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2010年4月

2010年4月29日 (木)

ネパール再会の旅 18 『学校でのショー』

この日は近くの学校でショー(学芸会)が50ルピーで見られるとアグニさんに誘われたので、先にシャワーと洗濯を済ませる。すると、突然の雷鳴と共に雨。雨期が近いとは言え、今月末が思いやられそうだ。

5時になり、アグニさんやキッチンボーイたちと共に出かけようとしたが、せっかくだから客引きしてきた2人も誘ってみた。彼らは昼寝をしていたようだが、「50ルピーで見られるのなら行きます」というわけで、日本人客3人、スタッフ3人の計6人で出かけた。ちなみに、この入場料の収益は、子供たちの修学旅行費用に充てられるそうだ。

入場券を買ってきてもらい、列に並ぶのだが、これがメチャクチャな並び方。中には、どさくさにまぎれてタダ見をしようとする連中もいるらしい。ゲートが開くと、まるで『おしくらまんじゅう』のように、入口に人々が押しあいへしあい殺到する。ゲートをくぐるまでは、「誰かはぐれてしまうのではないか?」というくらい、ひどい混雑ぶり。やっとの思いでゲートをくぐると、中は意外に整然としていて、皆で「今のは何だったんだ?!」と大笑い。

校庭に用意された長椅子に座り、始まりを待つ。が、電気の故障で開演が1時間以上遅れた。時間が進むにつれ、長椅子の列が少しずつ前へ進む。少しでも前で見ようとするのか、さらに前へと詰め、気がつけば最初の位置よりずっと前に来ていた。日本ではこんなこと、とても考えられないことだ。我々日本人3人は「これだけでも50ルピー出した価値がある」と笑っていた。

ショーは初めに歓迎の歌から始まり、ダンス、劇、擬音による声帯模写といったパフォーマンスで、盛りだくさん。ブレイクダンスを披露した12~3才ぐらいの男の子は、末はマイケル・ジャクソンかと思わせるほど、動きが柔らかくてスピーディ。劇は、アグニさんが通訳してくれたので、我々も理解できたのだが、これがまるで『ネパール版・吉本新喜劇』。延々と笑い続け、終わった時は11時をまわっていた。

まさか、こんなに遅くなるとは思っていなかったので、夕食もとっておらず、さすがにお腹が減った。しかし、この時間ではどの店も開いていない。アグニさんやキッチンボーイに頼み、ダルバートを作ってもらって、我々3人の日本人とアグニさんとで遅い夕食とし、床に就いたのは12時を過ぎていた。

ポカラ、ホテル・マウントエヴェレストにて

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歓迎の歌から、ショーが始まりました。

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たった一人で、見事なダンスを披露した男の子。

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ネパリーダンスを披露した女の子。

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グループで合唱。

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吉本新喜劇のネパール版?

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2010年4月27日 (火)

ネパール再会の旅 17 『ネパールで客引き?』

2時半ごろ、オーナーのチェタンさん(実質的なオーナーはミラさん)に誘われ、アグニさんと共に3人で、バスパークへ行くことにする。昨日、俺が着いた時もそうだったように、カトマンドゥからのバスがたくさんやってくる頃なのだ。そこでチェタンさんが客引きへ、それにお供することにした。

ポカラのバスパークには、次々とカトマンドゥからバスがやって来る。他のところからも来ているかもしれない。チェタンさんが、名刺を見せながら客引きに奮闘しているが、お客はなかなかつかまらない。何台目かのバスから降りてきた若い日本人カップルが、大勢の客引きたちに取り囲まれ、振り払おうとしているのが見える。その光景を見ていたあるネパール人が、「同じ日本人だから、助けてあげたら」と言うので、彼らのもとへ近づいて行った。

「ヤッホー!どうしたんですか?」と声かけると、彼らは、
「これ、一体何なのですか!?今、シーズンオフじゃないんですか!?」と、かなりの困惑顔。
「シーズンオフだから、必死に客引きしているんですよ」と話し、俺が泊まっているゲストハウスへと誘う。彼らは、たくさんの客引きにうんざりのようで、俺と同じところにしようとした。

が、そこでトラブルが起こった。客引きをするには許可が必要で、俺がその許可証を持っているはずがない。アグニさんも持っていない。客引きの許可証を持っている人々から、文句とブーイングの嵐。あからさまに怒りをぶつけてくる人もいる。そりゃ当り前だろう。宿泊客がいなければ商売にならないのに、突然やって来て、数少ない旅行者を日本人の俺に勝手に客引きされてはかなわない。一時かなり険悪なムードになり、誘うのをやめようとしたが、いいタイミングでチェタンさんが警官とともに現れた。チェタンさんは他の旅行者を誘っていたのだが、俺たちの様子に気がついて、そばにいた警官に話をしたらしい。

その警官は、「彼らはあなたの友達なんだろう?ならば同じ日本人だから、彼らを連れて行ってもいいよ」という、何とも明快な素晴らしいお裁き。大岡越前か、遠山の金さんか、はたまた水戸黄門か!もちろん彼らとは初対面だったが、俺は客引きに成功。それでもまだ文句を言う人たちを、チェタンさんがうまく取りなし、我々4人を素早くタクシーに乗せた。

これで一件落着と思いきや、ゲストハウスに着くと、タクシーの運転手が交渉通りの料金より高くふっかけてきた。そこで再び俺とアグニさんの出番。「あなた、最初に60ルピーでいいって言ったじゃないか!」と、2人でまくしたてると、あっさり「60ルピーでいいよ」と苦笑い。運転手はアグニさんも日本人と思っていたのだろうか?

連れてきた若いカップルは、アグニさんの配慮もあって、ツインを200ルピー、一人当たりにすると、俺より安い100ルピーで部屋が決まり、さすがに感謝された。彼らも名古屋から来ている人たちで、織田さんと都築さん。バスパークで会ったときとはうって変わって、ホッとした表情をしていた。ミラさんは、日本人客の客引きに成功した俺に『さすがね』といった表情で感謝してくれた。キッチンボーイたちも笑顔で応えてくれる。しかし、ネパールくんだりまで来て、まさかゲストハウスの客引きをするとは思わなかった。

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2010年4月26日 (月)

ネパール再会の旅 16 『どうする?トレッキング出発日』

4月15日(金)雨のち晴れ
ポカラ

 午前9時起床。のーんぴり過ごせる国だ。明け方の雨のせいか、今朝は涼しい。雲が多くて、マチャプチャレが見えないのが、残念だ。ゲストハウスで、セットメニューの朝食(トースト、ミルクコーヒー、ゆで卵)をとり、レセプションで、ミラさんやアグニさんと話をする。スタッフの一人が、明後日のジョモソムまでの飛行機の切符の手配に、飛行場まで出かけてくれることになった。

ところが、電話で「17日から20日までは、既に予約で満席」と知らせてきた。ネパール暦の新年の影響らしい。それじゃ「行きに歩いて、帰りに飛行機にするか」と思った矢先、再び電話が。「明日なら予約が取れるが、どうする?」。うーん、困った。トレッキング・パーミットのスタート日は、明後日からなのだ。これを聞いたアグニさんは、日本語で「問題ない。大丈夫です。日付まで細かく見ません。もし、ばれたら、賄賂を少し出せばいいです。」とのアドバイス。まさか『賄賂』と言う言葉を知っているとは!思わず笑ってしまったが、明日の飛行機の予約をしてもらうことにした。

昼すぎまで3人で話をしていたが、ミラさんが「もし私が日本へ行けるビザをあなたが取ってくれるなら、このゲストハウスをあなたに譲るわ。そして私は日本でたくさん稼いで、別の場所にもっと大きなホテルを造るわ」と話していた。冗談だとは思うが、決して100%冗談でもなさそうだ。もし本気でそう思っているとしたら、すごくおいしい話なのだが、いかんせん、そう簡単にビザを取ることはできない。まして一個人の力では、どうにもならない。外国人労働者の不法滞在が社会問題となっている今の日本では、ビザ取得は非常に厳しくなっているのだ。

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2010年4月25日 (日)

電光石火のハンター!

久し振りに、衝撃的な決定的瞬間写真をご紹介します。この写真もやはり、正月に届いたドイツのエルマー&アンジュラ夫妻からのEメールに、添付されていた写真のうちの1枚です。

では、どうぞ!ご覧ください (^_^)!

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鷲が獲物を捕らえた瞬間です。空高くから獲物を狙い、急降下して一瞬のうちに捕らえたのでしょう。捕らえた魚はサケでしょうか?まさに『電光石火のハンター』と言えるでしょう。

と同時に、この写真を撮影したカメラマンも、やはりスゴイ!ほんの一瞬を、これほどまでに捉えるのですから!水しぶきがリアルにそれを物語っているように思います。

それにしても、鷲の脚って、あんなにも太いのですネ!あの頑丈な脚と鋭い爪で、獲物を安全なところまで運んで行くのでしょう。

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2010年4月24日 (土)

ネパール再会の旅 15 『日本通のアグニさん』

 荷物を下ろし、日当たりの良い庭でくつろぐ。暇そうにしているスタッフたちが、当然のことながら愛想よく話しかけてくる。俺はいつものごとく、ネパール語で自己紹介した。
「ナマステ!マ ジャパン バーター アーエン。メロ ナム ○○ ホ。(こんにちは!私は日本から来ました。私の名前は○○です。)」
たったそれだけのことで、スタッフたちは「オォッ!」と驚き、「タパイィ ネパリー ボルヌ ツゥ?(ネパール語が話せるの?)」とネパール語で訊いてくる。その問いにも「アリアリ(少しだけ)」とネパール語で返したら、ここからはほとんどネパール語だけで話を続ける。

やがて一人のスタッフが、「『レッソム・フィリリ』を知っているか?」と尋ねてきた。俺は、「ここぞ!」とばかりに、カトマンドゥで教えてもらった成果を披露した。
♪レッソム フィリリ レッソム フィリリ
ウンダル ジャンキ ダンダマ バッサム レッソム フィリリ
エクナリ バンドゥ ドゥイナリ バンドゥ ミルガライ タケコ
ミルガラ マイレ タケコ ワイナ マヤライ ダケコ
レッソム フィリリ・・・・・・♪

「スゴイ!」「上手だ」「メロディもあってる」等々、彼らは驚きと共に俺に対して、称賛の声を上げた。偶然門のところで聞いていた学校帰りの子供たちも、ビックリして騒いでいた。オーナー夫人のミラさんには「日本人のあなたが、ネパールの女の子の前でこの歌を歌ったら、どの娘もあなたのことを好きになってしまうわよ」と言われた。「エッ!本当?」と思わず顔がにやけてしまうのは、男の性か。彼らが言うには、「今まで ”レッソム・フィリリ”を、こんなに上手に歌った旅行者はいない!」そうだ。カトマンドゥのマナスル・ゲストハウスで、きれいなスタッフのウマたちに教えてもらったことが、さっそく生かされた。

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オーナー夫人のミラさん 。

しかし、上には上がいるもので、このゲストハウスのマネージャーのアグニさん。彼はカトマンドゥで2年ほど日本語を学び、会話はおろか読み書きもできる。さらに、短波放送でNHKのラジオ番組も良く聴いているそうで、日本情勢にもかなり詳しい。たまたま俺が日本を出発する前日に、細川首相が辞意を表明したのだが、彼はそのことも知っていて「次の首相は誰になるのだろうか」と心配している。もっと驚いたことは、彼がここ最近の歴代の首相の名前を、非常によく知っていることだった。日本人でさえも忘れてしまいそうな「鈴木善幸、宇野・・・、・・・」といった首相の名前までも覚えているほどの『日本通!』。このようなスタッフがいれば、何かの時にも言葉の心配はないし、日本語でも話が弾むし、退屈しないですむ。

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日本通のアグニさん。

夕方、散歩に出かけると10分ほどで湖に出た。ふと見ると、2年前にダムサイトの方から40分もかけて歩いてきた銀行がある。「けっこう奥の方へ来ていたんだ」。レイクサイドをぶらぶらし、茶店でラッシー(ヨーグルトドリンク)を飲む。出されたラッシーは、普通のコップの3~4倍もありそうな器に入っていた。あまりにダイナミックで、ブッたまげたが、値段を聞いて完全にぶっ飛んでしまった。そりゃ、初めに値段を聞かなかったのは俺だよ。だからって、140ルピーはないでしょ?!カトマンドゥからポカラまで200km、7時間半もバスに乗ったって150ルピーなのに!とはいえ、飲んでしまっては後の祭り。お腹もふくれたことだし、これが夕食だったと思うことにして、開き直る。

ゲストハウスに戻り、8時過ぎからシャワーと洗濯。向かいにある店でククリラム(ラム酒)を買い、ストレートのまま、ちびちび飲んで、10時に就寝。

ポカラ、ホテル・マウントエヴェレストにて

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2010年4月22日 (木)

ネパール再会の旅 14 『ポカラへGo!』

4月14日(木)晴れ
カトマンドゥ7:00ごろ(バス)14:30ごろポカラ

 午前5時半起床。買い置きのパンとコーラで朝食とし、バスが出るカンティパトへ。歩いて10分ほどだ。6時半にはバスは来ていて、車掌に乗客名簿と照合してもらい、バスに乗る。やがて、昨夜の約束通りクリシュナがやって来て、ポカラのホテルの紹介状を手渡してくれた。

7時、バスはカトマンドゥを出発し、雑踏を通り抜け、曲がりくねった山道を下り、谷あいの平坦な道を、一路西へとひた走る。この道は、首都カトマンドゥとネパール第二の都市ポカラを結ぶとあって、舗装はされているが、所々穴があいていたり、土砂崩れや崖崩れの影響で、かなりデコボコになっているところもある。

バスは40分ほど走って、最初の休憩タイムを取った。朝食をとる人もいれば、チャイ(ミルクティー)を飲む人、ビスケットなどのおやつを買う人、様々だ。俺はチャイを飲み、ミカンを買いこんでおいた。何しろ、空気は乾燥しているわ、窓を開ければ砂塵が舞い込むわで、喉が渇く。ミネラルウォーターも持っているが、やはりおやつとして果物も欲しい。

2~3度、このような停車時間があって、ムグリンへ11時。この街は、カトマンドゥ~ポカラ間をはじめ、インドとの国境近くの町とを結ぶ、交通の要衝で、多くの長距離バスがここで食事休憩をとる。バスだけでなく、トラックや自家用車も多く、さしずめ『宿場町』『ネパール版サービスエリア』といった感じだ。多くの人が昼食を取っているが、俺はあまり腹が減っていなかったので、チャイのみにした。

バスは再び走り出し、かつて降りたことがあるドゥムレに12時半着。ここで何人かのツーリストが下車した。彼らは、2年前俺がたどったアンナプルナ周遊コースを20日ほどかけて歩くのだろう。そしてカトマンドゥより7時間以上かかって、2時半過ぎ、ポカラへ到着。

ポカラのバスターミナルは、町の入り口近くにあり、旅行者用のホテルやゲストハウスが集中するダムサイドやレイクサイドとは離れている。バスから降りた途端に、たくさんの客引きに取り囲まれた。彼らは、オフシーズンの数少ないお客を、よそに奪われまいとホテル名が書かれた名刺を見せながら、必死の形相で交渉にかかってくる。俺は、クリシュナの紹介で、泊まるところは決めてあったので、「ホテル・マウントエヴェレスト」と叫んでそのホテルの人を探したが、どうやら客引きには来ていないようだ。そこでフリーのタクシーの運転手を見つけ、紹介されたホテルへと向かった。
*タクシーの運転手の中には、ホテルやゲストハウスと契約(?)している人がいます。リベート目的で、客をそのホテルへ連れて行きます。

ホテル・マウントエヴェレストに到着。ホテルというよりゲストハウスと呼ぶ方がふさわしいのだが、まずはレセプションへ。クリシュナから頂いた紹介状を見せ、部屋代の交渉。クリシュナのメッセージには、『私の日本人の親友を紹介します。120ルピーで泊めてあげてください』との内容が書かれていたようで、すんなりそれで決着。シャワー・トイレは共同だが、ペワ湖が見える、見晴らしの良い2階の部屋へと案内してくれた。

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2010年4月21日 (水)

ドライブ土産の”旬”をいただきました

 先日、高遠へドライブした時に買って来た”ふきのとう”や”こごみ”などを、翌日、私の帰宅に合わせ、てんぷらにしていただきました。

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ふきのとうを揚げます。

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実は・・・、タラの芽と白マイタケもありました。揚げたものから油をきります。といいながら、少しずつ”つまみ食い”(^_^;;!

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こごみも揚げ終えました。少し、雑だったかな?

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この日の、てんぷらです (^_^)/!原木シイタケにカボチャ、フキノトウ、タラの芽、白マイタケ、こごみです。カボチャ以外はすべて、先日のドライブの時に買って来たものばかり。どれもこれも、”旬”の味、”春”をいただきました。

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冷蔵庫に小エビがあったので、これもてんぷらに (^o^)!ちなみに、小エビとカボチャ、シイタケは天つゆで、他の山菜のてんぷらはお塩で頂きました。

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大根の”桜漬け”です。道の駅で買いました。甘酸っぱい味がしました。

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こごみはたくさんあったので、残りは後日、おかかとしょう油でおひたしに。これもモチモチしていて、おいしかった!   

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1パック300円のイチゴ。普通のパックの2倍ほどの大きさのパックに入っていました。主に朝、いただいています。母は、コンデンスミルクをつけて、私はヨーグルトの中に、他の果物と一緒にいただきました。全部なくなるまで、5日ほどかかりました。

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馬肉の燻製です。578円でした。お酒の友に良さそう・・・(^_^;;!

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ある日のお酒の肴です。馬肉の燻製と共に、チーズ、焼き豚も一緒に!

ということで、って、どういうことなんだか・・・(^_^;; 、先日の高遠ドライブの『土産話(?)』でした。いやぁ~、おいしかったぁ (^_^)!ごちそうさまぁ~!

*これまでカテゴリー『日記・コラム・つぶやき』に入れていた記事を、内容別にあらためて『旅行・地域』、『グルメ・クッキング』、『日記・コラム・つぶやき』に分岐、分けることにしました。今年に入って書いた記事は、それらにカテゴリーを変更し、今後もそのようにしていきます。お好きなジャンル、カテゴリーから楽しんで頂けましたら幸いです (^_^) 。

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2010年4月19日 (月)

天下一!高遠の夜桜

 ずいぶんと陽が傾き、昼食をおやつ(五平餅)しか摂っていなかったので、やや早いが夕食を食べることにした。途中立ち寄った道の駅で買った『桜おこわ』と『山菜おこわ』を、母と分け合って食べることにする。

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『桜おこわ』は、『お花見弁当』にはピッタリ!でしょ (^_^)!ほんのり、桜の風味がしました。どちらもとても美味しかったです。園内のお店が、お好み焼きや焼きそば、たこ焼き、焼き鳥などしかなかった(しかも高い!)ので、事前に買って持って行ったのは大正解でした。

やがて陽が、西に聳える中央アルプスの峰々に沈みだし、そしてライトアップされました。まだ明るさが残っているので、もう少し暗くなるまで、本格的な夜桜を待つことにしました。

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少しずつ暗さを増して、桜がより幻想的に見えてきます。明るいうちの桜、そして夜桜、この両方を楽しみたいがために、片道をあえて高速を使わずにやって来たのです。その甲斐があり、とても綺麗な夜桜も楽しむことができました。

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さずがに冷え込んで、フードをすっぽり被った母。目の前の幻想的な夜桜に、ご満悦です。ちなみに、ISO1600(感度)でフラッシュを焚かずに撮りました。

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もちろん私も、ご満悦 (^_^) です。でも、やっぱり寒い・・・!

そして本格的に、”夜桜見物”となりました。いやぁ~、ホント、きれいだわぁ~!言うことないです。 一生に一度は見てほしい”夜桜”ですヨ!もちろん、昼間だって見ていただきたいのは、言うまでもないです。

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昼間とは、またひと味違った美しさがあります。”天下一の桜”のお花見を、思う存分に楽しみ、帰り路へと向かいました。
抜け道を利用し、駒ケ根 I.Cから高速を使い、かつては”飛ばし屋”だった私が燃費を考えた上でのエコ運転。帰宅したのは、10時ごろでした。

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2010年4月18日 (日)

天下一!高遠城址公園の桜

 高遠城址公園へは、午後4時近くに着いた。駐車場は混んでいたが、幸い、公園北口前の駐車場に停めることができた。以前は、停めるところがなかなかなくて、ずっと下の方まで行って停めたものだ。入園料1人500円。入場券で園外の進徳館と絵島囲み屋敷へも入館できるが、時間の都合(入館受け付けは4時半まで)で行けなかった。

高遠の桜(タカトオコヒガンザクラ)、さすが”天下一”といわれるだけ、「スゴイ!素晴らしい!」に尽きる。それ以上は何も言えません。写真を載せるほうが、より伝わるでしょう。

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雲ひとつない青空に映える桜、何とも美しかったです。この日に来て、ヨカッタ (^_^)!どこを歩いても、360°桜に囲まれているような公園です。桜の木の間から、南アルプスの山も見えました。でも、桜ばかりに目を奪われてはいけません。ひっそりと咲いている花もありました。

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数年ぶりに見に来た高遠の桜!日暮れも近くなり、午後6時からライトアップされます。ちょっと冷え込んできました。

(つづく)

*今朝の新聞によると、一昨日夜からの雪の影響で、たくさんの桜の枝が折れてしまったそうです。積雪は5cmほどのようでしたが、開いた桜の花には、雪が積もりやすく、その上べた雪であったため、重みに耐えきれなかったようです。折れた桜の枝は、軽トラック40台分ほどもあったそうです。ただ、桜守の方々が夜通し雪落としをしてくださったそうで、低い枝には被害はなく、観賞に支障はあまりないとのことでした。また、折れた木からは新芽が生えてくるそうですので、大丈夫だそうです。

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2010年4月17日 (土)

高遠へドライブ

 先月、『天下一』といわれる信州・高遠の桜開花予想を見て、かねてから有給休暇を取っていた4月14日。前日夜、インターネットで調べると、見事に”満開”とあった。天気も幸い良さそうで、何年ぶりかで高遠へ花見に出かけて行った。母ももちろん連れて行った。

行きは高速ではなく、一般道を走ることにした。どうせなら、夜桜も楽しみたいので、あまり早く着いても時間を持て余すから、途中の景色を楽しむことにした。

自宅から名古屋I.C方面へと走り、グリーンロードから国道153号線。紅葉で有名な香嵐渓辺りの桜は、もう散り始めていた。ノンストップのままさらに東へ。かつて心霊スポットと云われた伊勢神トンネルを抜け、稲武町へ。道の駅・どんぐりの里で一休みした。

ここは、”どんぐりの湯”という日帰り温泉もあるが、まだ利用したことはない。店の中には地元で採れた野菜などがとても安く販売されている。ふと見ると、この季節ぜひてんぷらにして食べたい”こごみ”と”ふきのとう”が、驚くほど安かった。これはもう、買うしかない。

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ふきのとうは250円、こごみは200円でした。この翌日夜、すべてではありませんが、てんぷらで頂きました。残りは、和え物になるでしょう。

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道の駅から、見えました。桜が咲いています。

稲武を出発し、県境を越え長野県へと入る。ほとんど信号がなく交通量も少ないので、順調に走る。標高1000mを越える治部坂峠付近の気温は4℃と表示されていた。天気は良いものの、やや寒い日のようだ。国道153号線を飯田市近くまで来ると、あちらこちらに桃の花を見ることができる。道端には黄色や白の水仙も。路上駐車しては迷惑になるので、写真は撮れなかったが、その風景は以前から変わらず、目に焼き付いている。

飯田市を過ぎ、一路北上する。途中で国道を離れ、県道へ。もう1か所、立ち寄りたい道の駅があった。飯島町にある道の駅・花の里いいじまだ。以前ここで、アルストロメリアの花を摘んで買ったことがある。しかし今回はもう終わってしまってできなかった。それでも、地場の特産品を買い求めた。馬肉の燻製はお酒のお供に、桜漬け、それからいちご。「これで300円!?」と思うほどたくさん入っていた。そして、手作りのおこわ。”桜おこわ”は「花見弁当にピッタリ!」で、もうひとつ”山菜おこわ”と合わせて買って持って行くことにした。

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道の駅内に展示されていた武者人形。端午の節句が近いことを感じさせられました。

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人形だけをアップしてみました。凛凛しいですね。

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南アルプスの峰々。道の駅から眺められます。

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中央アルプス。さすがに近いです。

道の駅を出て5分ほど。やはり以前、偶然見つけた桜の名所、与田切公園へも立ち寄る。予想通り、満開の桜が私たちを待ち受けていた。地元の人以外、あまり知られていないのか、人も少なく隠れた穴場スポットだ。

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県道沿いに咲き誇る、満開の桜。

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駐車場から公園への道は、まるで ”桜のトンネル”。

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公園内の満開の桜。ちょうど見頃でした。

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アップにして撮ってみました。

園内には、介護施設から来られたのか、車いすに乗られたたくさんのお年寄りの方々と、ヘルパーさんが、春のひと時を満喫していた。私の母も、もうすぐ78才になりますが、まだ自分で歩いて見に来られるだけ、元気かな!

与田切公園を後にして一路、高遠へ向かう。駒ケ根I.Cへつながる道を、国道153号線へ。沢渡からは高遠への抜け道である県道を走る。そして、さほど渋滞することもなく、高遠城址公園へ到着した。

(つづく)

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2010年4月16日 (金)

ネパール再会の旅 13 『女性スタッフたち、そしてクリシュナとも再会』

ゲストハウスへ戻り、シャワーを浴び洗濯をしてのんびりしていると、昨日に続いて女の子たちの「カニ(食べる)?」と呼ぶ声。少しお腹が空いていたのか、ウマとガンガが1人分のダルバートを分け合って食べていた。俺が「カヌツァ(食べます)」と答えると、ウマがご飯を、ガンガがダルスープをそれぞれスプーンにすくって、口に運んでくれた。「ラムロー(おいしい)?」と聞かれ、俺も「ラムロー!」と答える。さらにアル(いも)もご馳走になる。

とても親しくなれたところで、ネパールでもっとも有名な歌『レッソム・フィリリ』を教えてもらうことにする。2年前にも初めの部分だけ教えてもらったのだが、今回は続きを教えてもらう。ウマがノートに歌詞を書いてくれたのだが、これが全部ネパール語。「ちょっと待ってヨ!俺、ネパール語、まだそれほどできないよ!」と笑いながら、彼女たちに発音を聞いて、ルビをふって歌えるようにチャレンジする。

しかし、俺が少々ネパール語ができるせいか、彼女たちはネパール語でしか話しかけてくれない。どうしても理解できないときは、英語で話してくれるのだが、メインはネパール語だ。その代わり、ずいぶん仲良くなれるし、ネパール語のボキャブラリーも増える。

夕方、アンジュとバルコニーで2時間ほど話をしていた。彼女の夢は『いつか日本へ行きたい』ことだそうだ。しかし、ネパールでは日本ビザは簡単には取得できない。受け入れ先や日本での身元保証人など、かなりの難問をクリアしなければならないのだ。それでももし行くことができたら、俺の両親に「マッサージしてあげる」と語っていた。

夕食は、ヤク・レストランにて、バフ(水牛)・フライドライスとトマト・エッグスープ(55ルピー)。そしてゲストハウスへ戻り、明日の準備も整い、トレッキング中に不要な荷物を預け、今夜のうちに部屋代を支払い、しばらくレセプションにいると、また一人懐かしい顔がやって来た。以前、キッチンボーイをやっていたクリシュナである。彼は俺の顔を見るなり、フルネームで俺の名前を呼んだ。「オォ!○○○○ ○○○(本名)」と。よく覚えていてくれたものだ。感心した。俺も「ヘィ!クリシュナ!ナマステ!タパィンライ カスト フヌ フンツァ?」と声をかける。

彼は大喜びで、俺を離れのレストランへと誘い、ビールで乾杯した。俺が「明日ポカラへ行く」と言うと、「ポカラのゲストハウスに知り合いがいるから、紹介するよ」と言って、紹介状を書いて明朝、バス乗り場まで持って来て見送ってくれるそうだ。バスの出発は7時と早いのだが、それでも彼は『必ず持って行く』と約束してくれた。

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2年前に撮ったクリシュナです。滞在4日間で、ゴビンダ、元オーナーに続き3人目のかつてのスタッフとの再会でした。

カトマンドゥでのこの4日間、かつての友達との再会の連続で、本当に毎日が楽しかった。ポカラでは、どんな出会いが待ち受けているのだろうか?カグベニ村やマルファ村の友達は、すぐに分かってくれるだろうか?そんな思いを抱き、10時ごろ、眠る。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2010年4月15日 (木)

ネパール再会の旅 12 『ジャックとの別れ』

4月13日(水)晴れ
カトマンドゥ

 午前8時起床。今日は腹の調子もよくなり、9時ごろ、朝食はフレンチトーストにする。ジャックも一緒だ。毎朝一緒に食事をしていると、一人旅だということが信じられない。ゴビンダやスリラムも加わり、やがて話題は俺の結婚話へ。ネパールに女の子の友達が何人かいることを知っているゴビンダは、「そのうちの誰と、あなたは結婚したいですか?」と聞いてくるから、たまらん!ジャックは「10月にまたネパールへ来るから、その時に結婚しろよ。フランスからシャンパン10本持ってくるよ」と、からかう。皆して笑いが止まらない。

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食事を終えても、いつも楽しく過ごしていました。左、ゴビンダと私、右、スリラムとジャック。

朝食後、明日のポカラ行きのバス・チケット(150ルピー)を予約し、トレッキングシューズを1750ルピーで買い、そしてシュラフを1日15ルピーでレンタルしてきた。シュラフは、ポカラで借りてもよかったのだが、帰りにチトワン国立公園へ行くつもりなので、もしかしたら、そこで必要かもと思い、ポカラで過ごす何日間分は無駄になるものの、ここから借りて行くことにした。これで、トレッキング準備はOKだ。
*トレッキングシューズは、以前は日本で愛用しているものを持参していましたが、カトマンドゥでも質の良いシューズを取り扱っている店があり、使用後には中古として売ることもできます。実質的には、新品の靴をレンタルしたようなものです。もちろん、レンタルできる店もあります。

ここネパールでは、明日4月14日はネパール暦の新年である。そこで、レセプションの女の子のウマが、新年のグリーティングカードをプレゼントしてくれた。俺だけでなくジャックにももちろんプレゼントしていた。知り合ってまだほんの3~4日なのに、ジャックと共に二人して「嬉しいネェ!」と喜んでいた。

そして、午後のバスでナガルコートへとミニ旅行するジャックとゴビンダをカンティパトまで見送る。ジャックはその後、帰国するので、これが最後だ。ほんのわずかな日々だったが、とても楽しかった。お互いの旅の安全を祈り、笑顔で握手を交わし、別れた。

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2010年4月13日 (火)

ネパール再会の旅 11 『かつてのオーナーと、そして新たな友達』

 4時半ごろ、イミグレーション・オフィスから戻ってくると、今朝同様ゴビンダが来ていた。彼としばらく話をした後、彼は職場である日英ネ言語学校へと向かった。レセプションの前を通って部屋へ戻ろうとすると、従業員の女の子たちが俺を呼び止める。「カニ?(食べる?)カニ?」と聞きながら、スンタラ(みかん)やアル(ふかしいも)を差し出す。「ダンニャバード(ありがとう)」と言って、おやつをいただく。サービスがいいな―。俺が昨日の朝、彼女たちと初めて会ったときにあいさつした際、「ナマステ」だけでなく「タパインライ カスト フヌ フンツァ?(ご機嫌いかがですか)」とネパール語で話したから、そしてアンジュから俺のことを聞いたからなのかもしれない。彼女たちもネパール語で俺に声かけてくれたり、おやつをおすそ分けしてくれたりと、とてもフレンドリーだ。

3階のバルコニーにアンジュがいたので、声をかけ話し始める。やがて二人のハウスキーパー、さらにジャックも加わる。ジャックとアンジュとは再会の思い出に、女の子たちには先ほどのおやつのお礼にと、写真を撮ろうと思い、皆で一緒に撮ったり、女性陣達には一人一人ソロの写真も撮ってあげる。

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後ろ左からジャック、二人のハウスキーパー・ガンガとマンジュ、アンジュ。

部屋へ戻ると、アンジュが「メークアップしてきたから、もう一度撮って!」と言うので、カメラを携え、今度は屋上へ。するとジャックもそこにいた。さらに女の子たちもやって来て、再び撮影会の始まりだ。先ほどバルコニーにいなかったレセプションの女の子に「ソロで撮ってあげるよ」と言うと、「ノー、ノー」と恥ずかしがっていたが、他の子たちに「撮ってもらいなさいよ。私たちも撮ってもらったから」とでも言われたようで、彼女のソロの写真も撮ってあげた。彼女たちの名前は、レセプションの子がウマ、ハウスキーパーはガンガとマンジュ。この国では、カメラは贅沢品なので、彼女たちにとっては滅多に写真をとる機会がないから、良いプレゼントになる。スワヤンブーナートの方の夕焼けを見ながら、6人が入れ替わり立ち替わりで写真を撮った。

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夕焼けを背景に、ウマとマンジュと一緒に。

撮影会が終わり、レセプション横のバルコニーで皆でしゃべっていると、ヘルメットをかぶった男がやって来た。ヘルメット越しの顔を良く見てみると、案の定向こうから「覚えているか?」と、先に声かけられた。
「もちろん!オーナーでしょ?」
「今はオーナーじゃないよ」
「ええ、知っていますよ。でも2年前はここのオーナーでしたよね」
元オーナーでさえも、2年前の宿泊客の俺を覚えていてくれたのだ。俺だけでなく彼は、ジャックのことも覚えていた。今は、ハンディクラフトショップを経営しているそうだ。

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2年前に撮った、元オーナーの写真。

夕食はこの日はパスすることにした。夜、暇つぶしにジャックが散歩へと誘ってくれた。タメル近辺は旅行者が多いせいか、9時ごろでも賑やかだ。ダーバーマルグ(王宮通り)やアサン広場あたりは、ずいぶん静かなのだが。9時半ごろ戻り、眠るとする。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*マナスル・ゲストハウスを彩る、4人のネパール美女たちです。

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マッサージャーであり、ヨガの先生でもある、アンジュ。

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レセプションのウマ。当時まだ22才で独身。とてもキレイで性格の良い子でした。

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ハウスキーパーのガンガ。

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ハウスキーパーのマンジュ。

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2010年4月11日 (日)

ネパール再会の旅 10 『アンジュと再会』

4月12日(火)晴れ
カトマンドゥ

 午前9時ごろ、ゴビンダがやって来て起床となった。下にあるレストランで朝食にする。しかし、どうやら最初の儀礼がやって来たようだ。ほとんど食べられない。下痢である。食生活が違うのだから、こればかりは仕方がない。注文したパンケーキを半分以上残してしまった。自分としては、食べられると思っていたのに・・・。やがて、ジャックとレストランのボーイのスリラムも加わって、10時半ごろまで話をしながら過ごす。

一度、部屋へ戻り、イミグレーション・オフィスへ行く用意をすると、レセプション横のバルコニーに、スタッフの女の子たちと話している、見覚えのある後ろ姿の女性。ここしばらく、遠方へ出かけていて留守だった、マッサージ師のアンジュさんである。

「ナマステ!アンジュ!」と言うと、彼女は振り返り、ちょっと怪訝な顔をしていた。
「Do you remember me ?」と問いかけると、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になって、
「オ~!ナマステ!When you come ?」 と、短い言葉で問い返してきた。
「2日前だよ。マッサージをしてもらいたくて、あなたを待っていたんだよ!」と答えると、
「ごめんなさい。実家があるタンセンへ10日ほど行っていたのよ!」と、申し訳なさそうに、でもやはり嬉しそうな表情で話していた。
「今からイミグレーション・オフィスへ行かなければいけないから、その後でマッサージしてもらえるかな?」と、アンジュさんへ早速マッサージの予約をする。
「もちろん!OKよ!」と、本当に嬉しそうに答えてくれた。

外出後にマッサージして頂くことにして、とりあえず銀行へ。トレッキング中、必要となるお金を両替し、そしてイミグレーション・オフィスへ。アンナプルナ方面へのトレッキング・パーミットの申請書に必要事項を記入し、窓口に並ぶと、並んでいるのはわずかに2人。30分もかかったかどうかで申請を終えた。3度目のネパールだが、こんなに早く申請できたのは初めてだ。

ゲストハウスへ戻り約束通り、アンジュさんにマッサージを施してもらう。1時間で500ルピー(≒1000円)。頭のてっぺんからつま先まで、全身くまなくマッサージしてくれる。アンジュさんはマッサージをしながら、「私はとてもラッキーよ。だって久しぶりにカトマンドゥへ戻ってきて最初のお客さんが、日本人の友達なんだから!」と話していた。俺のことは、いつもゴビンダから聞いていたそうで、『元気だ』ということも知っていたと言う。

気がつくと、1時間以上念入りにマッサージしてくれて、楽な気分になった。が、やはり胃腸がおかしい。あまり出歩かずに、4時にトレッキング・パーミットを受け取りに行くだけにする。

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2年前(1992)のアンジュさん。いつもお読みくださっている皆様、覚えていますか?

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2010年4月10日 (土)

花盛り!チューリップ&桜

今日は朝から、春の陽気に誘われ、母と食料品の買い物前に、国営木曽三川公園へと出かけてきました。ここは、愛知・岐阜・三重の三県の境付近に位置する公園で、長良川と揖斐川の間にあります。毎年この時期に『チューリップフェア』が開かれますので、お散歩がてら、出かけてみました。

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赤と白のチューリップで作られた『ミッフィー』の花壇。

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やや高いところから見ると、ミッフィーと分かるでしょうか・・・?

園内には、色彩りどりのチューリップが、目を楽しませてくれます。

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小さな青い花は・・・?ネモフィラかな?

咲いているのは、チューリップだけではありません。甘~い香りを漂わせるムスカリ、空に向かってピンと立ち誇るルピナスも、我々の目を引きつけます。

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オッ!噴水もキレイな『水の花』を咲かせました。

花壇の向こうには、桜も満開に咲き誇っています。

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皆さんのように、きれいに撮りたいのですが、まだまだ腕が足りません・・・(^_^;; 。

この公園のすぐ南には、『治水神社』があります。そちらへも足を運んでみました。木曽、長良、揖斐の三つの大きな川が隣接して流れるこの付近は、かつては大水害に見舞われることが多く、そこで江戸時代・宝暦年間に治水事業が行われたそうです。

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神社にお参りし、境内に咲く満開の桜を、静かに眺めていました。

再び園内を散歩。売店で今年初めてソフトクリームを食べて、休憩。『さくらアイス』もありました。ほんのりと、桜の風味がしました。そしてもう一度、メインの広場へ。

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チューリップと言えば、オランダ。オランダと言えば風車。だからかな・・・?でも、毎年飾ってあります。もしかしたら通年、ここにあるのかな?

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ムスカリとチューリップ、向こうには桜。『春の共演』です。

すっかり、春を満喫して帰ってきました (^_^) 。
ちなみに今日4月10日の誕生花は、チューリップだそうです。花言葉は『博愛、思いやり、正直』です (*^_^*)!

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2010年4月 8日 (木)

ネパール再会の旅 9 『ジャックと共にカジノへ』

 夕食はジャックお勧めの『ラサ・レストラン』というチベット料理店へ。ジャックは仕事上、何度もこちらの方を訪れているせいか、インド料理もネパール料理もチベット料理もOKだそうだ。トゥンパというお酒で乾杯し、モモ(ネパール・チベット風餃子)とエッグサラダを食べる。が、サラダの量が異常に多い。ネパールの人はどんな胃袋をしているのかと思うほど、よく食べる。一食あたり、日本人の倍ぐらい食べるのではないだろうか。それゆえ、レストランでも一品料理の量たるや、すさまじいものになるのである。

腹も朽ちて、いよいよ本日のメイン・イベント、カジノへと向かう。我々は、ホテル・ド・アンナプルナにあるカジノ・アンナでプレイすることにして、レストランの前でリクシャ(人力車の自転車版)をひろい、それに乗っていざ戦場へ。

ホテル・ド・アンナプルナへ到着し、カジノへと向かう。入り口でパスポートと航空券を見せ、インドルピーで400ルピー分(ネパールのカジノでは、なぜかインドルピーが使われる)のクーポンをいただく。まだ8時ごろのわりに、けっこうお客は入っている。

まず初めに、ルーレット。しかし、このクーポンには制約があった。100ルピーのクーポンが4枚あり、1枚を現金の100ルピー札と交換。だが、そのお札をさらに細かく両替することはできないのだ。つまり、どんなゲームでもいきなり100ルピー賭けなければならないのだ。とどのつまりは、『一発勝負』。勝たなければ、『ハイ、サヨナラ』ということなのだ。とりあえず、確率1/2のところへ賭け、無難に勝ったが、ジャックは・・・。少し賭け札が増えると、つい大胆な賭け方をしてしまう。しかし、タダでもらえるクーポン客に儲けさせることはなく、あっさりオ・ケ・ラ。ブラックジャックでも同様。

「勝ってやるぞ」と勇ましく来たはずだが、ものの数十分後には、2人ともクーポンは無くなっていた。でもまぁ、カジノの雰囲気を味わえただけでもいいじゃないか。ジャックもそれなりに楽しんでいたし、一発勝負にすべて負けたわけでもないから。
ブラブラと夜の街を散歩しながら、ゲストハウスへと帰る。ビールを1本飲んで、10時過ぎに眠る。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2010年4月 6日 (火)

ネパール再会の旅 8 『スワヤンブーナートへ』

 ゲストハウスへ戻り、自宅宛てに『無事ネパールへ到着した』ことを知らせる手紙を書く。昨日1日で、あまりに多くの出来事があり、それらのことを書いているうちに、あっという間に4時ごろとなってしまった。ジャックの部屋を訪ねると、スワヤンブーナートは「夕日が素晴らしい」と言うので、4時半にゲストハウスを出ることにする。
スワヤンブーナートは、カトマンドゥの街外れ、西の小高い丘に建っている。仏教の『総本山』とも言うべきお寺で、ストウーパ(仏塔)には巨大なブッダの目が人々の暮らしを見守るかのように描かれている。

道すがら、ジャックと話をするが、俺の貧しい英語ではなかなかはかどらない。それでも理解し合おうという気持ちがあれば、何とかなるものである。ヴィシュヌマティ川を渡ると、街中の賑わいはないものの、子供たちは元気いっぱいに遊んでいる。「ナマステ」とあいさつすると、どの子も元気よく「ナマステ」と叫ぶように返事をしてくれる。皆、屈託のない可愛い笑顔をしている。日本にはこのような子どもたちは、もういないんじゃないかと思う。

そうこうしているうちに、スワヤンブーナートまでやって来た。長い階段を登り始める。ここへ来るたびに何段あるのか数えてみるのだが、いつも途中で数を数えるのをあきらめてしまう。それぐらい長いのだ。やっとストウーパのあるところまで登って来た。あぁ、しんど!こんなことで、今週末からのトレッキング、大丈夫かな。まぁ、マイペースで行けばいいか。

ところで、ジャック推薦のスワヤンブーナートからの夕陽、さすがにきれいである。西の空が夕焼けで真っ赤に燃えている。マニ車(経典が入っている筒)を回しながらストウーパの周りを一周する。マニ車は、一度回すとお経を一回唱えたことと同じ功徳があるという、ありがたいもの。ふだん、信仰心など全くない俺だが、この国へ来るとなぜか敬虔な(ってほどでもないが)仏教徒になってしまう。30分ほどそこで過ごし、夕食をとりに街へ下る。

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*いずれも2年前の写真です。スワヤンブーナートとそこから見たカトマンドゥの街です。せっかく、赤く染まる街を見に行ったのですが、どうやら写真を撮り忘れるほどでした。

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2010年4月 4日 (日)

ネパール再会の旅 7 『2年ぶりにカトマンドゥの街を歩く』

4月11日(月)晴れ
カトマンドゥ

 午前8時起床。ぐっすり眠れた。ここまでのわずかな時差(3時間15分)による睡眠不足からであろうか。朝食は、ゲストハウスの離れにあるレストランの外テーブルでとる。しばらくするとジャックも朝食のために下りてきて、一緒に朝食を楽しむ。

昨夜彼が「パリからニューデリー、そして3日前にカトマンドゥへやって来た」と話していたのを思い出し、俺はあることを思いついた。ネパールへ飛行機で入国後1週間以内なら、ネパールに4ヵ所あるカジノのどこでもクーポンをもらうことができ、それで遊ぶことができると。もちろん証明に、パスポートと航空券を提示しなければならないが。この話をジャックに切り出すと、彼はこの特典を知らなかったようで、目を輝かせ「今夜にでもぜひ行ってみよう」と、話がまとまった。俺は10年ほど前に、同じカトマンドゥにあるホテル・ソルティ・オベロイでカジノを体験しているが、彼は全く初めてだという。そしてこの日夕方4時にゲストハウスで待ち合わせ、スワヤンブーナート寺院や、夕食を共にしてからカジノへ出かける約束をした。

朝食を終え、いったん部屋へと戻ろうとする。レセプションを見ると、若いネパール人女性がいた。どうやら、スタッフの一人のようだ。ハウスキーパーも、かつてとは違う女性が2人いる。彼女たちに「ナマステ」とあいさつする。さらに「タパイィライ カスト フヌ フンツァ ?(ご機嫌いかがですか?;元気?)」と尋ねると、彼女たちは一瞬、驚きながらも「ラムロー ツァ!(良いです;元気です)」と答えてくれた。俺はさらに彼女たちに尋ねた。階段沿いの壁に、宣伝のためか、アンジュさんがここでマッサージ業を営んでいる旨が書かれたチラシが貼られているのだが、当のアンジュさんがいない。彼女たちの話によると、現在遠くに出掛けているようで、いつ帰ってくるか分からないそうだ。アンジュさんのマッサージを楽しみにしていたのに・・・、残念!

10時ごろより街の方へ散歩に出る。アサン広場のあたりは、時間のせいかまだあまり賑わいはなかったが、他は至るところ相変わらずで懐かしい。アサンからインドラ・チョークは土産物屋をはじめ、たくさんの店が軒を連ね、人々の往来も多く活気に満ちあふれている。ネパールの人たちの生きるエネルギーを感じる。同じ人混みでも、日本とは完全に異質のもので、こちらはあえて言うならば『有機質』なのである。日本の人混みの中にいるとうんざりするが、こちらでは心地よいのである。日本人として日本に嫌気がさしているのだろうか。正直言って自分でもよく解からない。ただ、このカトマンドゥの雑踏が好きなことだけは確かである。

ダルバール広場で『瑞草油』『珍珠清涼油』を買う。それぞれ10ルピーに20ルピー。後で知ったのだが、薬局やスーパーで買えば、もっと安かった。再びアサンの方へ戻ると、ネパール暦のカレンダーを売り歩いている子供に声かけられた。「いくらなの?」と尋ねると「15ルピー」と答えた。しかし、多少ネパールの文字や数字が読める俺は『12ルピー』と書いてあるのを見逃さなかった。その子は俺が外国人だから、本当の値段は分からないと思って、少しだけふっかけたのだろう。俺はその子に「ここに12ルピーって書いてあるよ」と言うと、申し訳なさそうに「ごめんなさい。12ルピーでいいから買っておくれよ」と話した。まだネパールへ来たばかりで、買うのはまだ早いと思ったものの、このカレンダーは貴重だ。なぜならば、間もなくネパール暦の新年になるからだ。俺はその子供に12ルピー支払い、そのカレンダーを買った。

いったんゲストハウスへ戻り、シャワーを浴び洗濯をして、クリシュナ・モモ・レストランへ。昼食はチョウミン(ネパール風焼きそば)、14ルピーと安い。この店は2年前にもよく通った店で、オーナーも俺のことをよく覚えていてくれた。狭い路地の奥にひっそりとあるこの店の客は、ほとんど地元の人だけで、ツーリストが来ることは、まずない。それゆえに覚えていたのだろう。それにしても、ここのチョウミンはうまい。日本の焼きそばと少し異なるが、それでも充分になじめる味だ。テーブルにソイソースが置いてあるところなんて、気が利いてる。

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2010年4月 3日 (土)

シシカバブ風ハンバーグ

 今日は我が家の『手作りハンバーグ』をご紹介します。
本来は、ハンバーグではなく串やアスパラなどに巻いて焼いてシシカバブ風にするものなのですが、レシピを基に、串などを使わずハンバーグにしたものです。要は、ちょっとズボラ(?)なシシカバブです(笑)。

用意するものは、挽き肉(牛でも豚でも、合挽きでもお好みで)以外に・・・

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塩こしょう、ナツメグ、オールスパイス、オリーブオイル、ケチャップです。
レシピには、ローズマリーとミントもあります。以前は我が家でも栽培していましたが、今はないのでパセリで代用しました。

レシピ(4人分)では、、、

牛ひき肉600g、塩小さじ1、コショウ・オールスパイス・ナツメグそれぞれ適宜、オリーブオイル大さじ3、ケチャップ大さじ2、ローズマリー1枝、ミント5~6枚

とあります。

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この日は合挽き肉を使いました。我が家は年老いた母と二人だけですので、量はおよそ半分の320gです。したがって、上記の調味料もそれに合わせ半分ずつにしました。ただ、『適宜』というところが・・・?(^_^;; ここは、お好みで味付けします。
挽き肉と調味料を充分に混ぜ合わせます。
本来は、混ぜ合わせたら2等分し、刻んだローズマリー、ミントをそれぞれに混ぜるのですが、今日はパセリだけを使いましたので、最初から一緒に混ぜ合わせました。

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そして『小判型』に形を整えます。真ん中の穴は、母曰く「火が通りやすいように」とのことです。私としては、ここにチーズを入れてみたい・・・。

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焼いてみましょう。裏返したら・・・、「ワワッ!焦げてる~!」 (^_^:: 。レシピには『全面に焼き色がつくまで焼く』とあります。

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できあがり!ですが・・・「焦げてるヨー(笑)」。これもご愛敬です (^_^;; 。ソースは・・・、何もかけません。肉そのものに、スパイシーな味がついていますから!そのうえデミグラスソースなどをかけるのは、『愚の骨頂!』てなものですヨ! あえてかけるのならば、レモン汁を少々、かな?とにかくこれが、「ウマイ!美味しい!」のです。よろしければ、ご参考にしてください。

ということで、今日の我が家の晩ごはんの一つ、でした。へっ?「これ以外に何もないのか?」ですか?いえいえ(笑)!これだけじゃないですよー。他はありきたりの野菜サラダと豆腐、お味噌汁です (^_^)/ 。

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2010年4月 1日 (木)

ネパール再会の旅 6 『ミラクル!奇跡が起こった!』

 ゴビンダがマナスル・ゲストハウスへフランス人の友達を迎えに行った。俺はその間、彼の自宅で片言の英語とネパール語を使い、皆と過ごしていた。やがてゴビンダが戻って来た。と同時に彼は、「ジンさん!彼はあなたとは友達ですよ!」と大きな声で叫ぶ。「フランス人に友達はいないはずだが・・・」と考えていると、その男は「ヘイ!ミスター○○(俺の名字)、ジン!2年前、マナスル・ゲストハウスで同じ部屋だったことがあっただろう?」と英語で話す。俺はそれを聞いて「Σ( ゜Д゜)ハッ!そういえば・・・、エッ?でも、まさか・・・」と思っていると、彼はさらに「あの時、あなたはエヴェレストの写真を見せてくれたよ。そして私はあなたにアンナプルナの情報を教えたじゃないか」と話した。「そうだよ!思い出したよ!覚えてるよ俺も! (*゚▽゚)ノ」そう答えた。

2年前、オーナーに頼まれ2~3日相部屋したフランス人がいた。名前も住所もお互い教え合うことはなかったし、写真も撮っていないので、忘れてしまっていたが、彼は当時の俺の呼び名(ジン)を覚えていたようだ。

俺は「まさか Σ(゚д゚;)?!」と思うほどの再会に体中が震え興奮し、お互いに握手を交わし、肩を叩きあって、この奇跡的な再会を互いに喜びあった。居合わせた家族の人たちも、この出来事に驚き、もう本当にお祭り騒ぎ。

彼の名前はジャックといい、パリでインドやネパールなどの民芸品を扱う店を開いているそうだ。今回は直接仕入れにやって来たのだという。

それにしても、こんな偶然が起こるものなのか?!この広い地球、60数億人もの人々が住んでいる地球で、互いに連絡先も知らない何の約束もしていない日本人とフランス人が、2年ぶりに再び会うことになろうとは!「ミラクル!」としか言いようがない。旅とは、つくづく不思議なものである。

お互いに驚きと興奮覚めやらぬ中、俺とジャックはゴビンダの家族の方たちからお酒やおつまみをふるまわれ、ダルバートを食べ終えると、もうお腹いっぱいだ。笑い声も高らかに、楽しいひとときが過ぎた。

9時過ぎにゴビンダ宅を後にして、ジャックと共にマナスル・ゲストハウスへ帰って行く。ネパール初日の日に、多くの友達と再会し、味も堪能した。最高の旅のスタートである。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*ジャックとの最初の出会いについては、カテゴリー『1992 カトマンドゥ日記』の中の『フランス人とルームシェア http://dsching.cocolog-nifty.com/bohemien/2009/12/post-b65b.html』に記載してあります。

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