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2010年1月 7日 (木)

アンナプルナ周遊トレッキング その11

皆一緒に!そして高山病の予防

4月25日(土)晴れのち曇り
チュリラタール8:15(徒歩)10:45トロンフェディ

 6時50分起床。今日はトロンフェディへ約3時間と言うから、ややのんびりでもいい。朝食はポリジ(粥)。買い置きのガーリックやグラノラも入れて食べる。

準備を整え出発しようとすると、インドネシアのおじさんが、
「ジン、ちょっと待ってくれ。今日はトロンフェディまですぐだから、一緒に行こう」と誘ってくれた。俺も、
「OK!じゃあ待ってます」と答え、荷物を背負ったまま、外で待つ。アメリカ人のグループも外へ出てきた。
「ジン、どうしたんだい?行かないのか?」
「おじさんが”今日は近いから、一緒に行こう”って。だから待ってるところだよ。せっかくだから、みんなも一緒にどう?」
「いいね。OK!今日はみんなで行こうぜ」
ノルウェーの女の子たちも出てきて、みんな出発しないので、
「どうしたの?」と尋ねてくる。彼女たちにも同じ説明をし、もちろん一緒に誘う。彼女たちも、
「OK!」と言って、あとはおじさんの準備が整うのを待つだけ。

8時15分、4組総勢9人でスタート。日本、インドネシア、アメリカ、ノルウェー、そしてガイドたちのネパール、5ヵ国の人々が集まって楽しくトレッキングする。途中、やはりハードな登りが待っていた。ベシサハールより9日目。1日マナンで休んだとはいえ、疲れは少しずつ蓄積されている。それでも皆一緒で和気あいあいとしていたせいか、それほど苦にならなかった。休憩できるバッティ(茶店)が全くなく、チュリラタールでビスケットを買っておいたのは正解だった。いつもなら、皆よりペースの速い俺も、この日は皆と同じペースで歩いていた。

やっとバッティがあるかと思ったら、そこがトロンフェディだった。1軒しかロッジはないが、とても大きい。部屋は、シングルやツインといった個室はすでにほぼ満室。インドネシアのおじさんとガイドは、辛うじてツインに、あとのメンバーは皆同じドミトリーにベッドを確保した。1泊50ルピーである。ドミトリーでこの料金は、さすがに高いなぁ!

トロンフェディは、トロン峠への最後の寄宿地で、トレッカーたちはたった1軒のこのロッジに皆、集まってくる。そのせいか、多くの人でにぎわっている。今日はこの後、のんびり過ごせるが、明朝の出発が早いので、今夜はしっかり眠れるよう心掛けたい。

Img433

トロンフェディにて、インドネシアのおじさんと。見た目は”日本人”?

Img434

トロン峠方面の景色。

昼食は、ベジ・フライドライスに紅茶をスモールポットで、ビスケットも3個買い置きする。先月のエヴェレスト街道トレッキングの教訓を生かし、水分を多めに、ガーリックを食べたりして高山病対策をとる。紅茶がなくなって、水筒にウマレコパニ(沸騰水)を1リットル買う。皆とも楽しく過ごす。

部屋へ戻ると、ノルウェーの女の子の1人がベッドで休んでいる。体調が悪いようだ。軽い高山病であろう。彼女はトロンフェディへ着いてすぐ洗濯をしたようで、
「ヘイ、ジン!お願い、外に干してある私の洗濯物を取り込んでくれない?」
と頼まれた。困った時はお互い様だし、
「OK!ところでどれだい?このTシャツ?他には?」
と、手助け。ニコニコしながら「サンキュー!」と、とても喜んでくれた。そして俺も体を休める。

夕食は5時半ごろ。フライドポテトとオニオンガーリックエッグスープ(メニューにはないが、特別に注文して作ってもらった)。そしてブラックティー。食後は明日に備え早めに休もう。幸い、高山病の症状もなく、あれほどひどかった咳も、いつしか治まっている。マナンのドクターに頂いた薬が、ずいぶん効いたようだ。無理さえしなければ、この先も大丈夫だろう。

トロンフェディ、トロンベースキャンプロッジにて

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コメント

そんな所に名医がいたのですね。よかったですね。
インドネシアのおじさん今度うちの旦那とケニアへ行く方とそっくり。びっくりしました。アレレ、こんなとこにX先生がいる~と思いました。
これぞ旅は道連れ余は情け。の実践ですね。


hannaさんへ

マナンの村のドクターから頂いた薬、効果抜群でした (^_^)!現地で罹った病は、現地の薬が一番よく効きます。
インドネシアのおじさん、ちょうど20才年上でしたが、お互いアジアからの一人旅、とても親しみやすく、トレッキング中本当にお世話になった方です。この続きをお読みいただくと、おじさんにどれほど助けられたか!がよく解かると思います。まさに「旅は道連れ、世は情け」を実践していました。

投稿: hanna | 2010年1月 7日 (木) 23時36分

スイス・サンモリッツで、ケーブルカーの発車に間に合うように
ついうっかり走ってしまい、一瞬フラフラッとしたことがありました。
おそらくこれが高山病の一種なんだろうなと思いながら回復を待ちました。
でも後になって、あれは本当に高山病だったのだろうかと疑ったのですけどね。
サンモリッツの標高は1775mです。
日本の女子マラソン選手が高地トレーニングをすることがありました。


Saas-Feeの風さんへ

う~ん、どちらなんでしょう?高山病が現れる高さは、人それぞれ個人差がありますし。でも、その標高で突然走れば多少なりとも「酸欠」状態だったのかもしれませんネ。だとすると、それも『高山病』の症状の一つかも・・・?
そういえば「野口みずき」さんだったと思いますが、アテネオリンピックの前、スイスで合宿していなかったかなー?私はふと、山との関連で、植村直巳さんが日本山岳会初のエヴェレスト登山隊の一員となり、先発隊員としてネパール・クムジュン村でトレーニングしていたことを思い出しました。

投稿: Saas-Feeの風 | 2010年1月 8日 (金) 20時45分

こんにちは~
ようやく未読分読むことが出来ました(笑)
トロンフェディの写真、どちらが日本人か見分け付かないですね~どちらもアヤシイ異国のヒトでしょうけど(大笑)
今更ですが、高地であっても物資は割合豊富にあるように思えるのですが、隊商組まれたキャラバンは通っているのですよね!?食料だけでなくセーター等の衣類も置いてあるのが意外にビックリです。国内の山小屋はヘリなどで輸送するのが多いので何が置いてあっても気にしませんけど。


青龍○段さんへ

ヘヘッ(^_^;;!どちらかというと、帽子にサングラス、髭面の私の方が日本人に見えないかも・・・(笑)?私の場合、現地の人たちからすれば、「片言のネパール語を話す”アヤシイ”外国人」だったかもしれません(笑)。物資は、ポーターやラバなどの隊商たちによって、山奥まで運ばれます。故に、奥へ行けば行くほど物価も高くなります。大きな村には、それなりに生活に必要なもの、トレッカーにとっても必要なものがありました。また、各国の登山隊が置いていったであろう食料(缶詰類が多いです)などもありました。
ネパール、ヒマラヤ・トレッキングに出かける際、日本食の梅干しやカップ麺などを持参される方も多いのですが、私に言わせれば『愚の骨頂』です。しかも、一カ月に満たない旅であれば、なおさらです。荷物としてかさばるだけです。現地の人たちに振る舞う目的で持参したのなら、別ですが・・・。観光立国のネパール、外国からの旅行者・トレッカーのことを考えて便宜を図っていると思います (^_^)/!

投稿: 青龍○段 | 2010年1月 9日 (土) 13時51分

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