« 神無月です | トップページ | 黄泉比良坂(よもつひらさか) »

2009年10月10日 (土)

因幡の白ウサギ

 『むかしむかし、出雲の国の八十神(やそがみ)と呼ばれる大国主神の兄弟たちは、稲羽(因幡)の国の八上媛(やがみひめ)という美しい女性を嫁にもらおうと、一同、稲羽の国へ出かけて行きました。
稲羽の気多(けた)という海岸で、毛のない赤っ裸のウサギが伏していました。ウサギは、もと隠岐の島のもので、本土へ渡る手だてがなく、寂しがっていたところ、「いつもそんなところで何をしている」とワニ(サメ)に尋ねられ、「君たちの数を数えていたんだ。僕たちウサギの数とどちらが多いか知りたかったんだ」と言うと、ワニは仲間たちを集め海上に並びました。数を数えると言いながら、本当は数など数えてなくワニの背中をピョンピョンと上手に渡りました。が、本土へ着く寸前、「数なんて数えてなかったのさ」と、だましたことをしゃべってしまい、一番最後のワニに「よくも、だましたな」と、捕らえられ、着物をはがされてしまったのです。

八十神たちは惨めな姿のウサギをからかい、「海水を浴び、風に当たりながら寝ていれば治る」と嘘を教え、その通りにしたウサギはさらにひどい痛みにおんおん泣いてしまいました。最後に通りかかった大穴牟遅神(オオナムヂノミコト;のちの大国主神)は、その様子を見て、ウサギに「どうしたんだい」と尋ね、ウサギの話を聞き、兄・八十神たちのことを詫び、ウサギに「真水で身体を洗い清め、蒲の花の黄色い花粉を敷き散らし、その上を転がり身体にまぶすのです」と、治る方法を教えてあげました。
ウサギは「八上媛はきっと、あなたの嫁になる、とおっしゃるでしょう」と、大国主神に申しました。そしてウサギは、元の白いウサギに戻りました。』 *古事記より引用・要約

 この話は、幼少のころならば誰もが一度は耳にしたことがある「因幡の白ウサギ」。古事記の中の神話、というより「おとぎ話」として覚えています。この話の舞台となった鳥取・白兎(はくと)神社を訪ねてみたことがあります。

鳥取砂丘から国道9号線を西へ10kmあまり行ったところに、夏は海水浴客でにぎわう白兎海岸、その裏側にひっそりと、白兎神社はたたずんでおります。神社の中には、白ウサギが大国主神に教えられて身を洗った「不増不減の池」があります。

海岸には、この神社の由来を知ってかしらずか、大勢の海水浴客が夏のひと時を楽しんでいます。さしずめ、海水浴客が意地悪い八十神で、私は大国主神、というところでしょうか・・・?

その晩、満天の空にいくつもの流れ星を見ました。大国主神や白ウサギが傷心状態でたった一人参拝した私へのお礼に、励ましてくれたのでしょうか?神々とか星とか、人間世界の現実を超越したものを前にして、人間の何という因果な生き物の「くだらなさ」を感じます。

翌日、私は予定コースを変更し、惹かれるように出雲大社へと足を延ばしたのは、言うまでもありません。

Img001

白兎神社についてふれられています。

Img002

白兎神社本殿。ごく普通の神社、と言えばそうなのかもしれませんが・・・。

Img003

白ウサギは、この池で身を洗ったそうです。そのころはもっときれいな水だったでしょう!

*今日の記事は、若かりし頃所属していた旅サークルの会誌に寄稿したものを、一部加筆・修正したものです。盆休みを利用して、1人で山陰地方をドライブした時(1985年)のことです。
 大国主神という名は、実は最初からこの名であったのではありません。のちに須佐之男命(スサノオノミコト)によって名づけられたものです。要約文の中にも書きましたが、このころは大穴牟遅神(オオナムヂノミコト)と名乗っていました。

|

« 神無月です | トップページ | 黄泉比良坂(よもつひらさか) »

コメント

私が最初に覚えたのは歌。
  大きな袋を肩にかけ
  大黒様が来かかると
  そこへ因幡の白兎
  皮を剥がれて赤裸
です。桃太郎も、浦島太郎も、金太郎、一寸法師、みんな歌があるのご存知ですか。


hannaさんへ

この歌は知りませんでした。他は「♪もーも太郎さん、桃太郎さん♪」と「♪マサカリ担いだ金太郎♪」は覚えていますが、「浦島太郎」と「一寸法師」は思い出せませーん(笑)!私の脳の中の記憶からは消えてしまっています。どんなでしたっけ?可愛いお孫さんたちに、子守歌代わりに歌ってあげてるのでしょうか?想像すると、とても和みます。

投稿: hanna | 2009年10月10日 (土) 23時04分

こんばんは~
何度も鳥取に行き、砂丘も寄ったことがあるのですが・・・ちーともしりませんでした。
最も行かれた当時、私は高校生。これからあれこれ興味をしめす「と・し・ご・ろ」でしたのでね。
今では多少なりともそのような歴史、いや文化に少しでも触れようと思っているのですが・・・
ここで勉強させて頂きますよ。

既に私の記事にコメントを頂いておりますが、なんとか記事全般は書き本文だけ下書きに投稿しています。後は再度読み直し都度修正しつつ、写真を貼付投稿となりますが・・・最後の最後、最後の「おしまい」まで気を抜くことは出来ないと申しておきましょう(笑)

これはきっと hanna様もこのコメントをお読みでしょう。
彼女のコメントにそれを書くと少しマズイのでこちらに書かせて頂きました。


青龍○段さんへ

鳥取砂丘は十数年前、両親を連れて行ったこともあります。足の悪い父のためにラクダに乗せてあげました。その時の父の笑顔がいまだに忘れられません。父のあれほどの笑顔は、見たことがありませんでしたから!
今回の私のブログ記事が勉強になるか分かりませんが、「灯台もと暗し」で地元のことほど知らなかったりします。私もその一人です。例えば、車で10分も走れば七宝焼で有名な七宝町があります。しかし、七宝焼について何も知らないのです。そんなものかもしれませんネ!
hannaさんのブログにこのコメント内容を書くとまずいのですか?もしかして、青龍○段さんの「いい色仲間」の方がおひとり、コメントされていますよね~!実は私も先ほど、その方のブログを読み、「ヘェーッ!」と思ったものですから、初めてコメントさせていただきました。ブログ友達になれるといいのですが・・・?

投稿: 青龍○段 | 2009年10月10日 (土) 23時29分

これからベッドに入ります。なぜかは私のブログに書きました。
「昔昔浦島は 助けた亀に連れられて 竜宮城にきてみれば 絵にもかけない美しさ」
「指に足りない一寸法師 お椀の舟に箸の櫂 京へはるばる上りゆく」だと思います。お母様もご存じでしょう。2番以降は不確かです。


hannaさんへ

hannaさんのブログのコメントにも書きましたが、お孫さんたちも心配ですが、hannaさんも決してご無理なさらないでください。
「浦島太郎」の歌、ハイハイ、思い出しました。というか、ド忘れ!していました(笑)。でも「一寸法師」の歌は、やはり記憶にない・・・。
そういえば、兵庫県の日本海に面するある町に「浦島太郎伝説」が残っています。「竜宮城」があったと云われているそうです。私は、「ウミサチ・ヤマサチ」のヤマサチが兄・ウミサチの大切な釣り針を失くした後、塩椎神(しおつちのかみ)のアドバイスに従いたどり着いたところも「竜宮城」だと思っています。って、話が少しそれてしまいました。m(u_u)m

投稿: hanna | 2009年10月11日 (日) 21時29分

「因幡の白兎」にはガマの花の花粉が出てくる・・・とのこと(AYUMI様のコメントに書いてありました)
有名らしいですが・・・ご存じでした!?

本日届いたJAF Mateにも島根県の事が書かれていました。これだけ目にするとは・・・何かの縁なのでしょうか?次に大山へ寄った際は行ってみた方が良いかもしれませんね~


青龍○段さんへ

ハイ(^_^)/!知っていましたよー!本文中の「古事記」からの引用・要約文にも書いています。AYUMI様という方、お名前は青龍さんのブログで拝見して、存じ上げておりますが、ブログはまだ読んだことがなくて・・・。一度、訪問してみます。
JAF Mate まだ届いてない・・・。10月号は栃木県が出ていました。hannaさんにいつの日か案内して頂きたいものです。

投稿: 青龍○段 | 2009年10月16日 (金) 11時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 神無月です | トップページ | 黄泉比良坂(よもつひらさか) »