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2009年6月

2009年6月29日 (月)

赤褐色の街にてⅡ ~ヒマラヤからの朝日~ その3

  翌12月6日朝6時、部屋の扉をドンドン rock と叩く音がする。2人して「誰だろう wobbly sign02 」と、寝ぼけまなこ gawk で扉を開ける。オーナーであるおじさんが、焦った coldsweats02 ような口調で何か言っている。どうやらもうすぐ”日の出 sun ”らしい。こちらから頼んでいたわけではないのだが、「おじさん、わざわざ起こしに来てくれたんだぁ happy02 sign01 」と、この時ばかりはおじさんに感謝 confident sign01  ベッドから飛び出し、セーター、マフラーを身につけ、丘へ登る。すでに、たくさんのツーリストが集まっていた。何とか”日の出 sun ”に間に合った bleah

外は、思ったほど寒くなかった happy02 。マイナスまで下がっているか、いないかだろう。朝焼けが、東の方のヒマラヤを紅く燃やしている sun shine 。カトマンドゥ方面や麓の村は、朝霞 cloud に隠れて、海のようだ。ところどころに見える小さな山が、島のように浮かんで見える。

やがて、深紅の太陽 sun が、顔を出す。ついに見る、ヒマラヤからの日の出だ sun happy01 sign03  午前6:30少し過ぎ。雄大な眺めだ coldsweats02オォー sign03 ”世界の屋根 fuji ”からの”御来光 sun ”、素直な感動が湧いてきた heart01 lovely 。これ以上、言葉にできない・・・weep sign03

一度ロッジ hotel に戻って朝食 restaurant 。自分たちがオーダーした物の材料が全く揃ってなくて、「どうしようもないナァ~ sad 」と思いつつ、ビスケットと何故か埃っぽい味のミルクティー cafe で済ます。結局、このロッジで10%のTAXも含め、1人60ルピー moneybag も使ってしまった。高い coldsweats02 sign01  「おじさん、これじゃお客さん、集まらないはずだよ down sign01 」と、我々は日本語でぶつぶつ呟いていた gawk

 8:30すぎ、再度丘の上に登り、各々の山の名称を確認した bleah 。エヴェレストのネパール語での名は、Sagarmatha(サガルマータ)と言うそうだ coldsweats01オォー!。ランタン(7246m)、ガネッシュ(7406m)も見える。エヴェレストをもっと間近に見たかったが、そうなるとルクラからナムチェを経て約1ヵ月近いトレッキングになる bearing ので、次の機会にしよう。

しかし、ここナガルコートが2166mの高さで、この3~4倍もの高さをあの山脈は誇るという coldsweats02ナニー!。とても信じられないような、でも、あと何日か歩けば、あの山の懐に行くことができ、真上に眺められたら、実感として受け止めることができるだろう think

9:00を過ぎて、エヴェレストがかすかに、おぼろげに見えだした happy01

夕日、ヒマラヤからの朝日、そしてエヴェレスト、この3つに満足してバクタプール、カトマンドゥへと帰って行った happy01 wink lovely

22  ナガルコートにて

  はるかかなたにヒマラヤが見えます。どこかにエヴェレストも写っているはず…。

  髪も髭もすっかり伸びて、まるで”ヒッピー” coldsweats01

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2009年6月28日 (日)

赤褐色の街にてⅡ ~ヒマラヤからの朝日~ その2

 午後3時ごろから、今夜のロッジ hotel を探しに行く。バス bus を降りた時からしつこいおじさんのロッジへ行ってみると、やや低いところにあって、見晴らしも今一つ think 。部屋代もたいして安くはない wobbly 。他のところを探すことにする run

次のところはアーミーキャンプのそばで、部屋を見てビックリ coldsweats02 sign02  真っ白なベッドシーツに化粧台、テーブル、椅子と、一流ホテル hotel 並み coldsweats01 sign03  料金を聞いて、日浦さん virgo と二人して、なおビックリ wobbly sign03 「18ドル sign02 dollar 」。単位(ネパールルピーではなく、ドル)が違うのだ coldsweats02 sign03

当然すぐに引き返し、次のところへ run 。しかし、行けども行けども shoe 、次のところが見当たらない wobbly 。道に案内板 soon は出ているのだが・・・ sad 。もう3時半を過ぎている coldsweats02 。日浦さん virgo とお互いに「4時までには決めて、落ち着きたいネ virgo think sign01 」ということで、来た道を戻り、結局「もう、妥協しようか think sign02 初めのおじさんのところで・・・ virgo despair 」ということにあいなった。

ドミトリー1人15ルピー(ストーンハウス・ロッジのドミトリーは7ルピー) coldsweats02 。まぁ、仕方がない sad 。お腹が空いていた wobbly ので、すぐに食事 restaurant にしたかったのだが、夕食は7時ごろしかできないらしい。とりあえず、おやつでも・・・bleah 、パンケーキとビスケット、ティー cafe ・・・、ビスケットは市販のものだからいいとして、他は・・・、ウ~ン think down おいしくない・・・ gawk 、おまけに高い・・・ shock

夕日 sun が沈む。ヒマラヤがピンクに染まる。カトマンドゥ盆地も、オレンジ色に輝いている shine 。旅先でしか意識しない夕日 sun 。日常生活では、全く気にしない夕日 sun 。やはり美しいものだ lovely 。旅の不思議さを感じた confident

やがて夜 night になり、外は月 moon1 灯りだ。田舎はいいナァ happy02 。電気 flair のない世界でも、外は明るい shine 。都会では味わえない自然だ good 。そして夕食 restaurant 。ベジタブルカリーとライス。ベジタブルとは名ばかりで、ポテトだけ despair 。「だったら最初から”ポテトカリー”と書いておけよ angry 」と言いたくなる。ライスの量が少なくて2杯食べ、空腹感は避けられたものの”夕食 restaurant ”という満足感はない wobbly 。日浦さん virgo は「自炊より粗食だネ~ gawk  bearing 」と言っている(彼女 virgo とは、知り合ってからしばらくの後、夕食 restaurant を一緒に”自炊”している heart01 happy01 )。

ちょうどその時、5人のグループがチェックインし、自分たちだけだったのが、にわかにざわついた wave 。そうこうしているうちに、オーナーが「彼ら5人をドミトリーに入れるから、ツインに移ってほしい confident 」と言ってきた。彼女 virgo と顔を見合わせ think 、「(ドミトリーと)同じ料金 moneybag ならいいよ coldsweats01 」と答えた。しかしその部屋は、ドミトリーに比べ、敷き布団も掛け布団もかなり上等(羽毛)で coldsweats01 、本来1人20ルピーの部屋だ。

オーナーは「2人で35ルピーにしてほしい」と言うのだが、「ノー pout 、1人15ルピーならOK!(だって、その料金で納得して決めたんだもんネ!)」。結局、こちらの言い分が通って、ふかふかの布団のツインルームを1人15ルピーで借りることができ happy02 、おかげで夜中もさほど寒くなく安眠できた happy01

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2009年6月27日 (土)

赤褐色の街にてⅡ ~ヒマラヤからの朝日~ その1

     ~ナガルコートにて~

*ナガルコート・・・カトマンドゥから片道2時間ほどのところにある、小さな村。標高2000mを越え、カトマンドゥ近郊のヒマラヤの展望台として人気を集める。近年では、観光客用のホテルやロッジも多数出来ているそうである。

 

 12月5日、ストーンハウス・ロッジ hotel の部屋をキープしたまま、1泊2日でナガルコートへ出かけた。日帰りでも行けるところだが、どうせなら夕日と朝日 sun が見たくて1泊 night することにした。同じロッジの日浦さん virgo も同行。

このナガルコート行きに関して、俺は以前から「12月初めごろに行く」と言っていたのだが、ある日(12/4)彼女が、「ジンさん。今、帰りの飛行機 airplane の予約をしに行って来たんだけど、実は希望の日(12/14)がキャンセル待ちしか取れなくて、もしその後だと試験 pencil に間に合わないから、明々後日(12/7)の飛行機 airplane で帰ることになったんですヨ~ weep 。それで、もし良かったら、明日ナガルコートへ一緒に行きませんか confident ?」と言ってきたのだ。彼女が飛行機の都合で、帰国が急遽1週間早くなってしまい shock 、この日しか行けなくなった彼女の希望 confident で、一緒に行くことになったのだ happy02

 ロッジ hotel を朝9時に出て、歩いて shoe 約20分で国立競技場の南のトロリーバス乗り場へ。まずは観光客が少ない古都、バクタプール(バドガオン)へ。トロリーバス bus で3~40分、料金は1ルピー。日本の都会並みのラッシュだ coldsweats02 。乗る時のマナーなんてものも、あるわけがなく、一斉に乗車口に駆け寄って席 chair 取りだ。我々は初めから「座ろう」と思わず、立っていった。もっとも途中でずいぶん空いて、座ることができたのだが、これは親切な青年が彼一人で座っていた二人用座席を、我々に譲ってくれたからだ happy01

バクタプールに着くと、赤土色の街の向こうに、ヒマラヤ山脈 fujifujifuji が横一線に!天気は良さそうだ。街に入ってナガルコート行きのバス bus 乗り場を探す。歩きながら人々に、「ナガルコート ジャヌ バススタンド ジャネ バト クン ホー (直訳;ナガルコート行きのバス停へ行く道はどれですか)?」と尋ねる。ちょっとした広場に出て、そこがバスの駐車場らしい。

21  バクタプールの街

  カトマンドゥと似たような古い街です。

  かなたには、ヒマラヤが眺められます。

  なかなかの”絶景”です。wink

バス bus は12時ちょうど発で、まだ1時間ほどある coldsweats01 。バッティ(茶店)に入ってティータイム cafe 。日帰りで行くという日本人の男性2人に会い、お互い暇をつぶす bleah 。緑色のボディのミニバス bus が来て、狭い車内にぎっしり人が乗る。20分遅れて出発。手すりにつかまって立っていたが、屋根が低いせいか、肘がずいぶん疲れる wobbly 。屋根の上(荷物置き場)にも何人か乗っている。約1時間半でナガルコートへ。

真正面の山には、雲はなく、見晴らしは最高だ lovely 。丘へ上がると、北東の方角にエヴェレスト、マカルーがあるはずなのだが、そちらの方角はあいにく、雲 cloud の向こうだ bearing 。もっとも、ここからでは、ほとんど遠くに小さく見えるぐらいで「あれが世界最高峰なんだ」という実感には、ほど遠いだろう bearing

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2009年6月25日 (木)

赤褐色の街にてⅡ ~インド人女中さんの日本料理~ その3

 お互いの会話もずいぶん煮詰ってきた頃、「ご飯を食べますか wink?」と、若いインド人の女中さん virgo が’日本語’で訊ねて来て、俺も上田さんも頂くことにする happy01 。すると、どんぶりにつがれたご飯は、インドやネパール風のパサパサのご飯ではなく、日本のお米で日本と同じように炊いてあった coldsweats02オオー sign01

おかずは”茹で茄子”、”大根おろし”に日本から持ってきたという”梅干し”に”ふりかけ”も happy01 lovely good sign03  そして、本当に感心 confident したのが、卵とネギが入った”お吸い物” sign01 これは、驚くほどおいしかった delicious happy02 sign03 俺だけではない。上田さんも、そのおいしさにビックリ coldsweats02 sign03  日本の料理屋でも、これほどの味はなかなか出せまい。とてもインド人の女性が作ったとは思えない sign02 ほどの’腕前’だ sign03

ご飯もとても美味しくて delicious smile 、2杯半も頂いてしまった coldsweats01 。何しろ、久しぶりに食べる”日本 fuji の御飯”、美味しくて、つい’おかわり delicious ’、お腹は十分ふくれていたけど図々しくも、「このご飯は、帰国するまで、もう食べられない think sign01」と思い、どんぶりにもう半分だけいただいた。普段、森氏は少食だそうで、俺が2度も’おかわり bleah ’をしたので「彼女 virgo 、すごく喜んでいるヨ happy01 heart sign03 」と森氏が笑顔 happy02 で話してくれた。事実、彼女は本当に嬉しそうに lovely 、’おかわり’したご飯を俺に差し出してくれた happy01 。その笑顔 virgo lovely を見て、俺も嬉しくなった happy01 sign03

お腹はもう、十分に満足した confident 。日本脱出以来、初めて口にした”日本 fuji の味 delicious ”だ。カトマンドゥにも3軒ほど日本料理店 restaurant があり、うち2軒は行ったことがあるのだが、値段も高くTAX(税)も取られる bearing 割に、味は彼女ほどではない wobbly

最後に”昆布茶 japanesetea ”が”あがり”として出された。素晴らしい’おもてなし料理 smile ’だった。森氏が言うには、彼女の一番の’得意料理’は”酢の物”だそうだ。そして”わかめ”がこの国では手に入らないことを、とても残念がっているらしい weep 。それを聞いた俺と上田さんは、さらにビックリだ coldsweats02エェーsign01

もう一度チャンスがあれば confident 、彼女の手料理をご馳走になりたい、と思いながら、午後11時過ぎ night 、森氏の車 car でストーンハウス・ロッジ hotel へと送っていただき、帰宿した sleepy

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2009年6月24日 (水)

赤褐色の街にてⅡ ~インド人女中さんの日本料理~ その2

 さて、次々に彼女の手料理 restaurant が運ばれてくる。なんと、”ほうれん草のおひたし”だ sign01。”おかか”までかかっている coldsweats02ビックリ !。そして日本のしょう油 coldsweats02オォーッ !。実においしい delicious sign01 日本の味 sign03 ビール beer は2本目となり、ウイスキーも出していただいた。洋風の”人参サラダ”(これは、もう一人の女中さんが作ったそうだ)に、まさに酒の肴 ”するめ”まで出てきて感激 weepウルウルsign01 ウイスキーも1本目のスコッチから、”CAMUS NAPOLEON” と最高のぜいたく sign03 さらには、”白菜のお漬物”、本当に日本料理だ happy01 sign03

我々の会話も、森氏は30代半ば、上田さんは26才、そのせいか22才の俺にとってはちょっと難しい「大人の会話」だ coldsweats01 。例えば、日本の社会、就職内容、大企業と中小企業の力関係、自営業や社長の立場としての仕事、そして役所関係・公務員 think 。帰国後、日本で就職するつもりの俺にとって、とても為になる話ばかりだ confident 。さらに、ネパールの国の事情、日本からの援助、協力隊の活躍などなど coldsweats02ヘェーッ !。これほどこみいった内容の「大人の会話」は、生まれて初めてではなかろうか coldsweats01

日本からの援助について、俺が

「初めてカトマンドゥに着いてすぐに気がついたのですが、”1981 NEPAL-JAPAN COOPERETION”と書かれたパス bus がありますよね。あれを見た時、”日本はこの国に援助してるんだぁ confident ”と思ったら、嬉しくて安心しました happy01 」と話すと、森氏も

「そうでしょう wink sign02 日本はもっと援助・協力していることをアピールした方がいい think 」と話していた。

現在、協力隊の隊員は、この国に61名いるそうだ。理科や算数の教師、水道建設、交通関係など、様々だそうだ coldsweats02ヘェーッ !。皆それぞれの分野で活躍し angryガンバ、この国でスターダムにのし上がった隊員もいるそうだ coldsweats02スゴイ !。

しかし、これらすべての会話は、俺にとってまだ見ぬ世界の複雑さ、困難、決していい加減な、ただ「金 yen が欲しい」では済まされない世界がそこにある、ということを知らされたようだ despair 。また、フリーで生きていくこと(俺が一番望む形)の難しさ、世間一般からの風当たりと圧力。フリーで生きていくならば、それなりに少しずつでも力をつけ、実績を築き、それが第三者からも明らかに「あいつには、それをやれるだけの力がある think 」と思わせなければ、決して認めてはもらえないのだweep 。自分自身だけが早合点しては、世間は決して認めてはくれない think

この日の会話の中で、俺がもっとも”恥ずべき行為”だったと思ったことがある。それは、”選挙権”があるにもかかわらず、これまで一度も投票に行ったことがなかったことだ coldsweats01 。日本の政治・経済に関わることなのに。政治に参加するというチャンスを、自らあっさりと”棄権”していた無責任さは、大いに反省しなければならない think

*この時以来、私はほぼすべての選挙に投票しに行くようになりました。

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2009年6月23日 (火)

赤褐色の街にてⅡ ~インド人女中さんの日本料理~ その1

~在ネパール海外青年協力隊事務局長・森氏の招待を受けて~

 11月30日、ストーンハウス・ロッジの隣室、上田さんに誘われ wink 、海外青年協力隊(JOCV)ネパール事務局長の森氏に招待された happy02 。招待された理由は、海外青年協力隊に興味・関心を持っている上田さんがこの日、隣町パタンにあるJOCVの事務局を訪れ shoe 、森氏と話しているうちに、森氏が「いつもはネパール政府や教育関係者といった’おエライさん’相手 think が多いから、たまには気楽に、ネパールを訪れる若い日本の旅行者とも話がしてみたくなった confident 」からだそうだ。また、上田さんだけでなく「他にも1人か2人、誰か友達を連れていらっしゃい wink 」と言われたそうで、以前から海外青年協力隊について関心があった俺を誘ってくれたのだ happy01

*私は何の取り柄もなかったのですが、高校の後輩がその後、海外青年協力隊員としてフィリピンで3年間、農業指導してきました。

上田さんと俺はもう一人、日浦さん virgo も誘おうと思っていたのだが、この日に限って彼女はどこへ出かけているのか、ロッジ hotel になかなか帰って来ない weep (一緒に自炊する日は、遅くとも4時、外食する日でも皆で行くことが多いため、5時か5時半には一旦ロッジに戻って来ていた)。

とうとう時間 clock になり、仕方なく weep 我々は2人で、事務局があるパタンへ5時に行き、森氏の仕事が終わるのを待って、彼の車 car で、やや街外れにある彼の大きな借家 house へと向かった。借家といっても、かなりの豪邸 sign01 で、2階建ての’お屋敷’に広い庭にはバレーボール用のコート、畑もある。家賃は日本円にして、月9~10万円ぐらいだそうだ coldsweats02 。日本では考えられない安値 yen だが、この国では、よほどの人でないと、このような家に住むことはできないだろう。家賃にそれだけ使っても、他の物価(食費、光熱費、使用人3人への給料)が安いので、まだぜいたくしようと思えばできるらしいそうだ coldsweats01

到着後、すぐに缶ビール beer (Heineken;ハイネケン、アメリカのビール)を頂いた。上田さんも俺も、これにはいきなり’カウンターパンチ rock ’を受けたような驚きだ coldsweats02 。おつまみにポテトチップス。これは森氏が雇っている18才のインド人の女中さん virgo が用意してくれるのだ。

彼女は代々、協力隊の世話をしており、日本人の’舌 delicious ’をよく知っている confident と、森氏が言う。どんな料理 restaurant がこの後出てくるのか、期待を持った lovely 。現在、彼女は学生であるものの休学中で、日中や夜の空いている時間は復学を目指し school 勉強中だそうだ。彼女を’養女’のつもりでおいている森氏や他の隊員たちは、「彼女が無事、学校を卒業し、一人前に社会に送り出し、いい所へ勤めさせ、一人でも生きていけるようにしてあげたい confident 」と、願っている。これも「一つの’協力’だ confident 」と森氏は語った。

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2009年6月22日 (月)

赤褐色の街にてⅡ ~カジノネパールにて~ その3

 そして次の日、2日も続けて通ってしまったのだが、そのわけは・・・。日浦さんという一人旅の女の子 virgo (19才)がストーンハウス・ロッジ hotel にこの日チェックインした。しかし、あいにくこの日はシングルが空いてなくて、翌日なら空くということで、この日1日だけ彼女はドミトリーに泊まることにしたそうだ。彼女はこの日、インドのデリーから空路 airplane やって来たそうで、それを知った同じドミトリーの金井さんが、「その航空券とパスポートをカジノで見せれば、クーポン free がもらえるから、それで遊べるヨ!」と、彼女をカジノへと誘ったのだ。そしてもちろん、俺にも声をかけてくれたのだ happy01

この日のメンバーは、金井さん、岩田さん、俺の3人は昨日と同じ、新たに日浦さん、そしてカルカッタでお世話になった隣室の上田さんも、一緒に行くことになった(千石さんはこの日はパス、克ちゃんはこの日の朝、ポカラへと旅立っていた)。

カジノでは、他の人たちに比べ、年齢が近いこともあって、日浦さん virgo とはとても親しく話をしていた happy02 。そして皆それぞれ、色々なゲームを楽しむ happy01 。俺は初めはスロットマシンで遊んでいた。すると・・・、この日も昨日同様、大当たり sign03 またしてもBAR shine が並んで、100ルピー dollardollardollar happy01 sign03  初めて来た日浦さんと上田さんは驚き coldsweats02 、昨日も一緒だった金井さんと岩田さんは、「エッ coldsweats02 sign02 ジン君 sign01・・・またかい wobbly sign02 」と、驚きよりもむしろ感心していた confident

調子に乗った俺は coldsweats01 、次に’Pontoon’というブラックジャックに似た賭けに挑戦してみた angryヤルゾ! 。せっかくカジノへ来たのだから、スロットマシンだけで終わっては、つまらないから gawk!その場に座ると、あっさりと100ルピー投げて、10ルピーの賭け札を10枚買う。しかし、このゲームはやってみて気がついたのだが、親とタイ(同じ)の場合、イーブン(引き分け)にはならず、親の’勝ち’になってしまう shock 。負けないようにと、さんざん粘っていたが angryガンバ、残り札が少なくなると「もういいや wobbly!」って気になって、結局100ルピー負けてしまった weep 。昨日の’勝ち’が吹っ飛んだ sad shock

いつもの生活なら、同じものを買うのに1ルピー、いや50パイサ(1/2ルピー) moneybag で争うのに coldsweats01 、100ルピーという、ほぼ3日分の滞在費を、いとも簡単に捨ててしまう bearing 。ここでは、ゲームも確かに面白いけど、それ以上に’人間の心理’のほうが面白かった bleah

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2009年6月21日 (日)

赤褐色の街にてⅡ ~カジノネパールにて~ その2

実際やってみる、というか、その場にいるとだんだんその気になってしまいます think 。この日は可愛らしく、スロットマシンで1~5ルピー moneybag (スロットはネパールルピー使用可)ずつ賭けて遊んでいた。5ルピーというと、食パン bread 2斤は買えますナァ bearing!なのに、どんどんアームを下してしまうのです、これが・・・coldsweats01 。1ネパールルピーが15円ぐらいだから、5ルピー賭けても日本のテレビゲーム1回分より安いし、パチンコでもやっているつもりで ’日本の金銭感覚 gawk ’でやってたね!そうでなきゃ、できないヨ coldsweats01

まず初めに、ネパールルピーで10ルピー、あっさり負けて weep 、もう10ルピー、これもやられた bearing 。で、インドルピーで20ルピー(29ネパールルピー)やっているうちに細々と勝ち始め(例えば、appleappleapple とか、cherrycherry○など・・・)、気がつくと57ルピーだ。わずかだが、8ルピー勝っている happy01 。いったんはそれで止めたのだが、このままボーッとしていてもつまらない gawk 。再びスロットへと向かい angryファイト 、インドルピーを捨てる bleah つもりで、更に20ルピー両替(29ネパールルピー)し coldsweats01 、残り10ルピー weep となった時のこと、突然機械が「ジリリーン bell note sign03 」と鳴った。ハッ coldsweats02 shine sign02 と思って見てみると、数打ちゃ当たるもので lovelyBAR が並んで leftrightドーン impactsign01 100ルピー dollar sign03 ヤッター happy01 scissors sign03 まさか coldsweats02 sign02 のことに、思わず体が震えた sweat01

機械が鳴り響く音を聞いて、近くでプレイしていた克ちゃんも、「ジン sign01 出たぁ coldsweats02 sign02 」と祝福してくれた good happy01 。金井さんや岩田さんも「スゴイじゃん coldsweats02 sign01 」「やるネェー scissors sign01 」と、逆に負けん気 pout を起こしていた。俺は、「勝っている時が止め時 bleah 」、手元には110ルピー。トータルすると、計78ルピー費やし、167ルピーになった good 。つごう89ルピーの儲け moneybag happy01 sign03 元手の倍以上 scissors になって、この日はここでフィニッシュ happy02 sign01 せこい勝ち方かもしれないけど coldsweats01 、負けるよりはずっといい bleah 。2日分のここでの生活費に相当するのだから happy01 sign01

そして、一つ年下の克ちゃんを誘い happy01 、バー bar へ行きコーヒー cafe (豆から挽きたてで、今までこちらで飲んだコーヒーの中でも、最高の味 lovely sign03 わずか2ルピー happy01 )、そして、久しぶりにビール beer (とても冷えていて shine 、味も抜群 delicious sign03 )を飲んだ happy02 。もう、何もかも超一流 happy01 sign03 もちろん、克ちゃんには奢ってあげた scissors

往復のタクシー car 代(皆で割り勘)を差し引いても、60ルピー moneybag ほど残る。カジノ初体験は、なかなか面白かった happy02

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2009年6月20日 (土)

赤褐色の街にてⅡ ~カジノネパールにて~ その1

       上流階級の人々を見て 

 インド・ネパールというと’貧しい国’というイメージを持っている人が多いと思う。事実、インドにおいては、いわゆる’こじきさん’という人々があふれている。それでも近年では、減っているらしい。ネパールでも少々は見られる。しかし、他の一般の人々はその国の物価、生活水準に合った暮らしをしているので、その点では、日本も変わらないだろう。

11月26日、着のみ着のまま興味半分で、カジノネパール(ホテル・ソルティオベロイ内)へ5人(金井さん、岩田さん、千石さん、克ちゃん、俺)で出掛けて行った。ホテル hotel に着くと、すぐにロビーでくつろぐ。”Soltee Oberoi”と言えばおそらくこの国最高級のホテルだろう。日本ならば、帝国ホテルへ行くようなものか sign02 そこへジーンズ denim 、トレーナー t-shirt 、サンダル、髪も髭もしっかり伸びた、いかにも’ヒッピー風貧乏旅行者’ coldsweats01 が行っても、ニッコリと出迎え、好待遇されるのは、我々が日本人だからか?どう見たって我々が’お金持ち dollar dollar dollar ’に見えるわけがない。ちなみにネパールにとって日本は、最大の援助国である。

一休みして、いざ’戦場’へ。まだ午後8時前とあって、あまり人はいない。しかし、カジノのボーイたちは皆、紳士然 としていて、ブルーのワイシャツに蝶ネクタイ、髪型も決まっている。そしてベストを着こなし、いかにも’らしさ’がある。カードの手さばきやルーレットなど、誠にスピーディかつあざやか good!思わず「フーム think sign01 」と感心。もっとも、そうでないとやれないのだろうけど。

9時を過ぎると、ぞろぞろと人も集まって来て、ルーレットやブラックジャック heartspadeclubdiamond の周りは大人気だ。しかし、人々の顔をよく見てみると、やはり大半がインド人だ。ネパール人らしき人はいない。他は、我々と同じような外国人ツーリスト。彼らもわりとラフな服装で来ていたのだが、我々ほどひどくはなかった coldsweats01

ここに集まる人々というのは、旅行者以外は当然、大金持ち dollar の上流階級だ。ふだん街を散歩していても、彼らのように毅然とし艶やかに正装をした人は、滅多に見かけない。男性はスリーピースで、頭にはターバンを巻いていたり、立派な口ひげをたくわえていたり。女性はさも高級そうなサリーを着装している。化粧もきれいにしていて’御婦人’と呼ばれるにふさわしい confident 。いかにも’お金持ち’という雰囲気が漂っている。やや太めの人が多いのは’お金持ち=食べ物に不自由していない’ことの証明か!

彼らの遊び方を見ていると、やはり’大盤振舞’ coldsweats02 。インドルピーで100ルピーというと、一般サラリーマンの5~10日分の給料らしい。日本円にすると、約2000円、まあパチンコ1回分あるかないかってところですが・・・。その100ルピー札がどんどん飛び交う。すごい人は、あっさり1000ルピー dollar sign03 1000ルピーあれば、インド国内1ヶ月は旅できるのだが・・・coldsweats01 。彼らにすれば、お金が余ってるんだろうね!しかしその気持ち、解かる気もします。いざ、その席に座ってしまえば・・・・・・。

注…カジノネパールで使用できる通貨は、スロットマシン以外はインドルピーのみ。1インドルピー=1.45ネパールルピーです。

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2009年6月19日 (金)

ブロッケン (Email von Deutschland)

1ヵ月前、ドイツの友人からEmail mailto と共にたくさんの写真 camera が送られてきました。昨年彼らは、旧東ドイツに住む親戚宅へ行ったのですが、地図でその場所を確認すると、すぐ近くに「ブロッケン山 fuji 」があり、私は彼らに、「いつかぜひ、行ってみたいところだ」とメール mail しました。すると彼らは今年5月に、そこへ行って来たようです。

「ブロッケン」と聞いて思い浮かべるのは、やはり「ブロッケン現象」でしょう。以下、Wikipediaから引用致しました。

ブロッケン現象(ブロッケンげんしょう、Brocken spectre)は太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る人の影の周りに、と似た光の輪となって現われる大気光学現象光輪 (glory) ともいう。山岳の気象現象として有名で、尾根の日陰側かつ風上側の急勾配の谷で山肌に沿って雲(霧)がゆっくり這い上がり、稜線で日光にあたって消える場合によく観察される。航空機から見下ろす雲や、平地でも川霧等に現われることがある。

  • に比べて、見かけの大きさは10分の1程度と小さく、光の輪は何重にもなる場合がある。また、見る人の影が十分小さければ、中心点にも輝点が見られる。内側は青色で、外側は赤色。
  • 名前の由来となるドイツブロッケン山は、ハルツ山地の最高峰 (1,142m) である。
  • ブロッケンの妖怪(または怪物)とも呼ばれるが、日本では御来迎(ごらいごう)、山の後(御)光、仏の後(御)光、あるいは単に御光とも呼ばれる。これは、古くは阿弥陀如来が姿を現したと考えられていたためである。槍ヶ岳開山を果たした僧播隆の前に出現した話が有名。
  • 水滴が起こすミー散乱の後方散乱が、光の色(波長)によって異なる角度依存性を持つ事に起因する。ミー散乱を起こす粒子は雨粒に比べて非常に小さい(虹は雨粒による屈折と内部反射によるものである)。
  • ブロッケン現象は、霧の中に伸びた影と、周りにできる虹色の輪(ブロッケンの虹)の二現象をまとめて指している。両者とも霧の中のいたるところで起こっており、霧が見る人の間近にあるとき、奥行きと巨大さを感じる場合がある。

Photo  ブロッケン現象

  (Wikipediaより)

  ”山の妖精”とも呼ばれています。

さて、このブロッケン山ですが、”ベルリンの壁”崩壊前の米ソ冷戦時代 typhoon は、ここに旧東ドイツの”軍事施設”があったそうで一般の人々は立ち入ることができなかったようです bearing 。しかし、1989年、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一、そして今ではここブロッケン山も、一般の人はもちろん、観光客も自由に行くことができるようになったそうです happy01

ここは、1年のうち1/3は霧 mist でおおわれ、年間平均気温は3℃以下 coldsweats02 というところだそうです。また、ここには”魔女伝説”があり、「魔女は、冬を追い払い、春を呼ぶ」と信じられているそうです think 。お土産に売られている”魔女の人形”は、「人々に幸運をもたらす happy01 」と言われているそうです。あの文豪ゲーテも30代後半、創作活動に行き詰まりを感じていたときに、この地を訪れ散策し、ここで新たな創作のきっかけをつかんだと言われています。今もこの森に、”ゲーテの道”と名付けられた散歩道があるそうです confident

そこで、エヴェレスト街道トレッキング以来の親愛なる旅仲間 happy01 であり、メル友 mail mailto loveletter wink でもあり、今やお互いの家族も含めて親交のある、エルマー&アンジュラ夫妻 lovely から送られてきた clip 写真 camera を掲載しながら、「ブロッケン山」を紹介します scissors

ブロッケン山へは麓の街ヴェルニゲローデから鉄道 train で行くことができます。ハルツ狭軌鉄道です。その鉄道は・・・、

Bild073

 な・な・なんと・・・SLでーす lovely sign03

 なおさら行きたくなった・・・confident

 1897年製のドイツ最古のSLだそうです。

Bild075

 日本にも、土日限定で

 SLを運行しているところがありますが

 本当に乗ってみたい・・・weep

Bild082

 車内はこのようになってます。

 一昔前の日本にも、この様な列車

 ありませんでしたか― coldsweats01 sign02

Bild085

 ブロッケン駅に到着。

 ここから”山登り”というより、

 ハイキングを楽しみます happy01

Bild087

 なんか・・・寒そうです・・・wobbly

 緯度的には日本よりはるか北!

 やっぱり寒いのでしょう think

Bild084

 平ぺったーいドイツの大地!

 でも、なんとなく・・・

 ”山の妖精”が現われそう・・・wink

と・・・、このようなところです。写真はこれだけでなく、他にもたくさん送っていただきました happy01 。麓の街や宿泊したホテルなど・・・、ますます行きたくなりました coldsweats01 。何とか時間を作って、ぜひ訪れてみたい confident !せっかくなのでベルリンやドレスデンなどの旧東ドイツの街も訪れてみたい。しかし、それだけの休み、取れそうもないよなー weep sign02

*今回のブログは、エルマー&アンジュラ夫妻からのEmailだけでなく、Wikipedia とNHKで以前放送された「関口知宏が行く ドイツ鉄道の旅」を参考しました。

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2009年6月18日 (木)

赤褐色の街にてⅡ ~カトマンドゥでの暮らし~ その2

 午後は、ダルバール広場でボケーッ gawk としている。似た者同士のヒッピーが、たむろしている。塔の上から見た街は、バザールの売り子 virgo 、牛 taurus や馬 horse 、サイクルリクシャなど、人々がそれぞれのリズムで生活している。齷齪した様子はない。ここは、時がゆっくりと静かに流れている confident

小さな街なので、同宿の人ともよく逢う。「お茶 cafe でも飲もうか?」と言って、’スタイリストパイ’という、美味しいケーキ屋へ。日本の喫茶店で食べるケーキ cake より、倍以上も大きい。意外にネパールの名物です。

朝からずっと食べっぱなしなので、散歩へ shoe 。ダルバール広場より吊り橋を渡り、スワヤンブーナートへ。ボロボロの服を着た子供が’陣とり’や小石でビー玉遊び。俺も昔は、こんなだったっけ。

畔道の向こうの小高い丘に、寺院が見える。スワヤンブーナートだ。100段以上ある階段を昇り coldsweats01 、ストウーパの前へ。陽 sun も傾きかけて、街は赤褐色(れんがいろ)。街の向こうには、ヒマラヤ山脈が白い帽子をかぶって並んでいる。近代化が叫ばれつつも、まだまだ中世なのだろうか?この国、この街の人々の律動が、赤褐色に調和している。ストウーパの仏陀の目は、この街をそっと見守っている eye 。街がさらに紅く染まるころ、下って行く。街のリズムに、自分自身を再び流してみる。

夕食は3日に2回ほど、自炊していた。タルカリバザール(野菜市場)へ立ち寄る。「今夜は何を作ろうか・・・ think ?」「ジャガイモと玉ねぎはあったから・・・、キャベツにトマト、そうだ!湯豆腐もいいナ、味噌汁にも入れて・・・bleah 」。同宿の自炊パートナーの日浦さんと相談し wink 、メニューを決める。「フルーツも買って、デザートを作っちゃおぅ happy02 !」

ストーンハウス・ロッジに戻り、夕食の用意にかかる。日浦さんと役割を分担し共同制作。ちなみに、この日浦さん、まだ19才という一人旅の女子短大生 virgo 。勇気ありますネ、一人でインド・ネパールまで・・・。まず、お米を洗って野菜は熱湯で消毒する。粉ふきイモに茹でただけのキャベツと玉ねぎ、トマトを加えサラダクリームをかけて、サラダの出来上がり happy01 !米がだいぶ炊けて、余った野菜を入れ、味噌と塩、味の素、卵を入れて、雑炊の出来上がり happy02 !少しずつ食べながら、味噌汁(具は豆腐)を作り、そして湯豆腐をポン酢(他の宿泊者から頂いた)と共に食べる。すべての食事 restaurant を終えるころには、外は真っ暗、すっかり夜 night 。でも、最高においしかった delicious happy01 sign03

食後の片付けも終わり、夜も更けてくる。毎晩、どこかの部屋が2~3人、4~5人のたまり場となり、談笑している。俺の部屋はツインなので、シングルよりやや広いこともあり、日浦さんやカルカッタでお世話になった、今は隣室の上田さん(26才、フリーのプログラマー)が毎晩来てくれた happy01 。「コーヒー cafe でも飲みましょうか!」熱いカップをすすりながら、この国について思うこと、自分たちの現在・未来、裸電球 flair 一つの薄暗い部屋での語らいに、’異国の旅の下’の不思議を感じた。明らかに、ここは日本じゃないんだ、と!

ふと時計 watch を見ると、もう10時だ。外に人の気配はない。聞こえるのは”モゥ~”と鳴く野良牛 taurus の声だけ。一国の首都だというのに、なんだかおかしい!思わず皆で、笑ってしまった happy02 !そしてそれぞれ「お休みー sleepy !」と言って部屋に戻り寝支度。シュラフを広げブランケットをかける。そして今日も1日終わる。

赤褐色の街で、俺なりの暮・ら・し。

*ここカトマンドゥでの自炊生活については、後日改めて書き綴ります。写真こそありませんが、どんなものを作っていたか文章で紹介していきます。

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2009年6月17日 (水)

赤褐色の街にてⅡ ~カトマンドゥでの暮らし~ その1

 ストーンハウス・ロッジの小さな部屋の窓に、朝の光 sun が射しこんできた。「もう朝かぁ~、ふぁ~」とあくびをして、ベッドの上に敷いたシュラフの中から飛び出す。今日も、いつもと同じように、この街の1日が始まった。

エレクトリック・コイルヒーター(コイル式電気湯沸かし器)で、ゆで卵を作る間に洗顔し、朝食 restaurant の用意をする。食パン bread を切りジャム(アプリコット、マンゴーなど)を塗る。ゆで卵ができると、コーヒー cafe を作り、皿の上にチーズやバナナ banana を盛ったら、立派な朝食だ。「いただきまーす delicious 」。毎朝の習慣だ。

朝食が終わると、何の目的もなく街へ出る。たいていはラトナパークへ行く。バザールは賑やかだ happy01 。衣料品や日用品、屋台も出て、フルーツやドーナツ、ヌードル、ポテトのカレー煮など smile 、朝食を終えたのに、つい手が出てしまう coldsweats01 。おっちゃんやおばちゃんとの交渉に飽きた頃、園内でゴロンと陽なたぼっこ。いつの間にか小学生ぐらいの子供が、ピーナッツやスィートを売りにくる。1ルピー2ルピーと買ってポリポリ・・・。なくなると、またやってくる。キリがない。そのうち、陽 sun がずいぶん高くなり、昼がきたらしい。

ランジャナ・シネマ(映画館)付近も、よく賑わっている。大衆娯楽の王様は、この国では映画 movie なのだ。インドのものが流行っていて、その界隈にはブロマイド屋もいる。一度見てみたが、言葉がさっぱり・・・ wobbly 。でも、美男美女が主役、コミカルな顔の役者が喜劇を演じ、怖ーい顔は悪役!どこも変わりませんネ!ですから、ストーリーもおのずと解ってくる happy02 。それよりも、見ている人々の反応、あの興奮はすさまじい eye!ヒーローが活躍すると、拍手喝采!悪役が出てくると、大ブーイング、喜劇スターに足踏み鳴らし、大爆笑!恐れ入りました think

映画館の近くのモモ(ネパール風餃子;小龍包)屋で、昼食にした。一口サイズのモモが10個で3ルピー。たれが辛いけど、美味しい delicious 。お腹もふくれる。物足りなきゃ、サモサ(ネパール風コロッケ;カレー味のポテトをパイ生地のようなもので三角に包み、揚げたもの)を食べていた。

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2009年6月16日 (火)

カトマンドゥへ戻る

 11月23日7:00発のスイスバス bus で、カトマンドゥへ戻る。ストーンハウス・ロッジ hotel へ行くと、シングルは空いてなかったが、つい数週間前まで泊まっていた俺をオーナーは覚えていて happy01 、ツインをシングルと同じ料金(11ルピー≒160円)で貸してくれた。何とも嬉しいご好意だ lovely

そして、相変わらずサキャさんのお店に顔を出し wink 、彼といつも話をしていた happy01 。また、トレッキング中に偶然再会したムネさんとも再び会い happy02 、宿も同じストーンハウス・ロッジだった。彼とは当然ながら、一緒によく夕食 restaurant へと出かけていた。

そのころ俺は、電気店で’エレクトリック・コイル・ヒーター(湯を沸かすためだけのコイル式ヒーター)’を買い、スーパーでインスタントコーヒーを買って、朝食はコーヒー cafe とパン bread 、フルーツ banana apple 、ゆで卵 fullmoon を作って”自炊”していた coldsweats01

ある日の夜 night 、ロッジの近所の店で俺が卵を買っている moneybag と突然「ジン sign02 」と、大きな声がした。俺は「誰だ?ここで俺のことを”ジン(ニックネーム)”と呼ぶ奴は think sign02 」と思って、辺りをきょろきょろすると、克ちゃん(高畑君)が「オホホー sign01 ジン sign03 久しぶりー happy01 sign03 」と駆け寄って来た run 。俺も思わず「オォー sign01 克ちゃーん happy02 sign03 」と叫び、お互いに手を握り抱擁し合った scissors

彼もやはり、俺が北海道を旅していたときの仲間 good で、室蘭にあるユースホステルでヘルパーをしていた’かっちゃん’。克ちゃんは実は、初めは俺と一緒に旅立つ予定で連絡を取り合っていた telephone のだが、克ちゃんのアルバイトの都合で俺だけ先に出発していたのだ bearing 。そして彼もインドへ向かう予定だったのだが、カルカッタまでのチケットを予約した途端、あのクーデターが勃発し wobbly 、インド入国が不可能となり bearing 、トラベル・エージェントの素早い対応もあって confident 、チケット ticket を即ネパール・カトマンドゥへと変更し、ここへやって来ていたのだ happy01 。克ちゃんは、俺がインドで盗難に遭ったことを知っていた。なぜなら彼も俺と同じ旅行代理店を利用していたからだ。そして克ちゃんも、ストーンハウス・ロッジに泊まっていたのだ happy02

さらに、カルカッタで盗難直後にお世話になった scissors 上田さんとも、ここで再会した happy01 。しかも、部屋が隣同士 good 。金井さんと岩田さん、辻さんもポカラから戻って来ていた catface 。俺はかつての仲間、そしてこちらで知り合った新たな仲間と共に、このカトマンドゥでの暮らしを楽しむ smile

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2009年6月15日 (月)

ポカラへ戻って

 11月19日、トレッキングを終え、ポカラへと帰って来た。すぐにスルジェハウスhotel へ行き、幸い空きベッドもあり、チェックイン。そして、オーナーの平尾さんに、手足の状態を見せ、医者 hospital を紹介していただき、すぐに行くことにする。地図を書いていただくと、歩いて shoe 30分ほどのところで、バスターミナルがある大きな交差点の角、”Dr.N.B.Gurung”という医者だ。

症状と、痛みがあることを訴え、患部に薬を塗ってもらう。そして4~5日ほど通院するよう、言い渡された despair 。しかし、この薬が驚くほどよく効いた coldsweats02 。3日目の朝、起きてみると、何の違和感もなく「エッ sign02 」と思っていると、化膿も治まり、痛みも感じなくなっていて、引きずっていた足も、普通に歩けるようになっていた happy01

その日も俺は医者へ行き、ドクターにその日の状態をジェスチャーをしながら説明した。ドクターも「そうだろう happy02 sign01 」と言うように、誇らしげだ。俺は彼に大いに感謝し confident 、「その薬を1瓶買いたい」と申しでると、快く売ってくれて happy01 、その後は通院することなく、自分で治療した。金井さんや岩田さんも、俺のあまりにも早い回復ぶりに、とても驚いていた。

 ポカラには、トレッキングの前後合わせて7日間滞在した。湖があって、静かでのんびりした、温暖な街だが、返ってのんびりし過ぎて、することもなく飽きてしまった wobbly 。また、観光客も多く、土産物屋や闇ドル、大麻売りのタチもカトマンドゥより悪いし、物価も高い bearing 。闇ドルのレートが低いうえ、物価が高いとあって、トレッキング後4日目にはカトマンドゥへ向かっていた。

でも、湖があり、マチャプチャレやアンナプルナ南峰が聳え立つ様は、やはり絵になる lovely 。レイクサイドやロッジの庭で、暖かい陽射しの中、本を読んだり昼寝をしたり、好きな人は何日でもいられそうな、のんびりした街だった。

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2009年6月14日 (日)

トレッキングを終えて

~ 巡 礼 の 旅 ~

 この2週間、ただひたすら歩き続けた shoe 。体の調子は決して良くはなく wobbly 、山での水や油が合わなくて、下痢をしていたし、水脹れができたのも、それによるものだ。また、南京虫やノミなどの虫が、シュラフやトレッキング中ずっとはいていたジャージに住み着いたままだったようで、傷をより多く、またひどくした shock

しかし、良い’旅’だった confident 。アンナプルナ内院、山への憧れ、ムクチナート巡礼。ジャングルでたった一人迷い込んだ時の、何とも言えない孤独感 despair 。言葉が違っても、伝えようとする意志さえあれば、民族・人種の問題なく、話ができる happy01 。しかし、それらはすべて’歩く’ことから始まっていた。’歩く’こと、そこに生きていくうえでのすべての原点があるように思われた think

そして、人間とは、本当にタフである。精神的にも肉体的にも!自分がいかに弱いかと思っている人でも、いざ自分だけ、しかもそれを突破しなければどうにもならないほど、追いつめられれば angryガンバ、とてつもない力を発揮すると思う。

毎日、平均して5~6時間、2週間歩き続けられた体力、そして根性。歩いてみて、初めて多くのことに気がついた。もちろん、’歩く’以外に交通手段がないところだから、そうせざるをえなかった。

ムクチナートの丘に立った俺は、日本を離れる直前の混乱していた俺ではなかった。ある自信、何か一つのものが見えてきた。そしてさらに、それを飛躍させる必要を感じた。景色だけを見に来たトレッキングではなかった。俺が俺自身を試し、捜し続けた”巡礼の旅”だった。

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2009年6月13日 (土)

ムクチナート ~聖地への道~ その11

11月19日 ”ポカラへ”

ジョモソム8:00(ロイヤルネパール航空)8:20ポカラ

 6:30起床し、ティー cafe だけ飲んで7:00、飛行場へ向かう。予約の確認、料金 dollar を支払う。金井さんたちは、昨日の予約時に俺の本名が思い出せなかったようで、俺のことを「シック・ジャパニーズ(病気の日本人 sign02 )」と言って予約を入れていた。俺はとてもおかしかったが coldsweats01 、そんなでも、予約が取れたことに感謝していた confident

やや風がある。フライトが見合わされた。何しろ小さな飛行機 airplane だ。ポカラ~ジョモソム間は、この一機だけで毎朝3便ずつ往復しているのみ。そして、山間谷間を飛ぶわけだから、風が吹いて乱気流が発生したら、ひとたまりもない。それでなくても「あんな小さいもので大丈夫なの think ?」と思うのに・・・。

’Royal Nepal Airlines N9-ABT ’と書かれた飛行機 airplane にいよいよ乗り込む。定刻よりかなり遅れてフライトする。機内にはスチュワーデス virgo もいて、飴玉の機内サービスがあったのには、驚いた happy02 。わずか20分のフライトなのに・・・。

一度北上してから南東の方向へと、下って行った。それほど高度は上がっていないものの、ヒマラヤ山脈を空から眺められた eye 。アンナプルナ、マチャプチャレを見た時、「10日前はあの奥にいたんだナァ confident 」と感じ入っていた。よく行ったもんだ!人間ってタフだナァ!やればできるし、体力もそれなりにあるものだし、根性もあるものだ。ここでは’歩く shoe ’以外にないのだから。我ながら「頑張った angryガンバ」と思う。

と思っているうちに、もうポカラの街、ペワ湖が見えてきた。本当にたった20分だ coldsweats02 。人間が1週間(俺は、アンナプルナ内院へも行っていたので、余分にかかっている)の日々を費やして歩く道程を、ほんの20分 bleah !文明の利器とは、とてつもなく恐ろしく、また素晴らしいものだ confident

ポカラの飛行場に無事着陸。自動車 car も自転車 bicycle もある街だ。そして、スルジェハウスへと戻る。俺の2週間のトレッキングが終わった。

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2009年6月12日 (金)

ムクチナート ~聖地への道~ その10

11月18日 ”最後のトレッキング”

ジャルコット8:00(徒歩)12:20ジョモソム

 7:00起床。朝食 restaurant にジャム付きのチャパティとゆで卵、ミルクコーヒーを注文したのだが、これはいったい何だ gawk ?ゆで卵は、白身まで半熟のまま、コーヒーは埃っぽい味・・・ wobbly 、昨晩のこともあって、気分最悪 angry !今まで泊まったロッジの中でも、最も印象が悪い bomb impact pout sign01 用を済ませてすぐに出発した。

8:00、太陽 sun を背に、最後の日のトレッキング shoe 。右からダンプスピーク、トゥクチェピーク、ダウラギリⅠが聳えているのが見える。俺の顔もずいぶん陽焼し、髭も伸び髪も伸びてきた。容姿も気分も、’道を求め彷徨うヒッピー、時代を超えた旅人’、そんな感じになって来た confident 。’異邦人 notes ’を何度も口ずさむ karaoke note

やがて、道はタックコーラの川原を行くことになる。足首の痛みもひどく、完全に引きずりながら wobbly 歩いていた。左足ふくらはぎの辺りも、妙に痒く、見てみると、何ヶ所か虫に喰われていたり、小さな水脹れができていたり weep

ジョモソムの街が小さく見えてきた。先にジョモソムへ向かったはずの岩田さんが、逆方向なのに、こちらへと歩いてきている。彼はすでにジョモソムに到着していて、「君の分の飛行機 airplane の予約もしておいてあげたよ!明日の朝8:30発で、僕らと同じだからね」とのことだ。1日待たされるかと思ったのだが、助かった confident 。何しろ17人乗りの小さな飛行機だから。彼は再度カグベニへ行って、良質のアンモナイトを買ってくるつもりだ、と言う。彼らは数日前からポーターを雇っていて、この日、俺よりずっと速いペースで進んでいたのだ。

12:20、やっとジョモソム到着。金井さん、岩田さん、辻さん(女性)と同じ、200年の歴史を持つタックコーラロッジにチェックインする。岩田さんから、「タックコーラロッジに君のベッドも確保もしてあるから」と聞かされていたのだ。彼らのご好意、親切が本当に嬉しかった happy01 !俺の部屋は、岩田さんと2人でダブルを1部屋、金井さんと辻さんで1部屋。今までの疲れを癒すように、宿でかけている音楽 slate を聴き、ストーブにあたってのんびり過ごした。

夕食 restaurant は、べジタブルエッグスープとベジタブルフライドライス。歴史があるせいか、確かな味だ delicious 。食後も、電気があるせいか、遅くまで皆で起きている。と言っても8~9時ぐらいまでだが。俺は今までの2週間を振り返りつつ、20:00にはシュラフに潜り込んだ。

ジョモソム、タックコーラロッジにて

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2009年6月11日 (木)

ムクチナート ~聖地への道~ その9

(11月17日のつづき)

この日はここで宿をとり、ムクチナートへは、片道30分だ。ヒマリーホテルに荷物を置き、昼食を終えて、12:40出発。少しの登り坂を歩いて、30分でムクチナートへ到着。アンナプルナ内院に続き、二つ目の目標も達成 happy01 sign03

痛々しくなった足を引きずって、ここまでやってきた angryガンバ。そして先に出発していた金井さんと岩田さんにも、とうとう追いついた happy02 。2日の差を、最終目的地にて、追いつくことができた。とはいえ、彼らは36才と30才、俺は若干22才。当たり前と言えば、当たり前か sign01 彼らは、俺の足首の状態を見て eye

「それは、もう医者 hospital へ行かなきゃダメだよ pout sign01 バイ菌が入っているかもしれないし、手首もそんなに化膿してちゃ、ほっといたら危ないよ coldsweats02 へたに破傷風が入ったら治らないし・・・ gawk 」と、

皆の勧めもあって、帰路はジョモソムからポカラまで、飛行機 airplane で帰ることを余儀なくされた。このまま歩いて shoe ポカラまで帰っても、普通で1週間。しかし、この状態では10日以上かかるかも・・・?1フライト610ルピー(≒$35≒9000円)は、痛い出費 dollar だが、怪我がこれ以上ひどくなったり wobbly 、何かの菌が体中に回った後では sad 、手遅れになることも・・・ shock 。体には代えられない。飛行機で帰ることを決意する think 。これによって、俺のトレッキングは、この日を含め、あと1日半となってしまった weep

彼らとの雑談のあと、高台に登りムクチナートの村を眺め、聖地へと向かった。聖地には3つの寺院がある。ここは、ラマ教、ヒンズー教両方の聖地であり、とても神聖なるところだ。一応仏教徒の俺も、お参りをしてきた。金井さんに教えられたように、お線香とマッチを持って、線香を焚き、お布施を喜捨して、皆の無事を祈った confident 。つき合っている彼女 virgo のこと、親父、おふくろ、兄貴、姉貴、そして多くの旅仲間たち、皆が健康で幸せでいられますように・・・。

17  ムクチナートの丘、聖地。

  ラマ教やヒンズー教徒の人々は、一生に一度はここへ巡礼に来ることが夢 heart01 だそうです。

18_2  ’ダラ’と呼ばれるものです。

  水が流れ落ちています。

  全部で108つ、あるそうです。

40  三重塔。

  聖地にある寺院の一つです。

  いつの時代のものか知らないのですが、

  やはり歴史を感じます think

聖地を下り、チェック・ポスト、そして再び村へ。ここの物売りのおばちゃんたちは、しつこいうえに、かなり高く売りつけてくる angry 。他の人が「40ルピーで買った」というマフラーを、初めは「80ルピーだ」と言ってくる。「高すぎる pout sign01 」と言って交渉しても、なかなか40ルピーまで下がらない。そっぽを向いて歩きだすと、追いかけて来て、いきなりマフラーを俺の首に巻いて「45ルピー」と言う。この強引な売り方に腹が立ってきて angry 、そのまま突っ返した。この付近では、アンモナイトの化石が採れるそうなので、それだけは記念に大、中、小と3つ45ルピーで買った。この辺りの人々は、アンモナイトも”神様” confident と崇めているそうだ。

ずいぶん涼しくなった16時ごろ、ムクチナートから20分でジャルコットのロッジに戻った。夕食 restaurant に、エッグ・ベジタブル・フライドライスとエッグ・ガーリックスープを注文。6時にはできると言っていたのに、他のトレッカーのは次々運ばれ、俺のだけなかなかできない sad 。彼らの食事が終わるころ、聞きに行くと、再度俺の注文を聞きにくる始末 wobbly 。金井さんらも言っていたが(彼らも、この日は同じロッジだった)、このロッジは「日本人は人がいいから、後でもいいと思っているみたいだよ」と angry

夜、右手首、右足首、左手親指がうずく wobbly 。とくに左手親指の水疱は、だんだん大きくなってきて、10時ごろ一度つぶしてみた。すると、血を含んだ水が流れ出てきた shock 。軟膏を塗ってテーピングする。まさか、破傷風?なんてことはないだろうな・・・ shock sign02 いずれにしても、1日も早くポカラへ戻り、医者 hospital へ行こう。そこでダメなら、急いでカトマンドゥへ戻るしかない。この晩も、良くない予感が頭をよぎり、よく眠れない despair 長~い夜 night だった。

ジャルコット、ヒマリーホテルにて

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2009年6月10日 (水)

ムクチナート ~聖地への道~ その8

11月17日 ”異邦人”

カグベニ8:45(徒歩)11:40ジャルコット12:40(徒歩)13:10ムクチナート16:00(徒歩)16:20ジャルコット

 熟睡できないまま wobbly 、朝を迎えた gawk 。それでもシュラフから出たのは、7:00。朝食は、ムスタン・ブレッド bread にジャムを塗って、そしてオムレツ。ムスタン・ブレッドは、ジャムを塗ったから良かったものの、そのままだったら、味は今一つ。ただし、お腹はふくれる。

しばらくすると、アメリカ人のカップル heart04 (カリフォルニア出身とのこと)が、日本語で話しかけてきた coldsweats02 。彼らは小田原で3年間、英語教師として働いていたそうだ。彼らは俺の右手首の化膿に気付き、俺が「薬は持っていないのです weep 」と答えると、彼らが持っているファーストエイドで、応急処置をしてくれた confident 。すべて日本製の、軟膏や滅菌ガーゼ、バンドエイドで、患部にバイ菌などが入らぬよう施してくれた。足首の傷にも、バンドエイドをペタペタと何か所も貼ってくれた。本当に嬉しかったし、助かった happy01 。旅人同士の心の通じ合い good 、国境を越えてもあるものなんだ wink 。俺は彼らに本当に感謝した lovely 。そして「ありがとう happy01 、お元気で。さようなら weep !」と、彼らを見送った crying

8:45、いつもよりのんびりしたスタート。ムクチナートまでは、わずか2~3時間らしいが、傷ついた俺の脚では、もう少しかかるだろう sad 。スタート直後こそ、山肌の登り道だったが、1時間かけて登りきると、後は緩やかなアップダウンの道。

それにしても、この道から見える光景は、あまりにも荒涼としている eye 。砂漠ではないのだが、もし、シルクロードを歩くことができるならば、きっとこんな感じなのだろう think 。俺の脳裏に、再びあの歌 note が浮かび、声を出して歌っていた karaoke notes

           異 邦 人        久保田早紀

子供たちが空に向かい両手を広げ

鳥や雲や夢までもつかもうとしている

その姿は昨日までの何も知らない私

あなたにこの指が届くと信じていた

空と大地がふれあう彼方

過去からの旅人を呼んでる道

あなたにとって私ただの通りすがり

ちょっとふりむいてみただけの異邦人

市場へ行く人の波に体をあずけ

石畳の街角をゆらゆらとさまよう

祈りの声、ひずめの音、歌うようなざわめき

私を置き去りに過ぎていく白い朝

時間旅行が心の傷を

なぜかしら埋めていく不思議な道

’サヨナラ’だけの手紙迷い続けて書き

あとは悲しみをもてあます異邦人

あとは悲しみをもてあます異邦人

俺はこの歌 note を歌いながら notes 歩き続けた shoe 。この歌が使われたコマーシャルのシルクロードの画面と、今見ている風景とをダブらせながら confident 。「あぁ、俺もここでは”異邦人”なんだナァ confident !」という意識が、よりいっそう強くなった。すれ違う人々と「ナマステ happy01 (ネパール語;こんにちは)!」と、声かけ合う。’旅’というものは’歩く’ことなんだナァ!あれこれ考えているうちに、ジャルコットへ着いた。11:40だ。

(11/17の日記 まだまだ次へ続きます)

15  この道を、”異邦人の道”と、

  勝手に名付け呼んでいます coldsweats01

  痛む足を引きずり wobbly 、ひたすら前だけを見て、歩き続けました angryガンバ shoe

  シルクロードに思いを馳せながら・・・confident

16_2  この道は、’92、’94にも歩いています coldsweats01

  歩くたびに”異邦人”を口ずさんでしまいます karaoke notes

  

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2009年6月 9日 (火)

ムクチナート ~聖地への道~ その7

11月16日 ”イメージとの遭遇”

マルファ8:00(徒歩)10:00ジョモソム11:00(徒歩)13:50カグベニ

 6:30すぎ起床。アップルパンケーキ apple cake とホットチョコレート cafe で朝食。かなり冷え込んでいて、寒い。宿泊代を支払うと、今までのところに比べて、やや高い wobbly 。電気 flair が通っているからかな?

この日は8:00出発。マルファの街をゆっくり歩く。なるほど、真っ白に統一された石造りの家やロッジが、街道沿いに建ち並び、中世の雰囲気をかもし出している good 。これまで通って来た村々とは、ひと味もふた味も違う lovely 。昨日会ったカナダ人夫婦が勧めるのも、納得だ happy01

マルファの村を外れると、次の村はいよいよ一大都会(?)ジョモソムだ。辺りは低い山に囲まれ、川が流れ、他には見るからに何もない。シルクロードを行くような気分だ confident 。行く先の方から、チベット服を身にまとった人々が歩いてくる。いかにも”巡礼”という感じだ wink 。「あ~異邦人、巡礼の旅人!」と、心の中でつぶやく。いや、今の自分も、ある意味において”巡礼の旅”をしているのかもしれない bleah

12  マルファ~ジョモソム間にて

  ニルギリを眺めながら・・・

  カリガンダキの川原を歩きます。

そんなことを考えているうちに、吹き流しが見えてきた。ジョモソム飛行場 airplane だ。チェックポストに10:00着。ここジョモソムは、銀行 bank 、郵便局 postoffice 、医者 hospital 、ネパールアーミー(軍隊)の基地もあるそうだ。昼食 restaurant には早いが、ここで腹ごしらえに、フライドポテトを食べる。1時間、ゆっくり休憩した。というか、足首の傷が化膿していて、ずいぶん痛かったのだ wobbly 。手首の傷までも、化膿し始めた。この痛みで、ムクチナートまで行けるかどうか、心配になって来た think

ジョモソムを11:00に出発し、タックコーラ右岸の川原を行く。大きな石がゴロゴロしていて、足場が悪く歩きにくい。実に疲れる。約2時間もの間、パッティはなかった。やっと、カグベニとムクチナートとの分岐点まで来た happy02 。そこのバッティの人に聞くと、「ムクチナートへは、ほとんど登りで2~3時間。カグベニへは1時間ぐらいだ」とのこと。足の状態を考えて、ムクチナートは翌日にまわし、カグベニへ向かった shoe

比較的、平坦な道で50分、城塞のような村が見えてきた。村の中へ入って行く。マルファ以上に落ち着いた、中世的な、時代をはるかにさかのぼったような不思議な村だ good 。やはり、ここは異国。建物は、かつて何らかの戦いがあったのか、ところどころ朽ちている。しかし今でも、村の人々は、その朽ちた建物の中で暮らしている。

13  1984年当時のカグベニ村入口。

  今ではカンニと呼ばれる仏塔門が、

  旅人たちを迎えてくれます。

14  カグベニ村の中。

  一般民家やロッジが建ち並びます。

39  カグベニ村とその付近です。

  ちなみにこれは、絵葉書です。

カグベニから北は、ツーリスト進入禁止 ban だ。この先にはムスタン王国(ネパール国内だが、特別に独立自治が許可されている。ムスタンラジャ(王)が統治)、さらに国境を越えチベット、そしてシルクロードへとつながる。

*1992年、カグベニ以北のムスタン王国は、外国人にも開放されました。ただ、その年はまだツーリストのためのゲストハウスやロッジがなく、食事提供も困難なため、行くのであれば、ガイドやポーター、キッチンボーイなどを雇い、テント泊で行かなければならなく、その上パーミット料金が異常に高かったので、個人旅行者は皆、諦めていました。

カグベニでは、アンナプルナロッジに宿を決め、夕方まで村を彷徨う catface 。子供たちの遊ぶ声、川で洗濯する女性たち、アンモナイト売り、のそのそと歩く水牛、石造り、石畳・・・、斜陽が村を赤く染める。日本出発時のイメージが、ここにあった lovely heart sign03 俺は思わず、あの名曲”異邦人”を何度も口ずさんだ notes

夕食は、ベジタブルフライドライスとフライドエッグ(目玉焼き)、そして久々の肉で、ミートスプリングロール(肉入り春巻)。さすがにうまい delicious 。野菜だって、下の方の村では青臭い菜っ葉だったが、ここはキャベツだ。栄養がとれた happy01

だが、足首と手首の化膿がひどい wobbly 。左手親指にも、黒ずんだ腫物ができていた shock 。いやな予感だ weep 。夜、それがやたらと気になり、心臓の鼓動がそこに集中しているようで、なかなか寝つけなかった。

カグベニ、アンナプルナロッジにて

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2009年6月 8日 (月)

ムクチナート ~聖地への道~ その6

11月15日 ”電気との出会い”

ガサ7:30(徒歩)9:15レテ9:30(徒歩)10:15カロパニ10:45(徒歩)12:20ラルジュン12:40(徒歩)14:00トゥクチェ14:00(徒歩)15:30マルファ

 6:30起床。あと3日歩けばムクチナートだ wink 。アップルパイとホットレモンで朝食 restaurant 。ホットレモンは、この辺りでは果汁そのままを使う。砂糖を入れないと酸っぱい wobbly

7:30出発。カイク、レテ、カロパニと、ほぼ1時間おきに村があるのは、ペース配分が楽になる happy01 。カロパニのチェックポスト(トレッキング・パーミットを確認するところ)で、許可証に確認済みのスタンプを押してもらう。そしておやつに、アップルカードを食べる delicious

ガサより既に標高差、550m。それほどきつい登りはなかったのだが・・・ think 。この日の目的地、トゥクチェまでの標高差は、もう約30mしかない happy01 。後は平坦な道と、水量の減ったカリガンダキ川の川原を歩くことになるだろう。

10:45にカロパニを出発。川原を歩き続けてラルジュンへ。一休みして、12:40出発。予想を上回るペースだ。再び、川原を歩き、リンゴ apple 売りに出会う。1ルピーで2つは安い happy01 sign01 この辺りは、リンゴ apple の産地だからナァ!さらに進むと、インドからネパール入国時に知り合ったカナダ人夫婦と再会し lovely happy01 sign01 彼らから「マルファは、すごくステキな村だ heart 。トゥクチェから1時間半で平坦な道だから、ぜひそこまで行ってみるといい wink 」とアドバイスを頂き、トゥクチェを14:00、そのまま素通りして、一気にマルファへと頑張ることにする angryガンバ shoe

すると突然、俺の目に”文明”が飛び込んできた gawk 。何と、”電線”が通っている wobbly 。奥地へ進んでいるのに・・・?トレッキングに出てきて初めてだ。しかし、謎は解けた happy02 。この地方最大の村(というより”街”かな?)、ジョモソムに近いからだろう。ジョモソムなら、ポカラから来る飛行機 airplane の飛行場もあるし、電気 flair があっても不思議はない。

38

 乾期で水量の減った

 カリガンダキ川の川原を行きます shoe foot shoe

 往年のインド~チベット交易路でもあります confident

この辺りから、周りの風景が荒涼としてきた。いかにも”チベットへ向かう”という感じだ catface 。やがて、マルファに15:30到着。さすがに肌寒くなってきた。この日はオームズホテルに泊まる。時間的 clock にも距離的 shoe にも、最も行動した日だ bleah

ホテル内には、今まで見たことがない蛍光灯に白熱球 flair 、ラジカセ slate からは、ビージーズやビートルズの音楽 note notes が流れている。ポカラ以来の”文明”だ coldsweats02 。一瞬とまどいながらも、やはり普段の生活に少し近づいたせいか、わりと落ち着いた confident

夕食 restaurant は、ベジタブル・フライドライスとチキンスープ。”チキン chick ”と見るや、「肉が食べられる smile sign01 」と思ったのに、スープだけ。「なぁーんだ down 」と思っても、後の祭り。

ここのロッジの娘 virgo さんで、まだ15~6才位だろうか、俺が首からぶら下げているペンダントタイプの時計 watch を、「どうしても欲しい catface 」と親にねだり、「譲ってくれ confident 」と言いだした。

「日本でいくら yen するんだ?」

「ネパールルピーで70ルピー moneybag ぐらい」

「100ルピー出すから、売ってくれ think

と、言われても、今の俺にとって、唯一の時計。無くては困る weep

「何かと交換するから think 」と言われる。

「いくら moneybag 欲しいの sign02 」とも言われる。

「絶対にダメだ pout 。これがないと、俺が困るから wobbly sign03 」と言って、断固拒否 ng する。

彼らは、ぶつぶつ言いながら諦めたようだ。そしてこれ以降、彼らの態度は急変した weep 。今まで、何か注文すると、ニッコリ happy01 微笑んで持って来てくれたのに、もう、それはない。あからさまな変わりよう shock 。俺も腹が立って angry 、寝てしまった sleepy

マルファ、オームズホテルにて

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2009年6月 7日 (日)

ムクチナート ~聖地への道~ その5

11月14日 ”またしても、道を間違える”

タトパニ7:10(徒歩)9:00ダナ9:10(徒歩)14:10ガサ

 ポカラを出発して10日目の朝を迎えた happy01 ワーイ ! 。初めはここで2泊するつもり(だって温泉があるし・・・)だったが、先に金井さんと岩田さん、辻さん(女性)が進んでいるので(彼らとの差は、2日から1日に短縮していた)、1泊で出ることにする angryガンバ ! 。

朝食にアップルパイ apple cake とカード(ヨーグルト)を食べる。アップルパイがあるなんて、スゴイワ happy02 sign01 外にあるお店で、ビスケットとミカンを4つ(たった1ルピー)を買い、温暖の地、タトパニを7:10出発。

ダナまでは緩やかな道だが、ダナを過ぎると徐々に登りになる。ツァーラに10時ごろ到着。大きな滝(ルクセツァーラの滝)があり、そのすぐそばのバッティで、リンゴ apple を一つ買って食べる。道は次第にきつくなり sweat01 、やっとコプチェパニ wobbly sweat02 。ビスケットを食べながら、ティー cafe を2杯飲む。

ガサまであと少し、と思い進む angryガンバ ! up 。途中、崖崩れでもあったのか、道が寸断されて wobbly 通れない。上 upwardright へ行く道があったから、そちらへと進む shoe 。しかし、これもあらぬ方向へと向かっている。そういえば、先ほどから人とおりもない despair 。元の方へ戻って行くと、下の方から鈴 bell の音が聞こえてくる notesear 。川沿いというか、川原をラバ horse の隊商やトレッカーが歩いている shoe

やれやれ、我ながら困ったもんだ think!またしても、道を間違えた wobbly 。今に始まったことじゃないけどナァ coldsweats01 sign03  結局、1時間もロスしてしまった bearing 。川沿いを行き、岩場(崖崩れの跡)を登り、そして平坦な道。吊り橋を渡って、ようやくガサ、14:10だ。

ロスさえなければ、もう少し先へ進めたし think 、できれば行きたかった angryガンバ ! のだが、体力と、まだあるこの先のことを考えて、この日はここで泊まろう bearing 。サムジャナホテルに決める。夕食まで部屋で休んだ sleepy 。風邪気味だったから wobbly 。ここはドミトリー(相部屋)はなく、すべてダブルルーム。1人で借りて、ブランケットは2枚借りた。

夕食は、薪ストーブのそばで、ベジタブル・チョウミン(野菜入り焼きそば)とポテトスープ。物足りなくて、チャパティを追加して食べる delicious 。それにしても、薪ストーブがあるとは驚きだ coldsweats02 。今までのところにはなかった。部屋代も、昨日に続いて3ルピー coldsweats02 。このチベット街道に来てから、1ルピー高くなっている sad 。やはり多少なりとも文明が入って来ているからかな?!とはいえ、相変わらず、電気 flair はない。

夜は、することがないせいか、7~8時にはいつも寝ている。たまには他のトレッカーたちと、簡単な会話ぐらいはするが・・・coldsweats01 、情報をもらったりして confident 。灯り flair は、灯油ランプかろうそくしかないので、ほとんどのトレッカーは夕食後しばらくして眠る。俺はこの日もブランケットを借りて暖かく、そしてぐっすり眠る sleepy ことにした。

ガサ、サムジャナホテルにて

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2009年6月 6日 (土)

ムクチナート ~聖地への道~ その4

11月13日 ”大麻売りとラバの隊商”

ゴラパニ8:40(徒歩)10:50シカ11:10(徒歩)11:50ガラ12:00(徒歩)13:30タトパニ

 6:30起床し、20分ほど登った丘、プンヒルへ。けっこうきつい登りだ sweat01 。途中から、周辺の山の向こうにマチャプチャレの頂が見えてくる coldsweats02オォーッ ! 。ニルギリ(6940m)、アンナプルナ(8091m)、ヒウンチュリ(6441m)も見え、朝日 sun に輝いて眺望も素晴らしい lovely 。ここプンヒルは、標高約3200mで、アンナプルナ山群やダウラギリ山群を眺められる展望台なのだ wink

9  プンヒルから見た

  ダウラギリ主峰(8167m) happy01

  ここへ来なければ、この景色も

  眺めることはできません。

10_s  ニルギリS峰(6839m)

  景色も素晴らしいですが、

  空気がきれいなので青空もきれいです。confident

しかし、3日前は、あの聳え立つマチャプチャレの向こう、アンナプルナのすぐ目の前にいたことを思うと、ずいぶん歩いたなぁ shoe think!人間の足 foot というものは、使えばタフなものである。遠い昔の旅人は、歩くしかなかった。ゲルマンの大移動も、芭蕉の徘徊も。そして、今の俺 think 。今の日本は、車 car 社会が発達し過ぎる。

8:00ごろロッジへ戻り、パンケーキで朝食 restaurant にする。外で食べると暖かくて good 、気持ちがいい smile 。ここからは、古のインド~チベット交易路を歩くことになる。8:40出発。この日はタトパニが目標で、高低差約1600mの一気の下り downwardright  だ。それにしても、この日は上天気 sunsunsun happy01 。チトレまで45分。正面にニルギリ、右にアンナプルナ南峰を眺めながらのトレッキングだ lovely 。シカまで2時間、ノンストップで歩き続ける shoe

途中、村の子供に「ハッシーシ(大麻の一種;チャラス)?」と話しかけられたときは、しらけた wobbly 。こんな山の中なのに shock 。可愛くないなぁ sadsign01 シカからガラまで40分。ガラでも「ヘイ、ジャパニ。ガンジャ(大麻の一種;マリファナ)?グッドワン!」と声かけられ、もう頭に来た angry 。「俺は何も吸わないよ pout sign03 」と、語気荒く言ってしまった。結局、今まで来た人々(のごく一部)が、気安く大麻を買っているからいけないんだよネ weep

ガラを逃げるように出て、タトパニへ向かった。地図上では、あとわずかだけど、なかなか着かない despair 。ラバの隊商がやってきた。こちらが道を譲って待っていると、逆に先頭のラバが道を譲って止まって、待っててくれたことに驚いた coldsweats02 。ラバが道を譲ってくれるなんて sign01 思ってもみなかった。車社会にも生かしたい教訓だナ think

13:30ごろ、タトパニ到着。驚いたことに、商店(雑貨屋)、郵便局 postoffice 、銀行 bank もある。山の中としては、大都会だ coldsweats02ビックリ ! 。トレッカーズロッジに宿を決める。ロッジにはシャワーもあって、ポカラ出発以来初めて、9日ぶりのシャワーを浴びる happy02 。ついでに下着類も洗濯。実に汗臭かった coldsweats01 。水が真っ黒になったほどだ coldsweats02

ここタトパニの地名は”お湯”という意味である。”タト”が”熱い”、”パニ”が”水”なのだ。つまりここは、”温泉 spa ”が湧き出ている村なのだ happy01 sign03  夕方、すぐ横を流れるカリガンダキ川の川辺へ行くと、ところどころ、お湯が湧き出ている。スコップなどで穴を掘れば、体ごと入れるのだろうが、時間的に無理なので、湯と川の水で温度を中和させ、足 foot だけでも温めた。浴槽のようなものがあればいいのに・・・ think

このところ、両足 footfoot と手首 paperpaper に、虫なのか、それとも山の中の水や食事で使う油が合わなかったのか bearing 、水膨れができ、そこら中がかゆい weep 。水膨れがつぶれたところは、次第に化膿しだし shock 、特に足首は、靴ずれと重なって痛かった wobbly

夕食 restaurant は、ライス、ベジタブルカリーと玉子焼き。デザートに、久しぶりにフルーツカード(ヨーグルト)、なかなかおいしい delicious 。そしてブランケットを借りて、毎晩のように20:00前にはもう、シュラフに潜り込んでいた sleepy

タトパニ、トレッカーズロッジにて

*その後の1992年、1994年にもこの地を歩いていますが、川辺近くに石でできた大きな浴槽、つまり”露天風呂 spa ”ができていました。水着などを着用して入るのですが、トレッキングで少々疲れた体には、最高の”癒し”の場所です。この辺りに火山があるわけでもないのに何故、ここに温泉が湧き出るのかは、ユーラシア大陸にインド亜大陸がぶつかって(インドプレートがユーラシアプレートの下に潜り込んだ)、それによる地殻変動が原因とかなんとか・・・?ヒマラヤがあれほど高くなったのも、それが原因で隆起したと言われていますし・・・。これよりさらに上流、標高3000m付近には、太古の昔、そこが海であったことを示すかのように、アンモナイトが見つかります。数十億年の地球の歴史・変化を感じます。

 

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2009年6月 4日 (木)

ムクチナート ~聖地への道~ その3

11月12日 ”ジャングルでの迷い”

キムロン7:30(徒歩)10:30タダパニ11:00(徒歩)12:00バンタンティ12:15(徒歩)13:15デオラリ13:30(徒歩)15:45ゴラパニ

 毎朝のように6:30起床。ポリジ(粥)を食べてみたけど、あまりおいしくなかった shock 。米を粥にして、何かの薬味と砂糖を入れただけのよう。でも、もったいないから全部食べて、7:30出発。

ミラジェの村までは、きつーい登り coldsweats02 。しかもこの辺りは、山が低いので8時ごろには陽が射す。燦々(さんさん)と照りつける朝日 sun に、半袖1枚 t-shirt になって歩いた。やがて、ジャングル(と言うと大げさかもしれないが、どことなく鬱蒼(うっそう)とした感じの森)に入る。時折、鳥 chick の鳴き声が聞こえる ear

「ジャングルを2時間行けば、タダパニだ」と聞いていたのだが、人の足跡 foot を追っていたにもかかわらず、落ち葉や幾本もある枝道に、完全に迷ってしまった wobbly 。どれを行けばいいのか think ?すれ違う人も、道標もない weep 。「太陽 sun を背に、方角を判断するしかない think 」!とにかく「西だ annoy 」と思う方向へと進む。

2時間歩いたが、まだジャングルは続く。その間、誰一人として会っていない despair ng 。不安がつのる weep 。孤独感と悲壮感が、俺を襲ってくる sad

「全くあらぬ方向へ行っているのでは・・・weep despair sign02 もしこのまま行方不明になったら・・・weepweepweep sign02 誰でもいい sign01 、ここを通ってくれ crying sign03

こう叫びたくなるような、祈る思いだった weep 。歩くしかない、何も考えず、西だと思う方向へ sign01 そして、竹で囲われた畑を発見 shine sign03 ということは、誰かがここへ、必ずやって来ているはずだ flair happy02 。ふと、広い道に気がついた impact sign02 。この辺りなら、タダパニからに違いない happy01 sign03 これを行くしかない dash sign01

1時間後、ジャングルを抜けた happy01 sign03 タダパニにたどり着いた。3時間かかって、やっと着いた happy01 scissors 。今までの疲れ(肉体的にも精神的にも)がドッと出て、パッティ(茶店)にへたり込んだ wobbly down 。パッティの人の話によると、俺が歩いてきた道は、正規のルートとは全く反対側の、遠回りの道だったらしい shock 。チベッタン・ブレッド bread (チベット風揚げパン)とコーヒー cafe で食事をとり、11:00出発。

どうしても、この日のうちにゴラパニまで行きたくて think 、少々飛ばした run  。1時間ほど、アップダウン upwardrightdownwardright の道を行くとバンタンティ。そこでもヌードルスープ noodle を食べ、非常用にビスケットも買っておく coldsweats01 。川沿いを登って行き sweat01 、デオラリまで1時間。ここは、標高3000mで、キムロンよりはるかに高い。

シンガポールに住んでいるという日本人カップルに出会った。彼らもこの日、ゴラパニまで行くそうだ happy02 。それぞれペース shoe が違うので、「ではまた、ゴラパニで wink 」と言って別れ、もう少し登った後は、一気に下り downwardright だ。

14:45、予想をはるかに上回るペースでゴラパニ着 happy01 。ロッジは、評判の高い「マウンティン・ビュー・ホテル hotel 」。設備も、まぁ、しっかりしていて、暖炉も大きい coldsweats02 。やがて、先ほどの日本人カップルも到着 happy02 。彼らはデオラリから1時間40分、俺は同じ道程を1時間15分で歩いた。

夕食まで、火に暖まりながら彼らと話をする good 。久々の日本語での会話に、安心感 confident が漂う bleah 。夕食 restaurant は、エッグ・ベジタブル・フライドライス(卵と野菜入りの炒飯)とポテトチップス。これが、またウマイ delicious sign01 値段もまあまあhappy02  だし。ミルクコーヒー cafe も他に比べて安い。すごく良心的なロッジだった happy01

ゴラパニ、マウンティン・ビュー・ロッジにて

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2009年6月 3日 (水)

ムクチナート ~聖地への道~ その2

11月11日 ”グルンの若者と”

ドバン7:30(徒歩)9:30クルディガハル9:45(徒歩)12:10チョムロン13:20(徒歩)15:00キムロン

 6:45起床。竹を編んだだけのベッドは、背中が痛い wobbly 。せめてマットがあったら・・・ weep と思った。朝食を終えて、7:30に出発。このところ天気が悪かった rain せいか、泥道になっている。急な登りもある。ふと振り向くと、マチャプチャレ。昨日は南東の方向に見えたのに、もう北東の方角だ。

9:30にクルディガハル、一休みする。徐々に暖かくなってきた sweat01 ので、ヤッケとウールの靴下を脱いだ。ドバンを出た時は、とても寒かったのだが・・・。チョムロコーラ(チョムロ川)の吊り橋までどんどん下り、チョムロンへの急坂。きつかったけど、休まずに angryガンバ sign01 上の方のロッジまで登り、昼食にする。この登りを休まずに登ったということは、脚が慣れてきた証拠か happy02 sign02 丸2日かけて登った道程を、1日で下ったのだから。来る時に偶然再会したムネさん、もうポカラまで戻っただろうか?

食事 restaurant はライスとポテトカリー。しかし、このカリー、マサラ(香辛料)だけで味付けしただけのようなもの。ルーはもちろん、スープでもないカリーだった。量もとても多い。しかし、これが最高においしい delicious sign03 たった7ルピー moneybag でお腹いっぱいで、しばらく動けない wobbly

1時間以上休憩して、13:20出発。キムロンへと向かう。ここからは、ポカラからの道と別れる。地図上には、このルートは載っていない。1時間ほど平坦な道だが、途中、砂場の崖もあって少々危険だった wobbly 。キムロンの村が見下ろせるところまで来た。後は下るのみだ。

37  ガンドルン村から見た

  マチャプチャレとアンナプルナ(絵葉書)

15:00にキムロンに着いたのだが、ほとんどのロッジがなぜか閉まっている。ガンガプルナロッジというところだけが開いていて、その日は俺一人だけが客だった。昼食を食べすぎたせいか、お腹が減ってなくて、夕食はヌードルスープ(ラーメン noodle )だけにした。日本のインスタントラーメンと、味はたいして変わらない。でも、このほかにも野菜炒めや豆(この豆が、実に香ばしくておいしい)、ロキシー(ネパールの焼酎 bottle )をいただいた。さらに、ミルクのようなダヒ(ヨーグルト)のような、どちらとも言えないものも頂いて飲んだ。

夜、グルン族(ネパールに住む少数民族のひとつ;イギリス軍の傭兵”グルカ兵”は、元々はこのグルン族の勇敢さに、イギリスが目をつけ雇い入れた)の人々が、ロッジに集まってきた。高校生ぐらいの年の若者4~5人は、セックスの話しかしない。これには参った think shock sign03 「あなたは”あれ”は好きかい?結婚しているの?」「日本語で”あれ”は何て言うんだい?」などと、ジェスチャーも加えて露骨に聞いてくる gawk 。俺は「日本では、君たちのことを”スケベ”と言うんだ」と、逆襲し coldsweats01 笑っていた。本当に、この話題だけで終始した。

ただ、彼らグルン族の人々は、日本人にとても好意的で、理由は「日本人も韓国人も中国人もモンゴル人もグルンも同じ顔だ。だから俺たちは兄弟だ」「アメリカ人やヨーロッパ人たちは、俺たちとは違う。彼らは鼻が高いし、髪の毛の色も違う」などなど。同じアジアの民族として、仲間意識を持っているようだ happy01 。そういえば、ランドルンで俺一人だけだったときも、ロキシーを飲みながら、大歓迎してくれたっけ sign02 日本もかつては、大陸の一部だったのだろう think 。彼らが持ち寄ったビスケットを食べながら、ティーを飲み、21時ごろまで話していた。

キムロン、ガンガプルナロッジにて

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2009年6月 2日 (火)

ムクチナート ~聖地への道~ その1

 このトレッキングの1つ目の目標を達成し、次はかつての”インド~チベット交易路”を歩き、聖地、ムクチナートへと向かう。新たな闘志が湧いてきた angry scissors

11月10日 ”ひたすら下って”

アンナプルナB・C9:15(徒歩)10:15マチャプチャレB・C11:00(徒歩)13:00ヒンコー13:20(徒歩)14:40ドパン

 9:15、アンナプルナ内院を下る。幾人ものポーターとすれ違う。こんな山奥まで50kgも100kgもあろうかという重荷を背負ってくる彼ら、それは彼らの人生そのものの重さでもあろう despair 。中には女性もいる sad 。それも決して若くはない shock 。まだまだ貧困に苦しむ国、すべて生きるためなのだろう think 。素晴らしいプロ根性だ confident 。俺なんかでは1日と、もたないだろう coldsweats01 。しかし、もしこの山間地に自動車道ができたら(ネパール政府は検討・計画中)、彼らはそれこそ職を失い、村の過疎化も進むであろう。深刻な問題である think

マチャプチャレB・Cに1時間後、到着。軽く食事 restaurant をとり、11:00に出発。この日は南の方に雲がかかり、ヒンコー辺りで天気が崩れそうだ。来るときには危なかったところも、注意深く通り coldsweats01 、デオラリを過ぎヒンコーへは13:00着だ。さすがに下りは速い happy01

20分の休憩で、さらに歩き続けると、予想通り雨 rain だ。ヒマラヤホテル辺りで躊躇 think したが、ドバンまで向かった。ドバンロッジに14:40着。この日、約8時間動いていた。外は、相変わらず、止みそうもない雨。濡れたものを乾かしながら、ただ、夜 night だけを待っていた gawk

ドバン、ドバンロッジにて

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2009年6月 1日 (月)

今日から6月・・・

ですね。

以前なら”衣替え”という習慣がありましたが、ここ数年来の地球温暖化のせいでしょうか、この時期にはとっくに”衣替え”は終わっているという人も多いのではないでしょうか?かく言う私も、その一人です coldsweats01

少し前ですが、”桜”にしても昔は、入学式などの新学期、新たな年度の始まりの頃にちょうど満開の見頃でしたが、近年では、もちろんその地方にもよりますが、4月にはすでにピークが過ぎている weep 、なんてことも多いのでは?

日本古来の良き”情緒”というものが、少しずつ失われていくような気がするのは、決して私だけではないでしょう。もちろん、時代は常に動いているので、「変えるべきことは変えていく」のも必要でしょうし、「守るべものは守る」ことも必要です。こんな時私は、「温故知新」という言葉を思い出します think 。「故(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知る」という意味であるのは、皆さんご承知でしょう。私は、今一度「古き良き時代」を振り返り、そして今に生かせていけたら confident 、と思います。

私が今書き綴っているブログ、「1984 初めての海外へ」も、25年前の若かりし頃の自分、そして「この体験があったからこそ、今の自分がある」と改めて痛感しています wink 。過去ばかり振り返っていては、前には進めませんが、たまにはこうして、過去を振り返る必要もあるのでは?と思います。

明日からのブログは、トレッキングの続き、古(いにしえ)のインド~チベット交易路を歩きます shoe 。その後は、インドでのクーデターの影響もありカトマンドゥに滞在せざるを得なかった私の、カトマンドゥでの生活ぶり、様々な体験を紹介していきます。ご承知のとおり、残念ながら写真 camera がほとんどないブログになりますが、それでも文章から私の拙い経験を感じていただけたら、とても嬉しく思います happy01

ご意見、ご感想、いつでも受け付けています。誹謗・中傷でなければ・・・。

P.S・・・右サイドバーに、BIGLOBEの温泉ガイドを新たに載せました。ETCの土日割引を利用して温泉旅行を考えている方、少しでも参考にしていただけたら・・・。もちろん、この私も参考にしています。

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