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2009年11月21日 (土)

3人旅は・・・トラブルから始まった

4月1日(水)
カトマンドゥ17:30(夜行バス)翌11:10カカルビッタ

 午前8時半起床。銀行で60ドル分インドルピーに両替し、11時半ごろ、ゴビンダ宅へ。のんびりくつろぎ、昼食をご馳走になった後、タクシーでアヌ宅へ。アヌの自宅は王宮付近の閑静な住宅街にあり、ネパールにしては、立派すぎる家にビックリ!家の中へ通されると、応接間には大きな水槽があり熱帯魚が泳いでいる。テレビにビデオ、来客用のソファー・・・、ペットとして飼っている犬だって・・・、お金持ちの家なんだ w(゚o゚)w 。

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アヌ君の自宅で。このような洋犬(スピッツ?)を飼っている家庭は、この国では稀です。横にある水槽を見ただけでも、ここがネパールの人の家とは思えないほど・・・。この国ではかなりの富裕層階級であることは間違いなさそうです。

そしてバスパーク(バスターミナル)へ。3時半を過ぎてもバスはやってこない。予定では4時発なのだが・・・。バスがバスパークの中へ入れないようで、ラトナパーク(公園)沿いの道路へ。その途端である。たくさんの人が、何か騒いで走りまわっている。何事かと思えば、学生のデモ隊とそれを鎮圧しようとする警察隊との衝突だ。俺たちもあわててラトナパーク内へと逃げ走った。棍棒を持った警察隊に対し、石を投げて応戦する学生たち。目の前で突如起こった騒乱に驚いたものの、やがて鎮まった。
再びバスを待つと、警察対学生の第2ラウンド(?)が始まった。またラトナパークへ避難する。これではバスがいつ来るのか分からない。騒動もひと段落し、チャイを飲みながらバスを待つ。

5時半ごろ、やっとバスが到着。同じバスに乗る1人の日本人がいた。大勢の乗客にもまれながらも、荷物をバスの屋根上の荷台に乗せ、バスの中へ乗り込む。ホッとした途端、気がつくとウエストバッグが開いている。中を確認すると、財布が・・・、「しまった!すられた!」。バスに乗る前に声をかけてきてまとわりついていた子供がいたが、その子に違いない。ゴビンダらとバスを降りて捜したが、バスの出発時間が迫っている。とうとう、その子供を見つけることはできなかった。もう、後の祭りだ。内ポケットに現金はまだ残っているし、カカルビッタへ着いたらT/C(トラベラーズチェック)を両替すればいいさ。
出発前から、この2つのトラブル・・・、なんか先が思いやられそうだ。

バスは闇夜の中を、ネパール東部の国境の街・カカルビッタへと向かう。バスの中では、ゴビンダが持ってきた自家製のチャン(ネパール風ビール)を飲む。ゴビンダ、アヌ、そして一緒に乗った一人旅の日本人の兄ちゃんと4人で回し飲みすると、その兄ちゃん「チャンですか?!」と喜んで、お礼に持っていたククリラム(ネパール製のラム酒)を俺たちに勧め、これも皆で回し飲み。
途中で食事休憩があるが、あまりお腹は減っていない。バスの乗り心地は決して良くない。何しろ揺れがひどい。シートのクッションはないようなもので、デコボコの道を縦に揺れるたび、胃腸の具合が悪くなりそう。ほんのわずかでもウトウトしたかどうかで、朝を迎える。

カトマンドゥ~カカルビッタ(夜行バス)にて

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コメント

大変な旅ですね。私もイギリスでお財布をすられました。ジプシーの子供たちの集団です。注意していたのに、ほんの一瞬にジッパーをあけられて財布だけ消えました。ロンドンのすりはオリバーツイスト以来の伝統があり、すごい技術を持っているっておまわりさんは変なこと自慢していました。
日本人は安全なれし過ぎているらしいです。デモや紛争何にもないですものね。でも50年前はどちらもあったのに、すっかり平和ボケしている自分が不思議です。


hannaさんへ

ホント初っ端からこれでしたから・・・!大変な旅になりそうな暗雲がモクモクとしてますよね。
日本も終戦直後から6~70年代は、似たようなことがあったと思います。安保闘争、安田講堂事件、日本赤軍、そしてあの浅間山荘事件。その頃まだ小学生でしたが、浅間山荘事件は強烈に残ってます(3億円事件もね。懐かしいでしょ!)。
でも、安全慣れ、平和ボケしているということは、日本がそれだけ安全で平和な国であることの証明でもあるわけですから、この国に生まれ生きていることに感謝しなければいけないのかもしれませんネ。

投稿: hanna | 2009年11月21日 (土) 23時11分

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