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2009年8月22日 (土)

日本武尊 白鳥になる

「そこからさらに進んで、能煩野(のぼの)に着いた。そして故郷を偲んで、歌った。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる 倭しうるはし

(倭はもっとも良い国 青々とした垣のような山にかこまれ 倭はなんと美しい国)

また、こうも歌った。

命の またけむ人は たたみこも 平群の山の 熊白檮が葉を 髻華(うず)に挿せ その子

(生命にみちみちた人よ 倭の国の 平群の山の りっぱな樫の木の葉を 髪飾りにしなさい お前)

この歌は、国思(しの)び歌。またこうも歌った。

はしけやし 我家(わきへ)の方よ 雲居立ちくも

(おおなつかしい わが家の方から 雲が立ち昇って来る)

この歌は、片歌。この歌を歌いながら、危篤状態に陥った。それでもなお、こう歌った。

嬢子(をとめ)の 床のべに わが置きし 剣の太刀 その太刀はや

(姫の床のあたりに わたしが置いて来た太刀 ああ あの太刀は)

歌い終わると、ついに息をひきとった。」(古事記より引用・要約)

これらの言い伝えを残すところが、三重県鈴鹿市と亀山市にあります。

Img057  長瀬神社(三重県鈴鹿市)

  日本武尊御陵道とあります。

  息も絶え絶えにひたすら故郷である倭・纏向(まきむく)を目指していたのでしょう。

Img058  片歌碑

  長瀬神社内にあります。

Img059  片歌碑はどうやら江戸時代に

  建てられたようです。

Img062  能褒野神社(三重県亀山市)

  古事記の中にもこの地名が出てきます。漢字は変わっていますが・・・。

Img063  宮内庁治定の御墓があります。

  それについて説明されてありました。

Img064  御墓への参道です。

  静かな所にあります。

Img065_2  ここが日本武尊御墓

  お参りすることができました。

「日本武尊の死は、早馬により倭へと伝えられた。后や御子たちは伊勢の能煩野へ下り、御陵を作り、そばの田に身を投げ出し泣きながら歌を歌った。そして、日本武尊は大きな白鳥となり空を翔り、海辺に向かって行った。」(古事記より引用・要約)

Img060  加佐登神社(三重県鈴鹿市)

  これも日本武尊像です。

  伊吹山にあるものを

  参考にしたそうです。

Img066  この地にも

  それらしき古墳があるそうです。

Img067  ここから白鳥となって

  飛び立ったのでしょうか?

いかがでしたか?興味・関心のある方にとっては、楽しんでいただけたでしょう。そうではなかった方には、少しは関心を持っていただけたでしょうか?今回は、日本武尊と二人のお妃について書き綴りました。

このカテゴリー「神話の旅」は、またの機会に違う話を書き綴る予定です。さらに古い時代の話、幼い頃に誰もが聞いたことがある話、それらの伝説の地を書いてみようと思います。

次回の旅日記は、5年前ドイツの友人エルマー&アンジュラ宅に1週間ほど滞在した時の「プチホームスティ」を紹介します。

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コメント

 海にまで入り嘆き悲しむ様は、今の日本にはないもので、韓国の人々の感情表現に似ているような気がしませんか。それにしても倭はもうすぐ目の前であったのに、どんなに悔しかったでしょう。
 こうした文学散歩は興味深いものがあります。ただ、私は記録を付けませんので、ほとんど忘れてしまうのですが、それでも、その作品のよって来たる所が学べるのは面白いものです。
 この辺でもかかわりのある作家や物語の舞台になっているところはあるかもしれませんね。探してみようかしら。


hannaさんへ

韓国の人々の感情表現というものは、私はよく知らないのですが、「米の伝来と共に朝鮮半島から多くの人々が日本に来た」という話は聞いたこともありますから、渡来人(朝鮮半島)と現地人(日本)の混血の人を祖先に持つ人なども多かったと思われます。というより、その時代の大和朝廷の人々が、そういった人々だったはず。もともと日本は、「アイヌ」の人々が暮らす島のようでしたから。そして大和朝廷に従わぬ人々(熊襲、蝦夷)を服従させるよう天皇の命を受け、征伐に向かったのが日本武尊なのではないでしょうか。やがて蝦夷たちは北海道へと渡り、今日言われる「アイヌ族」、しかし、そのアイヌの人たちも、本当に純粋なアイヌはもはやいないのでは?と思うほどです。考えてみれば、古代史の英雄とはいえ、罪なことをした(させられた?)ものです。

それにしても、故郷の倭・まきむくの地まで数十キロしかないところまで来ていながら、命を落とした尊、どれほど悔しかったことか、その無念は計りしれません。だからこそ、白鳥に身を変えたのでは?と、信じたくなります。
このような文学散歩、ゆかりの地を訪れる旅も、興味ある者にとっては楽しいものです。hannaさんがお住まいの地方も、何か言い伝えが残っているところがあっても不思議ではありませんよ。ぜひ、探してみてください。
 

投稿: hanna | 2009年8月22日 (土) 23時22分

こんにちは~
最後は白鳥になったのですね。ん~む。
危篤状態にありながら歌われる、日頃の考えがないと出てこないものです。
興味深い人と思いましたよ。


青龍○段さんへ

現実的にはあり得ない話なのですが、それが古事記の良いところであり、面白いところでもあります。これよりも古い神代の時代の話は、100%あり得ない話が綴られていますし・・・。子供のころ、誰もが聞いた「ウミサチヤマサチ」の話の続きなどは、絶対に起こり得ないことですし、だからこそ、文学的要素として興味深く楽しめるものだと思います。
私は若い頃、もし、結婚し男の子が生まれたら”やまと”と名付けるつもりでいました。2人目も男の子だったとしたら、もちろん”たける”と名付けたでしょう。未だ独身生活をエンジョイしていますので、この夢はかないそうにありません。エッ?もし女の子だったら・・・?う~む・・・?弟橘姫にちなんで橘から”みか(ん)”というのはどうでしょう?”ひめ”もいいかも・・・?!ハハッ!勝手に妄想してしまいました(笑)。

投稿: 青龍○段 | 2009年8月26日 (水) 16時24分

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