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2009年8月20日 (木)

日本武尊 杖突坂

「玉倉部を出発して当芸野(たぎの)に着いた。”我が心はいつも空を飛んでいた。それなのに今、わが足は動かない。たぎたぎしくなってしまった。”と嘆いた。そこでその地を当芸(たぎ)という。そこからやや行ったところで、とうとう杖をついて歩かねばならなくなった。そこでその地を杖衝坂(つえつきざか)という。

尾津の埼の一本松に着いた。往路で食事をした時、そこに忘れて行った刀があった。そこで歌った。

尾張に ただに向かへる 尾津の埼なる 一つ松 あせを

一つ松 人にありせば 太刀はけましを きぬ着せましを 一つ松 あせを

(尾張の国に真直ぐに向いた 尾津の岬の一本松よ お前 一本松が人であるなら 太刀をはかせようもの 着物を着せようもの 一本松よ お前) 」(古事記より引用・要約)

日本武尊がこの時たどった道は、現在の岐阜県関ヶ原町から養老町、そして三重県桑名市へ至る国道沿いあたりであろうと推測できます。私にとっては、準地元と言えるほど近いところです。当芸野という地名は残念ながら見つかりませんでした。

Img051  杖突坂伝承地です

  岐阜県南濃町行基寺参道入り口

Img052  太刀の伝説が残る尾津神社

  三重県多度町(現;桑名市)

「三重の村に着いた。そして言った。”わが足は、三重の勾(まがり)の様だ。疲れた。”そこでその地を三重という。」(古事記より引用・要約)

これが三重県の名の由来であることは、誰もが想像するに難しくないでしょう。日本武尊の苦悩、それが現代に至るまで地名として残ることを、その時の尊は想像できたでしょうか?

この辺りでは日本武尊は、本当に杖を衝かなければ歩けなかったのでしょう。三重県四日市市にも「杖衝坂」と呼ばれるところがあります。そして坂を登りきったところには「御血塚」が残っています。尊はここで血を吐いたと云われています。

Img054  四日市市采女に残る

  杖衝坂伝承地

Img053  坂の向こうに

  御血塚が見えます

Img055  御血塚。

  奥に石碑があります。

日本武尊は、この後いよいよ、最期の時を迎えます。そこはどんなところなのでしょうか?そして何が残されているのでしょうか?

* 杖突坂と杖衝坂、どちらも「つえつきざか」と読みます。石碑に書かれていた文字の通りに表記しました。

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コメント

なんだか過労死をした企業戦士をふと思い出しました。それにしても大和はもうすぐそこだったのに気の毒なことです。本当に険しそうな坂ですものね。そこをよろよろと登っていく悲劇のヒーローの姿が目に浮かびます。間もなく「倭は国のまほろば~」と詠まれたところへ達するのでしょう?


hannaさんへ

う~む・・・たしかに!自らの慢心もあっただろうとはいえ、熊襲に続いての命令でしたから!過酷な旅であり、過酷な戦いでもあったでしょうし、それまでの疲労が積み重なっていたこともあるでしょう。現代社会で言うならば「過労死認定」されても不思議ではないかも・・・?ダメかな?
「日本武尊」の旅は、次回で終りになりますので、もちろん「倭は国のまほろば」と詠まれた所へと続きます。今回のカテゴリー「神話の旅」全体の hanna さんのご感想もお聞きしたいです。

投稿: hanna | 2009年8月20日 (木) 23時34分

こんにちは~
もー一度最初から読み返しました。少しは頭の中に入ったと思います。少しだけね。
どうなるのでしょうね~この先の展開をお待ちしています。

杖は現在の登山用品ではストック、富士登山では金剛杖、みなあれ持って登っています。
ツアーで行ったときは大体の方が焼き印を押してもらっていたなぁ~


青龍○段さんへ

わざわざ最初から読み返していただき、とても恐縮しています。ありがとうございました m(u_u)m 。日本武尊は古代日本の英雄ですし、そのゆかりの地を訪ねることは、私にとって、大いに意義のあることでした。

杖、と言えば…エヴェレストトレッキングでカラ・パタール登頂後の帰り道、現地のポーターの人々誰もが使用している短い杖を手に入れました。ラリグラス(ネパールの国の花)という、シャクナゲに似た花をつける木から作られているそうです。ピッケルのような形をしています。長さは1mあるかないかぐらいなのですが、これには理由があります。休む際に、荷物を背負った状態で、杖(T字型になっています)の上に載せ立ったまま休憩できるようになっています。これですと、荷物を下ろしたり再び担ぐ必要もなく、しゃがみ込むこともないので、再出発時のわずかな負担も軽減されます。かつて私も、この杖(自称;シェルパステッキ)を持参して北アルプスや白山を登りました。大きな木があるところでは、ザックを木にもたれさせ、私自身は杖のT字の上の部分へ腰を下ろす、とても楽でした。この杖は、今も大切に残しています。

投稿: 青龍○段 | 2009年8月22日 (土) 13時50分

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