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2009年12月19日 (土)

アンナプルナ周遊トレッキング その2

砂埃にまみれて

4月16日(木)晴れ
ドゥムレ8:20(乗り合いダンプ)14:45ベシサハール

 6時20分起床。ポリジ(粥)とホットレモンで朝食とし、バスの予約。ベシサハールまで75ルピー。しかし、やって来たのは、バスではなくダンプ。7時発と聞いていたが、いっこうに出発の気配なし。そうこうして待っているうち、客はどんどん増える。「なるほど、こういう魂胆か!」

8時20分ごろ、荷台に家畜でも運ぶかのように、隙間なく座りこんでいる人々を乗せ、ダンプは走る。座っていても立っていてもしんどい。道路は建設途上で未舗装のため、縦にも横にも揺れるうえ、ダンプの荷台ではまともに砂埃をかぶる。

ボテドールにて昼食休憩となる。顔や手を洗いに行くと、なんて悲惨!全身砂まみれである。黒い帽子が砂で真っ白になっていたのだから。他の旅行者と「まいったナァ!」って感じでお互いに笑っていた。ここでダルバート(25ルピー)を注文し食べ始めると、欧米からの旅行者たちはどう注文したら良いのか分からないようで、俺に尋ねてきた。メニューもない店だから仕方がないのだが、俺が「”ダルバート”と言えば、これが食べられますよ」と教えると、皆同じように注文し、ダルバートを食べていた。もし俺がいなかったら、彼らはここで食事をすることができただろうか・・・?

昼食後、ダンプは再びベシサハールへと走り出す。14時45分到着。アァ疲れた!何はともあれ、ロッジを探しシングル(30ルピー)をとると離れの部屋に案内された。そして砂にまみれた衣類をすべて洗い、シャワーを浴びる。一仕事終えて、ファンタ・オレンジを飲みながら休憩。

夕食はベジタブル・フライドライスとブラックティー。「何時頃用意しますか?」と聞かれたので「6時ごろ食べたい」と答えておいたのに・・・、あ~ぁ、6時半過ぎてる。ビスターリ(ネパール語で”ゆっくり”)、ビスターリ。他の宿泊客を見ると皆、欧米からのカップルばかりで3組6人。なんかこの国へ来て「30才独身」って、肩身が狭いナァ。ふと、カウンターのショーケースを見ると「Missing!」と書かれた捜索願いのビラ。どうやらネパールのこの地を旅して、行方不明になっている男性を捜しているようだ。俺は決してそうならないようにせねば。このコースは1人で行くのだから、十分に気をつけよう。

さんざん待たされて、やっとできた夕食。それにしても今日はずいぶん粗食のような気がするなぁ。明日からは本格的な旅、トレッキングのスタートだ。ビタミン剤でも飲んでおくか!
部屋へ戻ると、洗濯したものは、ほぼ乾いている。これなら明日の朝には完全に乾いているだろう。

Img391

かなり長い間、待たされています。「おなかすいた~!」
ショーケースの右下に行方不明者の捜索願いが貼られています。

ベシサハール、ホテル・トゥクチェピークにて

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コメント

かなりお疲れの顔ですね。私が疎開から帰ってきたときは貨物列車の箱の中でした。戦後の日本を思い出しました。それよりは食事はずっとましかも知れませんね。もっともあの頃だって闇で買えば色々食べられたのかも知れませんが。
行方不明がたくさんいるということは危険が伴うということですね。


hannaさんへ

縦揺れ横揺れのダンプ、到着してすぐに洗濯、お腹が空いているのに食事がなかなかできない・・・。ホント、この時は疲れていたと思います。戦後の日本、闇市などもあったりしたそうですね。ネパールも食事は質素でしたが、そのころの日本よりは良かったのかな?たとえダンプでも、貨物列車の箱の中よりはマシ?!
私がこのネパールの旅に出立する前、日本の新聞で「ネパールでトレッキング中に遭難し、水とチョコレートだけで20日以上彷徨い助かったオーストラリア人がいた」記事を読みました。それだけに慎重になりました。そう言えば、離れのシングルの部屋の壁に「ヤモリ」がいたことを思い出しました。「ヤモリ」=「家守」とも言いますが、行方不明などにならず、今も無事なのは、「ヤモリ」のお陰もあるのかも・・・?

投稿: hanna | 2009年12月19日 (土) 23時30分

Missingの貼紙は リアルにちょっと緊張しますね。 登山などは一人では 家族は絶対行って来いとは言えませんが、慕辺未行さんのような旅は 一人旅でも 反対はできない微妙なラインですね。   これからも 慕辺未行さん一人でお出かけの時は お気をつけくださいね。
山と言えば 今回の片山さんの富士登山事故は かなりショックでした。  あの方は 相当人間的にも高級な方だという印象を持っていました。  きっと復活するでしょうが・・


bellaさんへ

亡き父も生前、ずいぶん心配していました (^_^;;!かつてインドで、あのようなことがありましたし、父にとってはネパールはインドの属国のような国。無理もないかも・・・?
中東・中近東などの、紛争や、日本人旅行者が事件に巻き込まれやすい国と違い、ネパールの人々は比較的皆、温厚です。トレッキングは、「ちょっと標高が高いところにある村々を訪ね歩くハイキング」のようなもの。心配されるほど、危険ではないですヨ (^_^)!
片山右京さんの富士登山同行者の遭難死、私もちょっとショックでした。今回は南極へのトレーニングの一環だったそうですが、この事故でその計画を取りやめされたそうですね。冬の富士山、新田次郎さんの著書、『芙蓉の人』でも、その厳しさが描かれています。自然の恐怖を改めて知るとともに、亡くなられたお2人のご冥福を心からお祈りいたします。

投稿: bella | 2009年12月22日 (火) 22時26分

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