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2010年1月

2010年1月31日 (日)

アンナプルナ周遊トレッキング その24

晴天のプンヒル

5月5日(火)晴れのち雨
ゴラパニ7:20(徒歩)7:40プンヒル8:20(徒歩)8:35ゴラパニ9:00(徒歩)9:55ナンゲタンティ10:55(徒歩)11:50バンタンティ12:10(徒歩)13:40ティルケダンガ

 今朝6時半起床。日の出のころにプンヒルへと思ったが、寒くてシュラフから出られず、朝食(トーストとゆで卵)を食べてから、プンヒルへと向かう。
プンヒルは標高約3200mの丘。雄大なヒマラヤを眺められる絶好地だ。幸い最高の天気に恵まれたこの日、ダウラギリⅠ、トゥクチェピーク、ニルギリS、アンナプルナⅠ、バラハシクハール、アンナプルナS、ヒウンチュリ、マチャプチャレが眺められた。

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プンヒルからの眺め。パノラマにしました。ダウラギリ~ニルギリS。

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↑の写真の右端から続きます。ファング、アンナプルナS~彼方にマチャプチャレ。

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どうですか!この眺め!ダウラギリをバックに。

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アンナプルナSも、こんなに近くに見えます。

40分ほどいただろうか、一ツ橋大学へ留学していたというシンガポールの男性と話をしながら、素晴らしい眺めに気分は上々。

ロッジへ戻り、ミルクコーヒーを飲んで、9時ごろスタート。ゴラパニからは下るのみ。急坂を下るので、膝を痛めかねない。あわてずに行こう。
1時間ほどでナンゲタンティ。バッティで、この日ゴラパニまで登るという日本人と出会い、久々の日本語での会話に何と1時間もつぶした。

そしてバンタンティまで55分。ビスケットと紅茶で軽く食事をし、ウレリへは35分で下る。しかし、石段の道でクッションが悪く、足に疲れを感じる。ウレリからも、かなりの急坂だ。登るのも大変だが、下りも大変である。必要以上にゆっくり、ノロノロと下り、ティルケダンガへ。1時40分着だ。今日はここまでにしよう。

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急峻な山道を、約100kgの荷を担ぎ、裸足で歩くポーター。言葉が出ません・・・。

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大きな岩にもたれかかり、ほんのひとときの休憩。

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ウレリから、こんな急な坂道を下ってきました。

昼食はポテトチップス(フライドポテトのこと)とし、その間に洗濯とシャンプー。2時半ごろ、ファンタレモンを飲みながら食事をする。明日はビレタンティまでの予定だが、もしポカラまで戻れそうであれば、行くつもりでいる。

それにしても暖かい1日。長袖を着ていたら汗をかいて、午後は上半身裸で日光浴。夕方になっても、半袖で十分の暖かさ。しかし、5時をまわると、雲が多くなり、ついにはどしゃ降りの雨となった。洗濯したものは、長袖のTシャツ以外すべて乾いていた。

夕食は、ダルバートにする。もしかしたらこの夜がトレッキング最後の晩になるかもしれないからだ。どうやら今日はここに俺1人だけのようである。電気はまだないようだし、夜更かしせず早めに眠ろう。

ティルケダンガ、ラクシミゲストハウスにて

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2010年1月30日 (土)

アンナプルナ周遊トレッキング その23

長い登り坂

5月4日(月)曇りのち雨
タトパニ6:30(徒歩)8:35ガラ8:55(徒歩)9:50シカ10:10(徒歩)11:55チトレ12:10(徒歩)13:30ゴラパニ

 5時40分起床。曇り空に少し雨が降っている。朝食は、トーストにゆで卵、ミルクティー。そしてスタートしようとすると、ロッジのスタッフの一人であるアムリットが、「You are friend.」と言って、餞別にアップルパイをお土産に渡してくれた。昨日、食事やおやつタイムの時に、ずいぶん話をしていたからかな。ありがたいことだ。途中でおやつとして食べよう。

今日はポーターが荷物を持ってくれているせいか、いいペースで進む。でもゴビンダ君のペースは、疲れがたまっている俺には、少し速いかな?なぁに、慌てることはない、ビスターリ(ゆっくり)ビスターリ。ハードな登りが延々続く中、ガラとシカでティータイム。いただいたアップルパイも食べる。

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ポーター、ゴビンダ君。急な山道でも、サンダルで歩いています。

シカよりゴラパニまでは3~4時間。何とか今日中に行けそうだ。とにかく一歩一歩マイペースで着実に高さをかせごう。何しろこの日の標高差は、約1700m。ほとんど登りなのである。今回のトレッキング中、最後の難所である。
昼ごろ、チトレ着。あと1時間半ほどである。が、チトレを出発してしばらくすると、突然の雨。雨宿りできるところがなく、ズボンやシューズはベタベタ。バッティを見つけ、レインウェアを着る。ザックカバーも付け、ゴビンダ君に折り畳みの傘を貸し、再び歩き出す。

無我夢中で雨の中を歩き、ついにゴラパニへ到着。たくさんのロッジがあるが、あちらこちらと探し選んでいる状況ではない。スノービューロッジに宿をとる。幸い、ストーブが焚かれていて助かる。ヌードルスープで昼食とし、そしてポーターを帰す。ご苦労様でした。タトパニから1日で来られたのは、彼のお陰だ。残り3日が楽になる。
雨に濡れたレインウェアやザックカバー、シューズ、ズボンは、ストーブの前で早々と乾き、ズボンの泥汚れも乾き落ちた。シューズの汚れは仕方がないか。

今日の客は、東京に住んでいたことがあるというアメリカ人や、一見日本人のような台湾人女性(以前、北海道で知り合った女性にそっくり)など10数名。このトレッキング中、日本人と同宿したことは、未だ一度もない。カトマンドゥでもゲストハウスに自分しか日本人はいなかったし、もう1ヶ月以上日本人とはほとんど接触していない。トロンパスからムクチナートへ下るときに、1組の日本人夫婦とすれ違う時に少し会話をしただけだ。特に日本人と会いたいと思わないが、この頃無性に日本食、おいなりさん(いなり寿司)やうどん、そば、てんぷらが食べたいと思うようになってきた。そろそろホームシック?

夕方5時半ごろ、雨がやみ突然陽が射してきた。ダウラギリⅠ(8168m)やアンナプルナS(7219m)などが顔を出す。明日のプンヒル(ゴラパニ近郊の丘;標高約3200m)からの眺めが楽しみだ。

夕食は、ベジ・エッグ・フライドライスにムスタンコーヒー。そして8時過ぎに眠る。

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少しだけ頭を見せた、ダウラギリ。

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ダウラギリからアンナプルナの眺望。

ゴラパニ、スノービューロッジにて

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2010年1月28日 (木)

アンナプルナ周遊トレッキング その22

タトパニ温泉

5月3日(日)曇りのち雨
タトパニ1日滞在

 夜中、激しい腹痛に飛び起き、トイレへと駆け込んだ。相変わらず下痢で、もう4日になる。下手な料理(?)だと胃が受け付けず、戻してしまう。やはり、ヒマラヤのふもとの寒村で、ピザやスパゲティは、無理があるのだろうか?現地の人々が普段食べているものの方が、無難だったようだ。今朝は、トースト、ゆで卵、コーヒーにする。

食後、少し村をぶらつき、9時ごろより温泉へ。かつては、河原の湯の湧き出ているところで、川の水で湯温を調節して入るようになっていたが、今は露天風呂として、石で浴槽(というより、プールのような感じ)が造られている。日本出国以来の風呂である。2ヵ月半ぶりに湯の中に体を沈める。何とも好い気持ち。洗濯も済ませ、5日ぶりに体を洗う。日本の風呂の文化を改めて良いと思う。

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「いい湯だな♪いい湯だな♪・・・、ここはネパール、タトパニの湯♪」
*日本ではありませんので水着(下着?)着用しなければなりません。この温泉のためだけに、海パンを持参していました。水着着用ですから、一応”混浴”です (^_^;; 。

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湯上り後、久々の風呂にリフレッシュ!できました。

11時ごろ、おやつタイムでチョコレートケーキと紅茶。もちろんゴビンダ君にも御馳走する。温泉ではコーラも飲んだし、金に糸目はつけないとはいえ、どれだけ使うことやら・・・。ポカラまでもつだろうか?

午後は体を休める。が、足が重い。階段を上るのも、しんどく感じる。こんなんで明日、ゴラパニまで歩けるのだろうか?ここタトパニの標高が1189m、ゴラパニは2855m、その差1700m近い。行けたとしても、その後2日間歩けるのか?もうポーターを雇う現金は残っていない。

薬屋で腹痛薬とマッサージクリームを買う。合わせて95ルピー。これで何とか乗り切らなければ。
しかし、この疲れた体でポカラからカトマンドゥまでのバスでの移動7~8時間もつのだろうか?その前に、無事ポカラへ下ることができるかが先である。こんな心配をしなければならないほど体は疲れ、具合も良くないのである。

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ニルギリ・南峰(6839m)が、雲の合間から顔をのぞかせました。

夕食は、ガーリック&エッグ・ヌードルスープとハーフライス(ご飯半人前)を特別に注文。メニューにはないのだが、頼めば好意的に作ってくれるので安心だ。
ここタトパニも6ヵ月前から電気がついたそうだ。トロンパスを越えて以来、電気がなかった村はガサだけである。こちらの街道沿いの村々は、ほのぼのとした雰囲気が漂っている。

タトパニ、ダウラギリロッジにて

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2010年1月27日 (水)

アンナプルナ周遊トレッキング その21

ポーター、ゴビンダ君を雇う

5月2日(土)曇り時々晴れ
ガサ7:00(徒歩)8:30パイロタプラ9:15(徒歩)10:00コプチェパニ10:30(徒歩)11:30ダナ11:50(徒歩)13:30タトパニ

 6時起床。朝食はポリジとカード(ヨーグルト)、たった一人の客なので用意が早い。今日こそタトパニまで頑張ろう。昨日かなり休養を取ったせいか、体調は多少なりとも良い。

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ガサより、ダウラギリ方面を望む。

1時間半でパイロタプラ。何か食べたくなって、ムスリーを食べる。ここからタトパニへは3時間という。まぁあせらず行こう。コプチェパニのバッティで休憩し、そこでポーターについて話をすると、「ぜひ息子を・・・」と母親が訴える。タトパニ~ゴラパニ間だけ雇うつもりの俺には、1日半余分になる。しかし、数少ない現金収入のチャンスで必死なのか、根負けしてここからゴビンダ君をポーターとして雇うことにする。まだ14才の男の子だ。彼の小さい体に俺の荷物は気の毒だが、500ルピー払っていることだし、ここは2日半(実質1日ちょっとだが)しっかり頑張ってもらいたい。

荷物がないとずいぶん楽だ。ペースもよい。すると初めてトレッキングした時から記憶に残っている大きな滝が現れた。ルクセツァーラの滝だ。7年半前はここでこの滝を見ながら休憩したなー。

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ルクセツァーラの滝。

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ダナにて、ゴビンダ君と彼の学校の先生。

1時間ほど歩いてダナへ。ここでゴビンダ君の学校の先生に会う。先生は彼に「頑張るんだよ」とでも話したのだろうか、彼もうなずいていた。天気は今一つさえないが、ガサより6時間半かけてタトパニへ。問題はこの先である。ゴラパニまで1日で行くか2日かかるかである。ゴラパニまでは高低差、約1700mほどの登りだ。ポーターの雇用料は2日半分、支払い済みだ。手持ちのネパールルピーは2000ルピー。明日、明後日と2日かけて行ってもいいが、荷を背負わない分、明日は1日ここで温泉に入りながら休養し、明後日1日で一気に行きたいものだ。

昼食は2時ごろ、ベジ・エッグ・ヌードルスープとする。タトパニは物が豊富である分、物価も他の村に比べ高そうである。メニューを見ても、セットメニューになっていたり、同じものでも少々高い。

この後、温泉(”タトパニ”の意味は直訳すると”熱い水”、つまりここは”温泉”が湧き出ている村なのである)にでも入ろうと思ったのだが、どうも雲行きがおかしい。夕方、案の定、雷鳴とともに激しい雨。ここ最近毎日である。明日の午前中に温泉でのんびりし、洗濯をすませ、午後は一休みしよう。そして明後日のゴラパニまでに備えよう。

夕食は、ロシアン・エッグサラダとスパゲティ。一体どんな味か、楽しみである。サラダはトマトに卵、玉ねぎ、ポテト、人参、リンゴ、そしてサラダクリームで味付け。やや不安になる野菜もあるが、まずまずの味。スパゲティはトマト&チーズソースでピザのような感じの味だが、山の村にしてはイケる味だ。それにしても、雷鳴がスゴイ!どうやら雨季に入りかけたようである。

タトパニ、ダウラギリロッジにて

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2010年1月26日 (火)

Battle at Kruger (YouTubeより)

これは世界的に有名な動画です。TVなどでも紹介されたこともありますので、ご覧になられたことがある方もいらっしゃると思います。昨夜ふと思い出し、YouTubeの中から『水牛、ライオン、ワニ』で検索したら、アクセス数、コメント数が異常なほど多い動画がすぐに見つかりました。世界中ですでに5000万回近いアクセスがあるようです。

http://www.youtube.com/watch?v=LU8DDYz68kM

Krugerとは、南アフリカにある国立公園。ドイツの友人、エルマー&アンジュラ夫妻もかつて訪れたことがあります。

8分ほどの動画ですが、大自然に生きる野生動物たちの、厳しくもたくましい姿、そして最後は想像さえつかなかった感動的なドラマが待っていました。

この動画、皆様はどのような感想を抱きますか?

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2010年1月25日 (月)

アンナプルナ周遊トレッキング その20

体調最悪、辛い1日

5月1日(金)曇りのち雨
カロパニ8:10(徒歩)11:40ガサ

 7時過ぎ起床。ぐっすり眠れたようだが、体の方はやはり疲れを感じる。休養は十分に取っているつもりだが、栄養不足だろうか?今日の予定はタトパニだ。そうすれば明日は、温泉につかりながら1日休養が取れる。ゆっくりでいいから、何とかたどり着きたいものだ。

朝食は、ムスリーとホットレモン。今日も曇り空の中をスタート。それにしても、今までになく疲れを感じる。それも身体全体だ。いつも以上にペースは落ちている。荷が重く感じ、背中が辛い。足運びもトロトロとし、あちこちで休み3時間半かけて、やっとガサ。まだ、今日の予定コースの半分も来ていない。

ここで昼食は、ベジ・チーズ・マッシュルームピザ(40ルピー)とする。それにしても、すごいピザだ。野菜とマッシュルームがたっぷり。そして久々にファンタ(27ルピー)を飲む。

さて、ここからタトパニへは4時間という。もう12時半だ。体もしんどいことだし、今日はもうここで休もう(軟弱ぅ~!)。ふと外を見ると、雨。昨日同様だ。天気を考えれば、やはり今日はガサまでだったか。タトパニへ着くのが予定より1日遅れるので、休養日が無くなりそうである。が、今後は1日にせいぜい3~4時間の行程で、無理せず行くことにしよう。

午後、部屋で休むも、なんだか胃の中が気持ち悪い。昼食のピザがよくなかったのか?夕方、吐いてしまった。夕食は、エッグ・ヌードルスープとデザートにアップルカード(りんご入りヨーグルト)。今夜の客は、どうやら俺だけのようだ。ジョモソムに次いで2度目だ。静かでよい。そして早めに眠り、たっぷりと体を休めよう。

ガサ、ダウラギリロッジにて

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2010年1月24日 (日)

お疲れ? 可愛い動物編

以前「猛獣編」を紹介しましたが、今回は「癒し系」の動物たちの姿、ご覧ください。

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皆、器用な格好で寝てますネー (^_^)!寝ているうちに、木から落ちる、なんてこともあるのでしょうか・・・?そういえば、以前飼っていたインコが寝ているときに止まり木から落ちて、ビックリしたのか小屋の中でしばらく暴れていたことがありました。やがて、我に返ったのか、キョトンとしながら再び止まり木へ。何とも、可愛かったです!

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2010年1月23日 (土)

アンナプルナ周遊トレッキング その19

100Kg の荷をかつぐポーター

4月30日(木)曇りのち雨
マルファ8:00(徒歩)9:30トゥクチェ9:45(徒歩)10:50コバン11:00(徒歩)12:00コケタンティ12:30(徒歩)13:25カロパニ

 6時15分起床。朝食は、チベッタンブレッドとミルクティー。やや曇り気味の天気。そろそろ雨季も近いか?ロッジの娘さんたちの写真を撮らせていただき、住所とそれぞれの名前を書いてもらう。すると、ニールから俺の名前と住所を教えてほしいと頼まれた。逆に聞かれたことは、初めてだ。日本へ帰ってからも、友達づきあい(と言っても、文通しかできないが・・・)できるかな?

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ニール・ゲストハウスの3人娘と親戚の子供。左からシャシー(二女)、トゥルシー(三女)、ニール(長女)です。お世話になりました。

さて8時、ニールのさびしそうな表情に後ろ髪引かれつつも、次の目的地へと出発。トゥクチェへは、ほとんどフラットな道で1時間半。やや肌寒く、セーターを着て歩く。風は弱いが空はどんよりしている。
トゥクチェは、かつて仏教の神髄を求めてチベットへ日本人として初めて入国(密入国)した河口慧海(かわぐちえかい)氏が滞在したところだ。また、地形が似ていることから富山県の利賀(とが)村と姉妹村協定を結んでいる。そのせいか、利賀村をはじめとする富山県の人々がこの地を訪れ、所々に記念のレリーフなどを残している。日本とは縁の深い村だ。

トゥクチェよりカリガンダキ川の河原を行く。ほとんどフラットで楽だ。コバンを過ぎ、コケタンティ近くのバッティで、昼食にヌードルスープを食べる。ここで、幾重にも巻いた塩ビ管を担いで歩く3人のポーターと出会った。さらに奥深い村で、水道設備のために使われるのだろう。3人の中のリーダー格のおじさんに話しかけてみた。

俺;ナマステ。ヨ カティ キロ ツァ? (こんにちは。これ何キロですか?)
ポ;アッシキロ キ エクセイキロ・・・ツァ。 (80キロか100キロ・・・です。)
俺;ワーォ!w(゚o゚)w (担ぐジェスチャーをしながら)チャレンジ OK?
ポ;OK!

背負子に腕を通し、いざ担ごうとするも・・・、びくともしない。下半身に力を入れ、立ち上がろうとするも・・・荷物は微動だにしない。ポーターのおじさんやバッティのおばちゃんたちは大爆笑だ。やはり、ひ弱な日本人には無理なようだ。ネパールのポーター、体は華奢なのに、恐るべき力と体力だ。彼らの日当は、せいぜい50ルピーから100ルピーだそうだ。届けるところによって多少変わるそうだが、いかにも薄給・重労働だ。

俺;タパイィハルコ フォト キチ パニ フンツァ? (あなたたちの写真を撮ってもいいですか?)
ポ;フンツァ (いいですよ)

尊敬の意味も込めて、ポーターたちの写真を撮らせていただいた。昨日の行商のおじさんもそうだったが、少しでも会話してからであれば、皆喜んで写真撮影に応じてくれる。もちろん、お金も見返りも要求しない。

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こんな荷を担いで歩くポーターたち。彼らの体格からは想像できない (゚0゚)!ただただ脱帽・・・。

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トゥクチェ~コバン間。水のない河原を行きます。

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コバン村で。民家の下を道が通っています。

さらに河原を進み、山裾を登り下りしてコケタンティ、ダンプなどの小さな村を過ぎる。小雨がぱらつきだした。天気が良ければダウラギリⅠ峰が眺められるはずだが、この日は全く見られない。

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コケタンティの村が見えてきました。

1時半ごろカロパニ着。久々によく歩いた日だ。カロパニ・ゲストハウス&アンナプルナコーヒーショップに宿を決める。ダブルが40ルピーと高く、ドミトリー(12ルピー)にする。別棟のコーヒーショップへ行くと、メニューは豊富にあるが、昨日のマルファのロッジより高いんじゃないの?と思いつつ、チョコレートケーキ(33ルピー)を食べている。この後はのんびりし、疲れを癒し、明日のタトパニまでのロングウェイに備えよう。

夕食は、ガーリックスープとベジ・エッグ・フライドライスとする。しかし今日は、うるさい連中がいる。つるんでいないと歩けない(旅ができない)のか?こいつらは!だからグループは嫌いだ。うるさいだけ!許せるのは、せいぜい2~3人グループまでだな。
今夜も果たして、ぐっすり眠れるだろうか?昨夜のように・・・?

カロパニ、カロパニ・ゲストハウス&アンナプルナコーヒーショップにて

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2010年1月20日 (水)

アンナプルナ周遊トレッキング その18

なつかしのマルファと美人姉妹

*まず、マルファ村の街並をご覧ください。まさに”白亜の村”と呼ぶにピッタリの村です。マルファは、このルート上ではカグベニと並び、トレッカーに人気のある村です。

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建物はどこもかしこも、白で統一されています。異国情緒あふれる、素敵な村です。

 昼食は12時半ごろ、ガーリック・ヌードルスープにする。ロッジの末娘のトゥルシーが、「ゴホンゴホン」とひどく風邪をこじらせている。それなのに、けなげに一生懸命働いている。俺は彼女に、マナンのドクターから処方して頂いた風邪薬を「食後30分に飲みなさい」と分け与えた。しばらくしたあと、長女のニールが「この薬をくれたのは、あなたでしょ?ありがとう!ところでいつ、どれだけ飲めばいいの?」と尋ねてきた。トゥルシーには英語で説明したのだが、よく理解できていなかったようだ。あらためて、ニールに説明する。この薬を分けてあげたのが良かったのか、俺に対する彼女たちの印象は、すこぶる好いようだ。

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末娘のトゥルシー。当時まだ12才でした。とても可愛い娘でした。

午後はロッジでのんびり過ごし、4時ごろ『おやつタイム』とする。ちょうどその時、馬に乗って村を散策している若い女性と目が合った。彼女はキャンプをしながらトレッキングしているアメリカ人グループのリサだった。彼女も俺に気がつき「ヘイ!ジン!」と言いながら馬から降りて、ロッジの中へやって来た。一緒にトレッキングしているアランとトムも続いて入って来た。彼らはジョモソムから馬に乗ってこの村までやって来て、再びジョモソムへ戻り、1泊した後ポカラへ飛行機で帰るそうだ。そうなると、今回のトレッキングでは、これが最後になってしまう。よくよく考えてみると、今回のトレッキングでも「ジン」と呼んでもらえるようになったのは、最初にリサが話しかけてくれたからではなかったか?彼らはキャンプ(テント泊)で歩いているから、同じロッジというわけにはいかなかったが、それでもほぼ同じ日程で歩いていて、ずいぶん親しく話したものだ。トロンパス越えで一緒だったメンバーは、もう先へ進んでいるだろうから、ここでまた、顔なじみの仲間に会えたのは嬉しかった。

おやつタイムのおやつは、アップルパイとブラックティー。アップルパイはニールが作ったらしい。なかなかおいしい。キッチンにお邪魔してみると、なんと、オープンが備わっているではないか!これには驚いた!!以前来た時、すでに電気は通っていたものの、まさかオープンがあるなんて!電力、足りるのかな?
そういえば、村には図書館もあったし、スビニールショップ(お土産屋)も何件かできて、指輪やネックレスなど色々なものが売られている。う~ん、山奥の村だと侮ることなかれ、ここマルファはなかなか先進的な村だ。7年半前に比べ、本当に大きくなり発展したものだ。しかし、再び村をうろつき、メインストリートを外れると街道沿いとは全く別の、質素な生活がそこにはあった。狭い路地に軒を連ね、まるでトンネルのようにまた迷路のごとく家々が建ち並ぶ。これも、もう一つのマルファの”顔”。

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アップルパイと紅茶で『おやつタイム』です。まさか?! のおやつに (^_^) です。リサが撮ってくれました。

夕食はダルバートにする。40ルピーだ。ポカラへ近づくほど安くなるのだろう。このロッジは娘さんたちが中心になって働いている。3人いるのだが皆、美人ぞろいだ!村同様、素敵な女の子が多いのが目につく。夕食後、彼女たちとキッチンで話をしながら楽しく過ごし、8時15分、部屋へ戻る。

マルファ、ニール・ゲストハウスにて

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2010年1月17日 (日)

アンナプルナ周遊トレッキング その17

”白亜の村”マルファへ

4月29日(水)晴れ
ジョモソム8:30(徒歩)10:40マルファ

アンモナイトを買う

 7時半起床。よく眠れたのかどうかわからないまま朝を迎え、朝食はムスリーとミルクティーにする。8時半出発。チェックポストを通り、かつてここから飛び立ったジョモソム飛行場の横を通り過ぎていく。この日は、ほんの2時間ほどの行程でマルファへ向かう。逆風にあおられ、ニルギリを眺めながら歩く。帽子ではなくバンダナにして正解だ。帽子では風で飛ばされるだろう。

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ジョモソムより、ニルギリ北峰(7061m)と中峰(6940m)。そして飛行場を飛び立つ飛行機。

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ジョモソム~シャング間より、タパピーク(6013m)

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強風の中、このような出で立ちで歩きました。後方はニルギリ。

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シャング付近にて、カリガンダキ川とダウラギリの山々

10時半ごろ、マルファの村に入る。やはり素敵な村だ。かつて泊まったロッジ(オームズホテル)を探すが見当たらず、ニール・ゲストハウスに宿を決める。シングル10ルピー(約30円)、なんて安いんだ!まず、コーヒーブレイクし、長袖のTシャツを洗濯する。そして村の中を散策。石畳の道、白い石造りの建物・・・、この村でしか見られない風景だ。

行商しているおじさんに声かけられる。このおじさん、俺にアンモナイトを売ろうとしている。見ると、手の平よりやや小さいぐらいのサイズ。それでもなかなか立派なもの。だが、まだこの先1週間ほどトレッキングを続ける俺には、今は必要ない。

おじさん;140ルピーでどうだい?
俺;ポカラまで歩くから、まだ道は長いし荷物になるだけだから・・・
おじさん;じゃあ、120ルピーにするから!
俺;ノーノー、いらないって!
おじさん;100ルピーでもいいから、買ってくれないか?
俺;だから・・・、今は荷物になるから、いらないって!

それでも、このおじさん、何としても売ろうと粘る。90、80、70ルピーと、さらに値を下げる。おじさんも、俺と同じ理由で、このアンモナイトが荷物として「重たい」と思っているのかもしれない。それでも断り続ける。そしてついに・・・、

おじさん;トゥデイ イズ ノー ビジネス。50ルピー!
俺;50ルピー?・・・、OK!

おじさんの「今日は商売抜きだ」という心意気に根負けし、初めは140ルピーと言っていたアンモナイトを、わずか50ルピー(約150円)で購入した。そしておじさんに「写真を撮らせてもらえますか?」と尋ねると、喜んで応じてくれた。ロッジへ戻り、このアンモナイトを見せ値段を言うと、「安いワ!良い買い物をしたわネ」と言われた。

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アンモナイトを50ルピーで売ってくれたおじさんです。

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ロッジに戻って、アンモナイトを手にしています。

*この日の旅日記、後半へ続きます。

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2010年1月16日 (土)

アンナプルナ周遊トレッキング その16

ありがとうカグベニ、そしてジェンテン

4月28日(火)晴れ
カグベニ8:35(徒歩)9:15エクレバッティ9:20(徒歩)11:20ジョモソム

 7時15分起床。朝食はポリジにミルクコーヒー。支払いをすると、昨夕頂いたチャンは分かるが、何とベッドルーム代をサービスしてくれた。2回目だからかな。ありがとう。
お礼にロッジの娘さん・ジェンテンさんの写真を撮らせていただく。ジェンテンさんに写真を送ることを約束し、ネパール語で「タパインコ ナム ラ テガナ ヨ レキ ディノス (あなたの名前と住所をここに書いてください)」と話し、「日本から送るから1~2ヵ月後になると思います」と伝え、後ろ髪引かれる思いで、カグベニをスタート。

Img455 ジェンテンさん。膝の上の子は親戚の子供だそうです。彼女は当時まだ19才でした。左の子は親戚の子で”ニロ”という名前だそうです。

カグベニを出てカリガンダキ川の河原を南下。石がゴロゴロし足場が悪い。谷間のせいか風が強く、帽子が飛ばされそうだ。この辺りの山肌、岩肌の自然にできた模様は、実に不思議だ。太古の昔、海底であったというこの辺りは、インド大陸とユーラシア大陸との衝突により、海底が押し上げられ山脈は隆起し、偉大なヒマラヤ山脈が形成されたという。この辺りが海底であった証拠が、アンモナイトの化石である。現地の人々はそれを「神様」として祀るという。
エクレバッティで小休止。皆には「この日の予定はマルファです」と話したのだが、体の疲れ、膝の痛みを考え、ジョモソムまでにしよう。カグベニからは約3時間の行程だ。

Img457 エクレバッティにて。こんな道を歩かなければなりません。

エクレバッティを出ると、ニルギリ北峰(7061m)を仰ぎ見ながら、さらにダウラギリ(8168m)も見えてくる。ジョモソムの村がカリガンダキ川の先に見えてきた。村は見えているのに、なかなかたどり着かない。

Img458 カリガンダキ川を行く隊商。後方の山は、ニルギリ北峰。

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彼方にジョモソムの村が見えてきました。ダウラギリも見えます。

カグベニよりおよそ3時間で大きな村、というより町かな、ジョモソムに到着。中心部から飛行場のある方へと向かい、宿を決める。小ぎれいなロッジだ。ダブル(シングルはなかった)40ルピーと高いが、1人なんだしプライベートを保ちたい。
思い起こせば、初めてネパールを訪れたとき、アンナプルナ・ベースキャンプを経てムクチナートまでトレッキングし、帰路はこのジョモソムから飛行機で約20分、空の旅を楽しみポカラへと帰ったものだ。

昼食は、ガーリックスープにヤクステーキで50ルピー。「やっと肉が食べられる」と思ったが、出て来たものは塊のステーキではなくぶつ切りの普通の焼き肉。ちゃんとしたステーキを期待したのだが・・・、期待する方が間違ってるか。それでも肉が食べられたのだから「よし」としよう。

午後はチャーメ以来8日ぶりのシャワー。シャツやズボンも洗濯。風があるから乾くと思うが・・・。そして体を休め、街をぶらつく。

夕食は、エッグ・スプリングロールとヤクミート、ベジタブル・ヌードルスープ。デザートにカスタードプディン。さらにチャンも飲む。ずいぶん浪費しそうだ。
今日の宿泊客は、俺一人。のんびり気楽に過ごせた。8時過ぎには眠るとしよう。

ジョモソム、エヴェレストロッジにて

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2010年1月14日 (木)

アンナプルナ周遊トレッキング その15

カグベニでの楽しいひととき

 かつて泊まったロッジを捜すが、名前を覚えていない。村の様子や景色で捜してみたが、やはりどこであったか全く分からない。仕方なく、道中の大きな石にペイントで宣伝していた「ニュー・アンナプルナ・ロッジ」というところへ。

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ニューアンナプルナロッジの外観。

中へ入って驚いた!2階客室への階段、屋上テラスへの出口、カギ形に配置されているベッドルーム・・・、7年半前(’84年秋)に泊まったロッジだ!!思わず声高に叫んでしまった。「同じロッジだ!」と。

ベッドルームや廊下を掃除していた娘さんがベッドルームへと案内し、彼女に「7年半前に、ここへ泊まったことがあるよ」と言うと、たいそう驚いていた。「本当なの?」と。俺は「本当だよ。ほら、あそこにある黒いカーテンを出ると、テラスになっていて、カリガンダキ川がローマンタンの方へ流れているのが見えるでしょ?」と、7年半前の記憶を話した。娘さんは「イエス」と言い、それが事実であるだけに、俺が以前にもこのロッジへ来たことがあるということを、直ちに信用し喜んでくれた。そして「でも、ごめんなさい!私はそのころ、まだ小さかったから、あなたのこと覚えていないの」と、話した。そりゃ無理もない。7年半前、ほんの一泊しただけの俺を、覚えているはずがない。

ベッドルームにはベッドシーツも枕カバーも備えてある。今までのところにはなかったことだ。このことも話すと、彼女はややはにかみながらも自慢げに「イエス」と答えた。ダイニングルームも、各テーブルにテーブルクロスをかけ花を飾り、電気も灯りシャワーも完備している。7年半の歳月は、村もロッジも大きく変える。

昼食前に、娘さんとしばらく話をする。彼女に、「カンニ(仏塔門)や郵便局は、以前来た時はなかったよ」と話すと、彼女も「えぇ、その頃はなかったワ!」とうなづき、さらに「電気は、いつ通ったの?」と尋ねると、「2年ぐらい前かしら・・・」と話していた。

昼食は、ベジ・フライドライスにする。しばらくすると、アメリカ人グループもここへ。そして、ノルウェーの女の子たちも。彼女たちは、ロッジに入って来るやいなや俺を見つけ、「ジン!」と言って俺のテーブルへと駆け寄り、相席して昼食を共にした。彼女たちにはずいぶん信頼されているみたいだ。俺としても、まんざらではない。こんな可愛い女の子たちに信頼され親しくしてもらって、嬉しいに決まっている。彼女たちもここへ泊まろうとしたのだが、あいにくすでに満室になってしまったため、泊まることはできなかった。

一休みした後、村の中を散策。まるで『迷路』のようだ。カリガンダキ川のほとりでアンモナイトの化石を探すが、なかなか見つからない。あきらめて帰る途中のガレ場で、あまり良質ではないが、アンモナイトのかけらを拾った。それだけでも満足だ。夕方、ロッジへ戻りアメリカ人グループやガイドにそう言って見せると、皆信じられないように、「ラッキーじゃないか!」と言っていた。

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カリガンダキ川の上流を望む。この先はムスタン王国(半独立の特別自治国)、さらにチベット・・・。

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カグベニの村にて。石を平ぺったく削り積み上げたのでしょうか・・・。

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石門をくぐると・・・、このようになっていました。ここにも、人々の暮らしがあるようです。

夕食までの時間を「ナマステ!オォ、ダイニングルーム ジャロツァ タラ ヤハン デレィ ガラミツァ (こんにちは!おぉ、ダイニングルームは寒いけど、ここはとても暖かいねぇ)」と、ネパール語で言いながらキッチンへお邪魔すると、すぐに椅子を用意して、「ストゥンノス(お座りなさい)」と勧めてくれた。英語とネパール語、そしてボディランゲージを交えながら、ロッジの人たちと言葉を交わす。ロッジのオーナーの「タパイィ ジャパニ? (あなたは日本人?)」に始まり、色々な質問をされる。日本での職業と給料、年齢、結婚しているのか・・・etc。でもさすがに、これらの質問にもそろそろ慣れてきた。いつも訊かれるからなぁ!
ラジオから『レッソン・フィリリ』の歌が流れ、娘さんがそれに合わせ、陽気に歌っている。俺も同調し一緒に合わせて歌うと、皆ビックリしている。ロッジのオヤジさんは、俺が『レッソン・フィリリ』を歌ったことが嬉しくて仕方がないようで、チャン(ネパール風ビール)をご馳走してくれた。そのお礼に『パンコ・パト』を歌うと、みな大喜びだ。ロッジのお母さんは「日本人が”パンコ・パト”歌ってる」と笑顔で話しているし、オヤジさんは、さらにチャンを勧める。アメリカ人グループのガイドのラジも「なぁんだ、ここにいたのか?」と言って、会話に加わる。こうして、楽しく愉快に時を過ごす。

時間もずい分過ぎて、「マ カナ カナ マンラギョ (私はご飯が食べたい;腹減った―!)」とネパール語で言うと、ロッジの人たちは皆、大爆笑!まさか、ネパール語でそう言うとは思ってもいなかったのだろう。お母さんは、もう笑いが止まらない!娘さんは「今ちょうど作っているところだから、もう少し待ってて・・・。」と、笑いながら答える。

この日の夕食は、ダルバート。アップルワインも飲んだのだが、これはキツイ!チャンもずい分飲ませて頂いて、最高の気分で、床に就く。

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ダルバートとアップルワインでディナー!ヘヘッ!嬉しそうでしょ?

カグベニ、ニューアンナプルナロッジにて

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2010年1月12日 (火)

アンナプルナ周遊トレッキング その14

かつて歩いた道、再び・・・

4月27日(月)晴れ
ムクチナート8:10(徒歩)11:35カグベニ

異邦人

 今朝はのんびり7時起床。昨日あれほど早起きし10時間も行動していたのにもかかわらず、よく眠れなかった。疲れ過ぎで体が興奮していたのか、ムスタンコーヒー3杯のカフェインが目を覚ましたのか、何しろほとんど眠っていない。今日はカグベニまでの短い距離だし、ここ2~3日は楽な行程なので、できる限り体を休ませるようにしたい。

ムクチナートを出てジャルコットへ向かう。荒涼とした風景が広がっている。ジャルコットの村、以前より大きくなっているなぁ。さらにカグベニへ。かつて”異邦人(作詞作曲;久保田早紀)”を歌いながら歩いたこの道を、今、7年半ぶりに歩いている。初めてネパールへ来た時、自分が描いていた通りの風景に出合った、あの感動がよみがえる。今、確かにその道を、俺は歩いている。荒涼とした一本道、果てしなく続いているこの道を。

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ムクチナートから見たジャルコットの村。

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ジャルコットの村から。真ん中のゴツゴツした岩山には洞窟住居があったそうです。

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ジャルコットより、ティリチョピーク(7134m)とニルギリ北峰(7061m)。

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ジャルコット~カグベニ間、”異邦人の道”にて。

*異邦人の歌です。よろしければご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=hwT9wxPq4Wk

時折、膝の痛みを気にしつつ、カグベニへ一気に下る。7年半前に比べてずいぶん大きくなり、変わったなぁ。村の入り口にはカンニ(仏塔門)が建っていて、中には色鮮やかな曼荼羅が描かれている。生活用水が流れているところは変わっていないか。

村の中へと入って行く。城塞のようなつくりは、相変わらず”中世ヨーロッパ”の雰囲気をかもしだしている。所々変わったといえば、電柱があり、村外れに向かう道にメンダン(経文が入っているマニ車を備えた石壁;ここを通る時は左側を歩く)があり、郵便局ができていて、さらにムスタン(カグベニから北のローマンタン方面)が外国人の入域解禁となり、境界の検問所がなくなった代わりにムスタン入域のチェックポストができたこと。そして、村全体も広く大きくなったような気がする。

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カグベニ村は、もうすぐそこです。

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村の入り口に立つカンニ。以前来た時には、ありませんでした。

(この日の旅日記、明日以降に続きます。)

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2010年1月11日 (月)

ヨガと酔っ払い・・・

今日は『旅日記』を一休み!年末年始は、何かと「お酒」を飲まれる機会も多かったことと思います。かく云う私も、もうしばらくは続きそう・・・。とはいえ長引く不景気、以前ほどではないですが(笑)。それに年(?)のせいか、あまり深酒しません・・・?(^_^;;
お酒は、ほどほどならば「百薬の長」ですが、度を超すと「毒」にもなるでしょう。健康によくありません。ならば、健康のために「ヨガ」をお勧めします。実際に「酔っ払いのおじさん」たち、いえ「酔いつぶれたおじさん」たちもしているようです・・・?

昨年秋、エルマー&アンジュラ夫妻からメールで送られてきたユニークな写真をご紹介します。「酔っ払いの(酔いつぶれた)おじさん」たちが「ヨガ」をしています。左の「ヨガ」のポーズと右の「酔っ払いのおじさん」、よーく見比べてみてください。ホント!「ヨガ」やってるワ!

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このメールが届いたとき、初めは良く解からなかったのですが、2~3度見ているうちに、納得!大笑いしました。確かに「酔っ払いのおじさん」たちが「ヨガ」のポーズで死んで・・・、もとい、酔いつぶれて寝ています(笑)!

おっと!そこのあなた。まさか・・・?冷や汗などかいていないでしょうネ?私は、未だかつて、これほどまで酔いつぶれたことは、ありません。エッ?「酔っぱらって、記憶を失くしたからだろう?」って?いえいえ、それもございませんヨー (^_^)/!体調さえ良ければ「底なし?」と言われる私 (^_^;; です(笑)。

まだまだエルマー&アンジュラ夫妻から送られてきたユニークな写真や一瞬をとらえた素晴らしい写真は、たくさんあります。またの機会をお楽しみに!

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2010年1月10日 (日)

アンナプルナ周遊トレッキング その13

皆の気遣い

 まだ夜も明けぬ4時。ヘッドランプを点け、凍てつく寒さの中をスタート。標高差700mの登り、先頭を行くパサンはゆっくり進む。そして時々立ち止まっては、列が離れていないか確認している。俺のヘッドランプは冷たい外気にさらされ、バッテリーが弱くなってきた。ここでは、ヘッドランプより普通の懐中電灯の方が役に立つようだ。

やがて夜が明け、気温はやや低下。アイスバーンの道もあり、風もやや出てきた。完全武装していても、寒い。あまりの寒さに誰もが黙々と歩き続ける。立ったまま少しだけ休む時に、すぐ後ろを歩くおじさんとノルウェーの女の子たちと話をするぐらいだ。雪こそあまり積もっていないものの、映画『八甲田山』をふと思い出した。あの映画ほど、切羽詰まった深刻な状況ではないが。それでも俺たちは、先頭を歩くパサンに、ただひたすらついて歩くだけ。

7時40分、ついにトロンパスへ到達。高山病も完全にシャットアウトして、無事5416mの峠へ。皆、安堵の表情を浮かべ、互いの健闘を笑顔で喜びあった。

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トロンパス(5416m)にて。この時間でも、すでに風は強かったです。衣類が風で膨らんでいます。バックの山々は、ダウラギリ山群。

ここを下れば、かつて(1984年)の最終目的地、聖地・ムクチナートだ。7年半ぶりの聖地巡礼。わずか10分ほどで下り始める。ここまで俺を『仲間の一人』として引っ張って来てくれたガイドたちが、「ジン、もう自分のペースで行っていいよ。ここからは皆もそうするから」と言い、皆にいったん別れを告げ、俺は俺のペースで行くことにする。

初めは順調だったが、長くきつい下り坂に、左膝が痛みだす。何しろムクチナートまでは、標高差約1700m!さらに、激しい腹痛に襲われ、ペースが極端に落ちる。岩陰でしゃがみこんでもダメ。便秘?何とかフェディまで下る。薬を飲み3~40分休憩するも治まらず。ここで追いついたラジとアメリカ人の3人は、俺がもうとっくにムクチナートへ向かっただろうと思っていたようで、まだそこにいたことに驚き、そして心配してくれた。ムクチナートはもう見えている。あと1時間ほどの距離だ。俺は彼らに「大丈夫だから」と言って、彼らを見送り、そして再び歩き出した。

激痛に時々座り込みながらも、ゆっくり歩を進める。本当に苦しい。一歩一歩の足の動きが腹の痛みに振動し、ますますペースは鈍る。少し歩いては休み、また歩く。ノルウェーの女の子たちが俺に追いつき、やはり驚いていた。俺の苦しそうな様子を見て、「ムクチナートへ着いたら、誰か人を呼ぼうか?」と心配してくれた。しかし、あと30分もかかるかどうかのところまで来ている。「いや、大丈夫!もう少しだから一人で行けるよ」と答え、彼女たちにも先を促せた。が、少し行っては俺の方を心配そうな目で振り返る。「大丈夫、大丈夫!先に行っていいから」、そう話す。皆に迷惑かけたくなかった。

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ノルウェーの女の子たちを見送った場所から。ムクチナートの村はもう見えています。

とにかくあと少し、何とか1人で頑張る。山道を下りきり、もう平坦な道だけで、ムクチナートは、もうすぐそこだ。目前まで下りてきた。「ここまで来れば、もう大丈夫。まだ2時にもなってないし・・・」と安心したのか、岩にもたれかかって座り込んでしまった。腹を押さえながら、うずくまっていた。と、そのとき・・・、
「Hey Jin!What’s happen?」と言う声。インドネシアのおじさんだ。状態を説明すると、おじさんはガイドのパサンと相談し、おじさんの指示でポーターに持たせていた荷物を自分で背負い、ポーターにパサンの荷物を背負わせ、そしてパサンは残って俺に付き添ってくれた。彼はおじさんにこの日のロッジを教え先に行ってもらい、もうしばらく休んだ後、俺の荷物をパサンは背負い、肩を貸して歩いてくれた。
やっと、ムクチナートだ。フェディから2時間、トロンフェディからは10時間もかかった。普通の状態ならば、もっと速いはずなのだが。

ロッジに着いて、部屋はダイニングルーム前のツイン(シングルはない)に。そしてすぐにトイレへ。下痢だ。小便は黄色どころか橙色をしている。下腹部に力を入れ、気張るだけ気張り、その後もう一度薬を飲んで夕方まで体を横にする。

2~3時間休んでいると、痛みも治まり元気になった。ベッドルームを出てダイニングルームへ行くと、おじさんとパサンがいた。「ジン、大丈夫か?」というおじさんの声に、笑顔で応える。そしてお礼を言う。今日おじさんとパサンには、2度も助けられた。真っ暗闇の中の出発、そして激しい腹痛・・・、おじさんがいなかったら俺は無事に峠を越え、この地にたどりつくことができただろうか?

このムクチナートのロッジはツインが10ルピーと安い。電気もあるし、驚いたことに、なんと”掘りごたつ”がある。しばらくおじさんたちと談笑していると、アメリカ人グループのガイドのラジが「ジン!なぁんだ、ここにいたのか?!」と言って、やって来た。彼はあちこちのロッジで俺を捜していたらしい。「みんな、あなたのことを心配して捜しているんだよ。みんなに『ここにいる』って教えてくるよ」と言って出て行くと、他のロッジに泊まっているノルウェーの女の子たちやアメリカの3人グループがすぐに会いに来てくれた。彼らは、「もし、ジンがムクチナートの、どのロッジにもいなかったら、フェディまでの道を戻り捜しに行こう」と話していたそうだ。「ごめん、ごめん。ありがとう、もうこの通り、元気だよ」と応えた。みんな、本当に心配してくれたんだな!本当にありがとう!もう大丈夫だよ!!

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ムクチナートのロッジの掘りごたつの前で。左端がパサン、右端がインドネシアのおじさん。彼らには本当にお世話になりました。このトレッキングでは、感謝しきれないほど親切に接してくださいました。

夕食は、ガーリックスープにライス。胃腸の調子が悪い時は、こういうものが良いらしい。食後、パサンとムスタンコーヒーを飲み交わす。彼はおじさんのガイドであって、決して俺のガイドではないのに、俺が少々ネパール語を話し、チャンやムスタンコーヒーを好むせいか、すごく仲良くなれた。おじさんも同じ一人旅。顔つきからしても、お互い同じアジアの民族だからであろうか?

ムクチナート、ラリグラスロッジにて

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2010年1月 9日 (土)

アンナプルナ周遊トレッキング その12

トロンパス(トロン峠)を越えて

4月26日晴れ
トロンフェディ4:00(徒歩)7:40トロンパス(5416m)7:50(徒歩)11:15フェディ12:00(徒歩)14:00ムクチナート

早朝のトロンフェディで

 まだ夜が明けぬ午前3時。アメリカ人のグループが起きたようだ。ガイドたちからこの日は「3時起床4時出発」と聞いてはいたが、それはガイドがいるからこそ、その時間に出発可能なわけで、ガイドを雇わぬ俺が1人で真っ暗闇の中、歩いて行けるはずがない。そんなことをしたら、それこそ道を見失い、遭難しないとも限らない。ドゥムレのロッジでも”Missing”と書かれたビラを見ている。俺は4時半か5時に起き、6時には出発、10時までに越えるつもりで、もうひと眠りしようとした。しかし、眠ることができず、このままでは寝過ごしてしまいそうで、俺も起きることにした。

何故、今朝はこれほど早いか?峠は10時を過ぎると強風が吹きすさぶので8時までに越えるのがベストだからだそうだ。俺は、この時間に起きた以上、「先にスタートした人たちの懐中電灯の灯りと足跡を追って行くしかない」と考えていた。荷物をまとめていると、すぐ横で寝ていたノルウェーの女の子たちも起き出したようだ。ヘッドランプの灯りとかで、起こしてしまったのだろうか?

荷物をまとめ、ロッジ内のレストランへ行く。そこにはすでにたくさんのトレッカーが集まっていた。空いているテーブルはほとんどないほどだ。それでも1つだけ空いていた4人掛けのテーブルで、俺一人紅茶を飲みながら、買い置きしておいたビスケットで朝食にする。ふと見ると、ノルウェーの女の子たちも入って来た。空いているところを探しているようだ。俺と目が合い、俺が1人でいるのを見てすぐにやって来た。

「おはよう、ジン!ここ、いいかしら?」
「ええ、もちろん!」
「何飲んでるの?」
「紅茶だよ。向こうで注文できるよ」

彼女たちも紅茶を注文し、そして何か2人で相談している。すると、

「ジン、こんな真っ暗の中、どのようにして行くの?」
「ガイドを雇っているインドネシアのおじさんやアメリカ人の3人グループがいるだろ?彼らがスタートした後に、ゆっくりついて行くつもりだよ」
「やっぱり!私たちもそう思っていたの!」
「そうするしかないでしょう?!こんな真っ暗の中1人で行ったら、おそらく道を見失うよ!」
「ええ、私たちもそう思うわ!」

しかし彼女たちの表情は、まだ不安げな感じだ。お互い、ガイドを雇わぬトレッカー同士。彼女たちはまだ若いし、俺はかつての経験、そして先月の経験もある。彼女たちも、このことは、これまでの会話の中で知っている。そこで、

「もしよかったら、僕たち3人で一緒に行く?」
「・・・!ええ!!もちろんよ (^_^)!」
「じゃあ僕たち3人は、彼らがスタートした後に一緒に行こう!」

彼女たちは嬉しそうに答えた。そして2人顔を見合せながら、「よかった!これで安心ね!」とでも話していたのか、不安げな表情は、もうそこにはなかった。やはり彼女たちだけでは不安だったのだろう。俺という道連れを得て、本当に嬉しそうだった。そしてのんびりと朝の紅茶を味わっていた。

やがて、おじさんたちが出発するのか、荷物を背負って外へと出た。それでも俺は悠然と紅茶を飲んでいた。すると彼女たちが、

「ジン・・・、もうみんな外へ出たけど・・・」
「まあまあ、慌てることないよ。もし、今すぐに僕たちが外へ出てごらん。それは彼らに”僕たちも一緒に連れて行ってください”と言っているようなものでしょ?それは良くないよ。彼らはお金を払ってガイドを雇っているのだから。でも、僕たちはそうじゃない。だから、彼らが出発して10~15分してからスタートすればいいよ」
「確かにそうよネ。OK!あなたの言う通りにするワ!」

彼らが外へ出て10分ほど経って、我々も精算をし、外へ出た。外へ出たものの、まだ暗闇の世界で、周りは何も見えない。そして、誰一人として出発していないようだ。未明の標高4700m、寒さに震えながら3人で身を寄せながら、時には「Which is cold ? Norway ? or here ?」と話しながら、誰かが出発するのを待っていた。5~6分ほどすると、暗闇に目が慣れてきて、多少は周りが見えるようになってきた。月明かりのせいもあるだろう。しかし、あまりの寒さに、俺は彼女たちに、「彼らでなくても、誰かが出発したら、僕たちもゆっくりスタートしよう」と話した。が、その矢先のこと・・・、

「Hey Jin ! You ready OK ? (ジン、準備OKか?)」
その声の主は・・・?そう!インドネシアのおじさんだ!!
「Yes. OK ! 」
「OK !? Let's go ! (OK!?じゃあ行こう!)」
おじさんがそう言うと、ガイドのパサンがそばに来て、
「ナマステ!ジン。ついて来なよ」と言う。
しかし俺だけがついて行くわけにはいかない。ノルウェーの女の子たちと約束した以上、俺には果たすべき義務がある。
「ちょっと待ってくれ!彼女たちも一緒にいいかい?」
「もちろんだよ。一緒においでよ」

パサンについて行くと、そこにはおじさんだけでなく、アメリカ人のグループも待っていた。お互いに「Good morning !」とあいさつしていると、パサンとアメリカ人グループのガイドのラジが何か相談している。2人は一列縦隊で並び歩く順番を話し合っていたようだ。その結果、先頭をパサン、次におじさんとしたのだが、おじさんはペースの速い俺に気を使い、2番目が俺、次におじさん、峠越えのこの日だけ雇ったおじさんのポーター。そしてノルウェーの女の子たち、ラジ、アメリカ人グループ、最後にアメリカ人グループの女の子がやはりこの日だけ雇ったポーターがつくことになった。

ところどころにガイドやポーターといった、峠越えの経験豊富な、頼れるネパール人を配置し、4組、総勢11名のパーティーでトロンパスを目指す。

(この日の旅日記、明日以降につづきます)

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2010年1月 7日 (木)

アンナプルナ周遊トレッキング その11

皆一緒に!そして高山病の予防

4月25日(土)晴れのち曇り
チュリラタール8:15(徒歩)10:45トロンフェディ

 6時50分起床。今日はトロンフェディへ約3時間と言うから、ややのんびりでもいい。朝食はポリジ(粥)。買い置きのガーリックやグラノラも入れて食べる。

準備を整え出発しようとすると、インドネシアのおじさんが、
「ジン、ちょっと待ってくれ。今日はトロンフェディまですぐだから、一緒に行こう」と誘ってくれた。俺も、
「OK!じゃあ待ってます」と答え、荷物を背負ったまま、外で待つ。アメリカ人のグループも外へ出てきた。
「ジン、どうしたんだい?行かないのか?」
「おじさんが”今日は近いから、一緒に行こう”って。だから待ってるところだよ。せっかくだから、みんなも一緒にどう?」
「いいね。OK!今日はみんなで行こうぜ」
ノルウェーの女の子たちも出てきて、みんな出発しないので、
「どうしたの?」と尋ねてくる。彼女たちにも同じ説明をし、もちろん一緒に誘う。彼女たちも、
「OK!」と言って、あとはおじさんの準備が整うのを待つだけ。

8時15分、4組総勢9人でスタート。日本、インドネシア、アメリカ、ノルウェー、そしてガイドたちのネパール、5ヵ国の人々が集まって楽しくトレッキングする。途中、やはりハードな登りが待っていた。ベシサハールより9日目。1日マナンで休んだとはいえ、疲れは少しずつ蓄積されている。それでも皆一緒で和気あいあいとしていたせいか、それほど苦にならなかった。休憩できるバッティ(茶店)が全くなく、チュリラタールでビスケットを買っておいたのは正解だった。いつもなら、皆よりペースの速い俺も、この日は皆と同じペースで歩いていた。

やっとバッティがあるかと思ったら、そこがトロンフェディだった。1軒しかロッジはないが、とても大きい。部屋は、シングルやツインといった個室はすでにほぼ満室。インドネシアのおじさんとガイドは、辛うじてツインに、あとのメンバーは皆同じドミトリーにベッドを確保した。1泊50ルピーである。ドミトリーでこの料金は、さすがに高いなぁ!

トロンフェディは、トロン峠への最後の寄宿地で、トレッカーたちはたった1軒のこのロッジに皆、集まってくる。そのせいか、多くの人でにぎわっている。今日はこの後、のんびり過ごせるが、明朝の出発が早いので、今夜はしっかり眠れるよう心掛けたい。

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トロンフェディにて、インドネシアのおじさんと。見た目は”日本人”?

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トロン峠方面の景色。

昼食は、ベジ・フライドライスに紅茶をスモールポットで、ビスケットも3個買い置きする。先月のエヴェレスト街道トレッキングの教訓を生かし、水分を多めに、ガーリックを食べたりして高山病対策をとる。紅茶がなくなって、水筒にウマレコパニ(沸騰水)を1リットル買う。皆とも楽しく過ごす。

部屋へ戻ると、ノルウェーの女の子の1人がベッドで休んでいる。体調が悪いようだ。軽い高山病であろう。彼女はトロンフェディへ着いてすぐ洗濯をしたようで、
「ヘイ、ジン!お願い、外に干してある私の洗濯物を取り込んでくれない?」
と頼まれた。困った時はお互い様だし、
「OK!ところでどれだい?このTシャツ?他には?」
と、手助け。ニコニコしながら「サンキュー!」と、とても喜んでくれた。そして俺も体を休める。

夕食は5時半ごろ。フライドポテトとオニオンガーリックエッグスープ(メニューにはないが、特別に注文して作ってもらった)。そしてブラックティー。食後は明日に備え早めに休もう。幸い、高山病の症状もなく、あれほどひどかった咳も、いつしか治まっている。マナンのドクターに頂いた薬が、ずいぶん効いたようだ。無理さえしなければ、この先も大丈夫だろう。

トロンフェディ、トロンベースキャンプロッジにて

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2010年1月 6日 (水)

お疲れ? 猛獣編

ドイツのエルマー&アンジュラ夫妻から、しばしばユニークな写真が送られてきます。彼らが撮った写真ではなく、インターネットで見つけた写真のようですが、これらが実にユニーク!思わず笑える写真もあれば、見事なほど素晴らしく、感心する写真もあります。
正月に遊びに来た姉と姪っ子に見せると、「オモシロイ!」「カワイイ!」「何これ?スゴイ!w(^o^)w」の連発。

そこで昨夜、新たに「衝撃!笑劇!写真館」をカテゴリーに加えました。昨年末に掲載した「HOW TO LICK A BOWL ・・・」を、このカテゴリーに入れました。

今日は「お疲れモード」の猛獣さんたち、ご覧ください。

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お正月に食べすぎたり飲み過ぎたりで、こんな感じの人、いませんか (^_^) ?

折に触れ、このような写真、紹介していこうと思います。笑ったり癒されたり、感動したりして頂けたら、幸いです。もっとも、エルマー達からこれからも送られてくるかどうかが鍵となりますが・・・。

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2010年1月 5日 (火)

アンナプルナ周遊トレッキング その10

雪道を行く

4月24日(金)晴れ
マナン7:10(徒歩)8:55グンサン9:20(徒歩)11:15ヤクカルカ12:00(徒歩)13:10チュリラタール

 5時40分起床。後片付けするものが多く、またセーターを買ったため、荷物がもういっぱいである。朝食は、ララ・ヌードルスープにブラックコーヒーとする。

7時10分にスタートし、雪と氷、泥の道をそろ~りそろりと登り続ける。シューズはベタベタ。天気が良いので、やや汗ばむが、雪のため、腰を下ろせるところがない。ゆっくりゆっくり、滑って転んだりしないよう慎重に、呼吸を整えながら進み、グンサンへ。ここまで休みなく雪道を登り続けただけに、ミルクティー2杯飲んでエネルギー補給しながら休憩。

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雪が降り積もったマナンの村と、周辺の山々。(パノラマ風にしました。)

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しばらくはこんな道が続きました。そして雪が溶けだし、泥道に・・・。

ここからはほとんど平坦な道になる。また、雪も徐々になくなっていった。マナン近辺だけ降ったのか?まぁ、マイペースで行こう。

ヤクカルカにて昼食とする。待っている間、近くの水場で髪と顔を洗っていると、ちょうどフライドポテトができたようだ。

それにしても、今日マナンからトロンフェディまで行く人の多いこと!マナンとは標高差1300m位あるはずだ。他のトレッカーのガイドたちも話していたが、この高地で、それだけの高低差を1日で登るのは危険だ。エヴェレスト街道の時も、標高約4300mのディンボチェ村で2泊し、高度順応しようとしたものだ。何人かは明日、高山病で下るのではないか?現に、マナンのロッジでうるさかった連中の1人もトロンフェディから下って来ていた。彼は、ドゥムレへのバスの中から道行く村人の女性に、水をかけていた男だ。きっとネパールの神様が怒って、罰があたったのだろう。さらに、俺が「今日はチュリラタールまで」と言うと、「なぜだ?」と訊くイスラエル人トレッカーもいた。何もガイドブックなどのモデルコース通りに行くこともあるまい。まして一気に標高4700mまで行くなんて・・・。危険を承知で行く必要はない。俺は俺のペースを守って行く。

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チュリラタールにずいぶん近づいてきました。この辺りでは、全く雪がありませんでした。

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周辺の山は、雪化粧しています。アンナプルナⅢ(7555m)とガンガプルナ(7454m)。

昼食を終え、ゆるりと歩きだし、およそ1時間後にはチュリラタールへ。シーズン中しか開けないという2軒のロッジの1軒に泊まることにする。ほとんどドミトリーだけのロッジだ。天気が良いので、ベタベタに濡れたトレッキングシューズを天日に干す。そして高山病予防のために、再び昼食をとることにする。今度はエッグ・ヌードルスープだ。

食べ終えて、シューズを干してあるところでのんびり日向ぼっこしていると、やがていつもの見慣れた顔が次々とやって来た。まず、インドネシアのおじさん、そしてアメリカの3人グループ。マナンでは違うロッジに泊まっていたようだから、2日ぶりの顔合わせに皆、笑顔だ。もちろん彼らもここへ泊まる。やはりのんびり行くべきだ。しばらくして、またしても「Jin !」という声。ピサンのロッジで初めて会ったノルウェーの女の子たちもやって来て、お互いに笑顔であいさつ。彼女たちに聞かれて「俺だけじゃないよ。インドネシアのおじさんもアメリカ人グループもみんな、今日はここで泊まるよ」と話すと、彼女たちもここへ泊まることにした。ロッジの中で皆と話をする。ガイドたちが「マナンではどこに泊まった?」と尋ねる。「俺は”ヤクホテル&ロッジ”」と答えると「・・・!ああ、わかった!で、君たちは?」「俺たちは○○ゲストハウス」「俺たちは○○ホテル」「私たちは○○ロッジ」等々、皆それぞれ違うところに泊まっていたようだ。

午後、キッチンにお邪魔して暖をとる。厨房なので本当なら入らせてもらえないだろうが、先月のエヴェレスト街道での経験上、いつも平気でお邪魔させてもらっている。しばらくして、紅茶を注文しようとインドネシアのおじさんがキッチンに声かける。おじさん、俺がそこにいることに驚いて「ヘィ、ジン!ここにいてもいいのか?」と話す。「エェ、全然大丈夫ですヨ!」と答えると、おじさんもそこに居座ってしまった。おじさんと話をしながら過ごしていると、時々ロッジの女主人が「そこのヤカン、取ってくれない?」とか、「これをそっちに置いてくれる?」などと、平気な顔して客を使う。俺も悪い気はせず、「OK」と笑いながら手伝う。おじさんは大笑いだ!こちらが勝手にお邪魔しているわけだし、返ってこの方が親しみを感じる。これもコミュニケーションの一環だ。

それにしても、夕方は冷える。さすが4000m越えるだけある。夕食はダルバートとオムレツにする。味はやや落ちるも、やむを得ないか。7時半過ぎには体を休めた。

チュリラタール、チュリラタールロッジにて

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2010年1月 4日 (月)

アンナプルナ周遊トレッキング その9

凍えそうな1日

4月23日(木)曇りのち雪
マナン1日滞在

 今朝はやや寝坊し、7時起床。朝食はチャパティとツナ缶にする。肉をずっと食べていないし、せめてツナ缶ぐらい食べておかないと。未だに迷っている。一日休養するか、先へ進むか。昨夜は久々にぐっすり眠れたせいか、体調は良い。しかし、歩きだすと脚の方はどうだろうか。この先2日は、ハードな登りが待っている。迷った挙句、スタートするには遅いし、それに咳も出る。体中がかゆい。あの質(たち)の悪い連中は出発したようだし、この村には医者もいるので、1日ここでのんびり過ごそう。

9時ごろ、医者へ行き、咳と体中のかゆみを訴え診察してもらう。医者は欧米系の女性医師だ。あらかじめ、どのように症状を説明するか、英語で考えておいたのが功を奏し、診察はスムーズに進んだ。女医も俺の体を診て「これ(発疹)はヒドイわね」などと話している。それぞれの薬を頂き、計650ルピー(約2000円)である。
薬の服用時や使用法を本当に俺が理解しているのか、女医に尋ねられた。何しろ日本人は、先進国のわりに英語ができないことは、世界的に知られているからなぁ。俺は女医に説明された通りのことを、ジェスチャーしながら英語で答えた。「風邪薬は食後30分、塗り薬はかゆみのあるところに塗ったら1時間後、シャワーで流し落とす」と。女医は「OK!あなたはちゃんと理解できているわネ」と、にこやかに話してくれた。どうやら俺の英語力も、まんざらではないようだ。

ロッジでさっそく全身のかゆいところに薬を塗り、12時半ごろまで一休み。温かければシャワーを浴びて薬を流し落とすのだが、標高3300mを越えるこの地では寒く、風も今日は強い。当分シャワーは無理だろう。タオルを濡らして体を軽くふき、薬を落とす。そして下着のみ着替え、洗濯をし、昼食。オートポリジ(麦粥)を食べる。

午後は風邪薬を飲んで休み、4時半ごろ、気がつくと外は雪。まさか、雪が降るとは・・・。装備に問題があったようだ。背に腹は代えられず、ウールのセーターと帽子を買う。医者へも行っているので、ここで計算外にも1100ルピー出費したことになる。

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雪が降り出したマナン村。

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寒さに耐えかね、セーターと帽子を購入しました。

夕食は、トマトスープにダルバート。寒いときには、温かいスープと多めの食事でエネルギーを蓄え、そして8時過ぎには眠ろう。

マナン、ヤクホテル&ロッジにて

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2010年1月 3日 (日)

アンナプルナ周遊トレッキング その8

やっとマナンへ

4月22日(水)晴れ時々曇り
ピサン7:30(徒歩)10:00ホンデ10:10(徒歩)12:45マナン

 6時15分起床。やや頭痛がする。体中が虫に食われてか、痒くてたまらない。マットからシュラフや衣類に虫がついてしまったのだろうか?頻繁にシャワーを浴びてもこれだもんな。薬をそれこそ全身に塗らないとダメだな。

朝食はツァンパ(麦こがし)ポリジとレモンティー。今日はいよいよマナンへ。今日1日頑張って、明日は休みたいだけ休むぞー。

ピサンを出るとラバのカッチャー(隊商)に出会う。何頭続くのか?しばらくきつい登りとなるが、峠まで来ると一気に下りになり、眼下にはホンデまで続くフラットな道が延びている。その先もほとんどフラットらしい。足と肩を休めながら、ゆっくり行こう。

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ピサンを出てすぐに出会ったラバの隊商。おしゃれに着飾っています。

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ホンデからマナンへと続く道。彼方にはヒマラヤの峰々が。

ホンデからさらに平坦な一本道を行く。ひたすら延々と約2時間、ブルガ村。大きなゴンパ(お寺)を眺めながらマナンへと進む。彼方にわずかだが大きな村が見えてきた。マナンであろう。あと一息だ。フラットな道をどんどん進み、やっとマナン。

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ブルガ村の様子。

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ブルガ~マナンにて。メンダンとチョルテン(仏塔)。タルチョーと呼ばれるお祈りの旗が風になびいています。このようなところでは”左側”を歩くのが決まり。

思ったほどの村ではないが、ロッジには物が豊富にある。シャワーは今日は水が止まって使えないらしい。当然、洗濯もダメ。そしてそれほどの村でもないし、明日は先へ進もうか?シングル1泊70ルピーと高いし、ドミトリーでさえ30ルピーだもんな。

午後は、ツナ缶、ビスケット、グラノラ、ティッシュ、ガーリックの買い出し。ガーリックの皮むきに時間を費やす。少しはパワーになるだろうか?

夕食は、ベジ・フライドライス。今日は、村が大きくロッジも多いせいか、いつものメンバーとは別々になってしまったようだ。それどころか、カトマンドゥからドゥムレのバスの中から、道行く村人に面白半分に水筒の水をかけたり、休憩地でもやたらと騒いで周囲のひんしゅくを買ったグループがいる。そしてここでも、周りの迷惑お構いなしに騒いでいる。静かにできない連中だなぁ。彼らが明日もここへ滞在するのなら、迷わず出発、出発するのなら休息日にしよう。

マナン、ヤクホテル&ロッジにて

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2010年1月 2日 (土)

世界的女優の命日、と・・・

 皆さま、あらためて・・・

あけまして おめでとう ございます

本年も、「慕辺未行 古い旅日記」、よろしくお願いいたします

ところで今日、1月2日。偉大なる世界的人気女優の命日なのです。彼女は17年前(1993年)のこの日、まだ63才という若さでお亡くなりになりました (;_;) 。彼女の名は・・・、「オードリー・ヘップバーン」。

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『ローマの休日』をはじめ、『マイ・フェア・レディ』『ティファニーで朝食を』など、数々の名作映画を生みだしたヒロイン。私が生まれる以前の映画ながらも、そう感じさせない不思議な魅力がありました。ユニセフ親善大使としても、ご活躍なされました。もし今、生きていらっしゃれば・・・80才になります。私は今でも彼女のファンです。これほど美しく可愛い女性、この世の『奇跡』です。

それともう一つ・・・。私が放浪癖(?)となり、あちこち1人旅するようになったきっかけの日、それが今から30年前の1980年のこの日です。当時、受験1か月前の高校三年生。にも拘らず、3泊4日の旅に出かけたのが、この日でした。ふつう、行くかぁー?その時期に!でも当時の私は、同じクラスの友達と約束していたのです。彼の推薦入学が決まったら、「正月に一緒に旅しよう」と。その代わり、旅の前後は『死に物狂い』で1日十数時間も受験勉強にいそしみました。
で、30年前のこの日。紀伊半島の、とあるユースホステルで出会った女性。3つ年上でしたが、笑顔が素敵な愛嬌のある女性でした。翌日も偶然同じユースホステルになり、さらに次の日も行動を共にしました。その時、他にも数人の旅人がいたのですが、彼女ほど「初めて会った人なのだろうか?」と思わせるほど、親しみやすく気さくな人はいませんでした。その時出会った人々のほとんどが「受験1か月前?」と聞いて、批判的な意見ばかりの中、彼女だけは「旅ができるだけ、余裕があるんだから、絶対大丈夫ヨ!それぐらいの余裕がなきゃねぇ~!」と話していました。
「2人はさぁ、高校卒業したらどこか旅するの?」との問いかけに、私と友達は「九州へ行く」と答えました。もっとも私の場合、『大学入試合格』が条件ですが。彼女は、母親の実家が長崎だそうで、おばあ様の介護のため、母親と一緒に長崎へしばらく引っ越すことにしたそうです。だから「その時私、長崎にいるよ」と言い、私と友達は「ヤッタ!長崎でガイドができた!」と喜びました。ただ私はあくまで『大学入学』が条件。しかしそれも、彼女の応援と長崎の、とある有名な神社に祈願してくださった御蔭か、私は大学も決まり九州へと旅しました。
そして紀伊半島で出会っておよそ2ヶ月後、長崎にて再び彼女に会うことができました。しかも当時高校生の私のお財布事情を考慮してか、彼女は「長崎へ来てユースホステルに泊まるのなら・・・」と、彼女の母親のご実家に泊めていただきました。3日ほど過ごさせていただきましたが、本当に楽しかったです。あちこち観光へ連れて行ってくださったり、ときには喫茶店で『おしゃべり』を楽しんだり・・・。

「旅の面白さ」「出会いの素晴らしさ」を教えてくれた女性、そして今の私がある。そう言っても決して過言ではない、と思います。年末、彼女から『喪中』の知らせが届きました。今でも年賀状だけですが、お付き合いが残っています。

あれからもう30年・・・。早いナァ・・・。

*10月、そしてクリスマスに「慕辺未」で検索してこのブログを見に来られた人がいます。今回は「慕辺未行」で検索して昨夜見に来ていました。いったい何が目的なのだろうか?ちなみにIPアドレスは「150.48.245.162」。私のブログ友達のところへも「偵察」に行ってやしないか心配です。私の予想では、次はバレンタインのころに見に来そうな気がします。

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2010年1月 1日 (金)

年賀状

  初春のお慶びを 申し上げます

皆様のご健康とご多幸を、お祈りいたします。
本年もよろしくお願いいたします。

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寅年生まれの私、私の部屋にも↑のような「虎」がいます。
あまり明るいニュースがない昨今ですが、今年は「虎」のように、勇猛果敢な一年を送りたいと思います。

2010年 元旦
慕辺未行

新しい年に、この曲を送ります。今年も「さぁ、やるゾ!」という気になるかな・・・?

http://www.youtube.com/watch?v=VIx4ft54N4U

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