ムクチナート ~聖地への道~ その6
11月15日 ”電気との出会い”
ガサ7:30(徒歩)9:15レテ9:30(徒歩)10:15カロパニ10:45(徒歩)12:20ラルジュン12:40(徒歩)14:00トゥクチェ14:00(徒歩)15:30マルファ
6:30起床。あと3日歩けばムクチナートだ 。アップルパイとホットレモンで朝食
。ホットレモンは、この辺りでは果汁そのままを使う。砂糖を入れないと酸っぱい
。
7:30出発。カイク、レテ、カロパニと、ほぼ1時間おきに村があるのは、ペース配分が楽になる 。カロパニのチェックポスト(トレッキング・パーミットを確認するところ)で、許可証に確認済みのスタンプを押してもらう。そしておやつに、アップルカードを食べる
。
ガサより既に標高差、550m。それほどきつい登りはなかったのだが・・・ 。この日の目的地、トゥクチェまでの標高差は、もう約30mしかない
。後は平坦な道と、水量の減ったカリガンダキ川の川原を歩くことになるだろう。
10:45にカロパニを出発。川原を歩き続けてラルジュンへ。一休みして、12:40出発。予想を上回るペースだ。再び、川原を歩き、リンゴ 売りに出会う。1ルピーで2つは安い
この辺りは、リンゴ
の産地だからナァ!さらに進むと、インドからネパール入国時に知り合ったカナダ人夫婦と再会し
彼らから「マルファは、すごくステキな村だ
。トゥクチェから1時間半で平坦な道だから、ぜひそこまで行ってみるといい
」とアドバイスを頂き、トゥクチェを14:00、そのまま素通りして、一気にマルファへと頑張ることにする
ガンバ
。
すると突然、俺の目に”文明”が飛び込んできた 。何と、”電線”が通っている
。奥地へ進んでいるのに・・・?トレッキングに出てきて初めてだ。しかし、謎は解けた
。この地方最大の村(というより”街”かな?)、ジョモソムに近いからだろう。ジョモソムなら、ポカラから来る飛行機
の飛行場もあるし、電気
があっても不思議はない。
乾期で水量の減った
カリガンダキ川の川原を行きます
。
往年のインド~チベット交易路でもあります 。
この辺りから、周りの風景が荒涼としてきた。いかにも”チベットへ向かう”という感じだ 。やがて、マルファに15:30到着。さすがに肌寒くなってきた。この日はオームズホテルに泊まる。時間的
にも距離的
にも、最も行動した日だ
。
ホテル内には、今まで見たことがない蛍光灯に白熱球 、ラジカセ
からは、ビージーズやビートルズの音楽
が流れている。ポカラ以来の”文明”だ
。一瞬とまどいながらも、やはり普段の生活に少し近づいたせいか、わりと落ち着いた
。
夕食 は、ベジタブル・フライドライスとチキンスープ。”チキン
”と見るや、「肉が食べられる
」と思ったのに、スープだけ。「なぁーんだ
」と思っても、後の祭り。
ここのロッジの娘 さんで、まだ15~6才位だろうか、俺が首からぶら下げているペンダントタイプの時計
を、「どうしても欲しい
」と親にねだり、「譲ってくれ
」と言いだした。
「日本でいくら するんだ?」
「ネパールルピーで70ルピー ぐらい」
「100ルピー出すから、売ってくれ 」
と、言われても、今の俺にとって、唯一の時計。無くては困る 。
「何かと交換するから 」と言われる。
「いくら 欲しいの
」とも言われる。
「絶対にダメだ 。これがないと、俺が困るから
」と言って、断固拒否
する。
彼らは、ぶつぶつ言いながら諦めたようだ。そしてこれ以降、彼らの態度は急変した 。今まで、何か注文すると、ニッコリ
微笑んで持って来てくれたのに、もう、それはない。あからさまな変わりよう
。俺も腹が立って
、寝てしまった
。
マルファ、オームズホテルにて
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コメント
普段の日帰り低山ではよく電線を見かけるのですけど、あれが写真を撮る際に邪魔なんですよね~木曽駒ヶ岳でもロープウェイがあるのである程度の場所は仕方ないのですけどね。
青龍○段さんへ
こちらの方には、近いところでも鈴鹿山脈の山になりますので、低い山でも1000m前後。御在所岳を除けば、電線などは目につかないのですが・・・。木曽駒は、登山目的ではありませんでしたが、20代の頃両親を連れて行った覚えがあります。千畳敷カールを少し散歩したかな!ネパールへは1994年を最後に行っていないのですが、どれほど変わっているか、気になります。
投稿: 青龍○段 | 2009年6月 9日 (火) 07時13分
文明が発達するほど欲が深くなったりして。というより、新しいものへのあこがれが強いのかも。でも、そうあからさまでも困りますよね。こんな瓦礫の道も、奥深い山中も人は住んでいる。暮らしはある。凄いことだといつも思います。だからそこに根づいたものの考え方や、感覚がある。これも興味深いですよね。
hannaさんへ
おっしゃる通りなのかもしれませんネ!人間、文明の発達と共に欲が深くなっているのかも・・・?この時は、たった一つしか持っていない時計、それを売るわけにはいかなかったし、それを理解されなかったのが、残念でなりませんでした。
こんな険しい地形、厳しい自然、文明がなかなか行き届かない場所でも人々は暮らしている。何故にこの場所を選んだのか?農作物さえも、なかなか育たないようなところで!それでも、人間は生きていけるのですネ!
25年も昔の旅日記ですが、それでも何かを感じていただき、考えることがあるだけでも、とても嬉しく思います。
投稿: hanna | 2009年6月 9日 (火) 08時56分
う~ん、びっくりしました・・ 時計を欲しがったのは
彼らの大昔の生き様にはなかった思想で、文明人と
接するようになってからの 風潮のハザマで 若い女の子が
翻弄された人格形成のなせる業ですね・・・
断固時計を売らなかったのは正解です
正しいことを貫くのも 旅の礼儀でしょう!
bellaさんへ
hannaさんのコメントにもありますが、やはり文明が進むとそれだけ「欲深く」なるのかもしれませんネ!それともう一つ、bellaさんもおっしゃっているように、この道が気軽に行けるトレッキング・ルートで、外国人ツーリストとの接触が多いことも見逃せませんよネ!
この時持っていた時計は、それ一つしかなかったですし、ちょっと「いわくつき」の時計でしたので、いくら大金を積まれても、売ることはしなかったと思います。それに、そこで安易に売ったりしたら、彼女は「お金さえ出せば、何でも手に入る」と思ってしまったかもしれませんよネ!bellaさんに、「正解です」と言われ、安心しました。
投稿: bella | 2009年6月13日 (土) 21時52分