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2009年6月 9日 (火)

ムクチナート ~聖地への道~ その7

11月16日 ”イメージとの遭遇”

マルファ8:00(徒歩)10:00ジョモソム11:00(徒歩)13:50カグベニ

 6:30すぎ起床。アップルパンケーキ apple cake とホットチョコレート cafe で朝食。かなり冷え込んでいて、寒い。宿泊代を支払うと、今までのところに比べて、やや高い wobbly 。電気 flair が通っているからかな?

この日は8:00出発。マルファの街をゆっくり歩く。なるほど、真っ白に統一された石造りの家やロッジが、街道沿いに建ち並び、中世の雰囲気をかもし出している good 。これまで通って来た村々とは、ひと味もふた味も違う lovely 。昨日会ったカナダ人夫婦が勧めるのも、納得だ happy01

マルファの村を外れると、次の村はいよいよ一大都会(?)ジョモソムだ。辺りは低い山に囲まれ、川が流れ、他には見るからに何もない。シルクロードを行くような気分だ confident 。行く先の方から、チベット服を身にまとった人々が歩いてくる。いかにも”巡礼”という感じだ wink 。「あ~異邦人、巡礼の旅人!」と、心の中でつぶやく。いや、今の自分も、ある意味において”巡礼の旅”をしているのかもしれない bleah

12  マルファ~ジョモソム間にて

  ニルギリを眺めながら・・・

  カリガンダキの川原を歩きます。

そんなことを考えているうちに、吹き流しが見えてきた。ジョモソム飛行場 airplane だ。チェックポストに10:00着。ここジョモソムは、銀行 bank 、郵便局 postoffice 、医者 hospital 、ネパールアーミー(軍隊)の基地もあるそうだ。昼食 restaurant には早いが、ここで腹ごしらえに、フライドポテトを食べる。1時間、ゆっくり休憩した。というか、足首の傷が化膿していて、ずいぶん痛かったのだ wobbly 。手首の傷までも、化膿し始めた。この痛みで、ムクチナートまで行けるかどうか、心配になって来た think

ジョモソムを11:00に出発し、タックコーラ右岸の川原を行く。大きな石がゴロゴロしていて、足場が悪く歩きにくい。実に疲れる。約2時間もの間、パッティはなかった。やっと、カグベニとムクチナートとの分岐点まで来た happy02 。そこのバッティの人に聞くと、「ムクチナートへは、ほとんど登りで2~3時間。カグベニへは1時間ぐらいだ」とのこと。足の状態を考えて、ムクチナートは翌日にまわし、カグベニへ向かった shoe

比較的、平坦な道で50分、城塞のような村が見えてきた。村の中へ入って行く。マルファ以上に落ち着いた、中世的な、時代をはるかにさかのぼったような不思議な村だ good 。やはり、ここは異国。建物は、かつて何らかの戦いがあったのか、ところどころ朽ちている。しかし今でも、村の人々は、その朽ちた建物の中で暮らしている。

13  1984年当時のカグベニ村入口。

  今ではカンニと呼ばれる仏塔門が、

  旅人たちを迎えてくれます。

14  カグベニ村の中。

  一般民家やロッジが建ち並びます。

39  カグベニ村とその付近です。

  ちなみにこれは、絵葉書です。

カグベニから北は、ツーリスト進入禁止 ban だ。この先にはムスタン王国(ネパール国内だが、特別に独立自治が許可されている。ムスタンラジャ(王)が統治)、さらに国境を越えチベット、そしてシルクロードへとつながる。

*1992年、カグベニ以北のムスタン王国は、外国人にも開放されました。ただ、その年はまだツーリストのためのゲストハウスやロッジがなく、食事提供も困難なため、行くのであれば、ガイドやポーター、キッチンボーイなどを雇い、テント泊で行かなければならなく、その上パーミット料金が異常に高かったので、個人旅行者は皆、諦めていました。

カグベニでは、アンナプルナロッジに宿を決め、夕方まで村を彷徨う catface 。子供たちの遊ぶ声、川で洗濯する女性たち、アンモナイト売り、のそのそと歩く水牛、石造り、石畳・・・、斜陽が村を赤く染める。日本出発時のイメージが、ここにあった lovely heart sign03 俺は思わず、あの名曲”異邦人”を何度も口ずさんだ notes

夕食は、ベジタブルフライドライスとフライドエッグ(目玉焼き)、そして久々の肉で、ミートスプリングロール(肉入り春巻)。さすがにうまい delicious 。野菜だって、下の方の村では青臭い菜っ葉だったが、ここはキャベツだ。栄養がとれた happy01

だが、足首と手首の化膿がひどい wobbly 。左手親指にも、黒ずんだ腫物ができていた shock 。いやな予感だ weep 。夜、それがやたらと気になり、心臓の鼓動がそこに集中しているようで、なかなか寝つけなかった。

カグベニ、アンナプルナロッジにて

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コメント

私にとってこの道はブラッド・ピットが映画の中でたどったあの道です。それにしても、今も続く中国の圧政を許せない気持がします。深い山奥に脈々と続く独特の仏教文化。あの聡明なダライ・ラマのたどっている過酷な運命はこの美しくも険しいチベットの山そのものかもしれませんね。


hannaさんへ

ブラピの映画の中の道?もしかして「セブンイヤーズ・イン・チベット」でしょうか?だとしたら、私も見たことがあります。ストーリーは思い出せませんが、TV放映されたときVTRに録画したはずなので、梅雨時の雨の日曜日にもう一度見てみます。
今朝の新聞で、「フランス・パリがダライ・ラマに”名誉市民”の称号を授与したことについて、中国が強い不満と反対を表明し、非難している」と読みました。”ダライ・ラマ”はノーベル平和賞を受賞しているほどの人物。これほどまでに敵視することはない!と思います。
中国には、チベットやウイグルなどの民族問題をはじめ、世界各国の知的財産(遊園地などのキャラクター、自動車のデザイン、各種ブランド品など)のコピー、北朝鮮に対する甘やかした態度など、国家としてもっと”大人”になってもらいたいと思います。ダライ・ラマの運命や、彼を信仰するチベットの人々を思うと、中国の国家としての言い分が、あまりにも残念でなりません。
台湾に対しても同じです。過去に日本が中国に対して行ったことは、確かにひどいものでした。しかし、今の中国にそれを非難する権利があるのでしょうか?私は、あまりにも”身勝手すぎる”と思います。私は声を大にして言いたいです。「チベットはチベット。中国ではない!」と。

投稿: hanna | 2009年6月10日 (水) 12時22分

そうそう宿泊代が高かったのは「家電使用料」が入っているからですよ、きっとflair
どこぞの悪徳業者から知恵が入ったかも(なんて)
カグベニ村、絵はがきのようにきれいに見えたのですね。雲と山がいいなぁ~うんうん。

それしてもキャベツはエライ。
何にして食べても美味。目下乾燥キャベツを直売で売っているところを探しています~ネットではあるのですが送料が高くなるので・・・あれがあったら山でも楽しむ事が出来るのですけどね~むふっ


青龍○段さんへ

宿泊料に”電気代”が入っていたのは、間違いないでしょう。この時は、村の中心部の写真を撮っていなかったのですが、マルファ村、白亜に統一され、とても素敵でした。’92年、’94年にも訪れていますので、いつかブログで日記と共に写真も公開したいと思っています。
カグベニ村は、また一味違った雰囲気を醸し出していました。詳しいことは分かりませんが、かつて何らかの”戦い”があり、何らかの”攻撃”を受けたと思われる建物が、そのままの姿で残っていました。そしてその建物に人々が暮らしているのです。その後訪れた時でも、相変わらず”中世”の雰囲気でした。
今では、このカグベニ村にも電気は通っているし、人々の生活も少しは豊かになったことと思います。しかし、人々の”素朴さ”は決して「失われてない」と、信じています。

投稿: 青龍○段 | 2009年6月10日 (水) 23時40分

もう まったく常識がないものですから すみません、
地理的にちんぷんカンプンで、 なかなかついていけなくて、
まさに 秘境で迷ってます・・  地図で勉強する時間が無くて・・

ただ 乾燥キャベツって ナマでなく そういうのがあるのですね~  びっくりすることばかりです・・


bellaさんへ

常識がないだなんて…思っていませんよ~!むしろ、この辺りの地理を知っている人のほうが「変わり者」ですよ(笑)!
キャベツは・・・、誤解されちゃったかなー?乾燥キャベツではなく、ちゃんとした生のキャベツでした。ネパール語で「カウリ」と言います。でも、風が強く乾燥したこの辺りなら、「乾燥キャベツ」とか、ドライフードの野菜があってもおかしくなさそうです。とはいえ、高地ですので作物はあまり育たないのが現状です。せいぜい大麦や小麦程度。近年では、稲作も成功したとか!とある日本人が、その地で挑戦し続けて、ついに稲作できるようになったそうです。

投稿: bella | 2009年6月13日 (土) 22時00分

その稲作の話、TVで見ました。多分その方だと思うのですが、相当高齢の方ですよね。 長いドキュメントでしたが、素晴らしい内容でした。


bellaさんへ

はい、私も多分同じ番組を見て知ったのだと思います。新潟出身の方で、確かもう7~80代の方のはずです。標高2700m付近の不毛の土地に、研究と苦労を重ね、ついに稲作(コシヒカリ)に成功したのですから、「スゴイ!」としか言いようがありません。
この辺りは、古くは日本人として初めてチベット潜入に成功した河口慧海氏も辿ったルート、そしてトゥクチェ村は富山県の利賀村と「姉妹村」を結んでいます。つまり、日本人にとっても現地の人々にとっても、お互いに馴染みのある、親しみやすい存在だと言えると思います。ネパールの山深い村で、そこに住む人々のために活躍する日本人がいること、誇りに思いますし、決して忘れてはならないと思います。

投稿: bella | 2009年6月17日 (水) 10時03分

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