写真で振り返る「エヴェレスト街道」 その8
トレッキング14日目。このエヴェレスト街道のクライマックス、カラ・パタール(5545m)へ向かいます。もちろん仲間たちも一緒です。
3/19(木)、カラ・パタールを目指すべく、ロブチェをスタート。ヒマラヤを眺めながら歩いていきます。左端の山はプモリ、この山の尾根の先端がカラ・パタールです。
上の写真の右側に写っているところが、この写真につながります。ヌプツェが目の前に迫っています。カラ・パタールからとは全く違って見えますので、下の方の写真と見比べてみてください。
そろそろ標高5000mを超えたでしょうか?ヒマラヤがずいぶん近づいてきました。(↑最初の写真に比べ、かなり近くまで来ています。)
ゴラクシェプ(約5100m)にて。なぜか砂浜のようになっています。これははるか昔の名残でしょう。インド亜大陸がユーラシア大陸のプレート下に潜り、ヒマラヤは隆起してこれほど高くなった、その証明でもあります。きっと大昔のこの辺りは、海辺だったのではないでしょうか?これから、背後にある丘を登って行きます。
エヴェレストが、その頂を見せ始めました。ついに夢が実現のものになりました。感動!
他にも何人ものトレッカーたちがカラ・パタールを目指して頑張っています。
しかし、すでに5000mを超える場所。高山病との戦いです。一歩一歩が本当に重く感じられます。時にはこうして座りこんでしまいます。
何人ものトレッカーが、カラ・パタール目指して登っています。お互いに声かけあい、励ましあいながら、とにかく頑張るしかありません。次に踏み出す一歩が空気の薄さゆえ、本当に重かったです。それでも、ただひたすら、カラ・パタールを目指します。
カラ・パタールが目の前に見えています。ゴールはもう間もなくです。
ついに到達しました!カラ・パタール(5545m)の頂へ!思わず「バンザイ!」のガッツポーズ!エルマーも近づいてきました。
「やったゼ、エルマー!」。およそ2週間、楽しく過ごさせていただいたエルマーと!お互いに健闘を讃えあいました。
エヴェレスト(左奥)とヌプツェ(右)をバックに。これぞ、”夢・実現”の写真です。
ロブチェ西峰をバックに。
アマダブラムがひときわ高く見えます。
カラ・パタールからの雄大なヒマラヤの眺めです。最大限にズームして撮った写真を3枚つなげ、パノラマにしました。空が近いせいか、その青さが際立っています。
カトマンドゥへ戻り、写真を現像した後、手紙と共にこの写真を自宅の両親へ送りました。帰国後、今は亡き父が話してくれた言葉、今も覚えています。父はこの写真を見たとき、「えらい感激したワ!よぅ頑張った!」と。さらに「引き伸ばして部屋に飾りたいナー!」と言い、その要望に応え引き伸ばし、今もリビングに飾ってあります。
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コメント
白い雪に覆われた峰々と紺碧の空の対比がまぶしいです。ここを征服した感動は確かに大きかったでしょうね。その喜びを分かち合ったことによって大きな友情が生まれたのでしょう。山男に乾杯!
hannaさんへ
初めてネパールを訪れたとき、カトマンドゥ近郊のナガルコートという村の丘からエヴェレストを遥か彼方に見て以来、「エヴェレストをこの目で間近で見る」のが夢でした。荘厳なるヒマラヤの峰々、紺碧の空、高山病と戦いながら、ガイドの「もうやめた方がいい」の声にあくまでも「カラ・パタールまで行く」と主張し、仲間たちの支えもあって、目標を達成することができました。5545mの頂上で、エルマーと手を取り合いガッツポーズ、かけがえのない心の財産、かけがえのない海外の友達ができた瞬間です。昨夜も彼からEmailが届いていました。50代になった彼も、体のあちこちに少なからず異変があるようです。
投稿: hanna | 2009年10月27日 (火) 23時24分
3000mあるかないかのスイスの山で、
フラッとなりかけたことがありますが
こちらでは5000mを超えるところで高山病との闘い・・
進み方にもご苦労があったことでしょう。
意外に雪が少ないのでこれまでの認識とギャップを感じました。
山肌や地肌にゴツゴツ感があることにも少し驚いています。
どうしてもスイスの山々と比べてしまいますね。
Saas-Feeの風さんへ
高山病は、人によって症状を感じ始める高さが違いますが、日頃から山に慣れ親しんでいる人でも、3000m付近で症状が現れる人はいます。4000mを超えてからは、さすがにきつかったです。まして5000mを超えてからのカラ・パタールへの登りは、こまめに水分補給しないと足が前へ進みませんでした。
私がスイスへ行ったのは7年前の6月。ユングフラウやアイガー、メンヒなどにも雪が残っていましたから、3月のヒマラヤでこの雪の少なさは驚かれるかもしれませんネ!太陽に近い分、解けるのも速いのでしょうか・・・?
今後は、カトマンドゥでの暮らし、ダージリンへの旅、さらにアンナプルナ周遊トレッキングを書き綴って行こうと思います。これからもよろしくお願いします。
投稿: Saas-Feeの風 | 2009年10月28日 (水) 10時53分
なるほど~ うちの黒塩岩塩はヒマラヤの大地そのもの って事なんですかね。 ヒマラヤ岩塩は手作業で掘ってるらしいのですけど、何処にあるんだろ~?
ウンディーネさんへ
カトマンドゥの街で、黒岩塩が売られているのをよく見ました。ネパール語では「ビレヌン」と言います。「ヌン」が「塩」という意味は知っていますが、「ビレ」は???「黒」は「カロ」とネパール語では言うのですけど・・・。岩塩は、ヒマラヤでもネパール側ではなくチベット側でよく採れると聞いたことがあるような気がします。エヴェレスト街道からも、アンナプルナの方でも、そのような採掘場らしきものは見なかったですしね。
標高5000mを超える場所でも、砂浜のようなところがありますし、アンモナイトの化石も見つかりますから、何億・何十億年前はこの地が海だったことは間違いないでしょう。そして陸地となり、海水が蒸発し塩分だけが残って、やがて塊となり岩塩になった・・・、のでは???
ですから「ヒマラヤの大地そのもの」という言葉、その通りだと思いますヨ!
投稿: ウンディーネ | 2009年10月28日 (水) 23時38分
うーむ なるほど~
地球の大陸がまだ今のような形でなかった時から、大陸同士が重なったりひしめき合ったりして あの辺り特有の磁場が出来ているのでしょうかね~
わたしにとってヒマラヤ岩塩は不思議な事だらけなんです(*゚ー゚*)
ウンディーネさんへ
インド亜大陸がユーラシア大陸にぶつかり、何十億年もの歳月をかけてヒマラヤはあそこまで高くなったのですネ。磁場などもひずみが生じたりしたことでしょう。ウンディーネさんにとってのヒマラヤ岩塩の不思議、色々知りたいです。どれほどのパワーが秘められているのか!私も欲しい・・・。
投稿: ウンディーネ | 2009年10月29日 (木) 01時19分
こんにちは~
何度見ても良い眺めですね~
この冬は、こういう雪の景色を見たく低山の雪山に登る予定です~
軟弱だから、それなりの所ですけどね(笑)
青龍○段さんへ
一番最後の写真は、山と渓谷社の「エヴェレスト街道(内田良平著)」にも掲載されている写真と、同じところから撮っていると思います。
冬山、雪山、低山といえども十分な準備をしたうえで、お気をつけてチャレンジしてください。
投稿: 青龍○段 | 2009年10月29日 (木) 14時03分