ほどだろうか、上の方から「ハロー、ハロー!」という大きな声が聞こえてくる。「ハロー」と英語で叫んでいるところからして、俺を呼んでいると思い、振り返って、
「Do you call me ?(俺かい?)」と答えると、どうやら先ほどの男のようで、
「Yes. Come back, come back !(そうだ。戻って来い、戻って来い!)」と叫んでいる。
「Go back ? Why ?(戻れだって?なぜだ?)」と聞くと、
「Today is Friday and tomorrow is holiday. Yangjee will come back here.(今日は金曜日で、明日は学校が休みだ。だからヤンジーは今日、この村へ帰ってくる。)」と言っている。確かに明日は土曜日で休みだ(ネパールでは土曜日が休日で、日曜日が週の始まりとなっている)。
「Is it true ?(本当か?)」と訊くと、
「Her mother said.(彼女のお母さんがそう言っているんだ)」との返事。そうなれば話は別だ。下って来た道を引き返すしかない。俺を待っていてくれたオングさん達にジェスチャー交じりでブプサへ戻ることを伝え、10分かけて下った道を、20分かけて登った。

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この2年前、1992年、カリコーラのロッジで出会った時のヤンジー。この素敵な笑顔にもう一度会うために、やって来ました。

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これが、以前ヤンジーから送られてきた、ブプサのロッジの写真。しかし、『Hotel Everest Top』という名のロッジは見つかりませんでした。

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2010年7月20日 (火)

ネパール再会の旅 57 『ルクラからブプサへ』

5月13日(金)晴れのち曇り
カトマンドゥ7:10(RA121;ロイヤルネパール航空)7:50ルクラ8:30(徒歩)16:00ブプサ

 4時30分起床。慌ただしく用を済ませ5時。5時10分、オートリクシャを拾い空港へ。200ルピーで交渉成立していたのに、到着すると250ルピーと値を吊り上げる。「タパイィ ドゥイセイ(200)ルピー OK ボルヨ!(あなた200ルピーでOKと言っただろ!)」とネパール語で抗議すると、さすがに即「200ルピーでいいよ」と言った。

5時30分空港着。これがかつては国際線も使っていたとなると、とんでもない田舎の空港だ。が、カトマンドゥ自体が巨大な村なのかもしれない。RA(ロイヤルネパール航空)121便は6時30分発だが、山の方の天候のせいであろうか、7時に搭乗開始。7時10分過ぎに離陸。天気は快晴で、ヒマラヤの峰々が見渡せる絶好のフライトとなった。

ルクラには7時50分着。歩き出す前にティータイムをとり、8時30分、いよいよヤンジーが住む村、ブプサへと向かう。他のトレッカーたちは当然のようにナムチェ方面へと旅立って行ったのだが、俺は皆とは逆方向へ歩き出す。山の斜面を削り取った、『原っぱ』と言ってもいいような飛行場の横の道を、ひたすら下って行く。ジリから歩いて来ているのであろうトレッカーや巡礼者とすれ違う。皆、ルクラまでのこの急な登り坂に、息を切らしている。下りきると、しばらくは平坦な道が続く。

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ルクラからの急坂を下り、小さな木橋を渡りシュルケイへ。

およそ10時にシュルケイ着。ここからのアップダウンの道に備え、ティータイムをとり足を休める。バッティ(茶店)のダイ(”お兄さん”の意味)に「ブプサまでしか行かない」と言うと、「あなたは先生なのですか?」と訊かれた。ブプサまで行って、帰って行くだけのトレッカーなんていないだろうから勘違いされたようだ。

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シュルケイから急な石段を登って行くと、ふと眼下にシュルケイの村全体 (?) が見えました。

シュルケイからポイヤンまでは、急な石段の登り道。1時間に1回はティータイムを取りながら登って行く。ポイヤンを出るとアップダウンの繰り返し。途中、バッティで昼食にララヌードルを食べる。バッティを出てしばらく行くと、同じ店で休憩していた2人のネパール人が振り返り、1人で歩いている俺を待っていた。

「サーティ チャイナ?(友達(仲間、連れ)はいないの?)」
「サーティ?ツァ!タパイィハル メロ サーティ ホ(友達?いるよ!あなたたちが私の友達ですよ)」

彼らの問いかけに、こう笑顔で答えると、彼らも嬉しそうに「私たちは今日、カリコーラまで行くからブプサまで一緒に行きましょう」と言って、3人で歩き始めた。声をかけてくれたオングさんは、シャンボチェにある『ホテル・エヴェレストビュー』で働いているそうだ。もっと早いペースで歩けるだろうに、彼らは俺のペースに合わせて歩き、途中1時間おきぐらいにバッティで休憩もした。
*ホテル・エヴェレストビュー…長野県出身の日本人経営の高級ホテル。その名の通り、ホテルにいながらにしてエヴェレストを眺めることができます。ただし、肉眼で見るには、まだはるか彼方です。天候が悪ければ、もちろん見られません。

オングさんは休憩中に「ホテルで日本人客にもらったんだよ」と言って、浮世絵がデザインされたハンカチを見せてくれた。そのバッティでお勘定をしようとしたら、すでにオングさんが済ませていて、ご馳走になる結果になってしまった。本当なら、俺が支払わなければならないところなのに・・・。おかげですごく楽しく、疲れだってほとんど感じないほどであった。

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オングさんは浮世絵のデザインのハンカチを、袋に入れたままの状態で大切にしていました。彼らとは本当に楽しく歩くことができました。

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カルテ付近まで来て、初めて目的地のブプサが見えました。もうあと少しです。

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2010年7月19日 (月)

ハスの花めぐり

梅雨が明け、本格的な夏がやって来ましたネー!今日までの3連休、いかがお過ごされたでしょうか?私は何気に、のんびり…でももったいないので、今日はこの近くのハスの花を見てきました。

まず、レンコンの名産地、愛知県、旧・八開村へ。津島市から東海大橋へ向かう県道8号線を走れば、あちらこちらのレンコン畑にハスの花が咲いています。とはいえ、路上駐車は危険ですから、旧・八開村の福祉センターの駐車場に車を停めさせていただき、その周りのハスの花を見てみました。

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真っ白なハスの花が咲いていました。

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ご覧のとおり、清楚な白のハスの花。

そして次は、岐阜県羽島市の大賀ハス園。羽島市の『簡保の宿』のすぐそばにあります。ここのハスは、かつて千葉で発見された『世界最古のハスの種子』を発芽させ、古代のハスと認定され、その後羽島市がレンコンの産地でもあることから、千葉市から譲り受け増殖させたものだそうです。しかし残念ながら、今日はあまり咲いていませんでした。

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大賀ハスの由来が書かれていました。

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しかし、ハスの花は・・・?

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よく探すと、きれいに咲いているハスの花がありました。

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1輪だけ、ひときわ目立っていました。

このハス園の横に小さな池があり、そちらを見てみると・・・、

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ヒメスイレンでしょうか?

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可愛らしい姿をしていました。

次は、道の駅に立ち寄った後、先日seibo様のブログで紹介されていた岐阜県海津市の『アクアワールド水郷パークセンター』へ。 ハスの花の前に、いろんな花が出迎えてくれました。

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元気なヒマワリが「こんにちは (^o^)/!」

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アジサイがまだ咲いていました w(^o^)w!

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朝顔もたくさんで、お出迎えしてくれました (^_^)!

この公園のハスの花は、それほどたくさんはありませんでした。

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これから咲く花も、まだ沢山あるようです。

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こちらは、きれいに咲いていました。

この公園は、いろいろな体験が楽しめる施設があるのですが、今日は『ハスの花めぐり』ですから、次へと向かいます。木曽三川公園へ立ち寄ってみましたが、今の季節は特に何かがある、というわけではありませんでした。秋に向けてコスモスの花の準備中のようです。そして先日訪れました、愛知県愛西市、旧・立田村の森川ハス田。

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まだまだたくさん、咲いていました (^o^)!これから咲くものもありますから、見頃はもうしばらく続きそうです。

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青空にも、映えます!

と、この近辺をぐるりと周って来ました。走行距離は60kmほどでした。1ヵ所をのんびり楽しむも良し、あちこち見て回るのも良し、私はどちらも好きです。

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2010年7月18日 (日)

一面のヒマワリ畑!愛知県南知多町・花ひろば

先週の土曜日、『花めぐり』のドライブで、愛西市のハス園、春日井市のバラ園を訪れた後、名古屋高速から知多半島道路を縦断し、たどり着いたのは南知多町の『花ひろば』。
ここは、訪れる前日の新聞に写真と共に紹介されていて、急遽訪れることにしました。

前日に紹介されていただけあって、駐車場へ続く道はたくさんの車が並んでいました。受付で1人600円の入場料(ひまわり5本の花摘み付き)を支払い、ハサミをお借りしてお花畑へ向かいます。するとそこは・・・、

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この通り、一面ヒマワリ、ヒマワリ、ヒマワリ・・・ !いやぁ~、実に見事な咲きっぷり!ただ一つだけ欲を言えば、空がもっと青かったら!と思いました。
そしてヒマワリの花を、母と2人で計10本摘ませていただき、持ち帰りました。でもなんか、可愛そうな気がしました。せっかくお陽様に向かって、明るく元気に、誇らしげに咲いているのに、それを切ってしまうなんて・・・ ゴメンヨー!

『花ひろば』を出て、次は『美浜ナチュラル村』へ立ち寄りました。こちらも久しぶりに行くところです。海が見える丘へと上がると、相変わらずミントやレモンバームなどのハーブが生い茂っていました。その先に、カラフルな花が・・・!

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これは、マツバボタンでしょうか?もし間違っていましたら、どなたか教えてください。

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カンナの花も咲いていました。今回は赤いカンナでした。

この後も、1~2ヵ所立ち寄り、海産物などのお土産を買い、愛知県内を西へ東へ南への『花めぐりドライブ』が終わりました。

花ひろばで摘んだヒマワリ、我が家のあちらこちらに飾りました。その一部ですが、写真に撮りました。ご覧ください。

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これはマイルームの一角に飾ったものです。隣は、やはりその日買って来たラベンダー。

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玄関には、前から飾ってあったユリと共に。

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キッチンには大輪のヒマワリを飾りました。それぞれ、水だけでなく、切り花を長持ちさせる液体肥料も入れました。

ところで、この地方でヒマワリの名所というと、私は真っ先に大垣市のヒマワリ畑を思い出します。今年の見頃の情報をインターネットで調べたところ、8月上旬から中旬だそうです。場所は、大垣市青野町、美濃国分寺跡の周辺に広がる休耕田をヒマワリ畑にしています。天気が良い日にぜひ訪れたいと思います。

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かつて撮影した、大垣のヒマワリ畑の写真です。 

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2010年7月17日 (土)

ネパール再会の旅 56 『2人の日本人女性』

5月12日(木)晴れ
カトマンドゥ

 昨夜は夜中の1時過ぎまでククリラムを飲み干し、今朝は体がやや気だるい。というよりも完全な二日酔いだ。10時半過ぎに、なかなか部屋から出てこない俺を心配してか、ウマがドアをノックして入って来た。「どうしたの?」と。「二日酔いなんだ」とは言いづらく、「胃が痛くてね」とごまかした。彼女は明日トレッキングに出発する俺に、餞別としてツルピー(乾燥チーズの一種)を持ってきてくれた。なんと待遇が良いのだろう。

イミグレーション・オフィスへ出向き、トレッキング・パーミットの申請をする。1週間で250ルピー、エントランス料が650ルピー。何のかのといって、金がかかるワ!帰りにロードウェイ・カフェでコーンフレークとラッシー(ヨーグルトドリンク)でブランチ。

ゲストハウスへ戻りレセプションにいると、オーナーやサンカールが2人の日本人女性を連れてきた。しかし、受け付けはせずそのまま3階へと案内していった。彼女たちの荷物は、ネパール旅行者にしては珍しく、パックザックではなくスーツケースである。しばらくしてサンカールが俺を呼びに来た。その女性たちが「他に日本人は泊まっているの?」と訊いたようで、サンカールは俺のことを「コメディアンみたいな男だ」と話したらしい。そして「ここへ連れてきて」と言われたようだ。「ヘイ。キナ マ コメディアン フ! (おい、なんで俺がコメディアンなんだよ!)」と笑いながらサンカールに抗議しつつ俺も3階へ。彼が冗談めかして言ったのは分かっているから、決して怒ってはいない。

「こんにちは~!」
「こんにちは~!」
「今聞いたんだけど、僕のこと『コメディアンみたいな男だ』って言ったらしいけど、全然違いますからネ!」
「そうなの?『他に日本人泊まってるの』って聞いたら、そう言ってたから、『じゃあここへ連れて来て』って頼んだのよ、ネェ―!」

初対面なのに、初めから和気あいあい。彼女たちは文化交流目的と観光を兼ねて来ており、今回は、来年行う予定の琴のコンサートの下調べ、会場を決めるための下見をプライベート旅行と重ねて来たそうだ。「ヘェ~!そうなんですか!」とちょっとビックリ!ネパールへ来る前、シンガポールへも立ち寄り、そこに住む知人宅で泊めていただいたそうだが、それがとてつもない大邸宅だったらしい。ここマナスル・ゲストハウスへは、日本で知り合ったネパール人(オーナーの親戚らしい)の紹介だそうだ。2人ともネパールへ来たのは初めてだそうだ。

「ところでさぁ、この辺に、コンビニある?」
「すいません・・・(笑)、ここネパールですヨ!ネパールにコンビニがあると思います?」
「アハハ!やっぱり、ない?!」
「でも、コンビニに近いタイプのスーパーなら、ありますよ!」
「ホント?ヘェー、どこ?」
「そこの道を北へ行って、銀行の角を右へ・・・」
「あのねぇ、私達さぁまだ来たばかりで、どっちが北でどっちが南なのかも、わからないだから!連れてってヨ!」
「そりゃそうだ(笑)!じゃあ、3時にイミグレーション・オフィスへ行かなきゃいけないから、その時に案内しますよ。行く途中にありますから!」

2時半ごろ、2人を連れてまずスーパーへ向かう。2人が買い物を済ませ、イミグレーション・オフィスでトレッキング・パーミットを受け取る。そこで、

「さあ、次は?」
「エッ?次って?」
「どうせ暇なんでしょう?!ついでだから、どこか案内してよ。3回もネパールへ来てるんだったら、案内ぐらいできるでしょ?」
「・・・わかりました(笑)。」

とうとう歩いてまわれる範囲内で、カトマンドゥの街を案内することになってしまった。彼女たちの名前は、牧原さんと降矢さん。まずは王宮前を通り、ホテル・ド・アンナプルナを経てアサン広場、ニューロードへ。「ここはいつもバザールが出てて・・・」「ここがネパール一の繁華街・・・」などと案内する。するとふと、ネパールへ到着した時に知り会った高柳さんと会った。彼は今から日英ネ言語学校へ行くそうだ。

そしてスーパーマッケットという名のデパート。「ここは、僕が知る限りでは、ネパールで唯一エスカレーターがある建物なんですよ」と話すと、驚いたというか笑いながら、「見てみたいね。それにどんなものが売ってるのかも見たいし・・・」で、中へ。エスカレーターでは子供たちが下りのエスカレーターを逆に上ろうとしたり、こんな光景、かつて日本でも見たことがあるなぁ。フレッシュジュースを売る店があって、「ねぇ、喉乾いてない?何か飲もうか?」と言われて、ジュースを飲む。俺の分は彼女たちがご馳走してくれた。ジュースを飲みながら1階まで下りてきたら、そこで今度はシンガポールからの飛行機の中で知り合った高橋さんとも偶然再会した。

さらにそこから、観光案内所を経てダルバール広場へ。ここにもお土産を売るバザール、『生き神様』と崇められる『クマリの館』、『カーラ・バイラブ寺院』などを案内し、インドラ・チョークをのんびり歩き、2時間ほどカトマンドゥの街を彼女たちに案内してゲストハウスへ戻る。またしても、喉が渇いていたのでスプライトをご馳走になってしまった。でも2人にとってはデパートでのジュース代と共に俺に対する『ガイド料』だったのかもしれない。俺自身も久々に観光した気分だ。明日からしばらくブプサへと向かう俺、2人とはこれが最初で最後かもしれないので、そのことを告げ、お互い「ありがとう!」とにこやかに握手した。彼女たちは本当に感謝してくれた。そして4時半過ぎ、シャワーを浴びる。

夕食は、ラサ・レストランでエッグ・フライドライスとエッグ・コーンスープ、ジャスミンティー。ゲストハウスへ戻り、明日の出発の用意、部屋代の精算、手紙の投函以来。そしてオーナーとアンジュと俺の3人で、また酒を飲む。

それにしても、この日は色々な人と会えたし、パブラムからも電話があったし、楽しい日々を送っている。明日は飛行機のフライトが早いので、8時には寝ることにする。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2010年7月15日 (木)

ネパール再会の旅 55 『ある日本人男性と』

5月11日(水)晴れ
カトマンドゥ

 昨夜も良く眠れず、蚊のうるさい音に悩まされた。それでも9時過ぎには起床し、洗濯とシャワー。10時15分に銀行へ行き150ドル両替。ルクラまで往復飛行機を使うと残りは460ドルだ。意外と使っているな。やはり物価が上がっているせいか?それとも俺が贅沢し過ぎているのだろうか?フィルムの現像は、他の店に出してみるとわずか2時間でプリントできるそうだ。

昼ごろ、アンジュにマッサージを頼んでおいてあったので、レセプションへ行くと、ある若い日本人男性がアンジュとマッサージの交渉をしている。彼はレストランも併設しているヤク・ホテルに泊まっているらしいのだが、マッサージをしてもらおうとあちこちまわっても、「どこで聞いてもボラれているような気がして、何件も回っているんですよ」と言う。そこで、アンジュがカトマンドゥでも5本の指に入るほど有名で優秀なマッサージ師であること、時にはホテル・ド・アンナプルナなどの高級ホテルからも依頼が来るほどだと説明し、料金も妥当だと話すと納得し、彼はアンジュにマッサージを施してもらうことにした。本当は俺の予約の時間だったのだが、順番を彼に譲った。俺はいつでも受けられるから。

1時間ほどしてマッサージを終えた彼は、「いやぁ、気持ち良かったですよ」と、とても満足げな表情で出てきた。さらに初めは500ルピーと聞いていた料金を、アンジュが「俺と同じ日本人だから」と、宿泊客料金の400ルピーにしてもらえたそうだ。彼は関西から来ているそうで、しばらく話していると彼はウマを見て「あの子、きれいですねぇ」と言う。「でしょ!まだ22才で独身ですよ」と話すと、「そんなことまで知ってるんですか?」と驚いていた。その後、彼が宿泊しているホテルのレストラン、つまり俺も何度か利用したことがあるヤク・レストランで昼食を共にする。

そこで彼のトレッキングの話を聞いて、『青山トレッキング・エージェント』の傍若無人ぶりが窺い知れた。例えば、同行していたイギリス人女性がトレッキングガイドから露骨に卑猥な言葉をかけられたり、セックスを求められたこと。何ということだ。そんなエージェントがあっていいものか?!同じツアーに参加していた日本人女性は、体を触られたりしてもニコニコしていたと言う。彼は他の国からのツアー客もいるし、ガイドとその日本人女性をたしなめたところ、「お互いに楽しんでいるのだからいいじゃないか」といったニュアンスの言葉が返ってきたそうだ。もしそれが日本であれば、その女性はたぶんこう言うだろう、「セクハラ!」と。

どちらに対しても、許しがたい事実だ。楽しい思い出を作って帰ることは結構だが、その女性とガイドの場合、フレンドリーとかスキンシップといったレベルではなかったようだし、他の人々は、それを快く思わないこともあるだろう。『ネパールの男性は、女性に対するモラルがない』と誤解されかねない。ガイドはあくまでガイドであって、ホストではない。どちらも勘違いしないでほしいものである。

昼食後、写真の焼き増し分を取りに行き、ゲストハウスへ戻りアンジュにマッサージをしてもらう。明後日、ブプサへ行く前の体の手入れである。そして、ルクラまでの片道のエア・チケットの手配をサンカールに頼んでおく。

7時ごろ、再度ヤク・レストランへ行き夕食。すると昼に会った男も偶然ホテルの部屋から下りて来て、相席して夕食も共にする。彼の名は浦野君で俺より若く、シルクロードや中国を旅したことがあるそうだ。とりわけ中国の旅は、『中国鉄道旅日記』というタイトルで自費出版されたらしい。タイトルと出版社名を聞いて、帰国後「ぜひ読んでみます」と約束した。
*帰国後、実際に彼の著書『中国鉄道旅日記』を近所の本屋に取り寄せていただき、読ませていただきました。ほんのわずかな時間しか彼とはお会いしていませんでしたが、それでも彼の人柄が表れている内容で、とても面白かったです。

9時半ごろまで浦野君と話をしながら過ごす。お互いに似たような考えを持っており、わりと意気投合した。明日は、トレッキング・パーミットの申請をしなければならない。もし、「昼もしくは夜、来られたら来ますよ」と言い残し、ゲストハウスへ戻り、ククリラムのコーラ割りをあおって、11時ごろ就寝とする。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2010年7月14日 (水)

ネパール再会の旅 54 『アンジュって・・・?』

夕方、アンジュに日本へのことを話す。何とかトライしてみると言う。しかし彼女には9才で今6年生の娘さんがいるのだが、大丈夫なのだろうか?当然結婚していると思うのだが、けれど夫は?込み入ったことは聞かない方がいいだろうが、それにしても・・・?普段の彼女を見ていると、夫がいるような雰囲気は全く感じられない。それに、もしいるのであれば、お姉さんの自宅へ俺を招待するはずがない。謎である。

とりあえず3日後にブプサへ行くことにする。ランタンへも行ってみたいが、ここまで来ているからには、やはりあの笑顔が素敵なヤンジーに会わずに帰るわけにはいかない。

それにしても俺の将来、どうなってゆくのだろうか?いつまでもこんな生活を繰り返すわけにはいかないし・・・。それに結婚だって考えなければ。相手は・・・ネパールの子?ジェンテン?ニール?ヤンジー?ウマもまだ独身だって言ってたし・・・。

夜、夕食から戻るとオーナーに呼び止められ、アンジュと共に3人でビールを飲み交わす。ビールはオーナーのおごりだ。他のツーリストに比べ、待遇が目に見えて違ってきている。ビールのつまみが足りなくなると、オーナーが夜勤番のスタッフのアカッシュを呼び、つまみを買いに走らせる。気がつくと10時である。皆それぞれのところへ戻り、11時に眠る。

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オーナーに呼ばれて、他の宿泊客の目も気にせず、レセプションで堂々とご馳走になりました。

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アンジュと。

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夜勤番のアカッシュ。オーナーに命じられ、つまみを買いに走ってくれました。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2010年7月13日 (火)

ネパール再会の旅 53 『に・日本食だ!』

5月10日(火)晴れ
カトマンドゥ

 昨夜、飲み過ぎたのか、なかなか起きられず11時に体を起こす。いったんシャワーを浴び、体を目覚めさせる。12時ごろ、出かけようとしたが、レセプションでスタッフが暇つぶしなのか、皆で歌を歌っている。ネパールの流行歌なのだろうか、歌集を見ながら歌っていた。しばらく一緒にいたが、さすがに歌集を見て一緒に歌えるほどのネパール語の知識はない。

『月の旅行社』へ行って、日本ビザ、航空券について尋ねてみる。ビザ取得はやはり難しいようだ。航空券は、シンガポール航空で950ドル。まあこんなもんだろう。とにかく一度アンジュと一緒に日本大使館へ行って、ダメもとでトライするしかない。

昼食は、オム・マンダラ・レストランにてカツ丼にする。はたしてどんなカツ丼が出てくるやら、期待と不安半々である。しかし、出て来たものを見てビックリ!どんぶりもみそ汁のお椀も日本風のもの。で、肝心のお味は・・・、たしかにカツ丼だ!これはまさしく日本のカツ丼と同じである。これで70ルピーなら安い!日本食が恋しくなったらここだな!

ゲストハウスへ戻り、レセプションでスタッフたちと一緒に音楽を聴いたり、皆で写真を撮ったり・・・。ふと彼らが何やら話し、サンカールが外へ。戻って来ると、彼は人数分のチャイを買って来たようだ。俺の分まであったのでお金を払おうとすると「いいよいいよ」と言う。こうなって来ると、客というより『仲間』になった気分だ。

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スタッフたちと。前列左からアンジュ、私、ウマ、後列左からガンガ、サンカール。

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大笑いしているウマ。

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サンカールと共に。

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2010年7月11日 (日)

隠れた名所かも!愛知県春日井市・王子バラ園

昨日、愛西市でハスの花を見た後、東名阪道・弥富 I.Cから春日井方面へと走り、向かう先は『王子バラ園』。
ここは、最近知りあいましたブログ仲間のきゃぶ様からの情報で、場所を調べ訪れたところです。きゃぶさ~ん、行って来ましたヨー (^_^)!情報ありがとうございました。

この『王子バラ園』、実は某ティッシュペーパーなどを造っている『王子製紙春日井工場』の敷地内にあるのです。パンフレットによりますと、今から15年前、当時の工場長さんの地域の方々や従業員の家族への想いから、このバラ園を開園されたようです。

このシーズンの見頃は、もう過ぎてしまったようですが、それでもまだ頑張って咲いているバラもありましたので、その様子をご覧ください。

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まだまだ、このようにきれいに咲いている一角がありました。

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ほらね、まだキレイなバラもありましたヨ!

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可愛らしいピンクのバラも、元気です (^o^)!

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青空にも負けていません!凛と美しく咲き誇っています。

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ブルームーンによく似ています。

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今度は黄色のバラです。この周りのバラは、もう終わりかかっていましたが・・・。

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こちらはちょっと変わった感じのバラ。

このバラ園には、他にもいろんな花やハーブがありました。

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カンナの花。私にとっては懐かしい花です。

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ムクゲも咲いていました。

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上の2枚の花は・・・?どなたか名前、ご存知ですか?

バラの花は、秋になると再び見頃を迎えます。このバラ園も10月から11月いっぱいは楽しめるそうです。お近くの方、ぜひその頃に訪れてみてはいかがでしょうか?駐車場、入園料ともに無料です。
場所は、東名阪道・松河戸 I.Cを降り、最初の信号を左へ。しばらく道なりに行き、『上条町6』信号を越えてすぐ左へ入る道があります。その道を左折すると、左にバラ園があります。右側に駐車場もあります。

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2010年7月10日 (土)

ハスの花!愛知県愛西市

梅雨の晴れ間の土曜日、明日からまた梅雨空に戻るという天気予報。そこで今日は、西へ東へ、さらには南へと『花めぐり』のドライブをしてきました。

まずは、今年の春からブログ仲間になっていただきました、あま・コスモス様とseibo様のブログですでに紹介されていた、愛知県愛西市の旧・立田村にある『ハス園』。高速道路1000円の影響で東名阪道が込み合う中、その渋滞を避ける車でハス園へ続く道も大渋滞!その渋滞を避けるように、やや大回りして狭い道を走り、やっと辿り着きました。

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ハス園全体です。隣接する『道の駅』の駐車場も満車になるほど、たくさんの人々が訪れていました。

少しずつ、ハスの花に近づいていきます。近くで見ると・・・、

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まだ蕾のものもあれば、もう終わったものもありました。しかし、とても壮観でした。今がちょうど見頃なのでしょうか?

今度は、もっと近づいて見てみましょう。

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ハスの花、見るからに『仏の花』、そのように感じます。大きくて、とても優しげで・・・、そして上品な姿。

とても良いところを教えていただきました。地元ならではの情報、あま・コスモス様、seibo様に感謝!です。

もし、この記事を見て「行ってみよう」と思われる方、いらっしゃいましたら、場所は・・・、
東名阪道弥富 I.Cから国道155号を北へ、木曽三川公園方面へ走り、『道の駅』のすぐ手前です。

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2010年7月 8日 (木)

ネパール再会の旅 52 『パブラム宅へ』

5月9日(月)曇りのち晴れ
カトマンドゥ

 明け方まで激しい雷雨。良く眠れぬまま朝を迎え、8時に起床。10分後に早や来客。パブラムだ。こんなに早く来るとは思っていなかったので、慌てて準備する。彼の奥さんも自宅で待っているそうで、彼のバイクに2人乗りして向かう。

現在の彼の自宅は、空港へ向かうちょうど中間あたりにある。2年前のあの狭い部屋に比べ、ずいぶん大きな家の3階に彼らは住んでいた。キッチンにベッドルーム、ちょっとしたオフィスも構え、さながら『青年実業家』だ。ランチョンマットのセットやエプロンなどのハンディクラフト商品を作り、ニューヨークや東京、インドあたりにも輸出しているそうだ。なかなかおしゃれなものもあって、両親や姉、兄夫婦のところへのお土産に少し注文した。そして朝食のダルバートをいただき、皆で写真を撮る。

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92年、当時は狭いアパートで暮らしていたパブラム夫妻。

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パブラムの自宅前で。奥さんがずいぶん垢ぬけた感じがします。

9時半過ぎにゲストハウスへ送ってもらうと、アルジュンが我々の帰りを待っていた。昨日アルジュンに今朝の予定のことを話したら、「久しぶりにパブラムとも会いたいから」と言っていた通り、再びゲストハウスを訪ねてくれたのだ。パブラムはアルジュンが来ているとは思ってもいなかったようで、しばらく3人で楽しく話をしていた。

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再び訪れてくれたアルジュンと。

11時過ぎにシャワーを浴びヒゲを剃り、1時ごろアンジュに「今から日本大使館へ行く」と言って、この日はとりあえず1人で行く。が、午後は2時30分からになっており、近くのレストランへ行き昼食にして時間をつぶす。チキンカツレツとコーラを注文する。このチキンカツレツがまたとなく美味しい。

再び大使館へ行き、日本ビザ取得のために必要な情報を得る。しかし、いずれにしても招待状がいる。『友人だから招きたい』などと言う簡単な理由では、100%間違いなく断られる。何らかの大義名分がないとダメなのだが、果たしてそれが俺に可能なのか?ゲストハウスに戻りアンジュにそのことを話す。アンジュは初めての海外だし、もし可能であれば、俺の帰国時に一緒に行きたいようだ。1ヵ月以内に事がうまく運べばいいのだが・・・。

7時過ぎ、再びパブラムがやって来て「どうしたのか?」と聞くと、「夕食もうちで一緒に食べよう。妻が『今朝は時間があまりなくて、話ができなかったから』と言っているんだ」というわけで、夕食をご馳走になりに行く。

パブラムの家に着くと、まだ支度中だったが、ご飯が炊きあがるまで彼の奥さんも一緒に3人で話をしていた。彼女は嬉しそうな顔でアルバムを1冊持ってきた。その中の1ページを開くと、2年前彼らの小さなアパートに招かれた時に撮った写真があり、彼女は「2年前のことは良く覚えています。昨日主人から話を聞いて、すぐに思い出しました。」と話した。「本当かい?」と聞くとパブラムが、「あぁ、あなたのことを話したら、このアルバムを持ってきて『この人でしょ?』って言ったんだ。そしたら『ぜひ食事に招待して!』って言っていたんだ」。その時の彼女の表情がすごく印象的だった。

そしてダルバートをいただく。すっかり馴染んだネパールの一般家庭の料理。とても美味しい。ダル(豆)スープは、それぞれの家庭で使う豆が違ったりするのだが、どれもこれも美味しい。

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夜もパブラム宅で。パブラムと彼の子供。

パブラムにバイクで送ってもらい、9時30分にゲストハウスに戻る。そしてククリラムを飲み、眠る。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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*先月、母が片づけものの途中偶然見つけたランチョンマット。これこそが、パブラムが製造販売していたものでした。4セット1組で2セット未使用のまましまいこんで、今まで忘れていたものでした。まさか今頃出てくるとは・・・w(^o^)w!

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2010年7月 7日 (水)

ネパール再会の旅 51 『パブラム、アルジュンとも再会』

昼食は、ラッキー・チベッタン・レストランにてバフチョウミンにバニララッシー、ミルクコーヒーとする。いったんゲストハウスに戻り、3階バルコニーでアンジュと話していると、「弟のパブラムがやって来たわ」と話すので、「ここへ連れてきて」と俺は言った。パブラムもまた、かつてのスタッフだったのだ。アンジュがパブラムを連れてくると、彼も俺のことを良く覚えていて再会を喜んでくれた。彼は「あれから子供が生まれ、事業も始めた。家も引っ越しして大きなところに住んでいる。」と話していた。

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92年に撮ったアンジュとパブラム姉弟。

パブラムが帰って数十分後、彼から電話がかかって来た。「ゲストハウスまで迎えに行くから、明日の朝、我が家で一緒に食事をしよう。妻も大歓迎だから!」と誘われ、お招きにあずかることにした。

その後もアンジュと話をしていると、ふいにポンと肩を叩かれ、振り向くと、やはりかつてのスタッフ(キッチンボーイ)だったアルジュンが!
「おぉーっ!アルジュン!ナマステ!」
「ナマステ!久しぶり!覚えていた?」
「もちろんだよ!」
「久しぶりにこの近くへ来たから寄ってみたんだ。そしたら、あなたが来てるって下で聞いたから!まさかあなたが来ているとは思わなかった!」と話していた。
今は、やや郊外にある大きなレストランで働いており、2年前に俺と出会って以来、空手を習い続けているらしい。彼の兄のタラは、すでに結婚して田舎に帰ってしまったそうだ。それにしても、さすがに皆よく覚えていてくれた。お互いに2年ぶりの再会を喜び合った。

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これも92年に撮ったアルジュン。このとき高校時代の体育祭の応援で覚えた空手の型を教えていたのですが、それがきっかけで空手を本格的に習い始めたそうです。

3時にイミグレーション・オフィスへビザを取りに行き、ゲストハウスの部屋で少し休憩した後、4時30分に写真の焼き増しを受け取りに行く。夕食までの間、部屋でアンジュと話し、アンジュの日本行きのためのビザが取れるかどうか、明日にでも日本大使館へ行ってみることにする。

6時半すぎ、ラッキー・チベッタン・レストランにてバフ・ステーキにジャスミンティーで夕食とする。7時30分ごろ戻り、シャワーを浴びTシャツなどの洗濯をして、ククリラムのコーラ割りを飲みながら時間を過ごし、11時過ぎに眠る。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2010年7月 6日 (火)

ネパール再会の旅 50 『西遊旅行社にて』

5月8日(日)晴れのち曇り夜雷雨
カトマンドゥ

 9時起床。シャワーは水が出ず、昨日あまり汗をかいていないことだし、まぁいいか。10時、写真の焼き増しを頼んでおき、次のトレッキングの目的地であるブプサの地理を尋ねに、あちこちのエージェントをまわる。しかし、どこで訊いても詳しいことは分からず、最後の砦に日本語の通じる『西遊旅行社』へと向かう。
*かつてエヴェレスト街道トレッキング中に出会ったヤンジーが、カリコーラ村からブプサという村に引っ越したようで、彼女にもう一度会いたいのでブプサの場所を聞いてまわっていたのです。

『西遊旅行社』で事情を説明し、場所を尋ねてみると、スタッフはたまたまオフィスでトレッキングツアーの準備をしていたガイドたちに訊いてくれた。すると、どうやら彼らは知っていたようで、「カリコーラから急な坂を登って行って、お寺のあるところがブプサです。」と教えてくれた。そして「ルクラ バーター ブプサ サンマ カティ ガンタ ラグツァ ?(ルクラからブプサまで何時間かかりますか?)」と直接彼らに尋ねると、「サート ガンタ アート ガンタ (7~8時間)」と教えてくれた。俺が「ルクラからその日のうちに行けるかな?」と言うと、日本語が堪能なスタッフは「以前ジリからカラ・パタールまで歩いたというあなたなら、大丈夫でしょう。その日の朝、カトマンドゥを出て夕方には着けるでしょう。」と、俺の不安を吹き飛ばすかのように、あっさりと答えた。

彼はさらに「あなたは前にもここへ来たことがありますよネ?」と尋ねた。俺は、
「エェ、ありますよ!」と答えると、
「やっぱり!あなたがここへ入って来たときに、すぐに分かりました!」と、笑顔で話してくれた。俺は決して『西遊旅行社』を利用して来ているわけではない、にもかかわらず『日本語が話せるスタッフがいる』ということだけで、図々しくもここへ相談に訪れているだけ。前回もそうだった。そんな俺を、2年前に来たことを覚えていてくれた上に、快く迎えてこちらの話を聞いてくれた。「いいですヨ!どうせ暇ですから!」と言いながら。

そして、時間と体次第だが、もしランタン・トレッキングへ行くとしたら、そちらはトレッカーも少ないし、初めて行くコースなので「一人で大丈夫でしょうか?ガイドを雇った方がいいですか?」(これは、相談のお礼に、もしガイドが必要なら、ここで手配してもらうつもりでいた)と尋ねると、彼は笑いながら「あなたは前にもネパールへ来たことがあるし、ネパール語もできますから必要ないでしょう!もったいないですよ。もし雇うのならポーターを雇ったほうがいいです。現地まで行けばすぐに見つかります。道も良く知っていますから、ガイドの役目もしてくれるでしょう。」とアドバイスしてくれた。
うーん、商売気がない、というか日本なら「よろしければ手配しますよ」と答えるところだろうが・・・。
*ガイドとポーターでは、支払う賃金が大きく違います。ガイドの場合1日数ドル($(8~10)に加え、彼らの宿泊費・食事代も雇う側が持たなければならない。ポーターは、1日2~300ルピー($5~6)のみで、彼らの宿泊費も食事代も支払う必要はない。

2年前に出会ったヤンジーには当然会いたいし、まだ見ぬランタンへも行ってみたい。ビザはとりあえず3週間延長しておこう。

他にも色々な情報を『西遊旅行社』から提供してもらった。例えば、本格的にネパール語を習いたいのなら留学して1~2年のコースどちらかを選び、授業料は年間$500。生活費は、部屋代が1ヵ月3~5000ルピー、計$200ぐらいかかるそうだ。この後帰国したら、しばらく働いて再びネパールへ来ようか?アランさんのようにネパールに住んでみようか?

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2010年7月 4日 (日)

廃線後の終着駅、旧・名鉄谷汲線谷汲駅

先日訪れた岐阜県、旧・谷汲村(現・揖斐川町)にある『谷汲ユリ園』。今日の地元紙の朝刊一面に、写真と共に掲載されていました。その記事を見たからなのでしょうか、アクセス解析を見ると、たくさんの方が『谷汲ユリ園』で検索し、先日の私のブログ記事を訪問されたようです。少しでも多くの方のご参考になれば、幸いです。

『谷汲ユリ園』からその後、西國三十三番満願霊場の『谷汲山・華厳寺』を参拝し家路へと向かおうと、参道から『山門前』交差点を左折すると・・・、旧・谷汲駅の駅舎がありました。

ここはかつて、名鉄谷汲線の終着駅。岐阜市内の『忠節』駅から名鉄揖斐線の『黒野』駅、そこからの支線で、ほんのわずか10kmほどの短いローカル線でした。旧・谷汲村の人々や、谷汲山・華厳寺を参拝する人々の足となった鉄道は、残念ながら、2001年10月に廃止されました(ウィキペディアより)。しかし、「かつてここに、電車が走って来ていたんだよ」と後世へ語り継がれるように、『旧・谷汲駅』が保存されていました。

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旧・谷汲駅。何となく『札幌・時計台』に似ているような・・・。

↑の駅舎から改札を通ると、プラットホームもそのまま残っていました。そして21世紀初頭まで走っていたとは思えないようなレトロな電車が・・・!

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かつての姿そのままでしょうか?今もプラットホームが残され、このような列車が活躍していたのでしょう!

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こちらもまた、いかにも『ローカル線』っぽい列車。でも、何十年もの間、この地域の人々のために頑張った列車だったのでしょう!

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駅標も、そのまま残されていました。この駅と深い関わりを持つ人々にとっては、これも大切な思い出の1コマなのでしょう。

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駅の向こうへと続く線路。「♪線路は続くよ~、どーこまでもー・・・♪」、しかし今はもう・・・、数10m先にはもう、線路がありませんでした。

私の亡き父は、元・名鉄鉄道マンでした。それゆえ私が幼い頃、亡き父の運転士ぶりを見て「スゴイ!カッコイイ!」と思ったものです。この路線を運転していたわけではありませんが、もし父が今生きていたなら、きっとこう言うでしょう・・・「こんな電車、簡単に運転できる!」と。子供の頃、どこかで地下鉄の原寸大の模型を見たときも父は、たしか「名鉄(の電車)と大して変わらんなぁ!」と言っていたのを記憶の片隅で憶えています。亡き父は、自動車の運転免許は持っていなかったのですが、列車の運転はできる人でした。

帰り道、偶然通りかかり、ふとブレーキを踏み立ち寄った駅。私が運転免許を取得する前は、鉄道をメインに旅していたものです。だからこそ、ノスタルジー!が甦って来ます。時代の流れと共に消え去る運命となった『旧・谷汲駅』。私にはまったく馴染みのない駅ですが、それでも『懐かしさ』を感じる駅でした。

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2010年7月 3日 (土)

玄関の花

狭い団地住まいの我が家ですが、あちこちに花が活けてあります。母が花屋さんに、父のお墓や仏壇にお供えする花と神棚の榊を注文すると、いつも色んな花をサービスしてくれるそうです。それらの花を母は手分けして、飾っているのです。

いつしかそれらの花をデジカメで撮るようになりました。今日はここ数か月の間、玄関に飾られた花を特集します。お花の名前は・・・???というのもあります。

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我が家は、信楽焼の狸さんが、デンとお出迎え。その前にトイレにあったお花を!

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こちらが本来の玄関のお花!カーネーションと・・・、???

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別の日です。カーネーションとかすみ草と・・・???

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また違うある日、これはダリア?

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さらに別の日、カーネーション。

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これもさらに別の日、狸も一緒に。青い花は・・・???

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ずっと前、100円ショップで買った人形2体。玄関入ってすぐ右側で、ニコニコお出迎え。理由は分かりませんが、癒されるのですヨ (^_^)/!

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これは・・・、5月頃トイレの一角に飾ってあったつつじ。

出かける時も、帰宅した時も、これらの花に見送られ、お出迎えされている私です。造花ですといつも同じで、慣れてしまって何も感じなくなるのでしょうが、生花はやはり違います。本物の美しさを見せてくれます。それに、ふと気がつけば花が替わっているので、それも楽しみです。もちろん、マイルームにもありますヨ (^o^)/!

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2010年7月 2日 (金)

『美しきハンター!』・・’♪お魚咥えた・・・♪’

♪・・・どら猫追いかけて・・・♪と思われた方、m(u_u)mゴメンチャイ!

今年の正月に、ドイツのエルマー&アンジュラからメールと共に送られてきたユニークな写真、もう少しありますのでご紹介します。

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『水辺の宝石』と云われるカワセミです。見事にお魚をゲットしたようです。『電光石火のハンター』『神業ハンター』を以前このカテゴリーで紹介しましたが、このカワセミはさしずめ『美しきハンター』ですネ!

先日のサッカー・ワールドカップ、残念ながら日本は決勝トーナメント初戦、惜しくも、本当に惜しくも、敗れてしまいました (。>0<。) 。しかし大会前の下馬評を大きく覆す結果だったことは、間違いないですネ!『1つでも勝てばサプライズ!w(゚o゚)w 』などと云われていたのに予選リーグでカメルーンに勝ち、オランダには敗れたものの0-1の僅差、デンマークには3-1の快勝 (゚▽゚*) 。決勝リーグにコマを進めパラグアイ戦、延長戦でも決着つかずPK戦の末、敗退 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 。前回のワールドカップ、予選リーグで一つも勝つことなく散ったことを思えば、大健闘でした。日本代表チームに、心から拍手を送りたいと思います。
さぁ、これからはベスト8に進出したドイツチームの応援です。前回の大会でも大活躍したクローゼやポドルスキー、さらには若いミューラー、エジルの活躍に期待しています (^_^)!

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2010年7月 1日 (木)

ネパール再会の旅 49 『アンジュの姉宅へ』

5月7日(土)晴れ
カトマンドゥ

 8時30分起床。トレッキング中の習慣のせいか、それとも早く寝たからなのか、6時に一度は目が覚める。まずシャワーを浴びる。朝食は、パンとコーラを買ってきて部屋で食べる。その方が安上がりだ。バルコニーでボーっとしていると、ゴビンダがやって来た。今年の秋に日本へ行くと話している。2週間のツーリスト・ビザが取れるらしい。しかし、そう簡単に取れるとは思えないが・・・。
*彼が実際にビザを取得し来日したのは、それから数年後のことでした。

ふと下を見ると、ポカラそしてタトパニでも会った織田さんと都築さんが歩いている。バルコニーから呼びかけると、彼らも気づいてくれた。彼らは飛行機のストライキの影響で急遽、明日帰国することになったらしい。この日はお土産の買い出しで1日つぶれそうだって。

11時30分、一昨日の約束通りアンジュと彼女のお姉さんの家へ行く。だが面倒なことが一つある。男女交際については、まだまだ遅れているこの国。2人だけで歩いている姿を目撃されるだけで、何かと噂される街。予め打ち合わせたとおり、ゲストハウスを別々に出てしばらく行った道の角で何食わぬ顔をしてアンジュを待ち、お互いさりげなく目配せし、アンジュがオートリクシャとの料金交渉が成立してから俺に合図をし、周囲に知り合いがいないかどうかを確認して、オートリクシャに俺も乗り込む。実に用心深くやらなければならない。
*私が料金交渉すると、当然ツーリストプライスになります。アンジュ1人だけで交渉すれば、ネパリー料金。で、そのあと私が彼女の合図と共に一緒に乗る、ということです。

彼女の姉の自宅は、やや郊外にあり、ネパールでも1・2を争う高級ホテル、『ソルティ・オベロイ』のすぐそばだ。このホテルは初めてこの国を訪れたとき、カジノを楽しんだところ。そのホテルのすぐ近くだから、いやがうえにも場所を覚えることができる。その自宅はとても大きくて、家の中へ入るとアンジュの姉夫婦が出迎えてくれた。

彼らはアンジュが連れてきた思いがけない日本人客の訪問にも、大歓迎してくれた。アンジュの姉、ウタンさんはいたって明るく陽気で、カナダ人の夫アランさんは62才で敬虔な仏教徒だそうだ。アランさんは自室に小さな祭壇を祀り、「ここは私のパラダイスだ」と話していた。我々日本人も仏教徒ではあるが、彼のこの敬虔な姿、信仰心の強さには、何か感じるものがあった。

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左からアランさん、ウタンさん、アンジュ、俺。

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ウタンさんとアンジュ姉妹で!

4人でウィスキーを飲み交わし、写真を撮ったり音楽を聴いたり。ラジカセからはイーグルスの『ホテルカリフォルニア』が!歌に合わせて口ずさんでいるとウタンさんも一緒に歌い始め、お互いにニッコリ!テーブルの上に2つの新聞。ひとつは英字、もうひとつはネパールの新聞。ネパール語で書かれた新聞名を見て俺は「ゴルカパトラ?」と聞くと、合っていた!これにはウタンさんもアランさんもビックリ!アランさんはもう数年ネパールに住んでいるのに、ネパール語を話せないし、まして読むことなんかできないそうで、本当に驚いていた。

アランさんが一番好きなお酒は『ブラディマリー』だそうだ。それを聞いて俺も嬉しくなった。俺も大好きなカクテルだし、ネパールまで来るシンガポール航空の機内サービスで『ブラディマリー』を1杯2杯と飲んだことを話すと、彼はとても喜び、好きなお酒が同じだということで、俺のことをたいそう気に入ってくれたようだ。アンジュは本当はほとんどお酒は飲めないのだが、「全く飲まないと姉が怒るし、少しでも飲めば姉は喜ぶから!」と言って水割りを飲んでいた。

夕食までご馳走になり、気がつけばもう8時半。さすがにそろそろ帰ることにする。アンジュとオートリクシャに乗り俺はゲストハウスの少し手前で降ろしてもらう。万が一、誰かに見られるとすぐに噂になるから、慎重に行動しなければならない。2人だけの秘密ができたようで、こういうのって何となく楽しい!9時ごろ戻り、ウィスキーで酔っているせいか、そのまま眠る。

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初めてお会いしたアランさん、ウタンさんともすっかり打ち解け合いました。それを一番喜んでいるのは・・・、アンジュかも?!

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アランさん、ウタンさんのラブラブぶり!ペットの『チャボ』と共に!

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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