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2010年5月

2010年5月30日 (日)

ネパール再会の旅 33 『ガサへ』

4月22日(金)晴れのち曇り一時雨
カロパニ7:05(徒歩)10:05ガサ(下村)

 6時過ぎ起床。昨夜もぐっすり眠れた。今朝はやや寒く、南の方ではかなり雲がかかっている。すぐ近くの山は、良く見えるのだが。オートポリジとミルクコーヒーで朝食とする。支払いを済ませ、「2年前にもここへ泊まりましたよ」と言うと、えらく喜んで、この日の目的地のガサのロッジを紹介してくれた。

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トゥクチェピーク~タパピーク。カロパニにて

今日はいい天気。トゥクチェピークもタパピークもきれいだ。歩いているうちに汗をかく。レテでは、小さな子供たちが英語の勉強をしていた。カイクでティータイムとし、次の村はガサだ。9時40分にガサの上村に着いたが、めざすゲストハウスは見当たらず、下村へ。村の最後にあると聞き、10時5分、イーグル・ネスト・ゲストハウスへ。カロパニからちょうど3時間。まだ10時なのに、1日の行動を打ち切るのはいささか早すぎるが、長いトレッキング、やみくもに歩くだけでなく、こんな日があってもいいと思う。というか、2日に1回はこんな感じの1日になっている。

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レテ付近で。山崩れ跡にある道を行かねばなりませんでした。

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グマニにて。

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カイクより、ニルギリ南峰。

ゲストハウスでコーヒーブレイク。昼食はベジタブル・チョウミンとする。まあまあの味だ。午後は部屋で体を休めたり、本を読んだりして過ごす。夕食は5時半ごろから、ララ・ヌードルスープにポテトチップス、ムスタンコーヒー2杯。何か少しずつワンパターン化してきたな。山に入ってからダルバートを食べていないもんな。

電気のない村なので、陽が暮れるとすることもなく、早めにベッドルームに戻り、6時半過ぎにはシュラフの中へ。

ガサ、イーグル・ネスト・ゲストハウスにて

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2010年5月29日 (土)

『蚊嫌草』を食べました

『蚊嫌草(かれんそう)』、正式名称はローズゼラニウム。センテッドゼラニウムの一種です。このハーブ、文字通り『蚊が嫌う草』として有名ですよネ!我が家にも、ベランダに置いてあります。

この蚊嫌草、以前にも書きましたが、食べることもできるのです。ただし、食べられるのはピンク色の花をつけるローズゼラニウムで、赤い色の花をつける同じ品種のものは、食べることはできません。←これ、要注意!

で、どのように食べるかというと・・・、

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花は、サラダの色添えに!味はあまりしない(?)です。

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生育期の葉を数枚摘み取ります。

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そして衣をつけて揚げます。

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天ぷらの出来上がり!せんべいみたいにパリパリして美味しいですヨ!味は、ほんのりレモン風味。

この蚊嫌草、食べられることを知らない方、きっとたくさんいると思いますので、紹介してみました。実際にこの花を扱っている、あるお店の方も、知らなかったそうです。もしご自宅にありましたら、ぜひ一度お試しあれ。

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2010年5月27日 (木)

ネパール再会の旅 32 『カロパニへ』

カリガンダキ川の広い河原をどんどん南へ進んでいく。1時間ほど行っても、振り返るとトゥクチェの村が見えている。ここには遮るものは何一つない。河原から山裾の道になる。所々山崩れで道が崩壊しており、電柱が倒れかかっている。

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河原から山裾の道を歩きます。すると行く手には・・・、

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電柱が倒れかかり、さらに、こんな風になっているところがありました。

道は再び河原を通ったり、山裾を通ったりしながら、コバンからラルジュンを経てコケタンティーの村へたどり着く。ここでしばらく休憩をする。バッティ―(茶店)の人に、「カロチャー ディノス。ラ チュロット エウター マッタラ ディノス。(紅茶をください。それとタバコを1本だけください。)」とネパール語で注文すると、みるみるうちに数人の人だかり。片言ながらネパール語で話をしていると、「カトマンドゥでは何の仕事をしているのですか?」と尋ねられる。どうやらネパールへは仕事で来ているものと思われ、「旅行者(トレッカー)だ!」と答えても、「旅行者がこんなにネパール語を話せるわけがない!」と、初めはまったく信用してもらえなかった。それでも「本当に旅行者だって!ネパールは3回目で、トレッキングしに日本から来たんだ!」と話すと、なお一層驚き、やっと信用してくれた。俺がまだ独身だとわかると「私の娘はどうだい?ぜひ日本へ連れて行ってくれないか?」などと言ってくる。傍らで娘は、恥ずかしそうに微笑んでいる。20分ほどもいただろうか、雲行きがあやしくなって来た。あと30分ほどでカロパニなので、先へ進む。

カロパニへは12時15分着。マルファよりちょうど5時間である。この村でも2年前と同じカロパニ・ゲストハウスに泊まる。昼食はベジタブル・エッグチョウミン。ここのチョウミンは麺が太めで、ネパールで食べ慣れたものだ。が、カグベニで食べた細い麺のチョウミンのほうがいいナァ。それにしても寒い。掘りごたつがあるのだが、火が入っていないようなので、部屋へ戻りシュラフにもぐる。気がついたら3時半までウトウトと眠ってしまった。

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カロパニ・ゲストハウス。ここはずいぶん前、TVのドキュメンタリー番組で、作家の足立倫行氏(という名前だったと思う?)も、滞在されたゲストハウスです。

再びダイニングルームへ行き、ネパール語の勉強をする。そばにいたディディー(ネパール語で ’お姉さん’)に、ケチャップの瓶に書かれた文字を「ネパール マ バネコ」と読んでみると「そうよ、あってるわよ」と、そして意味を「Made in Nepal ?」と尋ねると、やはりそうであった。そこでついでに、このディディーにここまで滞在してきた村の名前をネパール語で書いて見せた。そうすると、微妙な発音の違いで、まずどこかが間違っている。読むことはできても、書くことは難しい。すべて訂正して教えてもらったのだが、それでもずいぶん褒めてもらえた。

夕食はガーリックスープにベジタブル・フライドライス。そして毎夜のごとくムスタンコーヒー。8時過ぎには部屋へ戻り、眠ることにする。

カロパニ、カロパニ・ゲストハウスにて

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2010年5月25日 (火)

ネパール再会の旅 31 『トゥクチェまで』

4月21日(日)曇り時々雨
マルファ7:15(徒歩)12:15カロパニ

 6時過ぎ起床。昨夜はさすがによく眠れた。荷物をまとめ、朝食はオートポリジにミルクティー。出発の用意も整い、支払いを済ませる。ここでは他のお客と同じように代金を受け取ってくれたので安心したが、2年ぶりの再会にしては何か物足りないような感じがしてならない。カグベニでの印象が、より強く残る。

7時15分にスタートし、トゥクチェへと向かう。村を出てすぐのところで、露店の土産物屋が出ている。少しでも立ち止まろうものなら、またたくまに「これはどうだ、あれはどうだ」と品物を勧められる。指輪やネックレスがメインの商品なのだが、中には仏教に関する数珠や小さなマニ車なども売られている。ちょうど、以前に欲しいと思っていた『ヤクの骨』でできたネックレスが売っていたので、頑張って値切って120ルピーで買った。まだ他にも売りつけようとしていたが、振り切って先へ急いだ。

トゥクチェには8時45分に到着。この村は、タカリー族というこの辺り一帯だけに住む小民族の本拠地で、かつてインドとチベットとの交易が盛んだったころ、その中継地でもあったこの村のタカリーの人々は交易権を一手に担い、隆盛を極めたところでもある。もともとタカリー族は商才に長けており、『ヒマラヤのユダヤ人』とも謳われたほどである。今はその面影はほとんどなくなっているが、メインストリートに残るロッジや商店が、わずかに昔の繁栄を残している。

また、この村は富山県の利賀村と『そばの産地』として、また地理的環境も良く似ていることから、お互いに『姉妹村協定』を結んでおり、子供たちの絵の交換やお互いの村の訪問など、様々な交流で親交を深めている。

村の外れにある水場で、とてもきれいな女の子と出会った。彼女の写真を撮らせてもらおうとお願いしたが、「その時計をくれるのなら・・・」とか「眼鏡でもいいわ」などと要求され、結局あきらめてその場を去った。

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2010年5月24日 (月)

ネパール再会の旅 30 『マルファでの1日』

4月20日(水)晴れのち雨
マルファ

 ほとんど眠れぬ状態で6時起床。枕が変わると、良く寝つけない体質なのだろうか?こんなことでは、『一生涯旅人』なんて威張ってられないな。朝食はムスリーとカード(ヨーグルト)とりんごを混ぜ合わせ、ミルクコーヒーを飲む。天気は絶好とは言えないが、晴れてくれそうだ。

朝食後は屋上で陽なたぼっこ。椅子に座ろうと思ったが、昨夜の雨で濡れている。しかし、陽射しは暖かだ。村をぶらつく。街道沿いにあるゲストハウスなどの建物は、この村では白亜に統一されて、街並みを美しく保っている。脇道に入って行くと、道は狭く曲がりくねっており、ともすると、現在地が分からなくなりそうだ。山裾にまで民家が建ち並ぶが、奥に行けば行くほど貧しい造りになっている。

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街道沿いの様子、その1。石壁が白く塗られています。(92年撮影)

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街道沿いから脇道へ入ると、もう一つの違う雰囲気が感じられました。

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山裾ぎりぎりまで民家があります。土砂崩れの心配はないのだろうか?

再び街道沿いへ戻る。土産物屋や図書館、薬局兼医院もあり、この辺りの山里にしてはかなりの水準の生活がうかがえる。もちろん学校もあり、10時近くになると、そろいの制服を着た生徒達が大勢登校していく。

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街道沿いの様子、その2。ゲストハウスにお土産屋、正面に見えるのは図書館。

昼食をとりにロッジへ戻る。メニューを良く見てみると、肉類(マトン・チキン)もあり、ステーキやカツレツまであるではないか!これには驚いたが、いかんせん値段が高い。ステーキ160ルピーは、トレッカーには高価過ぎる食事だ。したがって、安いところでマトン・チョウミンにする。味付けはカレー味だ。どちらかと言えば、カグベニで食べたチョウミンのほうが、口に合うなぁ。

それにしても、この村もずい分と変わって来ているようだ。人々の服装も、ツーリストと何ら変わりがないような感じだし、このニール・ゲストハウスは冷蔵庫やグリルを持っているほどなのだから。

午後、部屋にいるといつの間にか雨。シトシトと降り続く。この先のトレッキング、午後の行動はなるべく差し控えたほうが良さそうだ。キッチンへお邪魔すると、肉を解体していて、とても忙しそうだ。やや生臭い臭いが鼻につく。ダイニングルームでネパール語の勉強を始める。言葉だけでなく、文字の読み書きも練習する。言葉ができればできるほど親しくなれるし、また旅もスムーズに進むことができる。何しろ、英語が全く通じない人だっているわけだから。

夕食は、チキン・ヌードルスープにする。小さく切ったチキンが本当に入っていて、美味しい。そしてムスタンコーヒーとおつまみにポテトチップス。今日は比較的静かな日だが、客が男ばかりというのは珍しい。彼らは夕食にステーキを注文したようで、美味しそうに食べている。それにしてもトゥルシーは本当によく働いている。また、外国人ツーリストにも慣れたのか、誰にでもニコニコしている。

この2日間ニールとはあまり話をするチャンスはなかった。というか、妙に近づきがたい雰囲気があった。もしかしたら、今回会えたのが最後になるのではなかろうか。そんな予感がする。8時過ぎには体を休めることにする。

マルファ、ニール・ゲストハウスにて

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2010年5月23日 (日)

木曽・奈良井宿

先週の日曜日、野麦峠祭りの後、まだ時間があったので、旧中山道の奈良井宿へ行くことにしました。野麦峠から薮原方面へ向かうと、来るときに「桜?」と思った木、ちょうど車を停めるスペースがあったので、降りて見ることにしました。

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川沿いの道路脇に咲いていた桜。

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八重桜でした。この時期に桜を見ることができて、ラッキー!です。

薮原から国道19号を北へ。道の駅『奈良井・木曽の大橋』に車を停めました。ここは、道の駅と言っても、お店などはありません。駐車場と、木曽の大橋、橋を渡ると寝そべりたくなるような広場とトイレがあるだけ。でも、ここに停めれば駐車料金を取られずに済みます。

道の駅から奈良井宿の街並へは、5分ほど。日曜日で混んでいるかと思いましたが、それほどでもありませんでした。それだけに、相変わらず静かで、のんびり散策するには絶好のところです。

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昔の情緒を残した街並み。雰囲気ありますネ!

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かつては『旅籠』と呼ばれた民宿。今も当時のまま。

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造り酒屋に大きな杉玉が飾られていました。新酒ができたのでしょうか?

ふと、『マリヤ地蔵尊』という案内がありました。大宝寺というお寺ににあるようです。ちょっと行ってみることにしました。拝観料100円支払い、中へ入って『マリヤ地蔵尊』を見てみると・・・、首から上がありません。

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マリヤ地蔵尊。昭和7年(1932年)に土に埋もれていたところを発見されたそうです。

お寺の由緒記によると、マリヤ地蔵尊は『キリシタン禁制の江戸時代、木曽路にも秘かにキリシタンを信仰する人がいた。仏教の子育地蔵になぞらえて作られた石像である。役人に発覚し、頭部も抱かれた子供も膝も破壊されて悲惨である。わずかに胸に十字架だけが残っている。・・・』とあります。

信仰の自由が許されている現代では、考えられないことですが、かつてはそのような時代だったのですネ。どんなお顔をされていたのか、きっと慈愛に満ちた優しいお顔だったのだろうと思います。

そして、またしても「桜?」。ここ奈良井宿にも桜が咲いていました。

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やはり『八重桜』でした。満開です。

ここから、来た道を戻り駐車場へと向かいました。野麦峠をヘトヘトになりながら歩いた私たちですが、ここではのんびり1時間ほど散歩を楽しみました。

そして帰路は、妻籠宿や馬籠宿からのマイカー渋滞を予測し、国道19号を避け国道361号で権兵衛トンネルを越え、伊那 I.Cから高速で帰ることにしました。中津川から乗っても、伊那から乗っても料金は休日1000円で同じですからネ!

*おまけ

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川沿いに咲いていた桜の木の下に、まだキレイな花がいくつか落ちていました。持ち帰って、ガラスの器に水を入れて飾りました。1週間たった今日も、まだ可憐に咲いています。

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2010年5月22日 (土)

ネパール再会の旅 29 『ニール&トゥルシー』

「みんな元気にしてるかなぁ?俺のこと覚えているだろうか?」と思った矢先のこと。10メートルほど先の井戸で水を汲んでいる少女がいた。見覚えのある服装で、ジッと俺のほうを見つめている。と同時に彼女は「ナマステー!」と顔に満面の笑みを浮かべながら駆け寄って来た。他に誰かいるか周りを見たが、俺しかいない。彼女を見ると、明らかに俺の顔を見ながら走って来ている。

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2年前(92年)のトゥルシー。この時も同じカーディガンを着ていました。

「ナマステ!トゥルシー?」と聞くと、彼女はニッコリうなずいて、俺の手を引っぱりロッジの中へと連れて行った。そして大声で、家族を呼んでいる。すると、母親と姉のニールが出てきた。カグベニでスサニさんたちに託したメッセージで、俺が来ることを知っていたのだろう。今か今かと待ちわびていた様子が、手にとるように分かる。

「ナマステ!元気だった?」と皆に声をかける。ニールは照れくさそうで、言葉少なに話しかけてくる。とりあえず部屋へと案内してもらい、お土産を手渡す。ニールも妹のトゥルシーも本当に喜んでくれた。コーヒーブレイクの後、3日ぶりにシャワーを浴び、髭を剃り、洗濯をして着替える。昼食は、ララ・ヌードルスープとする。そして3人で写真を撮った。

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上は2年前(92年)、そして今回の写真。彼女たちの表情が全く違います。笑顔で迎えてくれました。

村の中にある医者へ行き、南京虫(?)に喰われた脚の治療をしていただく。消毒をし、薬を塗ってガーゼを貼る。また、これ以上かゆみが広がらないようにと、カプセルの薬を投与してもらった。しめて300ルピー(≒600円)。

天気はあいにく雨模様となって来た。洗濯物が明日までに乾けばいいのだが・・・。少し休憩してから、ネパール語の勉強に勤しむ。ニールもテキストを使って独学で日本語の勉強をしている。お互いに教え合いながら進める。トゥルシーは、相変わらずロッジの手伝いに熱心だ。

夕食はオニオンスープとエッグ・フライドライス。そして例のごとくムスタンコーヒー。無くなる度にトゥルシーを呼んで「もう1杯ムスタンコーヒーもらえる?」と注文する。今日は雨だったが、明日はどうなるかな?8時過ぎには寝ることにする。

マルファ、ニール・ゲストハウスにて

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2010年5月20日 (木)

ネパール再会の旅 28 『マルファへ』

7時5分に出発し、カンニをくぐり、とうとう村を出る。段丘を越えると、カグベニは視界から消えてしまう。その丘の上で俺はふとカグベニを振り返り、心の中で何度もつぶやいた。「ダンニャバード(ありがとう)、ペリ・ベトゥラ」と。

段丘を下ると、エクレバッティへ7時45分に到着した。少しだけ休憩し、ジョモソムへカリガンダキ川の川原を歩いて行く。何頭ものラバを連れたカッチャー(隊商)とすれ違ったり、馬が駆け抜けていったり、同じトレッカーと「ナマステ」と挨拶しながら行くが、頭の中は、カグベニでの素敵な日々が駆け巡っている。

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エクレバッティ~ジョモソム間で(92年に撮った写真です)

ジョモソムには9時25分に到着。かつて泊まったエヴェレストロッジでティータイムとする。今はもう宿屋としては営業しておらず、ティーショップとして開けているだけという。この地方最大の村であるにも拘らず、客は少ないのだ。このコース上、最も人気の高い村がカグベニとマルファだ、と言われているだけに、その両村の中間に位置するジョモソムは、帰路の飛行機利用者以外、ほとんど通過されてしまうのだ。

9時50分にスタートし、マルファを目指す。両側をダウラギリやニルギリといった7~8000m級の山々に囲まれ、その谷間を流れるカリガンダキでは、風が非常に強く帽子が飛ばされかねない。こんなところでは、バンダナを頭に巻いて帽子代わりにして歩く。

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ジョモソムからニルギリ(92年に撮った写真です)

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ジョモソム~マルファ間で(92年に撮った写真です)

ジョモソムを出て1時間強、予想以上のペースでマルファの村の入り口までやって来た。この村にもカンニがある。カンニをくぐって村の中へ入る。ニール・ゲストハウスが見えてきた。11時15分だ。

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このカンニをくぐると、マルファの村です。

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2010年5月19日 (水)

ネパール再会の旅 27 「ありがとう!ジェンテン』

4月19日(火)晴れのち曇り一時雨
カグベニ7:05(徒歩)9:25ジョモソム9:50(徒歩)11:15マルファ

 午前5時45分起床。別れの朝がやって来てしまった。今日はマルファ、ニール・ゲストハウスへと向かう。幸い、天気は良さそう。出発の準備を整え、朝食の用意をしてもらう。いつも通りのオートポリジとミルクコーヒーだ。

そして台帳を見て精算しようとすると、ジェンテンが台帳を持ったままキッチンへ。後をついて行くと、ジェンテンは台帳を後ろに隠して、首を横に振る。「お金はいらない」といった素振りだ。
「どうして?」と尋ねると、
「あなたは大切な友達だから」
「でも、たくさん食べたし、たくさん飲んだよ」
それでもいっこうにお金を受け取ろうとしない。姉のラクパも、
「あなたは私たちの親友なんだから、お金はいいのよ」と言う。
とうとう彼女らの好意を受けることにして、3泊無料でお世話になってしまった。おまけに、チベット風のマフラーまでお土産にいただいた。
*この時頂いたマフラーは、今でも冬になると大切に愛用しています。

出発してしまうのが名残り惜しいのか、コーヒーを何杯も出してくれる。俺も別れるのは辛いが、出会いがあれば別れはつきもの。いよいよ出発というとき、ジェンテンが白いカタを首にそっと掛けてくれた。初めていただいたカタに、俺は大感激し「ありがとう、本当にありがとう。すごく嬉しいよ」と、何度も口にした。「今度はいつごろ来られますか?」と聞かれた時には、何とも答えようがない自分が歯痒くて、かといって「もう来られない」とは決して言えない。とてもつらい。「2年か3年のうちにまた来ますよ」と答え、皆で写真を撮り、後ろ髪引かれる思いでニュー・アンナプルナロッジを出発する。
*カタ(Katag)…チベット及びチベット文化圏では、寺の参拝、ダライ・ラマ法王や高僧の謁見、宗教の儀式、知人・友人の送迎、子供の誕生日、結婚式、葬式など様々なシチュエーションで、カターと呼ばれる白いスカーフを挨拶しながら相手に渡す習慣がある。カターの「カ」は口で、「ター」は布あるいは印(しるし)、誠心誠意、心からの敬意を表している。つまり、カターを相手に渡すことにより、自分の心からの敬意を表すという挨拶の印なのである。一般にカターは白色が使われる。白には純粋な気持ちを表す。←ネットで調べそのまま引用しましたが、他にも『旅の安全』『幸運』を祈る思いが込められているそうです。

ジェンテンもラクパも玄関先で見送ってくれた。「ペリ・ベトゥラ!(また会いましょう!)」と、手を振って別れた。俺はこの村、このロッジに3度も来られたこと、そしてこの3日間、ともに話し歌い過ごしたこと、決して忘れない!一生、忘れない。

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2010年5月18日 (火)

第28回野麦峠祭り

一昨日5月16日、7年ぶりに野麦峠祭りに参加しました。
自宅を朝6時に出発し、中央道・中津川 I.Cから国道19号をひた走り、薮原から野麦峠方面への道を走る。途中のコンビニで朝食のサンドイッチを買って食べ、川浦・歴史の里にある駐車場に着いたのは、9時20分ごろでした。

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川浦では、何と桜が咲いていました!w(゚o゚)w

かつて1998年から6年続けて参加したことがある野麦峠祭り。そのころは奈川村主催のお祭りでしたが、松本市と合併したからなのか、規模が大きくなったような気がします。臨時駐車場を設け、シャトルバスを導入し参加者を送迎する、以前にはなかったことです。しかも参加者がずいぶんたくさんいる。以前参加したときは、これほどたくさんいたことはありませんでした。それに関係者の顔ぶれを見ると、知っている顔が見当たらない。前は毎年参加するたびに、関係者の方々から「今年も来てくれた?!」「もう常連だナァ!」「おっかちゃんも元気でござったか!」と、気さくに声をかけられたものです。だからこそ、このお祭りに、とても親しみを持っていました。

川浦からシャトルバスで、工女さんと歩く1.3kmコースのスタート地、わさび沢へ向かうと、そこにはすでにたくさんの参加者、工女さん、ポッカさん役の地元の若い子供たちも来ていました。

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検番さん、工女さん、ボッカさん達がいます。わさび沢にて。

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お祭りの幟を持った年配のボッカさんも歩きます。

母のペースを考えて、皆が歩き始める前に、わさび沢から歩くことにしました。それに、彼らが歩いてくるところをカメラに収めたいので、先に進んでおく必要があったからです。

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わさび沢から、歩き始めはまだなだらかな道です。

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母も78才ながら、杖をついて歩きます。

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途中には、このような清流が流れています。

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道はやがて登りになり、険しさを増していきます。

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『山一製糸』と書かれた幟を持った検番さんを先頭に、明治の頃『糸引き』へ出かける工女さん達の姿を再現しています。先頭の検番さん役の方は、以前もこの役をずっとされている方でした。ということは・・・、もう10年以上、このお祭りでこの役をされているのです。

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工女さん役の少女たち。小学生と中学生が中心となって、歩いています。

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ボッカさんたちも、地元の小・中学生が担っています。

その当時の衣装で、それぞれの役に扮した人たちが通り過ぎ、私と母は再び歩き出しました。しかし、道は徐々に険しくなり、母はゆっくりでしか歩けません。工女さんなどに扮した子供たちが立ち止まって休憩しているときに、私は母に「ゆっくり歩けばいいから」と言い残し、写真を撮るために独り先へ進んだ。

休憩中の彼らを追い越し、さらに撮影ポイントを探しながら登る。しかし、ペースを上げて登ったせいか、やや息切れ。「まさか?!」と思いながら、「それだけ体力が落ちてきたのか!」と実感。そしてベンチがあるところで休みながら一団を待つことにした。

再び検番さんの姿が見え、写真を撮り始める。ボッカさんの姿も入れながら工女さんを撮っていたら、一人ニッコリとVサインの女の子!シャッターを押した後だったので彼女に「いいよ、撮ってあげるよ!」と言うと、再びニッコリ、Vサイン!

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happy01scissors の女の子。ここまで険しい道を歩いて来ているはずですが、ご覧のとおり、元気いっぱい!当時の工女さんたちも、帰郷するときは、心の中ではこんな笑顔でこの道を歩いたのでしょうネ!笑顔がカワイイ w(^o^)w!

一団を見送り、そこで母を待ちました。次々と一般の参加者たちも歩いていきます。私が母を待っていたところは、ベンチがあったせいか休んでいかれる人もいました。しかし母はなかなかやって来ません。「少し下ってみた方がいいかな?」と思っていたら、やっと母がやって来ました。見ると、関係者の男性の方が母の手を引っぱってくれていました。

「すいません!私の母です。」と言って、その方に話を聞くと、途中で母は枯れ葉に滑って転んだらしい。それで1人で歩いていた母を心配して引っぱって来てくださったそうだ。私はただ平身低頭でお礼を言うのみ。「ここからは私が引っ張っていきますから」と話し、その方や他の参加者を見送った。

ここまで引っ張って来ていただいた母、しかし、かなりへばっていました。私はそこで母をしばらく休ませることにしました。ベンチで休んでいた人たちが歩き始め、ベンチが空いたので「少し横になり!」と言って、荷物を枕にして休ませました。「やっぱり、無理だったかなぁ?」と思いながら、自分自身の行動を反省!母も「60代の頃は歩けたけど、もう歩けんなぁ…。」と話していました。しかし、母を引っぱってくれた方や、そばにいた人たちは、母の年齢が「78才」だと聞くと、皆一様に驚かれたそうです。しかし、私が母を待っている間に話をしたご老人は、「83才」の方でした。スゴイ!

この休憩ポイントから峠までは、まだ600mあるのですが、しかし、ここまでの登りの道に比べれば、急なところはありません。ずいぶんなだらかな道になります。母に「大丈夫?」と尋ね、充分休ませてから出発。峠の方からは、工女さん達が辿り着いたのか、拡声器を通してイベントの案内の声が聞こえてきました。

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ヘトヘトになりながらも、78才の母は、この峠道を頑張って歩きました。母を引っぱって来てくれた方に教えられた『保健師』さん(緑色のヤッケの方)と共に、もうあと少し!

峠にたどりつく直前に、お地蔵さまがいます。お地蔵さまに、そっと手を合わせ、今回久々に参加できたことと、ここまで歩くことができたことを感謝し、もう間もなく峠です。が、わずかながら雪がまだ解けずに残っているところがありました(以前、参加した時もこのようになっていました)。転ばないように母の手をとり、やっと峠へ到着 happy01 !我が母ながら、とても頑張りました。そこからの眺めは・・・

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峠に到着しました。名峰・乗鞍岳が美しい姿を見せてくれました。また、この日、乗鞍岳は『山開き』だそうです。

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峠にある『みねさんと、兄・辰次郎さん』の石像。辰次郎さんはこのように、背板にみねさんを乗せ、歩き続けたそうです。

まだ雪が残る乗鞍岳を眺め、これまで何度も見たことがある『あ~飛騨が見える』という『みね』さんの最期の言葉となった石像を、とても懐かしく見ていました。ここからさらに山を登ると、そこには『みね』さんの御墓があるのですが、以前にお参りしたことがありますし、母の体力を考え今回はお参り出来ませんでした。

峠では、以前あった『みねの茶屋』は国有林内にあり国に返したそうで、昨年取り壊し、昔からある『お助け小屋』の前の駐車場が今回のイベントのメイン会場になっていました。そこではちょっとしたお土産や食べものを売る店、テントの下にテーブルと椅子を並べ参加者がそれぞれ休憩・昼食を楽しめるようになっていました。他にも、レジャーシートを持ってきて、そこでお弁当を食べている人々など、たくさんの方がお祭りの後の余韻を楽しんでいました。

もちろん、工女さん役に扮した女の子たちも、少なからず、まだ帰らずに残っていました。やはり、一般として参加した私たち、「可愛らしい工女さん達と一緒に写真を撮りたい!」と思うのは当然のこと!で、声をかけ、母と彼女たちを撮ろうとしたのですが・・・、「せっかくですから、撮らせますから・・・」と、ボッカさん役だった男の子にデジカメを渡し、私も入れて撮っていただきました。

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工女さん役の女の子たちと。皆とても可愛い子たちでした happy01 !

ちょうどお昼頃だったので、『お助け小屋』で昼食にしました。母は『野麦うどん(山菜うどん)』、私は『てんぷらそば』にしました。山菜もそばも、この地方の名産品です。

食後、テント下のお土産屋さんを覗くと・・・、「オォーッ!こごみだ!タラの芽もある!」。先月、高遠へ行った時、「てんぷらにして食べよう!」と言って買って来た旬の味。冬が長いこの辺りでは、今がちょうど旬!お値段も、近所のスーパーとは比べ物にならないほど安い!迷わず買いました (^_^)!

まわりを見ると、ほとんど一般の人たちばかりでしたが、ふと、まだ工女さん役の女の子がいました。その子たちにも声をかけ、写真をお願いしました。母を入れて撮った後、「せっかくですから一緒に・・・!」と私も促され、一緒に撮っていただくことにしました。でも、ちょっと待って!「おふくろは腕を組んでもらってるのに・・・?」と、『スケベ心 (?) 笑!』で肩を抱かせていただきました。

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工女さん役の女の子たちと母。帰宅後に気付いたのですが、よく見ると、母と腕を組んでいる女の子、峠への道で笑顔で 『Vサイン』をしてくれた女の子でした!

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私も一緒に撮っていただきました (^o^)!お祭りのどさくさに紛れて「ここぞ!」とばかりに若い女の子の肩を抱いて・・・、これってセクハラ?

そんなこんなで楽しく過ごし、シャトルバスで川浦へと戻って行きました。以前とは、規模が大きくなり親しみやすさは薄れたものの、しかし、工女さん役の女の子たちと一緒に写真を撮ってもらうことができました。前は理由は???ですが、なぜか工女さん役の女の子たちと撮ることは、ほとんどありませんでした。

こうして私たちの野麦峠祭りは終わりました。

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2010年5月16日 (日)

あぁ野麦峠

小説や映画などで知られる『あぁ野麦峠』、実際にあった『女工哀史』として、良く知られています。特に野麦峠は、飛騨の若い女工たちが、信州・岡谷、諏訪などにある製糸工場へ行くのに越えなければならない難所でした。年末年始の帰省、そして再び信州へ向かう時、峠は深い雪に覆われ、時には吹雪くこともあり、まだあどけなさが残る少女たちには、命懸けの峠越えだったそうです。

その小説の主人公『政井みね』さんは、当時、劣悪な環境で過酷に働かされた製糸工場で重病(腹膜炎)にかかり、工場から連絡を受けた兄・辰次郎さんが郷里の飛騨・河合村角川から、夜通し歩き続け100km以上ある距離をたった2日で信州までたどり着いたそうです。そして、用意していた背負子にすっかりやつれてしまった妹の『みね』さんを座らせ、それを背負って飛騨まで帰ろうとしていました。本当は松本にある病院へ連れて行こうとしたのですが、『みね』さんがどうしても「飛騨へ帰りたい」と言うので、飛騨へと向かったそうです。

途中の『工女宿』で休みながら行くものの、『みね』さんの容体は良くなりません。そして、難所の野麦峠へと向かいました。兄・辰次郎さんは時々声をかけながら『みね』さんを励まし歩き続けました。そしてとうとう野麦峠へ。峠からは乗鞍岳、そして懐かしい飛騨が見えます。

「あぁ、飛騨が見える。飛騨が見える・・・」と『みね』さんはつぶやくと、その言葉を最期に息を引き取りました。兄・辰次郎さんは「みねは飛騨を一目見て死にたかったのだろう」と泣き崩れたそうです。

*『あぁ野麦峠』山本茂実著より要約

今日、この野麦峠で『第28回野麦峠祭り』が開催されました。以前は毎年参加していたお祭りです。今年、7年ぶりに参加しました。お祭りの内容は『記念山行』です。歩くコースは2通りあります。1つは、マイカーを停めておく『川浦歴史の里』から峠まで3.5kmを歩くコースと、シャトルバスで『わさび沢』まで行き、そこから当時の工女さんやボッカ(荷負稼業の人)に扮した学生さんたちと共に旧街道を1.3km歩くコースです。しかし、「とても山道を歩けない」という方には、峠までシャトルバスで行くこともできます。

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今回の『野麦峠祭り』のパンフレットです。このような出で立ちをした工女さん役の若い女性たちと共に峠への道を歩きます。

私は、「7年ぶりの参加だし、母がいるから峠まで行こうか?それとも1.3km歩こうか?」と悩みましたが、以前は1.3kmのコースを往復したことがある母が「歩いてみる」と言うので、1.3kmのコースを歩くことにしました。

このお祭りの様子は、また明日にでも書こうと思います。とりあえず、今日は5時半起きで疲れました。そろそろ寝ます。

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2010年5月15日 (土)

スズメからの贈り物?!

我が家のベランダの植木鉢に、知らないうちに花が咲いていた。母に聞いてみても、『何も植えた覚えはない』らしい。ただ、母が話すところによると「(朝食の食べ残しの)パンの耳を置いておくと、スズメが良く食べにくる」ようで、時々、その植木鉢にスズメのふんが残っていたらしい。そのまま放っておいたら、いつの間にか・・・、

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このような花が咲きました。小さな花をたくさんつけ、葉は肉厚です。

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アップで撮ると、このような花です。名前を調べてみたのですが、似たような花はあっても、葉が違っていて、結局わかりません。どなたかご存知ですか?

母曰く、「スズメが、餌のお礼にどこかから持ってきて置いてった花だから、わからんわ」。どうやら、スズメからの贈り物のようです。

ふと見ると、ミントが順調に育っています。

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ミントティーをはじめ、色々使えそうです。

おや、蚊嫌草の花も咲いていました。

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ちょっとピンボケしてしまいました。この蚊嫌草、蚊が嫌うからこのようにも呼ばれますが、実は、食べることもできます。花はサラダに入れたり(味はほとんどしません)、葉はてんぷらやおひたしに。ちょっぴりさわやかな酸味があります。

明日、5月16日はいつもよりも早起きして、早朝から出かける予定ですので、いつもより早めにブログを書きました。しばらくしたら、もう寝まーす。
明日の帰宅時間は、予想できません。したがって、ブログも更新できるか、???です。場合によってはコメレスが遅れたり、皆様のブログへの訪問ができないかもしれませんので、ご了承ください。

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2010年5月13日 (木)

ネパール再会の旅 26 『ネパリーダンス』

ロッジの屋上にもダイニングルームがあって、そこは陽当たりも良く、実に暖かだ。柱を見ると、世界各地から送られてきたと思われる絵葉書が、何枚か貼られている。もちろん、俺が送ったものも数枚あった。

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ニュー・アンナプルナロッジの屋上にあるダイニングルーム。先日知り合ったスサニさんが送ってくださいました。写っているのは、もちろんスサニさんです。

ボーっとしているうちに昼になり、昼食はエッグ・チョウミン(卵入り焼きそば)にする。麺は、今まで食べたチョウミンより細めで、ほとんど日本の焼きそばと同じ。味付けもそれに近く、本当にウマイ。量もちょうどいい。午後もダイニングルームでボーっとしたり、ベッドルームで昼寝をしたりと、これから先の長旅に備え体を休めておく。

夕方、陽気な歌声に誘われてキッチンへお邪魔する。ラクパやジェンテンらが歌いながら夕食の用意にかかっている。忙しいはずなのに、全くそれを感じさせない。何事も焦らず慌てず進める、これもネパール流か。

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夕食の用意にかかるラクパと従姉妹のニル。

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ニルの妹のカルサン。まだ小学生ぐらいの子が、赤ん坊を背負って簡単なお手伝いをしていました。

夕食はオニオンスープとエッグ・フライドライス。今日は宿泊客が昨日・一昨日よりは多く10人はいる。が、よく見ると皆、カップル。気楽に1人でやって来る者はいないのか、それとも俺が妙なのか?何人かの人と話をするが、カップルのせいか長続きしない。ムスタンコーヒーの量だけが増えていく。3杯も飲んでいる。

すべての人が食事を終えたころ、ジェンテン達がやって来て、ラクパの歌に合わせネパリーダンスを披露してくれた。思いがけない余興に、皆大喜びだ。

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ネパリーダンスを披露するジェンテンとニル。ツアーで行かれる時は、ツアーの中のイベントとして見ることもできるでしょうが、個人旅行で宿泊したゲストハウスで見られることは、まずありません。

この後、再びキッチンへお邪魔する。他の宿泊客たち何人かが、ベッドルームへ戻る前に、彼女たちにネパリーダンスを披露してくれたことのお礼を言っていた。だが実は、この晩が最後となる俺のために、彼女たちが特別に披露してくれたものだったのだ。カグベニでのラストナイトを飾る1シーンであった。夜も更けて9時半過ぎに眠る。

カグベニ、ニュー・アンナプルナロッジにて

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2010年5月12日 (水)

ネパール再会の旅 25 『カグベニでのんびり』

4月18日(月)晴れ
カグベニ

 午前6時半起床。しかし夜中、隣室から聞こえてきた歌かお祈りだかわからないが、一体何だったんだろう。あまりにうるさくて、目が覚めてしまったではないか。その正体の主が誰だか分らなかったが、とにかく参った。

オートポリジで朝食とする。それにしても、ネパールの女性はよく働く。朝一番での床の雑巾がけ。寒い中、冷たかろうに。本当に働き者だ。朝食が終わり、陽が昇ると暖かくなってくる。

今日もここに滞在する。実は昨日、ジェンテンの姉・ラクパに「明日はどうするの?」と聞かれ、「どうしようかなぁ?もう1日いてもいいし、まだ村の中を見てまわっていないしネ」と言ったら、「あなたは良いお友達なんだから、遠慮なくもう1日泊まっていきなさいよ。そうしなきゃダメよ!」と言われていたのだ。だから今日は1日、のんびりゆったり過ごすつもりだ。

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ジェンテンの姉、ラクパ。美人さんでしょ!?ロッジのキッチンにて。

まず初めに、シュラフを屋上の日当たりの良いところに干す。南京虫(?)などに喰われた原因は、今までの経験から、まず間違いなくシュラフにあると確信しているからだ。干しておけば殺菌されるので、昼過ぎぐらいまでそうしておく。

そして村の中を散歩する。土壁の民家、今にも朽ち果てそうな3~4階建ての住居。もしかしたら、かつては大変な繁栄があって、その頃の城ではないかと思う。まるで要塞のようであり、この雰囲気が中世ヨーロッパを思わせるのだ。南の河原の方へ行くと、多くの巡礼者たちが野営をしていたようだ。川で水浴びする者もいれば、洗濯をする者、食事の後片付けをする者と、様々である。

河原に下りてアンモナイトを探す。海が近くにあるわけでもないのに、アンモナイトがあるのは不思議なことだが、それは太古の昔、この辺りが海で、やがてインド大陸がこの地に流れ着き、アジア大陸のプレートの下にもぐりこみ、この地が隆起したという説がある。たぶんその通りであり、その証拠に化石となったアンモナイトがあり、巨大なヒマラヤ山脈が形成されたのであろう。1時間ほど探してみたが、結局見つけることはできず、谷間から風が強く吹いてきたので、ロッジに戻ることにする。

*この2年前に訪れたときに撮ったカグベニ村の写真、あらためて掲載します。

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村の入り口にあるカンニ(仏塔門)。中には先日『カグベニへ』で紹介した仏画や曼荼羅が描かれています。

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キャンプサイト付近で。

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村は城塞のようになっています。

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城塞の中へ行くと、こんな感じです。

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そして・・・、ニュー・アンナプルナロッジです。

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2010年5月10日 (月)

ネパール再会の旅 24 『聖地・ムクチナート』

ムクチナート。ここは、ヒンズー教とラマ教の聖地で、巡礼者が多くやって来るところだ。信心深い人々にとっては、「一生に一度はムクチナートへ巡礼に行くことが夢だ」とも云われている。俺は聖地にあるお寺をまわる前に、腹ごしらえをすることにした。2年前に、この先にあるトロン峠(5416m)より、腹痛に耐えながら下りて来て、たどり着いたラリグラス・ロッジへ行き、ララ・ヌードルスープを注文する。2年前ここへ泊まったことを話すと、とても喜んでくれたが、今回はこのままカグベニへ帰ると言うと、残念がっていた。しかし、紅茶を1杯サービスしてくれた。そしてポカラへ下る途中、ムクチナートへ向かうトレッカーに会ったら宣伝してほしいと、名刺を1枚渡された。

40分ほど休憩し、聖地を巡礼する。が、ここは標高3800mを越える高さ。聖地への登り道も険しく、かなりきつい。そのせいか、所々ベンチが置かれている。なかなかの気配りだ。境内に入り、まず本殿へ。本殿は三重塔になっており、入り口には国王夫妻の写真が飾られている。本殿を取り囲むように108つのダラ(蛇口)から聖水が流れている。そしてゾラマイ・ゴンパからマニ車がたくさんつけられたメンダンの脇をマニ車(経文が入った筒車;1回まわすとお経を1回唱えたことと同じ功徳が得られる)を回しながら通り、巡礼を終え麓へと下っていく。

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本殿の三重塔。左側にある入り口上に当時の国王夫妻の写真が飾られています。

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聖水が流れ落ちる108つのダラ。木々の間にはためくのは、タルチョーと呼ばれる無事や安全を祈る旗です。色は白・青・赤・緑・黄色の五色です。それぞれの色には、空や雲など意味があります。

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ムクチナートの丘。チョルテン(仏塔)がたくさんあります。まさに『仏の世界』です。

1時半にムクチナートを出発し、来た道を戻っていく。途中、馬引きに「カグベニまで乗って行かないか」と誘われたが、料金が200ルピーと高いので、予定通り歩いて帰ることにする。雲が多く絶好の天気とは言えないが、聖地巡礼をして気分良く歩く。しかし、ここ最近の運動不足か徐々にペースが落ち、カグベニに着いた時には、足は筋肉痛でヘトヘト。

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ムクチナート~カグベニ間で。

4時20分にニュー・アンナプルナロッジへ。「あぁ疲れた。ホントに疲れた。」と言いながらキッチンへ。それを聞いたジェンテンがすぐさまビスケットとレモンティーを出してくれた。心優しい気配りだナァ、ホッとする。部屋で少し横になり、夕食はララ・ヌードルスープとフライドポテトにするが、量が多過ぎて食べきれず、半分ほど残してしまった。

食後は他の宿泊客と話がしたかったのだが、やや頭痛を感じ、足を見ると南京虫(?)に喰われた跡があちこちにできていて、とてもかゆい。頭痛薬を飲み、足にはかゆみ止めのスクラブクリームを塗って、8時には眠ることにした。

カグベニ、ニュー・アンナプルナロッジにて

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2010年5月 9日 (日)

ネパール再会の旅 23 『三たび ”異邦人の道” を歩く』

4月17日(日)晴れ夕方より雨
カグベニ8:15(徒歩)12:00ムクチナート13:30(徒歩)16:20カグベニ

 午前7時起床。トレッキング中にしては遅い起床だ。オートポリジ(麦粥)とミルクコーヒーで朝食にする。7時半、スサニさんとツレ君が、この日の目的地のマルファへと出発する。別れ際にジェンテンからカタ(幸運の意味をこめた白い布)をいただいて感激していた。俺も「良い旅を」と言って、2人を見送る。

8時15分、体調は良好で、ムクチナートへの日帰りの旅に出る。村を出ると、畑の間の道を行き、すぐに登りになる。カグベニの村が少しずつ眼下に見えてくる。天気は、やや雲が出ているが青空の下、1時間以上かけて登ると、エクレバッティ―から来る道に合流する。

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カグベニから見たニルギリ北峰(7061m)。

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カグベニ~ジャルコット間から見た景色。かつては村があったそうだ。

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カグベニ村を望む。向こうは、ムスタン・ローマンタン方面へと続いている。

10年前、初めてネパールへ来た時、「ここだ!この荒涼たる風景。シルクロードを思わせるこの道こそ、日本出発前に思い描いていたところだ!」と感激し、『異邦人の道』と名づけたのを、今でもはっきりと覚えている。まさかこの道を、再びどころか三たび歩くことができるとは、その時には考えもしなかった。一生、二度と来られないと思っていた。この道を今後歩くチャンスはあるのだろうか。全くわからない。できることなら、何度でも訪れたい。何度来ても、新鮮な感動を与えてくれるから。

キバンまで2時間かかり、ティータイムとし、ジャルコットへは11時に到着。ムクチナートへは、もうすぐそこだが、ここからはキツイ登りが待っている。ゆっくり歩を進め、12時ちょうどにムクチナートへ。

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’84年、’92年に続き3度目の『異邦人の道』。前方にジャルコット、ムクチナートの村が小さく見えています。さらには’92年に越えた標高5416mのトロン峠も見えます。

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ジャルコットの村。

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2010年5月 8日 (土)

東洋一!の藤棚

数少ない私のブログ仲間の方々で、この地方にお住まいの方たちがすでにブログで紹介されていました、愛知県津島市の天王川公園の藤棚。遅まきながら・・・、見に行ってきました (^_^;;!

今日は母が隔週で医者へ通う日。それが終わった午後から行ってきました。GW中は、『藤まつり』が開催されていたようですが、なんのその今日だって充分にお祭りの雰囲気でした。お店や屋台もありましたし・・・。駐車場は無料でした (^_^)!

ここは『東洋一』と言われる程の藤棚。じゃあ、『西洋一』は?『世界一』はどっち?などの突っ込みはしないでくださいネ (^_^;;!それでは『東洋一』の藤棚、ご覧ください。

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藤の花のカーテンがいくつもあります。そよ風に舞いながら・・・!

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長く下がった花に顔を近づけてみると、甘い香りがしました。

Cimg0382  どこまでも続く藤棚。

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流れていた音楽のもとへ行くと、こんな時代物のステレオで懐かしいレコードをかけていました。昭和3~40年ごろのものでは?映画『ALWAYS 3丁目の夕日』に出てきそう・・・。これを持ってきた方にお話を窺うと、だいたいそれぐらいの頃のものだろう、とのことでした。ただ、アンプは換えてあるそうで、屋外で使えるようバッテリーも替えてありました。それにしても、今もレコード針(カートリッジ)があって、演奏できることに感動!とても良いものを見せていただきました。

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園内の木を見ると、真っ白な花をつけた木が1本だけありました。近づいてみると、ヒトツバタゴ。通称『なんじゃもんじゃ』の木でした。この木だけが花をつけていたので、とても良く目立ちます。

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池に浮かぶ中の島。ここにも藤棚がありました。夏には、ここで天王祭り(宵祭り)が行われます。もう2~30年、見ていないナァ・・・。

皆さんが勧めるだけあって、本当素晴らしい藤棚でした。この近辺はたいていのところは行ったことがあるのですが、やはり季節や旬のものを!と考えると、まだまだ『灯台もと暗し』の私です。もっともっとアチコチ探索せねば・・・!

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2010年5月 7日 (金)

神業ハンター!

今日は久しぶりに、『衝撃!笑劇!写真館』にまたひとつ、スゴイ写真をコレクション!
やはりこれも、ドイツの友人エルマー&アンジュラ夫妻からのメールにクリップされていた写真のうちの1枚です。でも、決して彼らが撮影した写真ではありませんので、あしからず。

自然界には、特徴を生かした様々なハンターがいますが、これはもう『神業』としか思えない瞬間です。では、どうぞ!

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鳥が、飛んでいたトンボを咥える直前のようです。トンボの羽を見れば、まだ咥えられる前だというのが分かります。

こんな小さな生き物を、広い空中でピンポイントで捕らえるのですから、もう『神業』としか思えません。どれほど優れた動体視力を持っているのでしょうか?自然界には、我々人間の知らない優れた能力を持った生き物が、まだまだたくさんいるのでしょうネ!イヤ、ホント、ス・ゴ・イ!

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2010年5月 6日 (木)

ネパール再会の旅 22 『Oh!Masako Izumi!』

やがて夕食の用意が整い、掘りごたつがあるダイニングルームへ。すると、先客が2人いた。

「Hallo ! How do you do ?」
「Hallo !」
「I came from Japan. My name is ○○. But my nickname is Jin. Please call me Jin.」
「We came from Denmark. My name is Susane and my son Ture.」
「Nice meet you !」

俺の方から「こんにちは!はじめまして」と、明るく挨拶して入って行ったので、彼らとはすぐに仲良くなれた。デンマークから来たという親子で、母親はテレビ局に勤めているというスサニさん、息子さんは将来、プロを目指すアマチュアカメラマンのツレ君で、まだ19才だそうだ。

スサニさんは「カグベニは2度目で、前はローマンタンにテレビの取材に行き、ムスタン・ラジャ(王)にも会ったのよ」と、羨ましい話を聞いた。その時に、ここニュー・アンナプルナロッジに泊まったそうだ。しかし、ポカラ~ジョモソム間は往復とも飛行機で、飛行機から見たヒマラヤに感激し、今回は休暇を取り、アマチュアカメラマンの息子さんと共に、ポカラまでのトレッキングを楽しむ予定だそうだ。
*ローマンタン・・・カグベニから北、中国・チベットとの国境付近にある街。ネパール国内ながらもムスタン・ラジャによる特別自治が認められており、半独立国家であった。かつてはカグベニから北へは外国人入域禁止であったが、1992年、外国人にも開放され行けるようになった。ただし、入域料や許可証の発行など、制限が厳しく、また宿泊施設や食料の調達が難しいため、一般旅行者にはなかなか行けるところではなかった。

俺は「ネパールは3度目で、3度ともカグベニへ来て、いつもここへ泊まってるのです。だからここの娘さんのジェンテンとは、すっかり友達で、何度も手紙を出し合っているのですよ!」と話すと、「インターナショナル・フレンドなのね。素晴らしいじゃないの!」と、微笑みながらうなずいていた。

ふと彼らの飲み物を見ると、「おや?、これは・・・ムスタンコーヒーですか?」と聞いてみると、やはりそうである。スサニさんもムスタンコーヒーが大好きだそうで、息子のツレ君も飲んでいたのだ。俺も「ムスタンコーヒーが大好きなんですよ!」と話し、あらためてもう1杯ずつ注文し3人で乾杯する。すっかり意気投合し、ジェンテンも一緒に4人で記念撮影。

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ヒマラヤの奥深い村、カグベニで親しくなった人々と。左からツレ君、ジェンテン、スサニさん、俺。『掘りごたつ』があるダイニングルームにて。

そしてスサニさんが、
「デンマークでテレビ局の仕事で、日本人の女性と会ったわよ。名前は確か・・・マコ、マコっていう名前だったと思うけど・・・」
「マコ?」
「そう、マコ。日本の有名な女優よ。」
「・・・・・・(誰だろう)?」
「ほら、北極点へ行った・・・」
「アッ!えぇーっと・・・、わかった!和泉雅子さん!」
「そうそう、マサコ イズミ!彼女には驚かされたわ。だって北極へ行く前はすごくほっそりしていたのに、帰ってきたらふっくらしているんだから。もっと痩せて帰ってくると思っていたのに!」
「そうそう、日本でもそのことが話題になりましたよ!」
と、会話がはずむ。お互いに笑い合いながら、こんなひと時が一番楽しい。

以前来た時は、ジョモソムから飛行機だったスサニさんは、「明日、マルファまで行くのだけど、いいロッジご存知かしら?」と尋ねるので、「エェ、もちろん知ってますよ!」と答える。「ぜひ紹介してほしい」と言うので、俺はメモ用紙を1枚取り、そこに英語で『Neeru Guest House』と書いた。彼女ら親子は「マルファでは必ずここへ泊まります。」と言うので、俺はそのゲストハウスの娘、ニール宛てにメッセージを彼らに託した。

電気が灯っていない夜、トレッキングの日々は朝が早いので、名残り惜しいが9時に就寝とする。

カグベニ、ニュー・アンナプルナロッジにて

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帰国後、スサニさんからの手紙に同封されていた写真です。右端がスサニさん、その隣がなんと!北極帰りの和泉雅子さんです。デンマーク・コペンハーゲンにある『レストラン・東京』で撮られたスナップ写真だそうです。
北極点到達という冒険・偉業を成し遂げた直後、日本帰国前の和泉雅子さんの姿、ある意味”お宝写真”と言えるかもしれません。
勝手に掲載して、”肖像権の侵害”と言われるかな~?

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2010年5月 5日 (水)

ネパール再会の旅 21 『ジェンテンと再会』

そして2時。「ナマステ」と言ってロッジの中へ。返事は返ってくるが、姿が見当たらない。もう一度「ナマステ」と呼ぶと、キッチンから声が聞こえてくる。2年前と同じように、堂々とキッチンへお邪魔する。すると、2年前には見なかった女性がいた。「おや?」と思い、「ジェンテンいる?」と尋ねると「そこにいるわよ」と答える。壁際の椅子にいました、いました、ジェンテンが!「ナマステ!ジェンテン。俺のこと覚えてる?」と聞くと、「もちろんよ」と答えてくれた。

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’92に訪れたとき、わずか1泊だけでしたが、とても親しくなったジェンテン。この写真を送ってあげてから、この2年間、何通か手紙を出し合っていました。
(詳しくは、カテゴリー『1992 アンナプルナ周遊』その15、16をご覧ください)

2年ぶりの再会、しかもヒマラヤの山深い村でのことだ。そう簡単に実現できることではない。お土産に持って行った絵葉書と風呂敷を渡すと、たいそう喜んでくれた。

昼食がまだだったので、ベジタブル・ヌードルスープ(ララ・ヌードルスープという、ネパールでもっとも人気のあるインスタントラーメンに、具として野菜を入れたもの)と、チャパティ(麦パン)、そしてブラックティー(紅茶)を注文する。ヌードルスープは、チキン風味で日本のインスタントラーメンとほとんど変わらない味だから、とても美味しい。

食べ終えた後は、ジェンテンとゆっくり話をしたり、一緒に写真を撮ったりしていた。ふと彼女が「私が大切にしているものなの」と言って持ってきた箱の中には、このロッジに泊まった旅行者からのお礼状や写真が入っていた。もちろん俺が送ったものも、大切に持ってくれていた。

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お互い再会できた喜びが、笑顔に溢れています。行くことは知らせていなかっただけに、彼女にとっては『青天の霹靂』のような訪問だったかもしれません。それだけに、本当に喜んでくれました。

現在、彼女のご両親は隠居しており、ロッジの仕事はジェンテンと姉のラクパが任されている。それでもジェンテンが知らせに行ったようで、ご両親もニコニコと笑顔で会いに来てくれた。2人とも元気そうで、俺のことも「ネパール語が話せて、レッソム・フィリリを歌った日本人だろ!よく覚えているよ。」と話してくれた。

食堂では寒いので、キッチンで暖をとる。本来なら、客は立ち入り禁止にするところ(ホテルや旅館などの厨房へ入って行くようなもの)だろうが、全くお構いなし。受け入れるほうは、むしろ楽しんでくれる。そしてチャン(ネパールの地ビール;濁り酒)、バター茶、ポップコーンで、もてなしてくれる。宿泊客に違いはないのだが、完全に友達扱いで、ネパールでは親しくなればなるほど、兄弟のように思ってくれる風潮がある。ということは、ジェンテンは俺のことを兄のように思ってくれているのだろうか?

この日は朝が早かったので、ベッドルームで2時間ほどうたた寝をした。夕方、ジェンテンが夕食の注文を聞きに来た。ガーリックスープとエッグ・フライドライス、ムスタンコーヒー(ロキシーというネパールの焼酎のコーヒー割)をたのみ、再びキッチンへお邪魔する。釜戸のそばで暖をとりながら、夕食の準備の邪魔にならない程度に話をしていた。彼女たちは、仕事をしているときでも、いつも歌を歌いながら明るく楽しそうにふるまっている。知っている歌が出てくると、俺も一緒に歌い出す。「パンコパト・・・」や「レッソムフィリリ・・・」と。皆、大喜びだ。

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キッチンで夕食の準備をするジェンテン。

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2010年5月 4日 (火)

ネパール再会の旅 20 『カグベニへ』

3度目のネパールで、3度目のアンナプルナ・エリア。勝手知ったるところなので、荷物を背負うとさっさと歩き出し、まずは懸案のポリス・チェックポスト。トレッキングをするためには、トレッキング・エリアと期間を申請し、トレッキング・パーミット(許可証)を取得し、トレッキング中の先々にあるチェックポストで、それを提示し検印をいただかなければならない。俺のパーミットは明日から有効なのだが、ポカラのゲストハウスのアグニさんが言っていた通り、係官は日付に全く気付かず、難なくそこを通過することができた。

10時40分、この日の予定地カグベニへは3~4時間あれば十分に行けるはずだ。ビスタリズム(ビスタリ;ゆっくり+リズムの造語)で歩く。天気は相変わらず曇っており、肌寒い。タパピークもダウラギリも雲の彼方だ。ジョモソムの村を抜けると、道はこの季節、水量が少なくなっているカリガンダキ川の川原を歩いて行くことになる。時々、岩に腰を下ろし、ミネラルウォーターで喉の渇きをいやす。

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ジョモソムの村(街?)。この辺りはシベリアで夏を過ごしたアネハヅルが、越冬のためインドへと渡るとき、またその逆の時もそうですが、上昇気流を利用してヒマラヤを越える場所でもあります。

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ジョモソムの村から、カリガンダキ川の川原を行きます。

ジョモソム以北で最初にバッティ―(茶店)があるのは、エクレバッティ―だ。ここまで来るのに2時間20分。ちょうど1時である。エクレバッティ―という名は、『一軒宿』という意味なのだが、今は宿泊施設を兼ねた茶店が2軒ある。レモンティーを飲んで15分休憩し、カグベニへと向かう。

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エクレバッティー付近より、タパピーク。

カリガンダキ川の川原を、さらに遡る。川原から段丘に上がると、カグベニはもうすぐそこに見えている。赤いモナストリーが、懐かしく目に飛び込んでくる。トレッカー用のテントサイトの横を過ぎ、カンニ(仏塔門)をくぐり、村の中へと入る。この村は、道が迷路のようにできているのだが、今回は迷うことなく、ニュー・アンナプルナロッジへと向かった。

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前方にカグベニ村が見えてきました。近いようで、まだ遠い・・・。

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カンニの中に描かれているタンカ(仏画)。

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こちらは曼荼羅です。カンニの中に描かれていました。

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2010年5月 3日 (月)

ネパール再会の旅 19 『ジョモソムへ』

4月16日(土)曇り時々晴れ
ポカラ10:10ごろ(Nepal Airway)10:30ごろジョモソム(徒歩)14:00カグベニ

 午前5時半起床。ジョモソムへ飛ぶ日だ。6時にタクシーに来てもらうように手配してあったのだが、15分過ぎても現れず、仕方がなく、流しのタクシーで飛行場へ向かう。6時半には着いたのだが、どうも天候がすぐれない。チェックイン・カウンターで訊ねると、「山間部の天気が悪く、フライトできるかどうかわからない」と言うではないか。第2便に予約されていることを確認し、天候の回復を祈り飛行場で待つことにする。

腹が減っていたので、道端のチャイ屋でチャイを飲みながらドーナツを食べ、ひたすら待つ。ただボーっとしていたり、ザックを枕に横になったり。2時間ほど経っただろうか、ほとんどが西洋系の年配の人たちだが、どうやらマウンテン・フライトの客のようだ。望みが出てきた。マウンテン・フライトの飛行機が飛び立つと、ジョモソム行きの第1便も客を乗せ離陸した。急いでチェックイン・カウンターへ行くと、ちょうど名前を呼ばれチェックイン。第1便がジョモソムから折り返しやって来て、いよいよ搭乗となる。

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ポカラ飛行場。これから飛行機でジョモソムへ向かいます。

ジョモソムからやって来たネパール・エアウェイのツインオッター機は、そのわずか10分後の10時10分、ポカラ飛行場を離陸した。この飛行機は全く小さくて、定員は20人。小型のマイクロバスのようだ。もっとも、ネパールの国内線は、そのほとんどが山間部を飛ぶので、このような小さな飛行機でないと飛行できないのだろう。快晴ならば、マチャプチャレやアンナプルナ、ダウラギリといった山々が見られるのだが、あいにくの曇天。

しかし、こんな小さな飛行機にもスチュワーデスがいて、飴玉のサービスがある。それと、綿。なぜ綿を出すのかは、高度による気圧の変化で、耳鳴りなどを防ぐためであろう。大きな飛行機なら制御装置が備わっているのだろうが、こんな小さな飛行機では、綿を耳栓代わりにするのが最善策だ。

飛行機はゴラパニ峠上空からカリガンダキ川を遡るようにコースを取り、特徴のあるトゥクチェの村を見下ろすと、間もなくジョモソムだ。ポカラから歩くと1週間かかる道のりを、文明の利器はわずか20分で我々を運んでしまう。10時30分、美人のスチュワーデスに見送られ、ジョモソム飛行場へ降り立った。

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2010年5月 2日 (日)

百花繚乱!ブルーボネット!

 ゴールデンウィーク2日目の今日、朝一番で名古屋港ワイルドフラワーガーデン『ブルーボネット』へ行ってきました。園内は文字通り『百花繚乱』、たくさんの花が咲き乱れていました。言葉で表現するより、写真をご覧いただいた方が一目瞭然!ですので・・・、
では、どうぞ (^_^)!

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園内へ入ってすぐ、色彩りどりのお花たちに出迎えられました。池からは、霧が出ています。

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池の反対側から撮ると、虹が見えました!

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クリサンセマム・カリナタムとネモフィラ。

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クリサンセマム・パルドーサムの群れに、1輪のチューリップ。

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カラー。でも私は、水色の小さな花が気になります。何という名の花だろう・・・?

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園内の『ワイルドフラワーの里』に咲くたくさんの草花。まさに『乱れ咲き!』

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これも何度か見たことがある花なのですが・・・、名前は・・・?

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アップで撮ると、このような花です。

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色違いもありました。どなたか、この花の名前、ご存知ですか?

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コデマリ。アップにし過ぎて、ややピンボケ (^_^;;!

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こちらは、オオデマリ!

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モッコウバラ。黄色のモッコウバラもあります。

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エニシダ。遠くから見たとき、アカシアかと思いました。

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沈丁花かと思って近づいてみたら・・・、違いました。この花の名前もわからない・・・(;_;)?

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ジギタリス。この花の名前は、帰宅後調べて分かりました (^_^)/ 。

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園内には、このような記念撮影スポットも。海の向こうは名古屋港。

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ズームして撮ると、名古屋港ガーデン埠頭も見えました。

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たくさんの花を見、花に囲まれて、母もご満悦でした。

帰りに『荒子川公園』にも立ち寄りましたが、そちらはあまり花がありませんでした。でも、一部の場所でラベンダーが早々と咲き誇っていました。

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こちらの公園では来月、『ラベンダー祭り』が開催されるそうです。また来なければ・・・。

ということで、花を満喫した1日でした (^_^)!

*花の名前は表示されていたものもありましたが、帰宅してから調べたものもあります。調べたものに関しては、本当に合っているかどうか分かりませんので、ご了承ください。もし、間違いがあればご指摘願います。

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2010年5月 1日 (土)

まだ桜が咲いてた (^o^)! at 戸田川緑地

 先日、『部下の外回りに同行する』と外出し、ちょっと休憩しようと立ち寄った公園。春の陽気に誘われ、広い園内をブラブラ散歩。すると・・・、「エッ?桜?!」。

そして昨日、別の部下(こ奴、本当に困ったもので、以前1日に2度も事故を起こしたことがある)の車の運転を「再チェックする(天気が良いこの日、外へ行きたくて、無理やり誰もが納得する理由をつけました)」と言って、予め用意していたデジカメを持って再びその公園へ。昼の休憩時間(?)、ということで出かけてみました。桜は・・・、「まだ咲いてる (^_^)!」。

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数は少ないですが、桜の木が並んでいました。

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『里桜』という桜のようです。この時期でも、たくさん花をつけていました。

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『八重桜』の仲間のようです。キレイですネ w(^o^)w!

場所は、名古屋市南西部にある『農業文化園・戸田川緑地』。我が家からは、車で15分ぐらいのところ。にもかかわらず、長い間行っていなかったところです。ゴールデンウィークのこの時期に、まさか桜を見られるとは!すごく得した気分でした (^_^) 。

園内には他にもたくさんの花が咲いていました。

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藤棚にきれいに咲いた藤の花。下は休憩できるようになっています。

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↑の藤の花を、アップで撮ってみました。

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ビオラやクリサンセマム、チューリップ・・・、まさに百花繚乱!

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色彩りどりの金魚草。

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これは・・・?初めに見た桜と同じかな?それとも・・・?

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こぶしの花(だと思うのですが・・・)。それとも白のハナミズキ・・・?

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こでまりも咲いていました。

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はなみずき。ちょっと高いところから撮りました。

あらためて「いいところだなぁ!」と思いました。もっとのんびりしたかったのですが、時間切れで、仕方なく現実へと戻って行きました。今度は休みの日に、のんびり来よう!

ちなみに、ここ『農業文化園・戸田川緑地』は、今日から5/5まで、『花まつり』が開催され、様々なイベントが開催されているそうです。どちらかといえば、小さな子どもたちが喜びそうなイベントであり、遊ぶ場所もたくさんあるところです。この日も、小さなお子さんを連れたご夫婦が何組もいました。お年を召された方も、のんびりと春の陽射しを楽しんでいました。
入園料は無料(一部、有料施設もあります)。駐車場は、いつもは無料ですが、GW中のこの5日間だけは有料(普通車500円)だそうです。お近くにお住まいの方、この時期ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?わたくし、慕辺未行が推奨します (^_^) 。あの八重の里桜が咲いているうちに...!

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