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2010年5月16日 (日)

あぁ野麦峠

小説や映画などで知られる『あぁ野麦峠』、実際にあった『女工哀史』として、良く知られています。特に野麦峠は、飛騨の若い女工たちが、信州・岡谷、諏訪などにある製糸工場へ行くのに越えなければならない難所でした。年末年始の帰省、そして再び信州へ向かう時、峠は深い雪に覆われ、時には吹雪くこともあり、まだあどけなさが残る少女たちには、命懸けの峠越えだったそうです。

その小説の主人公『政井みね』さんは、当時、劣悪な環境で過酷に働かされた製糸工場で重病(腹膜炎)にかかり、工場から連絡を受けた兄・辰次郎さんが郷里の飛騨・河合村角川から、夜通し歩き続け100km以上ある距離をたった2日で信州までたどり着いたそうです。そして、用意していた背負子にすっかりやつれてしまった妹の『みね』さんを座らせ、それを背負って飛騨まで帰ろうとしていました。本当は松本にある病院へ連れて行こうとしたのですが、『みね』さんがどうしても「飛騨へ帰りたい」と言うので、飛騨へと向かったそうです。

途中の『工女宿』で休みながら行くものの、『みね』さんの容体は良くなりません。そして、難所の野麦峠へと向かいました。兄・辰次郎さんは時々声をかけながら『みね』さんを励まし歩き続けました。そしてとうとう野麦峠へ。峠からは乗鞍岳、そして懐かしい飛騨が見えます。

「あぁ、飛騨が見える。飛騨が見える・・・」と『みね』さんはつぶやくと、その言葉を最期に息を引き取りました。兄・辰次郎さんは「みねは飛騨を一目見て死にたかったのだろう」と泣き崩れたそうです。

*『あぁ野麦峠』山本茂実著より要約

今日、この野麦峠で『第28回野麦峠祭り』が開催されました。以前は毎年参加していたお祭りです。今年、7年ぶりに参加しました。お祭りの内容は『記念山行』です。歩くコースは2通りあります。1つは、マイカーを停めておく『川浦歴史の里』から峠まで3.5kmを歩くコースと、シャトルバスで『わさび沢』まで行き、そこから当時の工女さんやボッカ(荷負稼業の人)に扮した学生さんたちと共に旧街道を1.3km歩くコースです。しかし、「とても山道を歩けない」という方には、峠までシャトルバスで行くこともできます。

Photo
今回の『野麦峠祭り』のパンフレットです。このような出で立ちをした工女さん役の若い女性たちと共に峠への道を歩きます。

私は、「7年ぶりの参加だし、母がいるから峠まで行こうか?それとも1.3km歩こうか?」と悩みましたが、以前は1.3kmのコースを往復したことがある母が「歩いてみる」と言うので、1.3kmのコースを歩くことにしました。

このお祭りの様子は、また明日にでも書こうと思います。とりあえず、今日は5時半起きで疲れました。そろそろ寝ます。

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コメント

お疲れ様でした。お母様もお元気ですね。私もこの本は読みました。でも、いったことはありません。日本の近代化の本当の意味で礎となったのはこうした人たちなのですね。


hannaさんへ

いやはや、この程度で疲れるとは・・・?!10年前は楽勝だったのですがネェ~!やはり寄る年には勝てないのかナァ・・・?50近いですし・・・!
母は、「歩く!」と言ったものの、実際には・・・?「もし来年も行くなら、もう歩けない」と、自らの体力の限界を知ったみたい(?)です。
江戸から明治へと時代が移り、近代化の波に押された時代、『野麦峠はダテには越さぬ 一つァー身のため親のため』『男軍人女は工女 糸をひくのも国のため』と歌いながら、工女たちは暗い夜道を歩いたそうですね。
日清・日露戦争に勝利をおさめたのも、さらなる近代化も、このような過酷な労働に耐えた工女さん達がいたからこそ!そう思います。生糸は、当時の日本の貴重な輸出産業でしたから!
このお祭りは、そのころを偲び彼女たちに感謝しつつ、現代を明るく楽しく過ごそう!、そんな祭りのように思います。

投稿: hanna | 2010年5月16日 (日) 23時29分

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