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2009年6月23日 (火)

赤褐色の街にてⅡ ~インド人女中さんの日本料理~ その1

~在ネパール海外青年協力隊事務局長・森氏の招待を受けて~

 11月30日、ストーンハウス・ロッジの隣室、上田さんに誘われ wink 、海外青年協力隊(JOCV)ネパール事務局長の森氏に招待された happy02 。招待された理由は、海外青年協力隊に興味・関心を持っている上田さんがこの日、隣町パタンにあるJOCVの事務局を訪れ shoe 、森氏と話しているうちに、森氏が「いつもはネパール政府や教育関係者といった’おエライさん’相手 think が多いから、たまには気楽に、ネパールを訪れる若い日本の旅行者とも話がしてみたくなった confident 」からだそうだ。また、上田さんだけでなく「他にも1人か2人、誰か友達を連れていらっしゃい wink 」と言われたそうで、以前から海外青年協力隊について関心があった俺を誘ってくれたのだ happy01

*私は何の取り柄もなかったのですが、高校の後輩がその後、海外青年協力隊員としてフィリピンで3年間、農業指導してきました。

上田さんと俺はもう一人、日浦さん virgo も誘おうと思っていたのだが、この日に限って彼女はどこへ出かけているのか、ロッジ hotel になかなか帰って来ない weep (一緒に自炊する日は、遅くとも4時、外食する日でも皆で行くことが多いため、5時か5時半には一旦ロッジに戻って来ていた)。

とうとう時間 clock になり、仕方なく weep 我々は2人で、事務局があるパタンへ5時に行き、森氏の仕事が終わるのを待って、彼の車 car で、やや街外れにある彼の大きな借家 house へと向かった。借家といっても、かなりの豪邸 sign01 で、2階建ての’お屋敷’に広い庭にはバレーボール用のコート、畑もある。家賃は日本円にして、月9~10万円ぐらいだそうだ coldsweats02 。日本では考えられない安値 yen だが、この国では、よほどの人でないと、このような家に住むことはできないだろう。家賃にそれだけ使っても、他の物価(食費、光熱費、使用人3人への給料)が安いので、まだぜいたくしようと思えばできるらしいそうだ coldsweats01

到着後、すぐに缶ビール beer (Heineken;ハイネケン、アメリカのビール)を頂いた。上田さんも俺も、これにはいきなり’カウンターパンチ rock ’を受けたような驚きだ coldsweats02 。おつまみにポテトチップス。これは森氏が雇っている18才のインド人の女中さん virgo が用意してくれるのだ。

彼女は代々、協力隊の世話をしており、日本人の’舌 delicious ’をよく知っている confident と、森氏が言う。どんな料理 restaurant がこの後出てくるのか、期待を持った lovely 。現在、彼女は学生であるものの休学中で、日中や夜の空いている時間は復学を目指し school 勉強中だそうだ。彼女を’養女’のつもりでおいている森氏や他の隊員たちは、「彼女が無事、学校を卒業し、一人前に社会に送り出し、いい所へ勤めさせ、一人でも生きていけるようにしてあげたい confident 」と、願っている。これも「一つの’協力’だ confident 」と森氏は語った。

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コメント

こうした生活のギャップは日本に帰ってきてからのマンション住まいなどで逆カルチャーショックになってしまうみたいですよ。あれ、娘のお友達もネパールだったかしら、彼女はそこで年子で3人産んで(出産はさすがに帰国してしました)育てました。今は日本だけれど、女中さんも運転手さんもいないマンション住まい、狭いしかなり大変みたいですね。ちなみに彼女のご主人もJAICAの職員。かなり年上の方だったので、もう海外勤務はないかなって思いますが、今の方が大変だって言っています。


hannaさんへ

確かに「住環境」を考えると、当時の森氏の生活は日本では、そう簡単にできることではないですネー!たとえ異国とはいえ、日本から食材が届くし、運転手やメイドがいたり、「王様のような気分」になれたかもしれませんね。hannaさんのコメントを読んで、初めて気が付きました。ありがとうございます。
それにしても、お嬢様のお友達のネパールでの”子育て”は、かなり大変だったでしょうネ!何しろ山間部では「ミルクがなかなか手に入らない」ので、代わりに「チャン(どぶろくのような飲みもの)」を与えていたほどですから!ネパールの食事情を考えたら、日本人にとっては厳しかったと思います。それでも、現地の人々はちゃんと”子育て”しているのですから、同じ人間、「できないはずはない」のでしょうネ!そのお子さんたちが、いくつまでネパールにいたのか分かりませんが、少しでも彼らにネパールでの生活の記憶があるのなら、それは貴重な経験であり、財産になると思います。

投稿: hanna | 2009年6月24日 (水) 15時19分

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