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2009年10月15日 (木)

出雲大社

今日の「古事記」からの引用・要約は、「因幡の白ウサギ」の話の続きから始めます。

『八十神(やそがみ)たちは八上媛に、「我々の中から婿を選んでください」と言いました。そこへ、兄たちの荷物を持った大穴牟遅(おおなむぢ)神がやっと到着すると、八上媛は「大穴牟遅神と結婚します」と答えられました。
怒った八十神たちは、大穴牟遅神を殺そうと相談し、嘘をついて殺してしまいました。これを見た母なる神は泣き悲しみ天に昇り、神産巣日神(かむむすひのかみ)にすがると、その神は他の神を遣わし治療に当たらせました。やがて大穴牟遅神は生き返り、元気に歩きだしました。
その姿に驚いた八十神たちは、再びたくらみを仕掛け、またしても大穴牟遅神を殺してしまいました。泣きながら息子を探していた母神が発見し、再び生き返らせました。そして「ここにいては危険だから、須佐之男命のおられる根之堅州(ねのかたす)国へおいでなさい。きっとよいように計らって下さるでしょう」と言って、大穴牟遅神は須佐之男命がいる根之堅州国(地底の国、黄泉の世界)へ行きました。

しかし、そこでも試練が待ち構えていました。須佐之男命の娘・須勢理毘売(すせりびめ)とお互いに一目惚れし、すぐさま結婚を誓いあったのです。須佐之男命は、それが気に食わず、試練を与え勇気を試してみようと考えました。まず、蛇のいる部屋へ大穴牟遅神を呼び入れ、そこで寝かせました。しかし、須勢理毘売が須佐之男命に内緒で知恵を授け、ぐっすりと眠ることができました。
次の夜はムカデと蜂の部屋に寝かされました。しかし昨晩同様に安眠し、無事その部屋から出てきました。
そして今度は、鏑矢(かぶらや)を野に放ち、その矢を「探して採ってこい」と命じました。大穴牟遅神が野原へ入ると須佐之男命は野原に火をつけ、火はみるみる広がり、逃げられなくなってしまいました。そこへ鼠がやって来て「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言いました。その意味を理解した大穴牟遅神は、足元の土を勢いよく踏むと、穴の中へ落ち、そこに隠れているうちに野火は頭上を焼け過ぎて行きました。そして鼠が鏑矢をくわえて来て、大穴牟遅神に渡しました。
須勢理毘売も須佐之男命も、大穴牟遅神が死んだものと思っていましたが、野原に出てみると、大穴牟遅神が鏑矢を持って現れました。須佐之男命は「何としぶとい」と思い、御殿に連れ帰り広間に呼び入れ、自分の頭の虱(しらみ)を取るよう命じました。しかしそれは虱ではなく、たくさんのムカデでした。須勢理毘売はここでも知恵を授け、椋の木の実と赤土を手渡しました。木の実を食いちぎり、口中に赤土を含んで、唾と一緒に吐き出すと、須佐之男命は「ムカデを食いつぶして吐き出しているのだナ。なんと可愛い奴!」と思いました。須佐之男命は安心し、ぐっすりと寝込んでしまいました。

大穴牟遅神はこの隙に、須佐之男命の髪をいくつかに束ね、部屋の垂木に一つずつ結び付けました。そして大岩で部屋の入り口をふさぎ、須勢理毘売を背負い、須佐之男命の象徴である生大刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)、それに天の沼琴(あめのぬごと)を持って逃げようとしました。
すると琴が木に触れて大きな音がしました。須佐之男命は驚いて起き上がり、その勢いで部屋が引き倒れてしまいました。垂木に結ばれた髪をほどいているうちに、大穴牟遅神と須勢理毘売ははるか遠くに逃げ去りました。
須佐之男命は黄泉比良坂まで追いましたが、二人はすでに手の届かぬ現世国(うつしよのくに)へ逃げ延びていました。須佐之男命は二人に向かって叫びました。
「もうよい大穴牟遅、須勢理毘売はお前にくれてやる。その生大刀と生弓矢で八十神たちを追い払い、大国主神となって宮殿を建て出雲の国を治めろ」と。
須佐之男命に言われたとおり、大穴牟遅神は悪い兄弟たちを追い払い、大国主神となって国造りを始めました。』 *古事記より引用・要約

「古事記」からの引用文は、古い順から「黄泉比良坂」→「八岐大蛇」→「因幡の白ウサギ」→「出雲大社」となります。もちろん、これがすべてではなく、高天原の天照大神様の「天岩戸」伝説が間にありますが、この地に残る話ではありませんので、割愛致しました。

「神無月」、出雲地方では「神有月」ということもあり、今の時期、全国津々浦々の神々たちが、ここ出雲に集まって「全国神様集会(会議)」を行なっているのでしょうか?神様たち、どんな話をしているのでしょうネ?「政権交替したから、少しは良くなるんじゃないか」とか、「今の日本は・・・」などと愚痴をこぼしている神様もいるのかな?

「出雲大社」、ほとんどの方は「いずもたいしゃ」と読まれるでしょう。しかし、正式には「いずもおおやしろ」と読むそうです。
私は出雲大社へは、二度行ったことがあります。最初は「因幡の白ウサギ」伝説を追って、鳥取・白兎神社へ行った後(1985年)、二度目は仕事で東出雲町まで行ったついでの旅(1990年)で訪れました。
さすが、出雲大社です。本当に立派で風格漂うところでした。外国人旅行者の姿も目につきます。

この格調高い出雲大社で、私の目を引いたのは、大国主命像でした。本当に威厳のある神様、そう感じました。と同時に、とても優しい神様だということも感じ取ることができました。大国主命(大穴牟遅神)と白ウサギの像もありましたから!「古事記」の伝説の人物像そのままを、象(かたど)って作られたものだと思わずにいられませんでした。

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出雲大社本殿。平日のせいか、参拝者・観光客は少なめでした。

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大きなザックを背負ったバックパッカー。外国からの旅行者でした。

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境内にある大国主命像。

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上の写真を後ろから撮ったものです。少名毘古神を迎えるところでしょうか?

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大国主命(大穴牟遅神)と因幡の白ウサギ

時間の都合、というよりもう1か所、是が非でも行きたいところがあり、出雲大社を後にして、私は近くの海辺へと向かいました。平田市(島根県)にある猪目洞窟遺跡です。かつてここで、縄文時代から弥生時代、古墳時代のころの土器や埋葬品、人骨などが多数見つかったことから、「黄泉の国の入り口では?」という伝説があります。

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猪目洞窟入り口。写っている人は・・・私です。大きさがお分かりかと思いまして!

中へ入ってみました。地面は濡れています。先は暗くて見えません。頭上の岩が徐々に低くなり、いよいよ四つん這いにならなければ進めない・・・、で、そこであきらめました。でももし、レインウェアを持っていたら・・・、さらに先まで行っていたでしょう。とても後悔したことを今でも覚えています。(そのまま、”黄泉の国”まで行ってしまったりして・・・)

4回だけですが、「神話の旅」書いてみました。順序的には逆になりますが・・・。
お読みくださった方々が、日本の古典文学の面白さ・素晴らしさとともに、私の旅も楽しんでくださったなら、光栄に思います。

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コメント

いかにも黄泉の国の入り口という感じがしますね。面白いのは神話の中で須佐之男命など悪にも善にも立場によって見えたりするところです。これが何の自然現象の象徴なのかはわかりませんが、天岩戸の出来事が皆既日食を表すと考えられているように、古代人の自然への畏怖とつながっていそうな気がしています。


hannaさんへ

私も、この前に訪れた「黄泉比良坂・伊賦夜坂」よりこの洞窟の方が、それらしい雰囲気を感じました。須佐之男命が高天原で暴れたことにより、天照大神様が天岩戸の奥へ御隠れになったわけですが、この話も古の人々が皆既日食を見て、この物語を思いついたのかな?
信仰心の薄い現代、そして地球温暖化によって起こる自然災害、我々は今一度、自然の中の神々に畏怖の念を持たなければいけないのかもしれませんね。

投稿: hanna | 2009年10月15日 (木) 23時48分

「いずもおおやしろ」と読むのですか~賢くなりました。
行ったことがないのですが、でっかい造りになっているのでしょうね。大国主命像もでかく見えます。
こういうところは何度行ってもよいですね、また何かの機会があればいいのですけど。

ちなみに洞窟探検はどうも苦手でして・・・未知の感じがするのですが、暗いと怖いのです~(笑)


青龍○段さんへ

そうなのです。私もこの時まで「いずもたいしゃ」と読んでいました。神武天皇以前の古代日本の中心だったであろうところですから、ぜひ機会あれば訪れてみてください。大国主命像が歓迎し迎えてくれますヨ!
あれ?青龍さん・・・、閉所とか暗所恐怖症・・・?私の友達にもそのような人や高所恐怖症の人もたくさんいます。私は、どれもありません。むしろ生きている人間、特にすぐに暴力に走る人間の方が、よほど怖いです。

投稿: 青龍○段 | 2009年10月16日 (金) 11時54分

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