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2010年1月27日 (水)

アンナプルナ周遊トレッキング その21

ポーター、ゴビンダ君を雇う

5月2日(土)曇り時々晴れ
ガサ7:00(徒歩)8:30パイロタプラ9:15(徒歩)10:00コプチェパニ10:30(徒歩)11:30ダナ11:50(徒歩)13:30タトパニ

 6時起床。朝食はポリジとカード(ヨーグルト)、たった一人の客なので用意が早い。今日こそタトパニまで頑張ろう。昨日かなり休養を取ったせいか、体調は多少なりとも良い。

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ガサより、ダウラギリ方面を望む。

1時間半でパイロタプラ。何か食べたくなって、ムスリーを食べる。ここからタトパニへは3時間という。まぁあせらず行こう。コプチェパニのバッティで休憩し、そこでポーターについて話をすると、「ぜひ息子を・・・」と母親が訴える。タトパニ~ゴラパニ間だけ雇うつもりの俺には、1日半余分になる。しかし、数少ない現金収入のチャンスで必死なのか、根負けしてここからゴビンダ君をポーターとして雇うことにする。まだ14才の男の子だ。彼の小さい体に俺の荷物は気の毒だが、500ルピー払っていることだし、ここは2日半(実質1日ちょっとだが)しっかり頑張ってもらいたい。

荷物がないとずいぶん楽だ。ペースもよい。すると初めてトレッキングした時から記憶に残っている大きな滝が現れた。ルクセツァーラの滝だ。7年半前はここでこの滝を見ながら休憩したなー。

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ルクセツァーラの滝。

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ダナにて、ゴビンダ君と彼の学校の先生。

1時間ほど歩いてダナへ。ここでゴビンダ君の学校の先生に会う。先生は彼に「頑張るんだよ」とでも話したのだろうか、彼もうなずいていた。天気は今一つさえないが、ガサより6時間半かけてタトパニへ。問題はこの先である。ゴラパニまで1日で行くか2日かかるかである。ゴラパニまでは高低差、約1700mほどの登りだ。ポーターの雇用料は2日半分、支払い済みだ。手持ちのネパールルピーは2000ルピー。明日、明後日と2日かけて行ってもいいが、荷を背負わない分、明日は1日ここで温泉に入りながら休養し、明後日1日で一気に行きたいものだ。

昼食は2時ごろ、ベジ・エッグ・ヌードルスープとする。タトパニは物が豊富である分、物価も他の村に比べ高そうである。メニューを見ても、セットメニューになっていたり、同じものでも少々高い。

この後、温泉(”タトパニ”の意味は直訳すると”熱い水”、つまりここは”温泉”が湧き出ている村なのである)にでも入ろうと思ったのだが、どうも雲行きがおかしい。夕方、案の定、雷鳴とともに激しい雨。ここ最近毎日である。明日の午前中に温泉でのんびりし、洗濯をすませ、午後は一休みしよう。そして明後日のゴラパニまでに備えよう。

夕食は、ロシアン・エッグサラダとスパゲティ。一体どんな味か、楽しみである。サラダはトマトに卵、玉ねぎ、ポテト、人参、リンゴ、そしてサラダクリームで味付け。やや不安になる野菜もあるが、まずまずの味。スパゲティはトマト&チーズソースでピザのような感じの味だが、山の村にしてはイケる味だ。それにしても、雷鳴がスゴイ!どうやら雨季に入りかけたようである。

タトパニ、ダウラギリロッジにて

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コメント

こんなかわいい少年が荷物をしょって歩くのですね。大変ですね。でも、彼は働けて嬉しいのかも知れません。日本だって昔は幼いころから赤ん坊を背中にくくりつけられて一日お守をしているのが当然で、それで親に少しでも楽をさせられることを喜んでいた。それでも、ここは観光資源以外現金収入を増やす手段がなさそう。将来の生活はどう変わるんでしょうね。考えさせられますね。


hannaさんへ

普通に考えれば「大の大人が、こんな子供に荷物を背負わせるなんて・・・!」と思われることなのかもしれません。しかし、これがネパールの現実。貧困にあえぐ国、子供でさえ重要な働き手、それゆえ学校に通うこともできない子供たちもたくさんいました。近年はいくらか解消されているでしょうが・・・。でも、hannaさんがおっしゃるように、彼がほんのわずかな日でも働くことができて、その結果500ルピーというお金を稼ぐことができる、少しでも生活が楽になることを喜んでいてくれたのなら、私としても、気が楽になります。
この日たどり着いたタトパニの村、このころは麓のポカラの街から3日はかかりましたが、今では道路が延びてその日のうちに行くことができるそうです。発展のためには、道路建設は欠かせないでしょうが、現金収入がない人々やポーターを生業とする人々の生活が、さらに窮地に追い込まれるのでは?それによって村の過疎化が進み、伝統文化が失われてしまう・・・、そんな懸念がそのころすでにありました。今頃、どうなっているんだろう・・・?

投稿: hanna | 2010年1月27日 (水) 23時45分

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