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2009年11月

2009年11月29日 (日)

「ホッ!」と癒される時

 2週間前、母が体調を崩しました。週末の日曜日の朝、まだ寝ていた私を気遣ってか、近所に住む姉を呼び「めまいがする」と言ったそうです。顔色は全くと言っていいほどなく、真っ白!で、さすがにあわてた姉が、とある病院へ電話し、まだ「夢の中」状態の私を起こし、そしてすぐに私は姉と共に母をその病院の救急センターへ連れて行きました。「入院」も覚悟していました。血液・尿、さらにはCTスキャンの検査を受けました。血液検査から、「貧血がひどい」と分かり、点滴を打ってこの日は帰宅。翌日、念のため専門の内科医を受診、さらに数日後、隔週土曜日にかかっている、かかりつけの医者へ。今週水曜日、胃カメラの検査をし検査結果は、「特に異常なし」ということで、ひと安心。しかし、貧血やめまいの症状がまだ出ることがあるので、鉄分が豊富な食品を摂るよう言われています。

母の体調のこともあり、ここ数日、姉は病院へつき添ってくれたり、家事の手伝いをしに来てくれました(私も慣れないながらも、少しは家事をしましたヨォ (^_^)!)。ある日、私は姉に、ある料理のレシピを渡しました。そしてその料理を姉が作って、おすそ分けしてくれました。

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ミートローフです。これは、親愛なるブログ友達のhannaさんがご自身のブログにレシピを載せていたものです。半分試食してからあわてて撮りました。ソースもレシピに基づいて作ったそうです。とても美味しかったです (^_^)!決して全く同じ(?)ではないでしょうが、少しだけhannaさんの手作り料理、味わえた気分です (^_^)!ア・リ・ガ・ト・ウ!次は誰の手料理を”再現”しようかな~?

年末がそろそろ近くなり、仕事もあわただしい中、母の体の具合が今一つ・・・なので、私も気分的に、心配が先立ち優れません。そんなとき、自宅に帰って「ホッ!」とするのが、”1輪の花”。もちろん、母が無事でいることが一番「ホッ!」とすることは間違いありません。
もともと花が好きな母、体調を崩していても、亡き父・祖母の遺影や仏壇に花を飾ることは欠かしません。姉に付き添ってもらってでも、それらの花を買いに行き、ついで(?)に他の花も買ってきたようです。
私の部屋には、かつて頻繁に山へ行っていたころ、常に車に載せておいた折り畳み式の椅子を花台にし、その上に母がいつも花を飾ってくれます。季節ごと、さりげなく目立たないように置いてあるのですが、この1輪の花が、私をどれほど癒し、和ませてくれているか!

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アップで撮ってみたのですが・・・、色はもっと黄色です!

母は、父をはじめ亡くなられた御先祖様や仏壇にだけでなく、私が飾ったペットの遺影にも花を添えてくれています。トイレにも、使わなくなったカップに花を生けて飾っています。

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かつて飼っていたインコの”リオちゃん”の遺影の左に、母が飾った花があります。遺影の前には、ミカン、お水、小さなお皿には生前リオちゃんが好きだったパンやフルーツ、ゆで卵の黄身をお供えしています。あの世で”ひもじい”思いをしないように、と!
遺影の写真は、朝食時に「リオちゃん、”おやつ”だよ」と呼ぶと、小屋から飛んで出てきて(小屋は大抵開けっ放し!です)、一緒に食事をしているリオちゃんです。リオちゃんは、この後お腹が満足すると椅子の背もたれの上にチョコンととまり、私と母が食事を終えるまで、そこでおとなしく待っていました。我々が食事を終えて椅子から立ち上がると、リオちゃんもそこから飛び立ち、小屋へと帰って行きました。決して「教えた」わけではないのですが、「見よう見まね」で学習したのでしょう。本当に賢くて、可愛い子でした!独身の私としては、まるで「自分の子供」のような子でした。
生前、一緒に北海道を旅したリオちゃん、5年近く前に亡くなってしまいましたが、心(魂)は今もそばにいるのかな?私の肩の上で、あの頃と同じように甘えているのかな?

味気なく素っ気ない日々を送り続けている私、そんな日々の中で、ここ最近の「ホッ!」と癒される瞬間を書いてみました。私の数少ないブログ友達の方のブログを読んだり、コメントしたり、私の拙いブログへのコメントを読んだり・・・、これも私にとってはとても和まされるひと時です。いつもいつも、ありがとうございます m(u_u)m。

なんか・・・ちょっとネガティブ・・・かな?いえいえ、御心配無用です。私自身は元気ですから!ただここ最近、不安な気持ちがあって・・・、つい私の癒される光景というか、心象風景を書き綴ってみました。

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2009年11月28日 (土)

ネパール再入国

4月5日(日)
ミリク7:00(バス)9:50シリグリ12:00(オートリクシャ;三輪タクシー)13:00ラニガンジ(サイクルリクシャで国境越え)カカルビッタ15:20(夜行バス)

 午前6時起床。ひどく胃腸が痛み下痢をしている。3回ほどトイレへ駆け込む。ミリク~シリグリは3時間半ぐらいという。朝食もとらずに7時発のバスに乗る。腹は時々痛みもするが、何とか持ちこたえられそう。痛みに耐え抜き、9時50分にはシリグリに到着。ダージリンやミリクに比べ、とても暑い。ウールのシャツが邪魔なほど。
シリグリは鉄道の駅もあり、ゴビンダとアヌは貨物列車の前で写真を撮っている。ネパールでは列車はお目にかかれない(鉄道はまだ通っていない)からなぁ。2人はさらにマーケットへ買い物に、調子の悪い俺は荷物の留守番。

昼ごろ、オートリクシャ(三輪自動車のタクシー;懐かしい日本のダイハツ・ミゼットが使われています)でラニガンジへ。1時間ほどで到着。そしてインドから再びネパールへ。国境越えは、サイクルリクシャで行く。ゴビンダとアヌは、この国境をビザなどの手続きなしで行き来できるのだが、俺はそうはいかない。しかし、リクシャ引きのおっちゃん、俺のことを彼ら同様ネパール人と思っていたようで、イミグレーション(出入国管理事務所)を素通りしようとした。あわてて声をかけ、リクシャを止めさせ、イミグレーションへ。リクシャ引きのおっちゃん、ずいぶん驚いた顔で「日本人だったのか?」と言っていた。「オイオイ!どう見ても日本人の顔だろ」と言いたかった。何はともあれ無事、出国手続きを終え、再びサイクルリクシャに乗り国境を越える。
ネパール再入国で、20ドルで1ヵ月のビザを取得。これはネパール国内でビザの延長をするより、はるかに安い。バンクレシート(両替証明書)も必要ない。その分、こうしてダージリンへの旅を楽しめたわけだ。

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サイクルリクシャに乗って国境を越えます。撮影場所は・・・、どちらの国だろう・・・?

カカルビッタに到着し、昼食を軽めにとり、15時20分発のナイトバスでカトマンドゥへと向かう。座席は運転席のすぐ横で、西陽が暑く、エンジン音もうるさい。当然リクライニングするわけもない。揺れもひどく、途中のラハンという村で食事休憩となったが、胃腸の具合が悪く、パンとジュースのみにする。

カカルビッタ~カトマンドゥ(夜行バス)内にて

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2009年11月26日 (木)

ミリクにて

4月4日(土)
ダージリン8:30(バス)12:00ミリク

 午前6時起床。昨朝同様ショール売りがやってくる。買おうかどうかさんざん迷ったが、紫色のそれほど派手でもないショールを1枚310インドルピー(1400円ほど)で買う。モーニングティーを頂き、朝食を終え、8時半ごろのバスに乗り、ミリクへ向かう。
山道を下り平野部へ。ちょうど昼ごろ、ミリクに到着。ここは湖がある保養地だ。

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ミリク湖です。午後はここで遊びます。(写真は絵葉書です)

昼食の後、ミリク湖にて3人でボートに乗ったり、乗馬を楽しんだり、湖の周りの遊歩道を散歩したり。アヌは乗馬はお手の物のようで、1人で完璧に乗りこなしていた。天気は今一つさえないが、決して寒くはない。しかし、これで晴れていれば言うことのない”バカンス”なのだが・・・。

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まず、ボートに乗ってみました。でも、まさかインド・ネパールの旅の途中で、ボート遊びをしようとは・・・!想像さえしませんでした。

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漕ぎ手は交替で代わりました。とはいえ私が一番短かったと思います。後方の橋は、上(1枚目の写真)の絵葉書にも写っている橋です。

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ボートの次は、乗馬にチャレンジ!左側の青い屋根の建物と、右後方の建物、絵葉書にも写っていますヨ (^_^)!解かりますかぁ?

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私の場合は、乗馬というより「引き馬」です。「白馬に乗った王子」気取り(?)です(笑)!← もちろんジョークですヨー (^_^; ;!王子だなんて、めっそうもない・・・!
シャツの色・デザインが引き手の男のシャツと「かぶってる w(゚o゚)w (;´д`)トホホ… wobbly 」。

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1人で完璧に乗りこなすアヌ。決まってますねー!これが「乗馬」ですよねー (^_^;; 。
絵葉書に写っている橋を右の方へ渡ると、遊歩道があります。そこで各々、楽しみました (^_^)!

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遊歩道を散歩しました。

その後、ロッジにて俺だけ休憩する。どうもカカルビッタまでの長距離夜行バス以来、体の調子が悪い。夜7時ごろ、夕食へ出かける。あまり食欲がなくチョウミン(焼きそば)だけにする。どうやら、トレッキングや長距離移動の疲れがとれていないようだ。薬局でビタミン剤(20錠12インドルピー)を買った。そして8時半には就寝とする。

ミリク、ロッジング・イムニーズにて

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この日の朝買ったショール、せっかくですので急遽、写メしました。どちらが表・裏かは?でも、なかなかシックなデザインと色でしょ・・・?今もほぼ”未使用”同然、大切にしています (^_^;; 。

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2009年11月23日 (月)

ダージリンでの一日・・・?

4月3日(金)
ダージリン1日滞在

 午前6時起床。昨夜ナイトバスだったせいか、ぐっすり眠れた。ベッドティーというモーニング・ティーサービスがある。これはウレシイ!もちろん本物のダージリンティーである。香りも味も最高に美味しい紅茶だ!

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こんな雰囲気で飲めたのなら・・・サイコー!でしたが (>_<)!(この写真は、シンガポール航空機内で配られる絵葉書です)

そして少し洗濯をして朝食。ミルクティーやトーストなどのコンチネンタル風の食事だ。天気は曇り気味で肌寒い。
9時45分ごろ、貸し切りジープで観光に。

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このジープに乗って、ダージリンの観光名所をまわります。

初めは「ヒマラヤン・マウンテニアリング・インスティテュート」。インスティテュートというからには、「学校」かと思ったが、ヒマラヤ登山に関する博物館のようなところだ。故・植村直巳さんや田部井淳子さん(女性としては世界初のエヴェレスト登頂者)など、エヴェレスト登頂に成功した世界中の登山家の写真が飾られている。俺は尊敬する植村直巳さんのパネルと共に、写真を撮ってもらった。

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日本人として初のエヴェレスト登頂者、故・植村直巳氏のパネル写真がありました。

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ヒマラヤン・マウンテニアリング・インスティテュート前にて。アヌ、ゴビンダと。

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建物の壁には、このような岩があり、疑似体験(?)もできます。

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エヴェレスト頂上に立ったヒラリー(世界初のエヴェレスト登頂者)像の前で。

そしてテンジンロックや紅茶畑、ゴルカスタジアムをまわる。インド国内とはいえ、さすがに元ネパール領土のダージリン。人々は、むしろネパール人らしき人の方が多いほどだ。

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テンジンロックにて。この後、さらに上を目指し、ロープを使い時には三点当地しながら登りました。

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紅茶畑にて。ここで収穫される紅茶が世界中で愛飲されているのですネ!

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これは・・・、絵葉書です。「ドッコ」と呼ばれる背負子に摘んだ茶葉を入れます。日本の「茶摘み」風景ととても似ています。

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これも絵葉書です。天気が良ければダージリンの街の背景には、ヒマラヤが聳えています。

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ゴルカスタジアムにて。とても広い競技場でした。でも・・・、どんな競技をしているのだろう・・・?

お昼過ぎにロッジに戻り、昼食にダルバートを食べた後、昨夜の疲れかあまりに眠くて・・・。ゴビンダとアヌはさらにダージリン観光を続けたが俺は「休憩して眠りたい」と言って、気がつけば夕方6時ごろまで眠ってしまった。ゴビンダとアヌの2人はダージリンの街を散歩したり買い物をしていたようだが・・・。

7時ごろ夕食となり、結局半日遊んだだけか。ダージリンティーを買い損ねたナァ・・・。

ダージリン、ホテル・カダムバリにて

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ダージリンで買った絵葉書です。ローツェ、エヴェレスト、マカルーの8000m超級の山が聳えています。

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これも絵葉書です。カンチェンジュンガが見えます。こんな光景、期待していたのですが・・・(>_<)

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こんなロープウェイもありました。なんとなく・・・心もとない・・・

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2009年11月22日 (日)

ダージリンへ

4月2日(木)
(夜行バス)11:10カカルビッタ(サイクルリクシャで国境越え)ラニガンジ(タクシー)シリグリ13:50(バス)17:50ダージリン

 ほとんど眠っていない。長いバスの旅は、トイレもままならず、ひどく腹が痛む。バス自体も古いし、道も悪く、揺れが激しいためだ。11時10分ごろ、18時間近くかかって、やっとカカルビッタに到着。食事をし銀行で100ドル両替、そしてサイクルリクシャ(人力車の自転車版)で国境を超える。入国手続きを済ませ、タクシーでダージリンへの玄関口、シリグリの街へ向かう。

シリグリからは再びバス。13:50発。山肌をクネクネと蛇行しながら、バスはゆっくり走って行く。道路と並行して、ダージリンへの山岳鉄道(ダージリン・ヒマラヤ鉄道)が走っている。

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ダージリン・ヒマラヤ鉄道(絵葉書)です。今ではユネスコ世界遺産に登録され、注目を浴びています。う~ん、乗ってみたかったなー!

およそ90年前(1900年ごろ)、日本人として初めてネパール、そして当時は禁断の国と云われたチベットへ極秘裏に入国した河口慧海(かわぐちえかい)氏は、チベット人が多く住むダージリンで、チベット語を習得するため、ダージリンまでこの鉄道を利用したそうだ。
*「チベット旅行記(一~五)」 (河口慧海著 講談社学術文庫)の一巻に詳しく書かれています。
しかし、この汽車ではダージリンまで8時間ほどかかるそうで、バスで行く方がうんと速いらしい。もっとも、この時間ではシリグリからダージリンまで行く汽車はもうなかった。

バスは約4時間かかってダージリン到着。標高2000mを超えるだけあって、寒い。ロッジは「ホテル・カダムバリ」。夕・朝食込みで1泊80インドルピー(およそ3~400円。1インドルピー=1.45ネパールルピー)なら良心的だ。もちろん料金の交渉はゴビンダたちがしてくれたのだが・・・。俺一人だけだったら、当然ツーリストプライスで、もっとふっかけられていただろう。
ダージリンはインドであるから、ゴビンダたちも外国人に変わりはないのだが、インド~ネパール間は互いのビザなしで行き来することができるし、ましてや、かつてダージリンは、イギリスのインド植民地化以前はネパールの国だったそうなので、今も多くのネパール人たちがここに住んでいる。

夕食はダルバート。その後3人で明日の打ち合わせをして、疲れた体を休めた。

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ダージリン、ホテル・カダムバリにて。ダルバートを頂きます。

ダージリン、ホテル・カダムバリにて

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2009年11月21日 (土)

3人旅は・・・トラブルから始まった

4月1日(水)
カトマンドゥ17:30(夜行バス)翌11:10カカルビッタ

 午前8時半起床。銀行で60ドル分インドルピーに両替し、11時半ごろ、ゴビンダ宅へ。のんびりくつろぎ、昼食をご馳走になった後、タクシーでアヌ宅へ。アヌの自宅は王宮付近の閑静な住宅街にあり、ネパールにしては、立派すぎる家にビックリ!家の中へ通されると、応接間には大きな水槽があり熱帯魚が泳いでいる。テレビにビデオ、来客用のソファー・・・、ペットとして飼っている犬だって・・・、お金持ちの家なんだ w(゚o゚)w 。

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アヌ君の自宅で。このような洋犬(スピッツ?)を飼っている家庭は、この国では稀です。横にある水槽を見ただけでも、ここがネパールの人の家とは思えないほど・・・。この国ではかなりの富裕層階級であることは間違いなさそうです。

そしてバスパーク(バスターミナル)へ。3時半を過ぎてもバスはやってこない。予定では4時発なのだが・・・。バスがバスパークの中へ入れないようで、ラトナパーク(公園)沿いの道路へ。その途端である。たくさんの人が、何か騒いで走りまわっている。何事かと思えば、学生のデモ隊とそれを鎮圧しようとする警察隊との衝突だ。俺たちもあわててラトナパーク内へと逃げ走った。棍棒を持った警察隊に対し、石を投げて応戦する学生たち。目の前で突如起こった騒乱に驚いたものの、やがて鎮まった。
再びバスを待つと、警察対学生の第2ラウンド(?)が始まった。またラトナパークへ避難する。これではバスがいつ来るのか分からない。騒動もひと段落し、チャイを飲みながらバスを待つ。

5時半ごろ、やっとバスが到着。同じバスに乗る1人の日本人がいた。大勢の乗客にもまれながらも、荷物をバスの屋根上の荷台に乗せ、バスの中へ乗り込む。ホッとした途端、気がつくとウエストバッグが開いている。中を確認すると、財布が・・・、「しまった!すられた!」。バスに乗る前に声をかけてきてまとわりついていた子供がいたが、その子に違いない。ゴビンダらとバスを降りて捜したが、バスの出発時間が迫っている。とうとう、その子供を見つけることはできなかった。もう、後の祭りだ。内ポケットに現金はまだ残っているし、カカルビッタへ着いたらT/C(トラベラーズチェック)を両替すればいいさ。
出発前から、この2つのトラブル・・・、なんか先が思いやられそうだ。

バスは闇夜の中を、ネパール東部の国境の街・カカルビッタへと向かう。バスの中では、ゴビンダが持ってきた自家製のチャン(ネパール風ビール)を飲む。ゴビンダ、アヌ、そして一緒に乗った一人旅の日本人の兄ちゃんと4人で回し飲みすると、その兄ちゃん「チャンですか?!」と喜んで、お礼に持っていたククリラム(ネパール製のラム酒)を俺たちに勧め、これも皆で回し飲み。
途中で食事休憩があるが、あまりお腹は減っていない。バスの乗り心地は決して良くない。何しろ揺れがひどい。シートのクッションはないようなもので、デコボコの道を縦に揺れるたび、胃腸の具合が悪くなりそう。ほんのわずかでもウトウトしたかどうかで、朝を迎える。

カトマンドゥ~カカルビッタ(夜行バス)にて

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2009年11月19日 (木)

インドビザ取得

3月30日(月)

 午前9時起床。やや曇り気味。10時ごろ、インド大使館へトランジットビザ(短期滞在査証)の申請(215ルピー)をし、明日の午後4:45受け取り。その後、GPO(中央郵便局)へ。GPO付近のバザールにて、母への土産と自分の下着や靴下を買う。スーパーマッケットでウィスキーとハムの缶詰(79.5ルピー)、ワイワイヌードル(ネパールのインスタントラーメンの一つ)を買い、昼食はゲストハウスにてパンにハムを挟みサンドウィッチにする。デンマーク製のハムだが、ソフトでとてもウマイ!

午後はボーっと過ごし、本屋へ。日本のコミック本「かりあげくん(85ルピー)」と、アンナプルナ周遊トレッキングのための地図(65ルピー)を買う。地図は後で他店で見たら、同じものが50ルピーだった。T字路の左側の本屋で「喜多郎(シンセサイザー奏者)」のミュージックテープが1本90ルピーと安い。つい買ってしまう。

夕食は、クリシュナ・モモ・レストランでベジタブル・チョウミンとフライミート(焼き肉のような感じのもの;本当ならばカツ)で23ルピー。食後、チベッタン・クラフト・コレクション(土産物屋)へ立ち寄ると、土産物が安い安い。ここで、最後に大量にお土産を買おう。夜は、ブランデーのコーラ割りを飲みながら過ごす。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

3月31日(火)

 なぜか昨夜はほとんど眠れず、朝を迎える。トレッキング後、極端に体を休めているくせに、ダルバートを腹いっぱい食べているせいか、腸の具合が今一つ。9時半ごろ朝食とし、チベッタン・クラフト・コレクションにて、ディーバッグ(140ルピー)、ウエストバッグ(75ルピー)、財布(60ルピー)を購入する。デザインはいずれも黒を基調とした、チベットっぽいというか、チベットならではのデザインだ。わずかだが15ルピーまけてくれた。

パブラムから「ダージリンへ行くなら、明日出発がベターだ。というのは、ダイレクトパスがあるからだ」という情報を入手。今日、インドビザが取得できるので、すぐさまバスのチケットの手配を頼む。
ダージリンへは、ゴビンダと彼の友達のアヌ・シュレスタ君も同行する。アヌはゴビンダからダージリンへ行く話を聞き、「自分も行きたい」と話したそうで、3人での旅となる。明日の午後4時発のナイトバス(夜行バス)でカトマンドゥを出発し、明後日は国境の街カカルビッタだ。エージェント名はバグマティ・トラベルで、ダージリンまで1人510ルピー(1500円ほど)。本来なら俺はツーリストプライス(外国人料金)で、やや割高になるのだが、彼らネパール人と同じ料金にしてくれた。

昼ごろ、シャワーを浴びヒゲを剃り、下着と靴下を洗濯。明日の荷造りをし、のんびりした後、インド大使館へビザを受け取りに行く。

夕食は、ラッキー・チベッタン・レストランでバフ・フライドライス(水牛の肉入りチャーハン、18ルピー)とベジタブル・ヌードルスープ(12ルピー)とする。夜、ウィスキーを飲み、昨日買ったワイワイヌードルをゲストハウスのキッチンボーイに作ってもらう。う~ん、うまいわ~!あ~ぁ、今夜はぐっすり眠れるかなぁ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年11月18日 (水)

Resam Firiri (レッソン フィリリ)

3月28日(土)

 午前10時ごろ起床。風邪が治らない。喉が痛い。パンとコーヒー、トマトとオレンジで軽めの朝食。その後、写真の整理に追われ、靴下を洗濯。一息つくと、早や12:30。昼食は、クリシュナ・モモ・レストランでミート・チョウミンとモモ(計21ルピー)にする。午後は、ゲストハウスでのんびり過ごす。ゴビンダの陽気な歌声(レッソン・フィリリ;ネパールでもっとも有名な歌)が聞こえてくる。

Resam Firiri (レッソン・フィリリ)

Resam Firiri , Resam Firiri
Under Jaunki Dandama basaum Resam Firiri
Under Jaunki Dandama basaum Resam Firiri
(レッソン・フィリリ、レッソン・フィリリ
 ウンダル・ジャゥンキ・ダンダマ・バサゥン・レッソン・フィリリ)

*よろしければ、聴いてみてください。ネパールの風景と共に4分ほどの動画です。
→ http://www.youtube.com/watch?v=hJ_y35f7V9Y

夕方、少し外出。バナナを一房15ルピー、パジャマ代わりの黒の上下の衣類をそれぞれ150ルピー、110ルピー、で買う。消毒液とガーゼを31ルピー。夕食はマナスル・ゲストハウスでダルバート(55ルピー)とし、夜はククリラムを飲みながら過ごす。

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さっそく着てみました。するとゴビンダが camera 。シャツは上質のシルクで、肌触りが滑らかでした。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

3月29日(日)

 午前8時半起床。9時半ごろよりゴビンダを伴い買い物へ。ウール製品を扱う店で100ドル両替(ブラックマーケット、いわゆる”闇ドル”。銀行での正規の換金率より高く換金してくれる。法律上では、禁止されている)し、刃渡り15cmほどのククリ(蛮刀)、65リットルのLoweのザック、トレッキング用のウールシャツ、サングラス、水筒を購入。これらはこの後のアンナプルナ周遊トレッキングに使う予定である。

昼ごろ、ダルバール広場でボーッと過ごし、散歩しながらゲストハウスへ戻る。夕方5時ごろ、トレッキング初日のデウラリのロッジで一緒だった日本人の男が訪ねてくれた。彼は俺が行かなかったゴーキョピークへ行き、再びジリまで戻ったとのことだ。1時間半ほど話し続けていた。

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左から2人目の彼が、訪ねてくれました(トレッキング2日目の朝、撮った写真です)。この後トレッキング中に会うことがなかっただけに、わざわざ訪ねてくれたこと、とても嬉しかったです。

夕食は、トレッキング前にラジンと一度一緒に行ったルンピニ・レストランでダルバート。あまりお腹はすいていないくせに、カナ(ご飯)を2杯も食べてしまった(1杯でも量はかなり多い)。ご飯をお代わりしても、値段は変わらないのがダルバートの魅力。ダルバート1人前12ルピー、マトンカリーも食べ、しめて50ルピーで超満腹。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年11月15日 (日)

紫藤君と再会

3月27日(金)

 午前9時起床。買い置きのパンとコーヒーで朝食とし、ネパール銀行で、出国前にあらかじめ父に頼んでおいて、送金してもらったお金($1000)を受け取る。これは、初めて海外を旅した時、インドで盗難に遭った時のことを考えての策。「ネパールは大丈夫だろう」と思いつつも、万が一を考えて、トラベラーズ・チェックもそれほど持ってきていなかったのだ。そして、定期的に送金してもらうことにしていた。
*ネパール銀行へは、当時の東京銀行から送金可能でした。

ゲストハウスへ戻って行き、通りからゲストハウス入口へ向かう道で、トレッキングの帰り道に出会った紫藤君とバッタリ!
「あれっ?紫藤君!」
「あっ!ジンさん!」
彼は、カトマンドゥに戻って来たことの報告と、トレッキング中のお礼が言いたくて、わざわざ訪ねてくれたそうだが、フロントで俺の留守を知り、がっかりして出てきたところだった。立ち話もなんだし、彼をゲストハウスの俺の部屋へ通していろいろ話をし、そして昼食へと誘った。

俺は紫藤君を、馴染みの店になった「クリシュナ・モモ・レストラン」へ連れて行くことにした。彼は最初に会った時、あまりこちらの料理を信用していなかったようなので、その考え・先入観のようなものを完全に払拭してもらいたかったからだ。

クリシュナ・モモ・レストランは、通りから見過ごしてしまいそうな細い路地の奥にある、地元の人しか知らないような店だ。これまでにも何度かここで食事をしたが、外国人旅行者は一度も見たことがない。彼は、「こんなところを行くのなら、旅行者はさすがに来ませんよね」と驚いていた。店の主人やカンチャ(”男の子(とくに末っ子)”;ここでは”使用人”とか”丁稚”という意味)とも、すっかり顔なじみの俺は、紫藤君を連れていったことで、店の主人はすごく喜んでくれた。

チョウミン(焼きそば)とモモ(ネパール風餃子;小龍包のようなもの)、わずか20ルピーでとてもウマイ!紫藤君もチョウミンとモモを注文し(顔は「こんなお店で食べて、大丈夫だろうか?」とやや不安げだった)、そして食べ始めると・・・、「日本の焼きそばとほとんど変わらないですヨ!」と言いながら、その美味しさと安さに満足してくれたようだ。

017 チョウミン。「カトマンズ百景」内田良平著 山と渓谷社 より許可なく勝手に引用させていただきました。

彼は、大学のサークルの友達らへのお土産に、ライスペーパー製のカレンダーや手帳を買いたいと言うので、食後、ゴビンダの紹介で親しくなったペーパークラフトショップへ彼を案内する。店の主人は笑顔で迎えてくれた。紫藤君は、ここでたくさんのお土産を買い込んだ。店の主人は、電卓で合計金額をはじき出し、最後に「×0.8=」を押し、その数字を紫藤君に見せる。彼が、「えっ!いいんですか?」と驚いていると、店の主人は「あなたは彼(=俺)の友達だからね。フレンドプライスでいいよ」とにっこり話していた。紫藤君は2割もまけてくれたことに喜び、「ジンさんのおかげですよ」と嬉しそうに、感謝してくれた。そして紫藤君とは、ここで別れた。

午後、何通かの手紙を書き、夕方、パンやフルーツの買い出し。そして夕食をとり、デザートにチョコレートケーキを食べに行く。そういえば、誕生日にケーキを食べていなかったっけ!
午後8時半ごろ、ラジンがやって来て「うちに来てくれないか?一緒に食事をしよう」と言う。夕食はすでに終えていたのだが、わざわざ訪ねて来てくれたし、むげに断るのも申し訳ない。彼の自宅へと招かれ、この日2度目の夕食。チキン入りのダルバートを頂いた。チキンが付いているなんて、贅沢なことこの上ない。ネパールの人々の「もてなしの心」が伝わってくる。もちろんすべてきれいに平らげた。とても美味しいダルバートだった。

015 ダルバート。これも上記写真同様、引用させていただきました。

そしてラジンに「次にエヴェレスト街道へ行く機会があれば、この写真(ニマ・ヤンジー・シェルパと一緒に撮った写真)をカリ・コーラのホテル・ファイブスターへ届けてほしい」と託した。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年11月14日 (土)

ヒゲを剃ってみると・・・?

3月26日(木)

 午前8時30分起床。のんびり寝ていると、「あ~ぁ、トレッキングは終わったんだ」と実感。久しぶりに街をぶらつき、昨日のうちに現像を依頼しておいたトレッキングの写真を受け取る。ほんの数日前のことなのに、とても懐かしく、思い出深い。そしてこの日、日本出国以来、初めてヒゲを剃った。あまりの若返り?に皆、驚いている。ヒゲがあった方が良いという意見、ない方が良いという意見、賛否両論だ。10代に見えるなどという、極端な意見すらあった。

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ヒゲを剃った後の写真です。ゴビンダと。10代に見える?わけないですよねー!

夕食は、ガイドを雇ったトレッキング・エージェンシーの招待を受けている。エージェンシーへ行き、社長にごあいさつ。するとどこからともなく「ムービースター」の声。俺は「まだそんなこと言ってるのかよ」と、手を横に振っていた。
実はガイドを雇う際に、俺の氏名・住所などを万が一のために、エージェンシーにも残していくのだが、その時一緒に提出した写真が、5年前にバンコクへ行き緊急帰国した時の使用しなかったビザ用写真。今よりも髪は短く、ヒゲも当然なし、眼鏡もかけていない写真で、ずいぶん若く見えたらしい。その写真を見たスタッフたちが「まるでムービースターじゃないか!」と、やたら褒めてくれたのだ。

食事は、近くのレストランでネパール料理とビールをご馳走になる。1人旅の日本人女性も同席するが、明朝、飛行機が早いのですぐに帰宿した。彼女は、この国で何と7万円ほども、詐欺にあったらしい!なぜだ?信じられない!詳しくは話してくれなかったが、この国も少しずつ治安が悪くなっているのか?

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エージェンシーの招待を受けて。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年11月12日 (木)

ネパールで30代、スタート!

1992年3月25日(水)

 トレッキングを終え、再びカトマンドゥへ。とにかく暑い!久々にマナスル・ゲストハウスへ。当初の予定(4週間)より早く帰って来たが、皆、変わらぬ笑顔で迎えてくれた。そして「今日は俺の誕生日だぜ」と言うと、夕方には従業員達から6通ものバースデーカード(一人一人メッセージを書いてくれた)。ゴビンダはライスペーパー製の小さな手帳、クリシュナはトピー(ネパールの帽子)もプレゼントしてくれた。ラジン(トレッキングガイド)はククリ(蛮刀)の形をした小さなペーパーナイフ。俺の30才のスタートを、ネパールの友達が祝ってくれた。

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誕生日を祝ってくれたキッチンボーイたち。

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封筒に入ったバースデーカード、手帳とククリ、トピー。皆からの思いがけないプレゼントに、笑顔で応えます。カードのデザインは、いかにもネパールらしい「神様」の絵が描かれていました。

ラジンと街へ出ると、トレッキング中に会ったフランス人の男性と再会。彼は口数が少なく、皆とはあまりうち解けなかったのだが、それでもお互いに顔は覚えていた。彼はカラ・パタールではなく、タンボチェが目的だったそうだ。ふと見ると、見覚えのある後ろ姿の男女・・・、「エルマー!アンジュラ!」と叫ぶと彼らは振り返り、我々のところへ。皆にっこりと笑顔で握手。彼らも今日ルクラから、なんとヘリコプターで戻ってきたそうだ。どうやら俺たちが乗った飛行機の後、ヘリが再びルクラへと向かっていたようだ。アンジュラはすかさず「ジン、ハッピーバースデー・トゥユー!」と言ってくれた。覚えていてくれたんだネ!今日が俺の誕生日だっていうことを!日本にいたら、これほど祝ってもらえただろうか?最高にハッピーな30代のスタートだ。

ラジンと共に、街のレストランでビールを飲みながら食事をし、マナスル・ゲストハウスへ戻る。そこでもまた、ビールを飲みながら皆と共に楽しく過ごす。最高の気分で、床に就いた。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*前回までのトレッキングの記事は、カテゴリー「1992 エヴェレスト街道を行く」にしましたが、今回からの記事は「1992 ネパール・カトマンドゥ日記」に入れます。

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2009年11月 8日 (日)

エヴェレスト街道 帰路 その7

旅の終わり

3月25日(水)晴れ
ルクラ11:00(RA128)11:40カトマンドゥ

 午前7時起床。この日は俺の30回目の誕生日。とうとう20代ではなくなってしまった。飛行場へ行ってみる。予約の確認だ。第何便に乗れるのかは、まだ決まっていない。定期便とはいえ、天候、特に風次第で、何便飛ぶかが決まる。だから、予約はできていても、その飛行機が実際に来るのかどうか、その日の天候次第。1便、2便と見送る。第3便にも乗れない。予約できているとは、聞いているのだが、本当にこの日のうちに帰れるのだろうか?バースデー・フライトできるのだろうか?やがてヘリコプターがやって来た。これに乗ることも可能だそうだが、料金が割高になる。
*この旅日記は1992年のものです。この当時30才。ですから今は・・・?

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ロイヤルネパール・エアラインの飛行機がやってきました。

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ヘリも到着。なかなかカッコイイです。

半ばあきらめかけていたところへ、「第4便がやってくる」と言う。荷物の重量検査を行い、やっとそれに乗ることができた。ヘリコプターに乗ってでも、と考えていたので、ラッキーだった。でも本音を言えば、ヘリに乗ってみたかった。

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第4便、これに乗ってカトマンドゥへ戻ります。ところで、この飛行場、まったく舗装されていません。滑走路も同じで、山の傾斜(下り)を利用し、勢いをつけて飛び立ちます。(着陸時は、登りの傾斜になりますから、自ずとスピードダウンします)

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飛行機の大きさ(小ささ?)、お分かりになりますか?

わずか20人ほどしか乗れない小さな飛行機に乗って、途中歩いた道のりを眺め、ヒマラヤを仰ぎ見る。83ドルの価値はある。デウラリ峠が見える。あそこを歩いたんだなぁ。やがてボーダナートが見えてきた、間もなくカトマンドゥだ。
1週間はかかる道程を、わずか40分で戻る。文明の利器のすごさを感じずにはいられない。11時40分、カトマンドゥ着。21日間のトレッキングは終わった。

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飛行機の中で。こんな小さな飛行機でもスチュワーデスがいて、キャンディーの機内サービスがあります。

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飛行機から、歩いてきたところを眺めます。↑の写真の中央やや左上にボーダナートが見えます(白い大きな建物です)。

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コクピットの中。

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カトマンドゥ到着。バースデー・フライトが終わり、トレッキングも終わりました。そして新たに30代のスタートです。

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2009年11月 7日 (土)

エヴェレスト街道 帰路 その6

20代最後の日

3月24日(火)晴れ
パクディン8:10(徒歩)10:40ルクラ

 とうとう20代最後の日。そして、トレッキング最後の日でもある。背後にクンビラやヌンブルが、我々を見送るかのように聳え立つ。ルクラは、この街道沿いをややそれた丘の上にある村だ。分岐まで来た。左へ行けばルクラ、まっすぐ行けば、カリ・コーラを経てジリへ。できることなら、まっすぐ行きたかった。しかし、今の俺では左へ針路を取るしかなかった。さほどきついところもなく、2時間でルクラ到着。

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パクディンのロッジを出てすぐ、この吊橋を渡ります。とても名残り惜しい・・・。

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パクディンから見たヌンブル(6957m)

ルクラは、カトマンドゥから直行便がやってくる、いわば、エヴェレスト街道の「空の玄関口」。ロッジや日用雑貨店、登山用品のレンタルetc...。大きな村だ。この時もちょうど、日本から中高年のトレッキンググループがやって来た。

そして、異様な日本人の姿も見た。彼らは俺以上に疲れ果てている様子で、まだ若いのに杖をつきながらフラフラと、やっとここまで戻ってこられた、といったように見えた。
そう、彼らは途中で出会った3人の学生で、ジリからナムチェまで我々が8日かけて行く行程を、わずか5日で行くと言い、昼食時に日本語で「ご飯、ラーメン」と言って、仲間たちのひんしゅくを買った男たち。
彼らの歩く姿はあまりにも痛々しいが、しかし、自業自得と言えばそれまでだ。ラジンは彼らと最初に会った後、彼らのスケジュールを「クレイジーだ」と言っていたし、あのペースで行けば当然の結果だ。
彼らは俺たちに気づいたようだが、この時はお互いに声をかけることはなかった。声をかけるのがはばかれるほど、彼らの歩く姿は痛々しかった。

それにしても、カトマンドゥへはいつ帰れるのだろうか?明日のバースデーフライトに間に合うだろうか?ラジンは何度もチケットの予約に奔走している。そして午後3時。どうやら明日のフライトの予約がとれたようだ。30代のスタートは、ルクラ~カトマンドゥのフライトで始まるわけだ。

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20代最後の日。エヴェレスト街道トレッキング最後の日と重なりました。ルクラ、サウスコル・ガーデンロッジにて。ラリグラスがあちこちに飾られています。

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ルクラより、東にそびえる山々。3枚つなげてパノラマにしてみました。

短いようで長い、けど長いようで短い旅だった。200Km以上は歩いただろうか?左膝の痛みは、最後まで治らなかった。風邪も治らない。カトマンドゥでしばらく休養し、次の予定へと向かおう。

ルクラ、サウスコル・ガーデンロッジにて

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2009年11月 5日 (木)

エヴェレスト街道 帰路 その5

断念

3月23日(月)晴れのち曇り
ナムチェ8:30(徒歩)10:10ジョルサレ10:30(徒歩)12:30パクディン

 昨夜は久々にぐっすり眠れた。風邪薬のせいかな。ナムチェからの下りは左膝にこたえた。「決断」したとはいえ、わずかに希望を持っていたが、やはりこの足の状態で、ジリまでの長い道のり、いくつもの峠越え・・・を戻るのは無理だろう。

ナムチェから下って行く途中、思わず目を覆いたくなるような光景に出くわした。ヤクが血まみれで倒れているのである。まだ息はある。が、起き上がることはできないようだ。いったい何があったのだろう?そのヤクは尻尾がちぎれていた。何故、そんな目に遭ったのか?しかし、誰もそのヤクを助けることができない。どうすることもできないのだ。ヤクは必死にもがき、断末魔のような声と共に起き上がろうとしていた。痛々しいほど生きようと、生きて起き上がろうとするヤク、しかし・・・。俺はやがてそこで命を落とすであろうそのヤクの来世を祈るしかなかった weepゴメンヨー 。

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傷ついたヤクの写真は撮りませんでした。あまりに痛々しすぎて・・・crying (泣)!代わりに、菜の花畑の写真を撮り、そのヤクの天国への旅立ちのはなむけにします confident

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ラリグラスも咲いていました。

今日はパクディン、明日はルクラ。トレッキングの日々はもう2日だけ。20代もあと2日。こんな形で20代が終わるなんて想像さえつかなかった。
パクディンに着いて、午後はロッジのオーナーとチャン(ネパール風ビール;見た目は”どぶろく”のようなもの)を飲み交わしていた。どこへ行ってもよく聞かれるのは、「結婚しているのか?」である。この年齢で独身なのは、この国では珍しいのだろう。

夕方、キャンプをしながらトレッキングしているフランス人夫婦が、このキャンプサイトにいた。彼らにカラ・パタール登頂途上でいただいた栄養補給食品のお礼をここで改めて言った。そして記念に3人で写真を撮った。

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シンガポール在住でジャーナリストのフランス人のご夫婦と。トレッキング中は、ほぼ同じ日程だったようです。

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電気のない村では、夜はこのオイルランタンが唯一の灯となります。

パクディン、サンライズ・ロッジにて 

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2009年11月 4日 (水)

エヴェレスト街道 帰路 その4

決断の時

3月22日(日)晴れのち曇り時々雨
ナムチェバザール1日滞在

 朝食後、ラジン、紫藤君と3人でシャンボチェにあるエヴェレスト・ビュー・ホテルへ行ってみることにする。日本人経営の1泊100ドル(ルピーじゃないの?)以上もする、ここでは超高級ホテル。村の北側の丘を登り、シャンボチェの村の森の向こうに立派な建物、そこがエヴェレスト・ビュー・ホテル。

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シャンボチェ、エヴェレスト・ビュー・ホテルへ向かいます。右手に持っている杖は、昨日手に入れたシェルパ仕様(使用)の杖です。

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エヴェレスト・ビュー・ホテル専用と思われる飛行場が見えます。

その名の通り、居ながらにしてエヴェレストが眺められるホテルだ。だが、あいにくこの日は曇り空。エヴェレストは見えない。テラスでティータイムとすると、タンボチェの村が見える。マウンテン・フライトらしき飛行機も飛んでいる。

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ホテルのテラスからの眺めです。エヴェレストは残念ながら雲の中です。

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エヴェレスト・ビュー・ホテルでティータイムをとりました。

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エヴェレスト観光飛行(マウンテン・フライト)だと思うのですが・・・。

ナムチェに戻り、午後、体がだるい。咳も激しく医者へ行ってみるが、すでに2時にて終了。栄養を摂ろうと、この日も昼食はヤクステーキにし、薬を飲んでロッジで体を休めていたが、良くなる気配はない。喉もつぶれかかっている。ラジン曰く、風邪だけでなく、毎日歩き続けた疲れだろう、と。確かにそうだろう。足はいうことをきかないし、ジリまで歩き通す自信がない。

決断の時が来たようだ。ルクラからフライトせざるをえない。30才になる直前のこの結果は残念だ。できるなら、計画通りに行きたかった。しかし、ジリから2週間かけてカラ・パタールへ登り、エヴェレストを見たんだ。それだけでも充分ではないか。我ながら「よくやった」と言ってもいいじゃないか。
ただ心残りは、イングリッドやエルマー・アンジュラにきちんと「サヨナラ」が言えなかったこと。そして、カリ・コーラのヤンジーに再び会うことができないこと。本当に悔しい。できることなら、あの娘ともっと交流を深めたかった。残念だ。

ナムチェ、シェルパ・ガイド・ロッジズにて

*今回のブログ記事で、このトレッキングで出会った紫藤君の名字および写真を載せました。紫藤君ご本人とは、この旅以降、全く縁が途絶えていますが、もし万が一、本人もしくは彼を知る人が偶然このブログを目にされた場合、許可なく勝手に掲載したこと、深くお詫びいたします。

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2009年11月 3日 (火)

エヴェレスト街道 帰路 その3

ヤクステーキ

3月21日(土)曇りのち晴れ
タンボチェ9:00(徒歩)12:40ナムチェ

 7時起床。朝食の用意が非常に遅い。こんなところにも、ネパールの「ビスタリズム(ビスタリ;ネパール語で”ゆっくり”という意味)」が顔を出す。昨夕、雪が降ったせいか、少々寒い。体調は、ロブチェから1000m以上下っているせいか、やや回復している。

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タンボチェの朝。うっすらと雪化粧した山が、水墨画のように見えました。

この日は、昨日会った紫藤君もナムチェまで一緒に同行することになった。谷を下りきり、水力式のマニ車にさらなる体調回復を祈り、長い登りとなる。登りきると、ナムチェまでは平坦な道が続く。

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写真中央付近に、野生動物が10数頭います。ラジンは「ゴラール」と言っていましたが、ゴラールって・・・?どんな動物だろう?

ナムチェへと到着し、昼食はヤクステーキを食べることにする。紫藤君は、こちらの食事にかなり警戒心を持っているようで、不安そうに「大丈夫ですか?」と訊くのだが、俺が「大丈夫だって!ホント、美味しいから!来るときだって食べたんだから!」と勧めると、「わかりました。僕も食べてみます。dsching (ジン) さんにそう言われて、僕も食べてみようと勇気が出てきました。」と言った。確かに彼の荷物の中には、日本のインスタント食品がたくさんあった。荷物としては、かさばるカップ麺も。往路でのタンボチェのロッジで出会った日本人の女性も、「きつねどんべえ」を食べていたなー。
ヤクステーキの味は、なかなかの美味。ビーフステーキと何ら変わりはない。俺も紫藤君も「ウマイ!これは本当にウマイ!」と大いに満足。「こんな山奥の村でこんなに美味しいステーキを食べられるとは!」と紫藤君にずいぶん感謝された。

食後は久しぶりのシャワー、洗濯。そして、シェルパたちが使っているラリグラスの木でできたピッケル型の杖を50ルピーで手に入れた。たまたまロッジにおいてあり、売り物ではなかったのだが、「どうしても欲しい!いくらでもいいから売ってほしい!」と言い、半ば強引に手に入れたもの。でも50ルピーなら安い。次のトレッキング(アンナプルナ周遊)にも使えるし、記念に日本へ持ち帰ろう。

明日も、ここナムチェに1日滞在、のんびり体を休めよう。

ナムチェ、シェルパガイド・ロッジズにて

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2009年11月 2日 (月)

エヴェレスト街道 帰路 その2

疲労のピーク

3月20日(金)晴れのち曇り、夕方雪
ロブチェ7:45(徒歩)10:40ペリチェ11:40(徒歩)15:40タンボチェ

 6時40分起床。相変わらず風邪と頭痛の症状。下痢も起こしており、左膝は痛みの治まる日がない。無理せずパンボチェ泊にしたかったのだが、ラジンがどうしても行くと言う。高山病を考えての配慮なのだろうが・・・。体調はもはや最悪!ルクラからフライトすることも考えねばならない。辛い1日だ。

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クンブー氷河をペリチェへと下って行きます。
*この氷河、17年以上経った今、どのように変わっているのでしょう・・・?急速に進んだ”地球温暖化”、それがこの地にも影響を及ぼしているのです。

ペリチェで休憩中、2人の日本人と出会った。彼らは単発物のドラマのロケのために、この地まで来たそうだ。「実際の俳優さんはここまで連れてこられないので」と言い、1人は実は俳優・奥田瑛二さんの代役を務める方であった。カトマンドゥには、奥田瑛二さんのほかに、小泉今日子さん、大ベテラン俳優の大滝秀治さんも来ていたそうである。
この年の秋に放送予定の2時間ドラマで、「ヒマラヤの赤い自転車」というタイトルだそうだ。どちらかと言えば、中・高校生向けのドラマとのことだが、ここで出会ったせっかくのご縁、ぜひとも見てみたいものだ。
*この年の秋、このドラマを見ました。もちろん録画することも忘れませんでした。奥田瑛二さんの役柄は、ヒマラヤを撮影しに来ている写真家、小泉今日子さんは海外青年協力隊員の看護師としてネパールに赴任している内容でした。大人でも十分に感動できるドラマでした。
この2年後ネパールを訪れた際、カトマンドゥのゲストハウスのスタッフで日本語学校へ通っていたゴビンダと再会し、このドラマのビデオが教材として使われていることを聞きました。

ペリチェからタンボチェに向かってどんどん下る。体力は、高山病のこともあり、かなり消耗している。タンボチェにずいぶん近づいたとき、ラジンが先行し宿を確保して、俺のもとへ戻り俺のザックを背負ってくれた。彼のこの行為はとてもありがたく、いいガイドなのかそうでないのか、わけわからないことがしばしばある。

タンボチェのロッジは、往路とは違うところであった。ここで同じ愛知県出身という紫藤君と出会った。彼は大学の友達とアイランド・ピーク(6160m)という山を目指していたそうだが、やはり高山病により断念し、下って来たのだという。

彼と二人で話していると、ある老人に声掛けられた。老人は我々に「ジャパン?」と訊いてきた。「イエス」と答えると彼は、「東京?大阪?犬山?」と尋ねた。東京・大阪は解かるが、なぜ犬山を知っているのだろう?犬山のすぐ近くの街に住んでいる紫藤君は驚いて、「僕は犬山から来ました」と答えると、その老人は「ちょっと待ってくれ」と言って、一冊のポケットアルバムを持ってきて、我々に見せてくれた。そのアルバムには、老人がかつて愛知県犬山市にある世界民俗博物館「リトルワールド」に、ネパール仏教寺院の仏画絵師として招かれた時の写真や犬山城、名古屋の「大須観音」などの写真が残されており、俺も紫藤君も大いに感嘆の声をあげ、ラジンを呼び彼にもその写真を見せ俺の街を紹介し、話は盛り上がった。
*リトルワールドでネパール仏教寺院がまだ完成していないときに、一度訪れたことがあるのですが、その時何人かの仏画絵師が寺院内の壁面や天井に仏画を描いていました。もしかしたら、その時にこの老人とお会いしていたかもしれません。

タンボチェ、モナステリー・ロッジにて

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2009年11月 1日 (日)

エヴェレスト街道 帰路 その1

 カラ・パタールに登頂し、夢を実現した後は、ひたすら下って行くのみです。帰り道の様子をご覧ください。

カラ・パタールを下る

3月19日(木)晴れ
カラ・パタール12:15(徒歩)16:00ロブチェ

 15分ほどして、下山開始。高山病の症状が出ている俺にラジンは「この日のうちにペリチェ(標高約4200m)まで下ろう」と言う。確かに高山病は、少しでも低いところへ下り、酸素を摂り入れるのが鉄則であるが、何しろ体力がそこまでもつ自信がない。左膝が、特に下りでは激しく痛む。ロブチェまで戻るのが俺には精一杯だった。

イングリッドは今日も他のロッジで泊まり、明日エヴェレスト・ベースキャンプへ行くそうだ。エルマーとアンジュラは、ゴラクシェプ泊で、やはり明日イングリッドと同じエヴェレスト・ベースキャンプへ。仲間たちとは、とうとうバラバラになってしまった。

ロブチェ、ロブチェ・ゲストハウスにて

*その後、ドイツを訪れた際にエルマー・アンジュラから教えられたのですが、エヴェレスト・ベースキャンプで、偶然にもあのエドモンド・ヒラリー卿(世界初のエヴェレスト登頂者)とお会いできたそうです。エルマーは持っていたステッキに彼のサインを頂いてました。そのステッキは彼の自宅のリビングに飾ってあります。ヒラリー卿が来ていると知っていたなら、私も行っただろうなー!とても残念でした。

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カラ・パタールから下って行きます。

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エヴェレストが少しずつ隠れていきます。名残り惜しい・・・。

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ゴラクシェプまで下ってきました。ヤクがたくさんいました。

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ゴラクシェプからタボチェ方面。

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もう一度、カラ・パタールを振り返ってみました。近いようで遠い道のりでした。

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