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2009年12月

2009年12月31日 (木)

良いお年をお迎えください

 この一年、私のような男のブログを読み続け、かつ、コメントしてくださった皆様、本当にありがとうございました。お世話になりました。心から、お礼申し上げます。m(u_u)m アリガト

昨夜、ブログを書きながら、ちょいと一杯・・・。おつまみは「鶏皮の唐揚げ」。hannaさ~ん、作ってみました (^_^) 。って、小麦粉つけて揚げただけですが・・・(^_^;; 。半分は塩のみ、半分は塩コショウをかけてみました。どちらも、美味しいぃっ!書いているうちに冷めてしまって、レンジでチン!それでもパリッパリでした (^_^) 。

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小麦粉のまぶし方が、まばらです (^_^;; 。でも、お酒のつまみにはサイコー!

クリスマスまでの間、キッチンのサイドボードに我が家にある「クリスマスグッズ」を総動員して飾ったのですが、もうすぐお正月、ということで、それらしいものを探し飾ってみました。少しは「めでたい」雰囲気になったかな?

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縁起ものです。恵比寿様に大黒様。宝船に、小さな七福神。

玄関にも、お正月の花飾り、活けました。Photo

来年の干支は「寅」。実は私・・・「年男」です。ハイ、24才(×2)になります。私の場合、肉食獣の虎ではなく、むしろ気の小さな猫ですが・・・。とは言っても、普段は大人しくて気まぐれな猫も、時として虎のように牙をむくこともありますが・・・。匿名性の高い、顔の見えないこのネット社会で、常識・良識を持たない人間、誠意を踏みにじるような人間、数多く見ました。それらの人に対しては、牙をむくこともあります。危害を加えたり、名指しで公に誹謗中傷するなど、低俗なことはしませんけどね。「やられたからやり返す」では、彼らと同じ人間になってしまいますからネ。「縁」を切り、ひたすら「無視」するだけです。「無手勝流(?)」です。

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普段の私は、こんな感じのおとなしい「虎」ですヨー (^_^)!ちょっと、可愛すぎる・・・?

とまぁ、グタグタと書きならべました。こんな私ですが来年も、皆様よろしくお願いいたします。m(u_u)mヨロシク!

最後に、「素晴らしい2010年、良いお年をお迎えください」
Einen guten Rutsch ins neue Jahr 2010 !

慕辺未行 (Jin、dsching、ジン)

さて、年越しそば食べよー (^_^)!

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2009年12月30日 (水)

アンナプルナ周遊トレッキング その7

皆が呼ぶ

4月21日(火)晴れ
チャーメ7:15(徒歩)9:15バラタン9:55(徒歩)12:45ピサン

 6時10分起床。今日もぐっすり眠れなかった。何故だろう。朝食はポリジ(粥)。ピサンまではおよそ5時間。のんびりゆっくり行こう。

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チャーメより、ラムジュン(6983m)。

ゆっくり歩いているはずだったが、わずか2時間でバラタン。地図上に示す位置が必ずしも正確とは言えないか。ここからピサンまでは約3時間。たぶん登りだろうし、マイペースで行こう。ミルクティーを2杯飲み、ビスケットとガムを買って休憩。ガーリックも少し買い込んでおく。

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バラタンより、アンナプルナⅡ。

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バラタンにて。峡谷を吹く風が強い。

ここからの道がやや急になるが長くは続かない。一気に登りフラット、また登りフラット。そしてアップダウンもなく、森の中からふと見ると、巨大な一枚スラブ(岩壁)、まるでパラボラアンテナのようだ。その迫力に圧倒され、30分ほど休憩しながら眺めていた。その間に、いつものメンバーたちは次々と俺に追いつき、追い越して行った。

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バラタン~ピサンにて。森の中を行くが、暑い。

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森を抜け、振り返ると巨大な一枚壁の山。

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ピサンの村に到着。

ピサンに到着して、「どのロッジにしようか?」と思った矢先、どこからともなく「Jin !」と俺を呼ぶ声。するとさらに「Jin !」「Jin !」と!声のする方を見ると、あるロッジの2階のテラスにいつもの顔が・・・。そして彼らは「ジン!ここで一緒に泊まれよ!」と俺を誘ってくれる。だが、テラスを見ると空いているところがないほど、すでにたくさんのトレッカーがいる。
「部屋は空いているか?大丈夫か?」と聞くと、アメリカ人のグループのガイドのラジが、
「大丈夫だ。俺が泊まれるよう交渉するから!」とテラスから降りてきて話してくれた。部屋はドミトリーしか空いていなかったが、せっかく皆もいることだし、ここに泊まることにする。

昼食は、ララヌードルスープとチャン(ネパールの地ビール)も飲む。そしていつものメンバーで、楽しく過ごす。

ここのロッジは、今までのところに比べると設備的にはやや劣る。部屋もそうだが、水道もなく、水は大きな樽に用意されているのみ。もちろん電気などない。しかし、食事のメニューは他と比べても遜色なく、豊富にそろっている。
が、この不便さのようなものが、俺が求めていたヒマラヤ・トレッキングではなかろうか。人が生きるための『原点』に帰る、古の時代を彷彿とさせる旅。今までのところが、特にエヴェレスト街道は電気があり、部屋も良く、食事も良かった。人々も皆、人懐こい。しかし、アンナプルナ周遊の旅へ来てからのロッジでは、今一つ、ほのぼのとした雰囲気が感じられない。この辺り、特にドゥムレからの東側ルート(裏ルート)は、どちらかといえばトレッカーもそれほど多くないからか?

夕食は1階の食堂(?)でとるようで、皆でそちらへ移動する。食堂へ入ろうとしたら、我々を同じグループと思ったのか、2人組の女性がテーブルに着く順番を遠慮したが、皆「構わないよ」と、俺の隣に彼女たち、前にインドネシアのおじさんとアメリカからのグループが着席する。
初めて会った彼女たちに、あいさつがてら国を訊いてみた。「ノルウェー」から来ているそうだ。二人とも、とても若くて可愛い顔つきだ。俺も自己紹介し、さらにインドネシアのおじさんを「彼も同じだよ。日本人だよ」と冗談を言うと、おじさん「ノーノー、ジン!何言ってるんだ!」と笑いながら答える。彼のガイドやアメリカ人グループたちも皆、大爆笑!彼女たちは、「きょとん」としていたが、おじさんがインドネシアから来ていると解かって納得。「でも、彼は日本人に見えるでしょ?」と訊くと、彼女たちは、笑いながら「イエス」と答えていた。

いつものメンバーの中に、すっかり溶け込んだ彼女たち。エヴェレスト街道の時もそうだったが、ただ「話す」だけでなく一緒に「笑う」こと、これがお互いに「うち溶けあう」秘訣なんだ。

夕食は、ベジ・スプリングロール(野菜春巻。とはいえ、野菜はポテトだけだった)とフライドポテト。ポテトだらけの食事となったが、あまりに量が多く、食べきれなかった。

ピサン、アンナプルナホテル&ロッジにて

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2009年12月29日 (火)

ふぅ~っ!終わった......

 仕事納めでした。年をとるごとに、一年がアッ!という間に終わってる気がします。私もこんな感じ↓でグッタリ・・・しています(笑)!弱肉強食の世界で、鋭い眼で獲物を狙う猛獣も、この姿を見ると可愛いですネ (^_^)!(この2枚の写真も昨夜の写真同様、エルマー&アンジュラ夫妻から送られてきました。他の動物の写真も多数あります。年明けにドドーン!と公開します・・・?)

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仕事の話はブログには書かない主義(愚痴の方が多くなりそう・・・)ですので、今日はこのココログでのブログを振り返ります。

考えてみれば、昨年の10月から始めているのですよね~!開設当初からの読者様(hanna様、ウンディーネ様、青龍○段様)、今年になってから知り合いました読者様(bella様、Saas-Feeの風様)、本当にいつもいつもありがとうございます。もっともっとブログ仲間を増やしたくて、自分からも色々探し、気に入ったブログはしばらく読み続け、コメントも残させていただいたのですが、いかんせん相手は・・・?こちらへは一度きりで、その後は「なしのつぶて」。一度も訪問して頂けなかった人の方が多いかも・・・?今現在、定期・不定期的にコメントしてくださるブログ友達は、上記の5人様!だけ。う~ん・・・、あと数人・・・、ブログ友達が欲しい・・・。って・・・結局、愚痴ってしまいました (^_^;; 。

私のブログはタイトル通りの「古い旅日記」で、「旬」の話題ではない「過去ばかり振り返る」内容です。それでも、作家や著名人の著書を読むように、私のかつての旅日記、読んで頂けたら…と思います。

アッ!そうそう・・・。アンモナイトの化石、いくらで購入したか?答えを書かなければ・・・(^_^;;
皆さんの予想を見ると、100円前後か1~2000円、でした (^_^) 。で、正解は・・・、
50ルピー≒150円」でぇーす(^_^) !
詳しいいきさつは、今書いている『アンナプルナ周遊トレッキング』のどこかで出てきます。それにしても、安かったでしょ?その代わり、荷物が少し重くなりました。

今年もあとわずか。皆さま、よいお年をお迎えください。

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お・ま・け。帰宅すると、玄関にはいつも、花が活けてあります。和みます (^_^) 。

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私の部屋にも・・・!花のある生活、心癒されます。ブログを続けられる活力源?!

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2009年12月28日 (月)

HOW TO LICK A BOWL ...

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「アッ!生クリームだぁ...おいしそう...!」

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「なめたいけど...届かない...前足なら届くかな...?ダメだ...」

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「じゃあ...中に入っちゃえ!...ヘヘヘッ...誰も見てないよネ!」

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「あ~おいしかった!...きっとばれないよネ...」

なんか「4コマ漫画」のようになってしまいました。ワンちゃんのセリフは、私がこの写真を見て勝手に思いついただけです (^_^;; 。
実はこの写真、エルマー&アンジュラ夫妻から送られてきました。彼らは時々、このようなユニークな写真を送ってくれます。近頃「ジャーマン・ジョーク」が解かりかけた私には、「大笑い」してしまう写真もあります。彼らから届いたユニークな写真、今後もブログの中で紹介していきます。

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2009年12月27日 (日)

アンナプルナ周遊トレッキング その6

アンナプルナⅡ峰を見ながら

4月20日(月)晴れのち曇り
バガルチャップ7:30(徒歩)12:50チャーメ

 今朝も6時起床。片付けにいつも30分はかかっている。風邪は全く治らず、喉がやられているようだ。朝食にレモンティー、ホットチョコレート、アップル・パンケーキ、チーズオムレツを注文し、用意が遅れ、スタートは7時半となる。チャーメまでは4~5時間だから、のんびりでもいい。

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バガルチャップ付近にて。アンナプルナの山々をバックに。

今日はさほどきつい登りもなく、でもやはり登りでは、ずいぶんペースが落ちる。時折アンナプルナⅡ峰を眺めながら、30分おきに休憩をとる。途中、リンゴを食べたり、足の痛みを気にしながらコトへ。さらにチャーメまで進む。

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コト付近より、アンナプルナⅡ(7937m)

チャーメは銀行、郵便局もある大きな村だ。商店も建ち並びロッジも多い。どこにしようか迷ったが、シャワーを浴びたくて、吊橋を渡った右側にある大きなロッジにする。シャワーを終え洗濯も済ませて出てくると、またまたいつものメンバーが集まっている。

「Hey Jin ! 君もここにいたのか!」と声掛けられる。

彼らはこの時ちょうど、「ジンは、今日どこへ泊まったのだろう?」と、噂していたそうだ。インドネシアのおじさんも、アメリカ人グループも、そして彼らが雇っているガイドたちも、1人でトレッキングしている俺を気にかけてくれている。とてもありがたく、嬉しいことだ。
特にガイドたちは、俺が少しネパール語を話せるせいか、何かと声掛けてくれるし、このコース上の情報や注意点なども、たくさん教えてくれる。例えば、俺の地図に書いてあるモデルコースでは、この先のマナンを出たらその日は一気にトロンフェディになっているのだが、彼らの話では「高山病の危険があるから、その手前のチュリラタールで一泊する」そうだ。また、トロンフェディでは「朝3時起き4時出発」らしい。俺が驚いていると彼らは、「トロンパス(峠)は風が強い。8時までに越えるのでベスト。遅くても10時までには越えた方がいい。」からだそうだ。とても良い情報を得ることができた。

それにしても、あれほど多くのロッジがあり、打ち合わせも何もしていないのに、皆ここに集まって来た。類は友を呼ぶ?のか。不思議なものだ。

そういえば今日は、昼食を食べていないなぁ。昨日より夕方になると、やや寒い。やっぱりトレーナーかセーターは必要だったか。とりあえず長袖のTシャツ、マフラー、ウィンドブレーカーで寒さを防ぐ。しかし、洗濯したもの、特にウールの靴下が乾きそうにない。

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ロッジのベッドルームで。このような感じでで寒さをしのぎます。

チャーメは大きな村だけあって、電気がある。しかも、わりと明るい。6時に夕食、ダルバートにする。30ルピーか、こんなもんかな。そしてしばらく皆とくつろいだ後、ドミトリーで自分1人、ゆったり眠ろう。皆と話をしていてもいいのだが、体調が万全とは言えない今、やはり休むことを心掛けたい。

チャーメ、ニューチベッタンホテルにて

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2009年12月26日 (土)

アンナプルナ周遊トレッキング その5

Jin (ジン) と呼ばれて

4月19日(日)晴れ
チャムジェ7:00(徒歩)9:30タル9:45(徒歩)11:50カルテ12:20(徒歩)13:00ダラパニ13:10(徒歩)14:00バガルチャップ

 午前6時起床。しかし昨夜は、ほぼ一晩中咳き込んで、ほとんど眠っていない。咳がうるさくて、他の宿泊客に、ずいぶん迷惑をかけたのでは・・・?洗濯物を片づけ、チベッタン・ブレッドとコーヒーで朝食とする。

7時出発。何人かのアメリカからのトレッカーと話をするようになり、お互い自己紹介しあう。彼らにとって4音節の俺の名前(本名)は発音しづらいようで、
「...、But my nickname is Jin. Please call me "Jin".」
と話し、こちらでも「Jin」と呼んでもらう。キャンプしながらトレッキングしているアメリカ人グループの女性、リサは、
「"Jin" is very easy.」と答えていた。呼びやすいし、覚えやすいのだろう。
こちらで出会うほとんどのトレッカーが、ガイドやポーターを雇っている。俺は1人のんびりゆっくり、マイペースを保ちながら歩く。それでも、俺のペースが一番速いようだ。

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チャムジェより、ヒムルン・ヒマール(7126m)

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サッタレ付近より、アンナプルナ方面。

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タル付近より、マナスル方面。

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タル~カルテ間にて。アンナプルナⅣ、Ⅱ、ラムジュンが見えます。

カルテにて昼食は、エッグ・ヌードルスープ。そしてダラパニまでおよそ30分。顔見知りになった皆が昼食をとっているところで俺も少し休憩。そこからバガルチャップまで1時間弱。昨日と違い、良い天気。

今日は初めのうちは登りが続き、タル付近では平坦な道が続いた。その後はゆるりとした登り。左肩甲骨と両足、特に膝に疲れを感じるが、まだ歩き始めて3日目。先は長い。とにかく1人なんだから、気楽に気長に無理せず行こう。

バガルチャップに到着し、ロッジのテラスで紅茶を飲んでいると、インドネシアから来ているおじさんがやって来た。
「Hey Jin ! Do you stay here today ?」
「Yes !」
するとおじさんはガイドと話をして、彼らも同じロッジにチェックイン。さらにアメリカ人のグループ(男性2人、女性1人)とガイドもやって来て、同じように声掛けられ、彼らも皆「じゃあ、ここへ泊まろう」と、皆が皆、同じロッジに泊まることになった。

夕方近い時間に、髪を洗い体を少し休める。ろうそくの明かりの中、夕食となる。10人ほどの客しかいないが、ほとんど知っている顔ぶれで賑やかだ。俺は、ベジ・エッグ・フライドライスとガーリックスープ、ムスタンコーヒー。その前にチャンも2杯飲んだっけ。

食後、皆と話をしていたが、風邪のせいでやはり疲れているのか、皆に英語で
「I'm very tired and I have a cold sickness. So I sleep. Good night.」
と言って、寝ることにする。
とにかく毎日がハードだから、栄養と休養をとることを心掛ける。

すでに多くの顔見知りのトレッカーやガイドもいるし、毎日同じ村、同じロッジで「Jin」と呼ばれながら過ごすのは、一人の寂しさを感じない。

バガルチャップ、タカリーホテルアンドロッジにて

*文中の『キャンプしながらトレッキングしているアメリカ人グループ』と同じロッジに泊まった『アメリカ人グループ』は別グループです。

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2009年12月24日 (木)

メリークリスマス!

 今日は、クリスマス・イヴ。ということで、慕辺未行(ボヘミアン)こと dsching (ジン)からクリスマスのごあいさつです。

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このカードは、ドイツの友人エルマー&アンジュラ夫妻から、昨日メールと共に届いたものです。自然のクリスマスツリーですネ!

そして私も昨日、メアドを知っている方々にクリスマスカードとメール、送らせていただきました。お気に召されたでしょうか?カード(絵葉書ですが)、保存しておくと来年以降、クリスマスカードとして誰かに送ることもできますヨー (^_^)!

メアドを存じ上げてない方もいらっしゃいますので、ここであらためてご挨拶させていただきます。

いつもいつも、こんな拙い私のブログを読んでくださる皆様へ

Merry Christmas !

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2009年12月23日 (水)

アンナプルナ周遊トレッキング その4

バッティ(茶店)で通訳!

4月18日(土)曇りのち雨
バフンダンダ7:00(徒歩)9:00ゲルム9:20(徒歩)11:40ジャガト12:20(徒歩)13:45チャムジェ

 6時起床。荷造りをすませ、缶フルーツ(パイナップルの缶詰)で朝食とし、スタート。やや曇り気味の天気。やはり一人だと、すべてマイペースでできるし、だれにも気兼ねしなくてすむ。変に妥協したり、ということもなくていい。涼しいうちに少しでも先へ進もう。

ふと見ると、村の少女が水場で水を汲んでいた。一言声をかけ、その姿を写真に撮らせていただいたのだが、何やら怒っている様子だ。言葉の行き違いがあったのだろうか?怒らせてしまった以上、写真を撮ることそのものが失礼だったのかもしれない。

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ポリタンクに水を汲む少女。この付近ではまだ水道もガスも電気も通っていませんでした。今は・・・どうだろう?

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マルシャンディ川。周遊ルート前半は、この川沿いを遡って行きます。

今日もマイペースで、休みたいときに休み、のんびり過ごしたいところではのんびりする。ジャガトに着く手前のバッティでは、本当にのんびり楽しく過ごした。紅茶にしようかファンタにしようか迷ったが、この先ファンタはもっと高くなるし、暑かったこともありファンタ・オレンジ(25ルピー;カトマンドゥでは7ルピー)にした。川の水で冷やしただけのものではあるが。そしてお店のディディ(おばちゃん;本来は”お姉さん”という意味)に「チュロット エウターマッタラ ディノス(タバコを1本だけください)」と言って売ってもらう。そして香ばしい香りの炒り豆(”ダルマス”というらしい)を、少し試食させてくれた。「ラムロー(おいしい)」と言うと、さらに分けてくれた。

やがて香ばしい匂いにつられてか他のトレッカーがやって来て、店のこのおばちゃん(ディディ)に声かける。英語がほとんどできないおばちゃん、多少ネパール語ができる俺、おばちゃん、そのトレッカーの言葉が解からないみたいで俺に通訳を求めてくるだもん。

トレッカー:What is this ?
おばちゃん:???(”何て言ってるの?”というような顔で俺の方を見ている)
俺:ウハ ”ヨ ケ ホ?” ボルヌツゥ (彼は「これは何?」って言ってるよ)
おばちゃん:ダルマス
俺:ダルマス。Dal mean bean,Masu mean meat.
トレッカー:Can I test?
おばちゃん:???
俺:・・・(どう訳そうか?)、ウハ ”ダルマス アリカティ カナ OK?” (彼はダルマスを少し食べていいですか?って)
おばちゃん:OK
俺:Is it good ?
トレッカー:Yes ! Very good !
俺:ウハ ”ダルマス デレー ラムロー” ボルヌツゥ (彼は「ダルマスはとても美味しい」って)

そのトレッカーは、どうやらダルマスが気に入ったようだ。そして、

トレッカー:How much?
おばちゃん:???
俺:カティ パイサ?(いくら?)
おばちゃん:エクカップ ティンルピー(1カップ分で3ルピー)
俺:1cup 3Rs. Are you OK?
トレッカー:OK!

というような会話のやり取りをして、ダルマスは売れた。おばちゃん、すっごく喜んでくれたワ!たった1カップ分だけど、「あなたが売ってくれたのよ」と(たぶん)言っていた。俺にとっても、とても楽しかった。ファンタを飲みながら、タバコは結局2本吸い、ダルマスもたくさん食べさせてくれた。
支払いをしようとすると、「25ルピー」・・・?って、おばちゃん、ファンタの代金しか取ろうとしない。タバコも吸ってるし、ダルマスもずい分頂いているのに・・・。おばちゃん曰く、「ダルマスもタバコも、私があなたにあげたのよ」と言う。それどころか、さらにこの先へとトレッキングして行く俺にダルマスを1カップ分、袋に入れて「食べながら行きなさい」とジェスチャーしながら、土産に持たせてくれた。
おばちゃん、ホントにありがとう!!スッゴク楽しかったし、嬉しかった!!

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バッティのおばちゃん。忙しく働いています。これでもお店です。

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おばちゃんが撮ってくださいました。

そこから20分ほど登り、一気に下るとジャガト。昼食は卵入りのララヌードルスープと紅茶にする。チャムジェまでは、ゆるりゆるりと登り坂。けっこう、しんどい。途中で休憩。レモンティーを飲む。咳ばかりしていたので、バッティの母親がまだ小さな娘さんにニンニクを持たせて、俺に「食べなさい」と言ってくれた。この優しさ、気配りのお礼にと、もう1杯レモンティーを頼むと、またニンニクを持ってきてくれた。体に効くからってジェスチャーしながら。ありがたいなぁ!!竹編みの、一見粗末なバッティほど、人情味あふれている。ここでも支払いはレモンティー代のみで、ニンニクの分はやはり取ってもらえなかった。

さて、時折雷が鳴る中、チャムジェへ到着。2時過ぎには風も強く吹き出し、早めに着いて正解だった。3時過ぎには雨となり、明日の天気が気にかかる。夕食は5時過ぎだ。ベジ&エッグ・フライドライスとムスタンコーヒー。ニンニクを食べ、薬を飲んで5時半過ぎには体を休める。衣類が乾くかどうか心配である。

チャムジェ、チベッタンホテルにて

*通訳したネパール語は、必ずしも正しいネパール語ではありません。あくまで”カタコト”レベルにすぎません。あしからずご了承ください。

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2009年12月20日 (日)

アンナプルナ周遊トレッキング その3

初日のロングウェイ

4月17日(金)晴れ
ベシサハール7:30(徒歩)11:20ブルブレ12:10(徒歩)13:30ナディ13:40(徒歩)15:45バフンダンダ

 6時20分起床。洗濯したものはすべて乾いてザックに整頓。これが意外に時間がかかった。ザックを背負っての徒歩旅行(トレッキング)は、荷物の詰め方一つで、ずいぶん負担が違うからだ。朝食は、ミルク・ハニー・ポリジ(はちみつ入りミルク粥)にレモンティー。
*「軽いものは下へ、重いものは上へ」が基本的な荷物の収納です。頻繁に使うものは、たとえ軽いものでも出し入れしやすい上の方、またはポケットなどに入れます。

7時半、さぁいよいよ出発。ベシサハールの街は南北に長い。商店街のようなところを30分ほど歩くと山間の道となり、トレッキングルートとなる。マルシャンディ峡谷を行く。比較的平坦な道で、荷物を背負っている背中以外は汗をかかない。

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ベシサハール~クディーで。マルシャンディ川沿いを歩きます。

クディー付近にて、小学校の建設基金の寄付を募っている人がいた。そこで俺も100ルピー寄付。どこまで本当か分からないが、多くの人々が協力しているようだし、まぁいいか。
マルシャンディ峡谷へは、多くの滝が流れ落ちている。やがてマルシャンディ川にかかる吊橋が見えてきた。橋を渡るとブルブレの村だ。

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このような滝が、あちらこちらで見られます。ヒマラヤからの雪解け水でしょうか?

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吊橋を渡ると、ブルブレの村です。

ブルブレにて昼食、エッグ・フライドライスにファンタ。50分ほど休憩し先へ進む。ナディまで1時間半弱。ここからバフンダンダまでは、まだ2時間はかかるという。ゆっくりゆっくり進む。時々、さほどきつくはないが、登りがある。バフンダンダへあと30分というところでティータイム。そして最後の登りを登りきって、バフンダンダへ。休憩を含め8時間15分である。初日にしては、長い道程だ。

この日の宿泊客は俺一人かと思ったら、やがてガイドを伴った1人の男性。お互い「ハロー」とあいさつし、国を訊ねあった。彼の国を聞いて内心「あー、英語で話してよかった」と思った。実は、ガイドを伴った1人旅のこの男性、インドネシアから来ているそうで年齢は50才。しかし、その顔は「まるで日本人」と思うほど!もし日本語で声掛けていたら「???」となるところだった。
俺が「あなたは日本人に見えますよ」と言うと、彼は笑いながら、「カトマンドゥでは日本語で”こんにちは”とか”トモダチ”などと、よく声掛けられたよ」と話していた。初めは全く意味が解からなかったらしいが、慣れるにつれ”こんにちは=Hallo””トモダチ=Friend”と、理解できたそうだ。彼の顔つきから、ネパールの人たちも、彼を”日本人”と勘違いしたのだろう。日本人の俺でさえ、そう思ったぐらいだから。

夕方はのんびり過ごし、夜7時ごろ、夕食はダルバートとムスタンコーヒー(ロキシーのコーヒー割り、ロキシー=ネパールの焼酎)。エヴェレスト街道・トレッキング同様、相変わらずムスタンコーヒーを飲もうとしている。そして8時過ぎには体を休めた。

バフンダンダ、ラクシミ・トレカッカーズホテルにて

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2009年12月19日 (土)

アンナプルナ周遊トレッキング その2

砂埃にまみれて

4月16日(木)晴れ
ドゥムレ8:20(乗り合いダンプ)14:45ベシサハール

 6時20分起床。ポリジ(粥)とホットレモンで朝食とし、バスの予約。ベシサハールまで75ルピー。しかし、やって来たのは、バスではなくダンプ。7時発と聞いていたが、いっこうに出発の気配なし。そうこうして待っているうち、客はどんどん増える。「なるほど、こういう魂胆か!」

8時20分ごろ、荷台に家畜でも運ぶかのように、隙間なく座りこんでいる人々を乗せ、ダンプは走る。座っていても立っていてもしんどい。道路は建設途上で未舗装のため、縦にも横にも揺れるうえ、ダンプの荷台ではまともに砂埃をかぶる。

ボテドールにて昼食休憩となる。顔や手を洗いに行くと、なんて悲惨!全身砂まみれである。黒い帽子が砂で真っ白になっていたのだから。他の旅行者と「まいったナァ!」って感じでお互いに笑っていた。ここでダルバート(25ルピー)を注文し食べ始めると、欧米からの旅行者たちはどう注文したら良いのか分からないようで、俺に尋ねてきた。メニューもない店だから仕方がないのだが、俺が「”ダルバート”と言えば、これが食べられますよ」と教えると、皆同じように注文し、ダルバートを食べていた。もし俺がいなかったら、彼らはここで食事をすることができただろうか・・・?

昼食後、ダンプは再びベシサハールへと走り出す。14時45分到着。アァ疲れた!何はともあれ、ロッジを探しシングル(30ルピー)をとると離れの部屋に案内された。そして砂にまみれた衣類をすべて洗い、シャワーを浴びる。一仕事終えて、ファンタ・オレンジを飲みながら休憩。

夕食はベジタブル・フライドライスとブラックティー。「何時頃用意しますか?」と聞かれたので「6時ごろ食べたい」と答えておいたのに・・・、あ~ぁ、6時半過ぎてる。ビスターリ(ネパール語で”ゆっくり”)、ビスターリ。他の宿泊客を見ると皆、欧米からのカップルばかりで3組6人。なんかこの国へ来て「30才独身」って、肩身が狭いナァ。ふと、カウンターのショーケースを見ると「Missing!」と書かれた捜索願いのビラ。どうやらネパールのこの地を旅して、行方不明になっている男性を捜しているようだ。俺は決してそうならないようにせねば。このコースは1人で行くのだから、十分に気をつけよう。

さんざん待たされて、やっとできた夕食。それにしても今日はずいぶん粗食のような気がするなぁ。明日からは本格的な旅、トレッキングのスタートだ。ビタミン剤でも飲んでおくか!
部屋へ戻ると、洗濯したものは、ほぼ乾いている。これなら明日の朝には完全に乾いているだろう。

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かなり長い間、待たされています。「おなかすいた~!」
ショーケースの右下に行方不明者の捜索願いが貼られています。

ベシサハール、ホテル・トゥクチェピークにて

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2009年12月17日 (木)

アンナプルナ周遊トレッキング その1

   ~トロンパスを越え、かつて歩いた道、再び・・・~

バスの旅

4月15日(水)晴れ
カトマンドゥ7:00(バス)16:30ドゥムレ

 午前5時50分起床。 買い置きのパンは、やや硬くなっていたが、急いで食べ、6時20分、ゲストハウスを出発。イミグレーション・オフィスの前には様々のバス、ほとんどがポカラ行きなのだが、自分が切符を手配した代理店によりバスが決まっている。予約しておいた代理店のバスを見つけ、予約の確認をし、バスに乗る。

ほぼ7時ちょうどにバスはスタート。1時間20分ほど走って休憩タイム。スンタラ(みかん)を買う。さらに1時間ほど行くと、交通事故か崖崩れでもあったのか、バスやトラックなどが遥か先より連なってストップしている。外は暑苦しく、じっとしていても汗ばんでくる。いつになったら動くことやら。

それにしても、やっと”1人旅”ができるんだ!カトマンドゥは、今回の旅の意味からすれば、トレッキングの合間の生活と情報、準備の拠点。先月のトレッキングもダージリンも1人ではなかった。これで俺本来の旅ができそうだ。だからと言って、先月のエヴェレスト街道・トレッキングやダージリンへの旅が「俺本来の旅ではない」と言えば嘘になる。それらの旅もやはり俺の旅である事に違いはない。なぜならば、ネパールという”旅先”で、偶然出会った人たちと共に旅をしただけのことだから!こんなことは日本国内でも、ユースホステルを利用しながら旅をしていたころ、数え切れないほどあった。

バスは少し動いては止まり、また動いては止まる。小さな村で食事休憩。ダルバート屋さんがなく、ビスケットとチャイですます。14時50分、やっとムグリンだ。ここまで来るのに予定の倍以上の時間がかかっている。マンゴージュースにサモサ、ヨーグルトを食べる。順調ならムグリンへは午前中に到着し、1時間の昼食タイムの後ポカラへ向かう。ドゥムレには13時過ぎ、ポカラへは14時ごろには到着しているはずなのだ。

ムグリンから先、バスは飛ばし過ぎるほど順調に走る。他の乗客、明らかに外国からの観光客なのだが、彼ら数人が道を歩いている人に向かって窓からペットボトルの水をぶちまけていた。突然のことに驚き「何をするの?」といった表情のネパール人女性が走り去るバスを睨みつけていた。水をかけた当の本人たちは、大喜びで手を叩き、笑い、騒いでいる(言葉からすると、たぶん・・・○○人?)。嫌な光景だ。常識を疑う。俺にはあんな心ないことは絶対にできない。

16時30分ドゥムレ着。多くの乗客がここで降りた。これだけの人々がアンナプルナを周遊しようとするのか?今日はここドゥムレにて宿を探し、明朝ベシサハールへと向かおう。

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ドゥムレの街(村?)に到着。この道がカトマンドゥ~ポカラを結ぶ国道です。

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ドゥムレで泊まったゲストハウス。1階はレストラン、2階がベッドルームです。

夕食はダルバート(22ルピー)とチャン(ネパール風ビール)。ベッドはドミトリー(相部屋)で20ルピー。これらの料金が今後、山へ入るにつれ、どのように変わるのだろうか?

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ゲストハウスのベッドルームにて

ドゥムレ、マナン・ゲストハウスにて

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2009年12月13日 (日)

捜しものは・・・

そろそろ大掃除の季節が近づいてきました。
「今日(昨日のことです (^_^;; )するにはちょっと早いな・・・」と思い、とりあえず不要なものだけでも処分するなり、しようと少しずつ整理整頓し始めたところ・・・、ふと目にとまった本棚にある小さな石。

「そういえば、もっと大きなのがあったな!それにあれも・・・!」

で、「捜しもの」の開始です。「押し入れの中のどこかに必ずあるはず・・・」とガサゴソ捜してみると、ややほこりかぶった袋からお目当ての「あるもの」を発見!さらに、あの「得体のしれないもの」も・・・!

これらはいずれも、「1992年ネパールの旅」で手に入れたもの。先ほど写真に撮りましたので、お見せします。

Photo

ただの黒い石・・・?いいえ、ただの石ではありません。これを二つに割ると・・・

Photo_2

アンモナイトの化石です。なかなか見事なもの(?)でしょう。何やら、ゴールドやシルバーに輝くものが付着しています。現地の人曰く、「これらが付いているものは”高く売れる”」そうです。よほどのことがない限り、売るつもりはないですが・・・ (^_^;; 。
(ライターは、大きさの目安にと思い、置きました。)

遥かなる太古の昔、ヒマラヤの麓が海だったことの証明!ですから、数億年も昔の「アンモン貝」が化石になったものでしょう。人類誕生以前の、地球の長~い歴史のロマンですネ!
このアンモナイトを買った場所といきさつ、値段については、明日以降に書き始める「アンナプルナ周遊トレッキング」のどこかで出てきます。それまでどうかお待ちを・・・。

そしてもう一つの捜しものは・・・、

Photo_4

これ、何だと思います?私にも本当のことはわかりませんが、おそらく「ヤクの骨」だと思われます。真ん中にいくつか突き出ているのは「歯」です。ですから、「上あご」か「下あご」のどちらかでしょう。

これは、エヴェレスト街道トレッキング中に偶然見つけて拾い、物珍しさもあって持ち帰ってきました。拾ったところはナムチェ村付近だったはずです。あの辺りで、このような大きなあごを持つ動物といえば「ヤク」しかいないと思います。ですから私はきっと「ヤクの骨に違いない」と信じています。亡くなったこのヤクの「ご冥福」をお祈りします。オム・マニ・ペメ・フム・・・(チベット仏教の祈りの言葉です)。

こんな妙なもの、他の人から見れば何の価値のないものを、後生大事に残しています。これらも私にとっては、「旅の大切な思い出の一つ」です。

さぁ、今年もあとわずかになりました。最後の追い込みです。帰宅も遅くなりがちで、ブログの更新が、次回いつできるかどうか分かりませんが、なにとぞご了承ください。

*さて、問題です (^_^) 。写真のアンモナイトの化石、その頃のレート(日本円)でいくらで買ったでしょうか?1992年当時$1=¥120(1ルピー=3円)ぐらいだったと思います。ちなみに、その頃1食分に費やすお金は、安いところで20ルピー、高いところで100ルピーぐらいでした。よろしければ、皆様の予想、お待ちしています m(u_u)m 。

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2009年12月12日 (土)

相変わらず風邪が・・・

4月13日(月)

 午前8時30分起床。買い置きのバナナとオレンジで朝食とする。その後、特にすることもなく、風邪が相変わらずなので、部屋で体を休める。11時半ごろ、昼食に出かける。オアシス・レストランにてエッグ・フライドライスとフライドミート・モモにする。

午後、部屋に戻り横になっていると、ルームキーパーがやって来て、ちょうど居合わせたマッサージャーのアンジュさんに、「風邪で鼻水が出たり、のどが痛い」と言ったら、中国製の”瑞草油(ズイチョーユー)”という薬を貸してくれた。これを直接のどや胸に塗布したり、湯に入れて上から毛布などをかぶり、その湯気を10~20分、呼吸すると良いそうだ。確かにスーッとして気持ち良い。
そして明後日のドゥムレまでのバスチケット(150ルピー)を手配する。午前7時発だ。

夕食は、ヤク・レストランでチキンカツレツにエッグサラダ(計80ルピー)。ここ最近、食事にずいぶんお金を費やしている。トレッキングに出ればどうしてもダルバートやポテト、ララヌードル(インスタントラーメン)がメインとなり、肉類はほとんど食べられないから仕方があるまい。

夜、ゴビンダと話していると、彼の月給はわずか800ルピー(約2500円)だそうだ。このうち300ルピーは親へ、200ルピーは貯金、残り300ルピーが月々の小遣い。ちょっと辛いね。いくらこの国でも1日10ルピーでは、コーラを飲んだりするのがやっとだ。我々日本人が、いくら忙しく、狭い家に住んでいても、彼らが日本を羨ましがり、「ネパールは少しも良くない」と言う本音も、解かる気がする。日本の実情を彼らが知らなくても、こうして目の前にいる我々は海外へ、しかも俺は長期にわたって来ているのだ。彼らには日本がきっと「黄金の国」のように思えるのだろう。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

4月14日(火)

 8時半起床。昨夜は酒を飲まなかったせいか、体の休めすぎか、明け方4時ごろまで眠れなかった。今朝は、バナナとオレンジ、紅茶、グルコビタD(ビタミン補給食品)を摂る。

10時にアメックスオフィスにて、失った$20・T/Cの再発行。わずか2日、ポリスレポート(警察の盗難証明書)もなしで。こんなことなら初めからアメックスだけにしておけばよかった。

11時ごろ、ザ・マンダラ・レストランでケーキとコーヒー。ゲストハウスへ戻りシャワーに洗濯。そしてアンジュさんにマッサージを施してもらう。明日以降のアンナプルナ周遊・トレッキングに備えてのことだが、日本から多少疲れてきている体は、なかなか回復しない。

夕食は、レストラン・ブルーベルにて、ビーフ・ストロガノフとトマトチーズ&オニオンサラダにミントティー。サラダにはサラダクリームがかかっている。とても美味しい。けど、ヤク・レストランと比べると高いナァ。

帰り道、明朝用のドーナツ、キャンディーを買う。タバコはなるべく控えよう。シャンプーが小さな容器に入って50ルピー。何と高い!

ゲストハウスへ戻り、トレッキング中に預けておく荷物をまとめる。先日買った Lowe の70リットルのザックにいっぱいだ。日本へエアカーゴで送る荷物はこれ以上に増えるから、ど
うなることやら。
この9日間の支払いは、日本への長距離電話(3分450ルピー)も含めて、1650ルピーにもなってしまった。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*次回からの旅日記は、「アンナプルナ周遊トレッキング」を書き綴ります。「エヴェレスト街道」とは、また違った雰囲気を味わっていただけるかと思います。カテゴリーも新設し「1992 アンナプルナ周遊」にまとめます。引き続き、楽しんでいただけることを願っています。どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします。m(u_u)m!

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2009年12月10日 (木)

う~ん、なんだかなぁ...

4月11日(土)

 8時30分起床。9時、パブラムが呼びに来る。オーナーが話をしたいと。昨日の件だ。同室のフランス人はT/Cの使い方を知っているのに盗む理由はないし、ハウスキーパーは使い方を知らない。結局、警察は呼ばないようで、これでは再発行できないかも・・・。

どこか釈然としない。盗難事件が起こった以上、オーナーは彼らをこっそり呼んで聞いたのだろう。元をただせば、俺のミス。俺は彼らに「不愉快な想い」をさせたことに、自分自身腹を立てていた。同じ「不愉快な想い」をさせるのなら、いっそ警察を呼んで白黒はっきりさせてほしかった。そうすれば、潔白にも関わらず疑われた人たちに対して、少しでも「申し訳」が立つ。なんだか、何もかもやる気がしなくなった。

本屋へ行って、日本の文庫本(古本)「日本の昔話(松谷みよ子著;講談社文庫)」を見つけ、買って読む。こんな気分のときには、幼いころによく読んだ昔話が心を落ち着かせてくれる。

昼食は、オーメイ・レストランで麻婆豆腐とライス、ジャスミンティーでおよそ100ルピー。高いだけあってウマイ!

午後も本を読み続け、夕食はケーキとバナナラッシーのみにする。あまりお腹が減っていなかったから。

日本を出て、もう50日余り経ち、旅の半分は過ぎただろう。みんなは元気でいるのだろうか?

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

4月12日(日)

 午前9時起床。よく寝たような寝てないような。それにしても暑い朝。体がダルイ。10時半ごろ、アメリカン・エキスプレスへ紛失したT/Cの再発行手続きに行く。意外にも、ポリスレポートもないのに明後日には再発行されるとのこと。こんなことなら、T/Cすべてアメックスにしておけばよかった・・・。
*当時、東京銀行とネパール銀行は送金の手続きはできましたが、T/Cの再発行はできませんでした。
しかし、この結果14日に予定していたトレッキングのスタートが1日遅れることになった。まぁ、まだバスの予約まではしていなかったからいいか。

昼食は、古都レストランで玉子丼としょうが焼き。しょうが焼きはなかなかイケル。ダラダラとゲストハウスへ戻り、風邪薬を飲んで一休み。そしてシャワー。2日に1回は浴びている。何しろ暑くて汗をかく。

夕食は、ヤク・レストランにてチョウミンとトマトサラダ。この間食べたサラダが美味しかったから。それにしても、帰国後のことを考えると頭がイタイ。ウ~ン、久しぶりに北海道へでも行ってみようか・・・?
風邪気味なので、8時過ぎには体を休める。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年12月 8日 (火)

ケアレスミスで・・・

4月10日(金)

 8時30分起床。朝食はヤク・レストランにてコーンフレークとコーヒーにする。そしてロイヤルネパール航空のオフィスへ行き帰国便の予約。5月17日(日)午前9時発で予約完了。しかし、残り1日しかビザに余裕がない。ストさえなければ大丈夫なのだが・・・。

ゲストハウスへ帰る前にエアカーゴ(航空貨物)の料金確認。およそ4000ルピーほどかかりそうだ。チペッタン・クラフトコレクションへ行き、先日買った財布のファスナーが壊れていたので、新品と交換して頂いた。

昼食は、タイ料理店にてトムヤムクン。バンコクでさえ1~2度しか食べていないのに、なぜかここで食べたくなった。どうせ帰りに何日かはタイに滞在するつもりだし、少しでもこの味に慣れておきたかった。少し辛いかな。エビとマッシュルーム、ごぼうが入っていて、エビがなかなかウマイ。

ゲストハウスへ戻り、午後2時ごろシャワーを浴び部屋へ戻る。ドアが開かない。あれ?同室のフランス人は外出したのか。フロントでキーをもらい部屋の中へ。シャワーを浴びている間に部屋の掃除もハウスキーパーがしたようだ。ウエストバッグを開けると、うん?財布の位置がおかしい。あれ?100ルピー足りないような・・・?ザックの中に入れておいた貴重品を調べると、東京銀行のT/C・$20が4枚、アメックスのT/C・$20が1枚、計$100のT/Cと現金100ルピーなくなっている。w(゜O ゜)w
どういうことだ・・・?サインのしていないT/Cを・・・。まして同じ$100なら、なぜアメックスのT/Cだけにしないのか?犯人は?はっきり言って信じられない。俺の不注意といえば、それまでだが・・・。

ゲストハウスでは、他の宿泊客に不快な思いをさせたくないからか、黙っていてくれと言う。どうも警察には知らせたくないようだ。しかし、再発行の利くT/Cだ。こちらも困る。自宅へ電話し、今回のことは伏せて、あと$300来月送金してもらうことにする。
他人を疑いたくはないし、犯人捜しは警察の仕事。ゲストハウスが警察に知らせたくないというのなら、どうすることもできない。
でもこれは、やはり自分のケアレスミスで起こったこと。明日からは貴重品は常に腰に巻き、シャワーの際も手放さないようにしよう。

夕食はステーキを食べに行った。やや風邪気味なのが気にかかる。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年12月 7日 (月)

ささやかなクリスマス飾り

外を歩けばどこもかしこも、クリスマスムードに包まれています。きれいで可愛らしく、ファンタジーな装飾、きらめくイルミネーション・・・。子供たちや若いカップルには、待ちに待った楽しくてロマンチックなシーズン。
しかし、私のようなおじさん世代は、「ジングルベル」が聞こえてくると、いやでも「年の瀬」を感じます。40代後半の独身男にとって、数多あるクリスマスソングは、年の瀬のあわただしさを感じさせるメロディーなんですヨ (^_^;;!←本音です。

自宅へ帰れば、決して一人ではないけれど、一緒に過ごすのは年老いた母(77才)だけ。「クリスマスも何もあったもんじゃない!」のですが、それはそれでやはり「季節の風物詩」。先日、自宅にあるクリスマスグッズなるものを捜し、キッチンにあるサイドボードの一角に、まとめて飾ってみました。

Photo

我が家にあるクリスマスグッズ、総動員?

大きなサンタクロースと、その前にいるトナカイ、手前真ん中の「水の中にいるサンタ」、右奥のサンタクロース(オルゴールになっています)はすべて、サンタクロースの故郷・フィンランドから我が家へと永住しています (^_^)。
ツリーは、スイッチを入れると、内蔵されている電球がチカチカと点滅しながら光り、同時にクリスマスソングメロディーも、いくつか流れてきます。

母はこれを見て「賑やかでいいなぁ!」と、ご満悦 (^_^) 。私としては、それなりに「クリスマス」を演出。独身中年と年寄り家庭の、ささやかな「クリスマス飾り」です。

そうそう、我が家にはこんなものもあります。やはりフィンランドから買って帰って来たものですが・・・。

Photo_2

毛皮です。何の毛皮でしょうか・・・?「熊!」ですか・・・?ブゥーッ!正解は・・・、
「トナカイ」です (^_^) 。

フィンランド北部のラップランド地方では、猟に出かけテントで夜を過ごすとき、トナカイの毛皮を敷いて眠るそうです。確かに暖かそう・・・。私はこれを、一昨日から布団とシーツの間に敷いて眠っています (^_^)/ 。背中がすこぶる温かいでぇーす (^_^) happy!ホント!
まだ、サンタクロースになった夢は、見ていませんが…、そのうち見るかなぁ~?!

皆さんはこの季節、どのようにお過ごし?そして、どんなクリスマスをお過ごしになるのでしょうか?我が家は極めてつつましく、ささやかです。

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2009年12月 6日 (日)

イングリッドとも再会!

4月9日(木)

 午前8時20分起床。9時ごろ、アヌが来宿。ダージリンの旅の写真とネガの一部(アヌとゴビンダだけで撮ってあげたもの)を分けてあげた。ネガは半分以下になり、バラバラに。ネガの整理が大変だなぁ。トレッキング後に撮った写真も、自分が写っていないものは焼き増しせずにいたら、48枚も減っていた。それだけたくさん皆の写真を撮ってあげてたわけだ。

その後、イミグレーション・オフィスへ行き一番で並ぶ。パーミット(許可証)が24日で1704ルピー(滞在2カ月目のため)+200ルピー(アンナプルナ入域料)、ビザ延長14日で10ドルはイタイ!受け取りは夕方だ。

申請後、街をぶらつく。ネパール・フラッグ40ルピー、絞り模様のハデなズボンを150ルピーで買う。欲求不満がやたら散財につながっている。これじゃ1日5ドルなんて無理。写真代などを含めると1日20ドル以上は使っていないかなぁ。やはりガイド代が高かった。あれで300ドルぐらいは出費しているはず。これだけ余分にあれば・・・。60ドル分のスリもイタイ!他人のために400ドル(約52000円)以上は使ったことになるのか・・・。ウ~ン、反省点だな。

1時ごろ、街で突然「Jin(=dsching、ジン)」と声掛けられる。イングリッドだ。彼女はカラ・パタールまでエルマー・アンジュラと共にずっと同行した後、さらにゴーキョ・ピークへ行き、再びジリの村まで歩いたという。かなわないナ!のべ38日だもん。スゴイワ!後ほど会う約束をして、ゲストハウスへ戻りシャワーを浴びる。

ロードハウスカフェという喫茶店でイングリッドと待ち合わせ、ティータイム。「シェルパシチュー・ファミリー」、「ムスタンコーヒー・ブラザース」などと、思い出に笑い転げながら、楽しいひと時を過ごした。トレッキング中に撮った写真をプレゼントしたら、コーヒー代はご馳走してくれた。エルマーとアンジュラは今頃ドイツへ帰って過ごしているんだろうね。英語力の乏しい俺でも、少しは会話ができるんだ。

そしてカフェを出て、一緒にイミグレーションへ行く。パーミットを受け取り、イングリッドとはそこで別れた。

ゲストハウスへ戻り、黙って出てきた俺の日本の仲間たちへ、初めて手紙を書く。裏切り者の俺、でも結局、冷徹にも卑屈にもなれない。「どうしようもないな」と思いつつ、所在を知らせることにした。

夕食はヤク・レストランにて、ポーク・フライドライス(豚肉入りチャーハン)とエッグサラダ。サラダがとてもフレッシュでドレッシングがいい。明日は、ロイヤルネパール航空へ帰国便の予約でもしておこうか。アンナプルナ周遊へ出かけた後では、ビザの日数が限られているから(ネパールの滞在ビザは年間3ヵ月まで)、トレッキング前にしておかねば。

新情報として、3月よりムスタン王国(ネパール国内でありながら、特別に半独立自治が認められている;カグベニ以北、ローマンタン方面。ツーリストは入域禁止)が、入域可能になったらしい。多くの個人旅行者が、この情報に色めきたった。が、まだ旅行者の受け入れ態勢が整っておらず、ロッジもなければ食事を提供できるところもないという。そのため、行くのであればテントや食料すべて持参しなければならない。許可証も高く、カトマンドゥよりガイドと数人のポーターを雇って1週間で500ドル(ガイドらの雇用料は別)。これにさらに交通費・食費・テント、調理に必要なもののレンタル料などの実費が加わる。この国の物価を考えたら・・・、他のツーリストたちも言っていたが、グループならともかく、個人レベルの旅行者では、ちょっと行けそうにないなぁ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年12月 5日 (土)

フランス人とルームシェア

4月8日(水)

 8時30分ごろ起床。朝食後、ゲストハウスのオーナーに「今日だけフランス人の男性と一緒にツインに入ってくれないか?」と頼まれる。理由はこうだ。1組のカップルと1人の男が宿泊に来たのだが、今空いている部屋はツイン1室のみ。1人旅のフランス人は、前にもここで泊まっていて、また戻ってくる約束で余分な荷物を預けておいてトレッキングに出かけ、今日帰ってきたそうだ。だから彼を泊めないわけにはいかないのだ。そこで、俺のシングル(とはいえ、ベッドの広さはダブル並み)にカップルを入れ、俺と1人旅のフランス人男性がツインで相部屋することによって「すべてが丸く収まる」というわけだ。
他にもシングル利用者はいるのだが、オーナーは「あなたにしか頼めない」と言うので、ここは長くお世話になっていることもあるし、数日後にはトレッキングに出かけるつもりなので、OKした。

アンナプルナ周遊のトレッキング・パーミット申請のため、イミグレーション・オフィスへ行くが、相変わらずの混みよう。おまけに暑い。体調がまだ万全ではないのか、並んで待っている途中、ややめまいを感じた。この日の申請はあきらめ、並ぶのをやめた。

スーパーで日用品の買い出しをし、12時ごろ、日本料理店「古都」にて昼食。カツ丼は、味がご飯までしみずに今一つ。しかし、久しぶりの味噌汁はうまかった。

イミグレーション内の銀行で100ドル両替し、午後はブラブラする。現像依頼しておいた写真を受け取り、レストランでミックスフルーツラッシーを飲む。ゲストハウスへ戻ると、アヌも来ていて写真を見せてあげる。

夕方、Tシャツを3枚、長袖Tシャツ1枚買う。夕食は、ビーフ・ストロガノフを食べてみる。なかなかいける味だ。ライスにかけながらも美味しい。50ルピーならゲストハウスのダルバートよりいいのではないか?
6時半ごろ、ゲストハウスへ戻る途中、まだこの時間なのにほとんどの店が閉店。「これは当分危ないか?」と思いながらゲストハウスへ到着すると、パブラムが「明日も早朝よりストライキが行われる」と言う。彼と予定している(時間と俺の体調次第だが)タンセン(ネパール中西部に位置する街で、彼の生まれ故郷)行きが1日遅れそうだ。

夜、エヴェレスト・トレッキングの写真を整理していると、相部屋となったフランス人が帰って来た。彼に「もし良ければ、見ますか?」と、彼に写真を見せながら、トレッキングの話をした。彼は俺と同い年で、2人の子供がいるらしい。今回は、パリで開いている自分の店(アジアの民芸品などを扱っているそうだ)の商品の買い付けの傍ら、アンナプルナ周遊のトレッキングにも出かけ、今朝帰って来たところだそうだ。ちょうどアンナプルナ周遊を計画している俺にとって、渡りに船!彼からアンナプルナ周遊についての最新情報を得ることができる。
彼の話によると、トロンパス(トロン峠;標高5416m、アンナプルナ周遊トレッキング最大の難所)付近は、それほど寒くなく、雪は多少ある程度のようだ。トロンフェディ(標高約4700m)にて、高山病で10人ほどが下の村へと下山したという。ほとんどの村のロッジにホットシャワーがあり、電気は所々ないそうだ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この日会ったフランス人の男性、名前も住所も聞くことなく「一期一会」の出会いだと思っていましたが、彼と夜交わした会話、ほんの少しの時間の記憶が、この2年後に奇跡を呼びます。

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2009年12月 2日 (水)

ヘトヘト状態でカトマンドゥへ

4月6日(月)
(夜行バス)カトマンドゥ

 結局一睡もできぬまま朝となり、胃と腸が強烈に痛む。耐えること数時間、「もう少しでカトマンドゥだ」と思ったら、突然ストライキ。カトマンドゥへ入るすべてのバスがカトマンドゥ市内直前でストップ。バスだけでなくタクシーもリクシャもすべてスト。乗客は皆ここで下ろされ、歩いて行くしかない。この体調ではとても辛いのだが、歩くしか術はない。歩を進める一歩一歩がお腹に響く。本当に苦しい。

途中、アヌの知り合い宅があり、しばらく休ませていただく。まだ下痢をしていて、今回の旅(日本出国以来)3度目の抗生物質を飲む。少しは楽になり、さらに1時間ほど歩く。気がつくと、ダルバール(旧王宮)広場だ。このままマナスル・ゲストハウスへと戻りたかったが、ゴビンダが「家へ来てください」と、どうしてもきかない。彼らの世話好きや人懐こさは、とてもありがたいのだが、時としてこのように有難迷惑になることもある。

ゴビンダの家にて6~7時間体を休め、ゲストハウスへ。しかしすでに今日は満室。もう午後4時である。スタッフが何とか策を練り、この夜はアンジュさんのマッサージルームを借りて眠ることとなった。

それにしても、この日のストライキは一体何が原因だったのだ?パタン市内で18人、ニューロードで7人が殺されたという。学生や労働者たちのデモなのだろうか?ダージリンへ行くときも、バスパーク付近で学生たちとそれを鎮圧しようとする警察との闘争を目の当たりにしたし。そのようなデモによりストライキが起こったとしか考えられない。街中の店はほとんど閉めていた。1日だけのことならいいのだが・・・。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

4月7日(火)

 午前8時20分起床。まだ部屋は空かない。昨日はまともに食事をとっていない。ゴビンダの家で少しのドーナツとビスケット、夕食はベジタブルスープを飲んだだけ。もう少しちゃんと食べなければ。
朝食は近くのレストランでトースト、目玉焼き、ハッシュドポテトに紅茶。少しは食欲が出てきた。

その後部屋が空き、アンジュさんにマッサージをしていただく。1時間、全身を入念にしていただいて400ルピー(およそ1200円)。荷物を整理し、少し買い出しに行く。戻って来てシャワーを浴び、外を見ると、ゲストハウスの前の通りをデモ隊が練り歩いている。彼らが掲げているプラカードやビラには、「Tibet is Tibet. Not China !」とある。どうやらチベット独立に関するデモのようだ。カトマンドゥの街のいたるところにこのビラが貼ってあることは、俺自身も知っている。部屋のバルコニーからカメラを向けると、手を振って応えてくれる。なんかとても平和的なデモだなぁ。

Img529

たくさんの市民が「チベット独立」を願って、デモ行進(?)していました。(1992年当時)

このあと再び外出し、200ドル、ブラック(闇ドル)で両替($1=47.5ルピー)した後、ズボンを1本購入。明日はTシャツでも買うか。
夕食はマナスル・ゲストハウスでフライドライス(チャーハン)とオムレツ。ケチャップはかけてなかった。彼らが言うには、「おなかの調子が悪い時はケチャップは良くない」らしい。どうやら皆が俺の体調を気遣ってくれているようだ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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