« あぁ野麦峠 | トップページ | ネパール再会の旅 27 「ありがとう!ジェンテン』 »

2010年5月18日 (火)

第28回野麦峠祭り

一昨日5月16日、7年ぶりに野麦峠祭りに参加しました。
自宅を朝6時に出発し、中央道・中津川 I.Cから国道19号をひた走り、薮原から野麦峠方面への道を走る。途中のコンビニで朝食のサンドイッチを買って食べ、川浦・歴史の里にある駐車場に着いたのは、9時20分ごろでした。

261

川浦では、何と桜が咲いていました!w(゚o゚)w

かつて1998年から6年続けて参加したことがある野麦峠祭り。そのころは奈川村主催のお祭りでしたが、松本市と合併したからなのか、規模が大きくなったような気がします。臨時駐車場を設け、シャトルバスを導入し参加者を送迎する、以前にはなかったことです。しかも参加者がずいぶんたくさんいる。以前参加したときは、これほどたくさんいたことはありませんでした。それに関係者の顔ぶれを見ると、知っている顔が見当たらない。前は毎年参加するたびに、関係者の方々から「今年も来てくれた?!」「もう常連だナァ!」「おっかちゃんも元気でござったか!」と、気さくに声をかけられたものです。だからこそ、このお祭りに、とても親しみを持っていました。

川浦からシャトルバスで、工女さんと歩く1.3kmコースのスタート地、わさび沢へ向かうと、そこにはすでにたくさんの参加者、工女さん、ポッカさん役の地元の若い子供たちも来ていました。

262

検番さん、工女さん、ボッカさん達がいます。わさび沢にて。

263

お祭りの幟を持った年配のボッカさんも歩きます。

母のペースを考えて、皆が歩き始める前に、わさび沢から歩くことにしました。それに、彼らが歩いてくるところをカメラに収めたいので、先に進んでおく必要があったからです。

264

わさび沢から、歩き始めはまだなだらかな道です。

265

母も78才ながら、杖をついて歩きます。

266

途中には、このような清流が流れています。

267

道はやがて登りになり、険しさを増していきます。

268

『山一製糸』と書かれた幟を持った検番さんを先頭に、明治の頃『糸引き』へ出かける工女さん達の姿を再現しています。先頭の検番さん役の方は、以前もこの役をずっとされている方でした。ということは・・・、もう10年以上、このお祭りでこの役をされているのです。

269

工女さん役の少女たち。小学生と中学生が中心となって、歩いています。

270

ボッカさんたちも、地元の小・中学生が担っています。

その当時の衣装で、それぞれの役に扮した人たちが通り過ぎ、私と母は再び歩き出しました。しかし、道は徐々に険しくなり、母はゆっくりでしか歩けません。工女さんなどに扮した子供たちが立ち止まって休憩しているときに、私は母に「ゆっくり歩けばいいから」と言い残し、写真を撮るために独り先へ進んだ。

休憩中の彼らを追い越し、さらに撮影ポイントを探しながら登る。しかし、ペースを上げて登ったせいか、やや息切れ。「まさか?!」と思いながら、「それだけ体力が落ちてきたのか!」と実感。そしてベンチがあるところで休みながら一団を待つことにした。

再び検番さんの姿が見え、写真を撮り始める。ボッカさんの姿も入れながら工女さんを撮っていたら、一人ニッコリとVサインの女の子!シャッターを押した後だったので彼女に「いいよ、撮ってあげるよ!」と言うと、再びニッコリ、Vサイン!

271   

happy01scissors の女の子。ここまで険しい道を歩いて来ているはずですが、ご覧のとおり、元気いっぱい!当時の工女さんたちも、帰郷するときは、心の中ではこんな笑顔でこの道を歩いたのでしょうネ!笑顔がカワイイ w(^o^)w!

一団を見送り、そこで母を待ちました。次々と一般の参加者たちも歩いていきます。私が母を待っていたところは、ベンチがあったせいか休んでいかれる人もいました。しかし母はなかなかやって来ません。「少し下ってみた方がいいかな?」と思っていたら、やっと母がやって来ました。見ると、関係者の男性の方が母の手を引っぱってくれていました。

「すいません!私の母です。」と言って、その方に話を聞くと、途中で母は枯れ葉に滑って転んだらしい。それで1人で歩いていた母を心配して引っぱって来てくださったそうだ。私はただ平身低頭でお礼を言うのみ。「ここからは私が引っ張っていきますから」と話し、その方や他の参加者を見送った。

ここまで引っ張って来ていただいた母、しかし、かなりへばっていました。私はそこで母をしばらく休ませることにしました。ベンチで休んでいた人たちが歩き始め、ベンチが空いたので「少し横になり!」と言って、荷物を枕にして休ませました。「やっぱり、無理だったかなぁ?」と思いながら、自分自身の行動を反省!母も「60代の頃は歩けたけど、もう歩けんなぁ…。」と話していました。しかし、母を引っぱってくれた方や、そばにいた人たちは、母の年齢が「78才」だと聞くと、皆一様に驚かれたそうです。しかし、私が母を待っている間に話をしたご老人は、「83才」の方でした。スゴイ!

この休憩ポイントから峠までは、まだ600mあるのですが、しかし、ここまでの登りの道に比べれば、急なところはありません。ずいぶんなだらかな道になります。母に「大丈夫?」と尋ね、充分休ませてから出発。峠の方からは、工女さん達が辿り着いたのか、拡声器を通してイベントの案内の声が聞こえてきました。

272

ヘトヘトになりながらも、78才の母は、この峠道を頑張って歩きました。母を引っぱって来てくれた方に教えられた『保健師』さん(緑色のヤッケの方)と共に、もうあと少し!

峠にたどりつく直前に、お地蔵さまがいます。お地蔵さまに、そっと手を合わせ、今回久々に参加できたことと、ここまで歩くことができたことを感謝し、もう間もなく峠です。が、わずかながら雪がまだ解けずに残っているところがありました(以前、参加した時もこのようになっていました)。転ばないように母の手をとり、やっと峠へ到着 happy01 !我が母ながら、とても頑張りました。そこからの眺めは・・・

273

峠に到着しました。名峰・乗鞍岳が美しい姿を見せてくれました。また、この日、乗鞍岳は『山開き』だそうです。

274
峠にある『みねさんと、兄・辰次郎さん』の石像。辰次郎さんはこのように、背板にみねさんを乗せ、歩き続けたそうです。

まだ雪が残る乗鞍岳を眺め、これまで何度も見たことがある『あ~飛騨が見える』という『みね』さんの最期の言葉となった石像を、とても懐かしく見ていました。ここからさらに山を登ると、そこには『みね』さんの御墓があるのですが、以前にお参りしたことがありますし、母の体力を考え今回はお参り出来ませんでした。

峠では、以前あった『みねの茶屋』は国有林内にあり国に返したそうで、昨年取り壊し、昔からある『お助け小屋』の前の駐車場が今回のイベントのメイン会場になっていました。そこではちょっとしたお土産や食べものを売る店、テントの下にテーブルと椅子を並べ参加者がそれぞれ休憩・昼食を楽しめるようになっていました。他にも、レジャーシートを持ってきて、そこでお弁当を食べている人々など、たくさんの方がお祭りの後の余韻を楽しんでいました。

もちろん、工女さん役に扮した女の子たちも、少なからず、まだ帰らずに残っていました。やはり、一般として参加した私たち、「可愛らしい工女さん達と一緒に写真を撮りたい!」と思うのは当然のこと!で、声をかけ、母と彼女たちを撮ろうとしたのですが・・・、「せっかくですから、撮らせますから・・・」と、ボッカさん役だった男の子にデジカメを渡し、私も入れて撮っていただきました。

275

工女さん役の女の子たちと。皆とても可愛い子たちでした happy01 !

ちょうどお昼頃だったので、『お助け小屋』で昼食にしました。母は『野麦うどん(山菜うどん)』、私は『てんぷらそば』にしました。山菜もそばも、この地方の名産品です。

食後、テント下のお土産屋さんを覗くと・・・、「オォーッ!こごみだ!タラの芽もある!」。先月、高遠へ行った時、「てんぷらにして食べよう!」と言って買って来た旬の味。冬が長いこの辺りでは、今がちょうど旬!お値段も、近所のスーパーとは比べ物にならないほど安い!迷わず買いました (^_^)!

まわりを見ると、ほとんど一般の人たちばかりでしたが、ふと、まだ工女さん役の女の子がいました。その子たちにも声をかけ、写真をお願いしました。母を入れて撮った後、「せっかくですから一緒に・・・!」と私も促され、一緒に撮っていただくことにしました。でも、ちょっと待って!「おふくろは腕を組んでもらってるのに・・・?」と、『スケベ心 (?) 笑!』で肩を抱かせていただきました。

276

工女さん役の女の子たちと母。帰宅後に気付いたのですが、よく見ると、母と腕を組んでいる女の子、峠への道で笑顔で 『Vサイン』をしてくれた女の子でした!

2762

私も一緒に撮っていただきました (^o^)!お祭りのどさくさに紛れて「ここぞ!」とばかりに若い女の子の肩を抱いて・・・、これってセクハラ?

そんなこんなで楽しく過ごし、シャトルバスで川浦へと戻って行きました。以前とは、規模が大きくなり親しみやすさは薄れたものの、しかし、工女さん役の女の子たちと一緒に写真を撮ってもらうことができました。前は理由は???ですが、なぜか工女さん役の女の子たちと撮ることは、ほとんどありませんでした。

こうして私たちの野麦峠祭りは終わりました。

|

« あぁ野麦峠 | トップページ | ネパール再会の旅 27 「ありがとう!ジェンテン』 »

コメント

なんだかアット・ホームな催しですね。悲哀に満ちた事実も現代の若者が演じると楽しいイベントになるような。まあ、あんな悲惨な富国強兵の犠牲はなくていいものですから、その事実を忍びつつ地域振興にもなるのでしょうか。面白いですね。
それにしても、お母様お元気ですね。私は上り坂まったくだめですから、決して登りません。


hannaさんへ

以前はもっとアットホームな雰囲気でしたヨ!このお祭りで出会ったご夫婦と、その翌年偶然にも再会したこともありました。関係者の方々や、交通整理のお巡りさんとも顔馴染みだったのです。
今回、久々の参加で「会えるかなぁ?」と思っていたのですが、見当たりませんでした。
お祭りに参加した工女さんやボッカ役の子供たちが、事実を知っているかどうか分かりませんが、楽しいイベントとして続けていくのも良いと思います。これがきっかけで、『富国強兵』を謳ったころの日本を、このような事実があったことを知る人もいるかもしれませんから!かつての女工さん達も、あの世で楽しく見守ってくれていると思います。

投稿: hanna | 2010年5月18日 (火) 23時53分

おはようございます。
留守中のコメントありがとうございました。
映画は好きでした。橋本忍監督でしたね。


seiboさんへ

映画は見たことがないのですが、峠にある『峠の資料館』で当時の様子を再現した映画を見ることができます。『お助け小屋』には映画のポスターもありました。中井貴恵さん、三原じゅん子さんらが出演されていたのですネ!

投稿: seibo | 2010年5月19日 (水) 10時34分

この格好で当日帰省したと思えば、冬は厳しかったでしょうね~もちろん外套はあったと思いますけど。

お母様の杖はトレッキング用のストックを使われた方が良いのではないですか?少し値が張りますが、ストック先端部はアンチショック機能が付いていますから手に負担が掛かりにくい。出来れば両手で持つi型のストックが良いですね、荷物は小さめのリュックを背負うのがよいですね。

季節良いので定期的に歩かれた方がいいでしょう。
お近くだったら、私のストックを試しに使ったもらうのですけどね~


青龍○段さんへ

お祭りの女工さん役の子たちは、足袋を履きわらじで歩いています。当時の姿そのまま再現しています。もっとも冬は、こうはいかなかったでしょうが・・・。
実は、母を歩かせるつもりは全くなかったのです。前回参加した7年前でさえもう70代。その時でさえ歩かなかったのですから!ところが今回「せっかく杖もあるし・・・」と言って歩くのですから、驚きました。だったら荷物もデーバッグにしておけばよかった!と反省しました。
このような山道は母にはもう無理ですが、平坦なところをゆっくり歩きながら、健康維持に努めさせたいと思っています。
読書が好きで、山歩きも好きな青龍○段さんには、このお祭り、お勧めです (^_^)!来年、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか?

投稿: 青龍○段 | 2010年5月19日 (水) 15時34分

ご無沙汰しました。
少々、事情があり投稿は続けていますが
コメント欄を閉じております。
昨年、開設した花のブログの“花筺~花がたみ”、
今年1月末で一時中断していたのですが
今週から再開しましたので時々覗いていただけると
嬉しいです。

野麦峠・・女工哀史として子どもの頃から書物や映画などで
何度もその名を眼にしたり耳にしたりしましたね。

昨年でしたか、ハイキングの機会があったのですが
何かの事情で参加できなかったことがありました。

どのような感慨でこの野麦峠を越えて行ったのでしょうか、若い女性たちは・・。
そのような思いとは違って写真でピースサインをしている現代の若い女性の屈託の無さに時代を感じました。
仕方が無いことですね。

お母上、お元気ですねえ。
びっくりしました。
ご帰宅後にお疲れが出ていないと好いのですが・・。


Saas-Feeの風さんへ

このところコメント欄が閉じられていましたので、どこかへお出かけか、何かあったのか・・・?どっちだろうと心配していました。何事もなかったのならば、良かったです。
野麦峠へは、お祭り以外の時にも訪れたことがありますから、もう10回以上行っていると思います。ドライブコースとしても、とても楽しく走れるところです。岐阜県側へ降りて行くと、野麦の集落は『これぞ懐かしい日本』という感じがします。
小説を読むと、雪が解け田植えの頃になると、飛騨の若い女工さん達は、お手伝いのため帰省されていたそうですが、その様子は『ヒバリが歌うように』賑やかだったそうです。写真の女の子のような方も、いたかもしれませんヨ (^_^)!今は年1回のイベントとして開催していますし、この時ばかりは彼女たちはここでは『大スター!』。明るく祭りを盛り上げてくれるのですから、大目に見てあげて下さいナ!ちなみに、女工さんと一緒に撮った写真で、母の隣で腕を組んでいる女の子、すべてあのピースサインの女の子でした。何かしら、ご縁があったのかもしれません(笑)!

投稿: Saas-Feeの風 | 2010年5月20日 (木) 17時01分

おはようございます~♪
 拝見しました
”野麦峠”は暗いイメージが有りました。
辛くて悲しい・・・・
当時もこのような服装なら厳しい冬はさぞ辛かったことでしょうね
コートは被られていたとは思いますが・・・

時代が変わって、今は平和そのものですね。
平和の有り難さをつくづく感じています。

同行されているお母さま
若々しくて素敵ですねhappy01


コスモスさんへ

無理にお勧めして、お読みいただきまして恐縮です (^_^;; 。でも、舞妓さん達の盆踊りの姿を見たら、ぜひこのお祭りの主役、女工さん役の女の子たちの姿、ご覧になってほしいと思ったものですから!シチュエーションなどを含めても、何の共通点もないのですが、それでも私は何か感じるものがありました。
野麦峠、小説や映画で知られるように、やはりどこか暗く物悲しいイメージがありますが、しかし決してそればかりではなかったようです。盆や正月以外にも、田植えや稲刈りの頃には帰省されることもあり、新緑の峠道をヒバリたちが歌うがごとく賑やかに歩いたそうです。このお祭りの女の子たちのような笑顔で、帰られたのでしょう。冬の厳しさは、私の想像を越えるものだと思いますが、今の時代真冬にこの峠を歩く人はもういないでしょう。

投稿: コスモス | 2010年8月 4日 (水) 06時25分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« あぁ野麦峠 | トップページ | ネパール再会の旅 27 「ありがとう!ジェンテン』 »