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2009年5月23日 (土)

アンナプルナ内院に挑んで その1

 ”ヒマラヤ” と言えば、多くの登山家の憧れであり、ぜひともその頂上に立ってみたいと思う高峰、難峰がいくつもある。例えば、エヴェレスト、マカルー、マナスル、アンナプルナ、ダウラギリ等々・・・、8000mを超える山が幾重にもそびえている good lovely

日本でとりわけ登山歴があるわけでもないこの俺 coldsweats02 が(過去、1981年夏、北海道を旅した際、大雪山系の黒岳に登りお鉢平一周しただけ coldsweats01 )、頂上とは言わないが、高度約4000mのアンナプルナ内院まで行って来た scissors のだから、旅とはわからないものだ think

もっとも、このトレッキングコースは、登山というよりちょっとハードなハイキング shoe のようなもの happy02 だから、誰にでも行けるのだが・・・ happy01 。それでもやはり、体力がないとかなりきつい bearing 。しかし、俺はいよいよ、ヒマラヤの懐へ向って歩き出すことにする shoe

11月5日 ”出発”

ポカラ7:00(シティバス)8:00ごろシャイニング・ホスピタル8:20(乗り合いジープ)10:00スィケット10:15(徒歩)12:30ダンプス

 出発地は、ネパール第二の街、ポカラ。ロッジは ”ヒマラヤの花嫁” の著書 book で知られる平尾和雄氏が経営するスルジェハウス。

スルジェハウスに、トレッキング中は不必要な荷物を預け、ディバッグとシュラフだけの ”軽装” (と言っても、防寒用の手袋、ウールのセーター、雨具は当然持参。”最低限必要なもの” だけという意味での ”軽装”)で、7:00出発。シティバス bus で、街外れのシャイニング・ホスピタル hospital 前まで行き、そこからは乗り合いジープで未舗装のガタガタ道や浅い川の中を、1時間半ほど走り、スィケットへ。しかし、このジープは辛い wobbly sign01 揺れがひどいのは仕方がないが、何度エンストしたことか wobbly sign02 pout

2  ポカラの街から、乗り合いジープで

  ガタゴト揺られ、お腹もおかしくなりながら

  スィケットにたどり着きましたhappy02

  ここからトレッキングが始まります。

10:00に到着し、ここから ”徒歩 shoe ” の旅が始まる。腹ごしらえにチャイ cafe (ミルクティー)を飲み、ビスケットを食べ、いよいよ出発だ。時に10:15。15分ほど川原を歩くと、早くもきつーい登りだ coldsweats02 。階段のようになっている山道、直射日光 sun も強く、半袖 t-shirt でも暑い sweat01 。40分ほど登って休憩 coldsweats01 。田んぼや畑の畔道、民家の横を通って、再びきつい登りだ sad 。見たとたんに、それまでの疲れが出てくる shock 。しかし、”前進あるのみ” で歩き出す gawk

が、初めのペースはどこへ行ったのか despair sign02 、10分登って休憩、そして5分、3分、1分 watch と登らず休んだり・・・wobbly 。我ながら、体力のなさ despair 、日ごろの運動不足を痛感 shock 。途中で30分もの長い休憩を取って coldsweats01 sweat01 、ダンプスに着いたのが12:30。初日から飛ばすと、後々響く bleah ので、この日はここまでにする smile 。スルジェハウスで、トレッキングから帰って来た人からも、そのようにアドバイスされてたし・・・。

この日の宿を決め、昼食をとり、その後、村の小学校 school へ行ってみると、なぜか子供たちが「ワァーッ happy01 happy01 sign03 」と駆け寄って来て、片言の日本語で「こんにちはsign01 」だって happy01!カワイイ lovely !彼らは早くから英語も習っていて sign02 、簡単な会話はできる。日本では中学からなのに・・・ wobbly 。また、「空手を教えて sign01 」と皆に言われ、俺が高校時代、体育祭でやっていたリーダー(応援団)の空手の型を披露した coldsweats01 bleah 。その日は、それが子供たちの間でずっと流行っていた happy01

子供たちが、校舎の中を案内してくれた。石でできた校舎の教室には、電気 flair などもちろんなく、机すらない shock 。生徒たちは3~4人掛けの長椅子(間違っても、背もたれなどない)に座って、授業を受けているらしい。一応、黒板はあった。先生と話をしたかったが、あいにく、もういなかった bearing

夕方、ある子供が地面に何やら書いているのを見てみると、ナント、漢字の ”一、二、三・・・八、九、十” だったことには、驚いた good 。いったい誰に教えてもらったのだろう?でも、よく考えてみたら、彼らは最初に俺と会ったとき「こんにちは happy01 sign03 」と日本語であいさつしてきたし、教室内には日本のカレンダーがあったし・・・think 、もしかしたら、日本人の先生がいるのかな think ?海外青年協力隊の confident

夕食は、”ダルバート” という、こちらでは一般によく食べられる家庭料理を食べた。が、ここのは今一つおいしくなかった wobbly shock 。そして陽sun も沈み night 、何もすることがなく wobbly 、午後7時過ぎには、お休み sleepy

015  ダルバートです。これは”高級”!

  「カトマンズ百景:内田良平著」より引用

ダンプス、カルパナロッジにて

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コメント

将来のために日本語の勉強をしていたのかもしれませんよね。子供が人懐こいのはうれしいですね。今の日本では知らない人に話しかけるな、話しかけられたら逃げろという位ですもの。それではガタガタ道をおんぼろジープが走っていた時代が良かったかというと、それも難しいですが。


hannaさんへ

この時のことは、旅日記を読むたびに鮮明に蘇ってきます。ヘトヘトになってたどり着いた村で、一休みしてから村を散歩し、何気なく立ち寄った学校。私の姿を見た途端、子供たちが片言の日本語で「こんにちは!」と言いながら駆け寄ってきたこと。それまでの疲れを癒やすのには、十分すぎるほどの笑顔がいっぱいでした。
それに比べると、今の日本、悲しい現実ですネ。子供たちにとって、誰を信じていいのかわからない世の中。そう考えると、ネパールの山の中の子供たちの純真さが、とても尊いものに思えます。

投稿: hanna | 2009年5月24日 (日) 00時14分

乗り合いジープというのがいいですね~
山道ですからジープなのでしょうけど。
ちょいと行くトレッキングでも国内最高峰を超えているのがヒマラヤ、う~んです。
荷物は方は軽いですがシュラフとセーターで大分嵩張って、割とそこそこ大きな容量のザックでは無かったですか?


青龍○段さんへ

とてつもなく、’おんぼろ’ジープでしたヨ(笑)!何日も歩き、気がつけば富士山以上の世界にいるのが、’ヒマラヤ’です。荷物は、本当にデーバッグのみでしたヨ!2気室タイプのもので、1室はウールのセーターを入れただけじゃなかったかな?シュラフは、デーバッグの下にロープで縛りつけていました。この頃は、シャワーなんてほとんどありませんでしたから、予備の衣類は1着ずつしか持っていかなかったのです。着替えても、あまり意味がないですから。今は、どこをトレッキングしても、たいていシャワーもトイレもあると思います。すると、なぜか必然的に荷物が増えてしまいます。身軽が一番!なんですがねぇ!

投稿: 青龍○段 | 2009年5月24日 (日) 08時08分

応援団の素養が、意外なところで役立ちましたね。
海外では、なんでもいいから なにかワザがあるといいですね。
特別でなくても、歌を歌うとか、何か料理ができるとか、生け花やピアノが出来るとか、折り紙とか・・・
ツルしか折れなくても・・!


bellaさんへ

ハイ、おっしゃる通り、意外なところで役立ちました。実は、その後の1992年にネパールへ行った時、滞在したカトマンドゥのゲストハウスの従業員にも「空手を教えて」と頼まれ、同じことをした記憶があります。さらに2年後、ネパールを訪れると、その時の従業員の一人が、それ以来「空手道場」に通うようになっていたのには、驚きました。
「折り紙」は、私のブログの「エヴェレスト街道を行く その20」にも書いたのですが、「折り鶴」とても喜んでいただけました。
海外へ行けば、出会った人にとっては自分が「日本代表」なのですから、一人の「親善大使」として日本独自の文化を、少しでも広められたら、と思います。間違っても「旅の恥はかき捨て」などという軽率な考えは、持たないように、と思っています。

投稿: bella | 2009年5月28日 (木) 14時05分

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