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2009年5月

2009年5月31日 (日)

アンナプルナ内院に挑んで その6

11月10日 ”アンナプルナ内院”

マチャプチャレB・C6:40(徒歩)8:10アンナプルナB・C

 アンナプルナ内院を目指すべく、6:20起床。荷物はここに置き、ブラックティー cafe だけ飲んで、6:40出発。トレーナー、セーター、靴下も厚手のウールのものを重ねてはいて行く。歩いている shoe うちに、体が暖まってくる。が、吐く息は白い。沢の水も凍っている。

6_bc_2  マチャプチャレB・Cから

  歩き始めました

  ご覧のような道(?)を

  ひたすら歩いていきます

36  アンナプルナS(南峰)と

  サンクチャリー

真正面に、アンナプルナ南峰がそびえている。まだ雲がかかっていないから、稜線もはっきり見えている。雪道を歩いて1時間半。8:10、ついに到達 sign01 高度3962mだ happy01 sign03

ヒウンチュリ(6441m)、アンナプルナS(7219m)、ファング(7647m)、アンナプルナⅠ(8091m)、ロックノワール(7485m)、ガンガプルナ(7455m)、マチャプチャレ(6993m)。7~8000m級の高峰が四方を囲み、氷河が谷底に落ちている。「大自然が目の前に迫っている」とは、まさにこのことだ lovely

8_abc  アンナプルナ内院から

  ガンガプルナ

1つ目の目標を達成した喜び、偉大なる山脈。それは、俺がもしかしたら「山男」としての第一歩を踏み出したものか、更にドデカイ何かに向かって動き出す出発点まで上がったのかもしれない、と、ふと思った。

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2009年5月30日 (土)

アンナプルナ内院に挑んで その5

11月9日 ”マチャプチャレB・Cへ”

ヒンコー9:15(徒歩)10:10デオラリ10:20(徒歩)12:30マチャプチャレB・C(ベースキャンプ)

 朝、あまりの寒さにシュラフからなかなか出られず wobbly 、7:00に起床する。外は雪 snow が積もっていた。火のそばでしばらく体を温め、朝食 restaurant をとる。洞窟でやっている割に、味がいい delicious 。トイレ toilet は、もちろん外にあるので、雪道を下らなければならない。滑りそうで、ひと苦労した coldsweats01

ヒマラヤロッジから朝食だけここへ食べに来た人もいて、話をしているうちに、「アンナプルナB・Cはかなり冷え込むから、マチャプチャレB・Cに泊まって、翌早朝行った方がいい」とアドバイスを受けた lovely 。また、午後になると天気 sun の崩れも予想されるので、予定をマチャプチャレB・C(標高、約3600m)までに変更 bleah 。3時間ほどの行程だ wink

9:15にヒンコー・ケイブを出発。昨日までとは、道の状況がグッと変わる。雪さえなければ、イージーコースらしいのだが、よく滑る sad 。杖もなく手袋もない俺は、悲惨な状況 shock 。半ば、”命がけ sign02 ”だ sad 。デオラリまで、約1時間。まだまだ危険は続くだろう。

少し休んで15分ほど行くと、”崖”というか”岩場道”。一歩間違うと、一気に下まで落ちそうで、そうなったらおそらく「命はないだろう bearing  」と思い、慎重に歩いていたにもかかわらず、俺は2度も1~2mほどスリップダウン wobbly sign01 。50cmほどの草を掴みしがみつき、ちょうど足場もあったので、それ以上落ちずにすんだ coldsweats01 が、本当に危なかった!一つ間違えば、”死”が待っていた coldsweats02 sweat01

他のトレッカーのガイドが、手 paper を差し伸べて助け上げてくれた confident 。「ここは、一人ではとても危険だ。しばらく俺について来いよ」と言うので、このガイドらと共に行動する happy01 。この旅では、”ピンチ bearing ”の時ほど、必ず誰かが手を差し伸べてくれる happy01 lovely scissors happy01 sign03

昼近くになると、雪 snow も融けだし、泥道になった。ふと、気がつくと、今まで右前方に見えていたマチャプチャレ fuji (6993m)が、右後方に見えていた。ポカラからは、ずいぶん遠かったのに・・・ gawk lovely good

12:30ごろ、マチャプチャレB・C着。2~3軒、ロッジがあったが、グルン・コーペレーションロッジに決め、自分の場を確保する。ヒンコー・ケイブ同様、ベッドは無く地べたの上に直にシュラフを広げ眠るようになっているからだ bleah

昼食に、フライドポテトを食べると、ガーリックが効いていて美味 delicious 。ヒンコー・ケイブでもそうだったが、こんな山奥の中のさらに山奥で、こんなに美味しいものにありつけるとは、思いもしなかった happy01 sign03 。はるばるここまで歩いてきた旅人達への、心からの”おもてなし”なのだろうか sign02

3時ごろより雪 snow が降りだし、冷え込んできた。ロッジでは他の国(欧米系)のトレッカーは用意よろしく、トランプ heartspadediamondclub をしている。日本人は、俺を含めて4人。言葉が通じ合う者同士、集まるのは必然だ。

夕方、夕日 sun に映えるマチャプチャレ fuji の頂が美しい lovely good 。ピンク色と山のブルーと、真っ白な雪のコントラスト heart sign03 明日は、いよいよアンナプルナ内院だ happy01 sign01 sleepy  down

マチャプチャレB・C、グルン・コーペレーションロッジにて

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2009年5月28日 (木)

アンナプルナ内院に挑んで その4

11月8日 ”雨と雹の中を”

チョムロン7:30(徒歩)10:30クルディガハル11:10(徒歩)13:25ドバン13:40(徒歩)15:20ヒンコー

 6:30起床。毎晩早寝なので早起きできる。朝食にパンケーキを食べ、ムネさんと寄せ書きの交換をする happy01 。彼は俺のノート book に、こう残してくれた。

”11月8日、2年半ぶりの再会でした。今まで4,5年間、北海道onlyの旅行だったけど…。1度日本をはなれてみると、もっともっといろいろな国々を訪れてみたくなるものですね。今回は、インド・ネパールだけのつもりだけど、これでだいたいのぐあいがわかったので、いったん日本へ帰って、バイトしてまたいつか日本を飛びだしたいな。今度は、まっ先に南米へ行くぞ。とにかく、ペルーっかないな。日本へは、来年の3月ごろまでには戻らなくてはならないでしょう。北海道はしばらくごぶさたですね。それでは、いい旅を!”

彼はこの後、ポカラへと下って行くという。インドでクーデターが起こったばかりだから、状況によっては、しばらくネパールに留まざるを得ないかもしれないので、もしかしたら、カトマンドゥでまた会えるかも happy02 ?と、再びの再会を祈り confident 、ムネさんと別れた。

7:40出発。吊り橋まで15分下った後は、比較的楽な登り happy02 。30分~1時間に1軒はパッティ(茶店)があって、いいペースで進むことができた happy01 。足の筋肉は、やや張っていたが、次第に慣れてきたのか惰性で動くようになる。クルディガハルまで3時間。40分休んで歩き出すと、小雨がぱらついてきた。陽は照っているのに sun ・・・。竹林に囲まれた山道をずっと行くうちに、雨は本格的に降りだした rain 。ヤッケを着て急いで run ドバンへ、13:25着。

5  クルディガハル

  ヒツジの放牧をしていました

  でも、寒くないのかな?

この天気の中、ここから先へ進むかどうか悩んだ think 。ここでストップすれば明日が苦しくなる。次のロッジまでは1時間かかるらしい。しかし、この日の予定は、さらに先のヒンコーなのだ。考えたあげく、強行することにする angry sign03

rain の中を少しずつ、それでも急ぎ足で登る shoe dash sweat01 。しかし、この雨は次第に霰(あられ)、雹(ひょう)へと変化してきた。ヒマラヤ・ロッジを通過し run 、この日の目的地、ヒンコー・ケイブに着いたのは15:20。

ここは、自然の洞窟の中で、人が寝られるようになっている”岩小屋”だ。つまり”ヒンコー・ケイブ”とは、”ヒンコーの岩小屋”という意味だ。この岩小屋の中で、30代と思われる男が薪(たきぎ)で火を熾(おこ)し、我々トレッカーの食事の世話をしている。俺は、その火の前で雨に濡れたものを乾かす。そして、あまりに空腹 wobbly だったので、ジャム付きのチャパティを食べると、マーマレードだった sign02

夕食にスープとパフ(水牛)の肉をいただいたのだが、本当においしい sign03 こんな山奥の岩小屋で、これほどおいしい食事にありつけるとは・・・ delicious sign01 しかも、”肉”があるなんて sign02 しかしここは、高度3014m。さすがに寒く、タオルをマフラー代わりに、食後すぐにシュラフにもぐった。まだ19時前だった sleepy

ヒンコー、ヒンコー・ケイブにて

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2009年5月26日 (火)

アンナプルナ内院に挑んで その3

11月7日 ”ムネさんとの再会”

ランドルン7:30(徒歩)13:30チョムロン

 6:30起床。オムレツ、と言っても単なる薄っぺらい玉子焼きを食べ、7:30出発。ロッジにトイレがなかったので、見えないところで・・・。青空眺めながらは開放的でいいナァー happy01 sign01 でも寒い!

アップダウンを繰り返し、林を抜け、登りになる。一度川沿いへ下ると、右手に橋があったことに気づかず、まっすぐ行ってしまった。10分ほど行って「おかしいな sign02 」と思ったら、後方の川の向こうを、人が歩いている wobbly 。そちらへ戻るために、近道をしようと川を石や岩伝いに渡ろうとしたのだが、突然、ツルッ sign01 ドボーン wobbly sign03 足元とお尻のまわりがベタベタ shock 。しばらく乾かしていた coldsweats01 。が、元のコースへ戻って歩き出すのに30分以上のロス weep 。そのうえ、橋を渡った後は急な登り crying 。踏んだり蹴ったりだ bearing sign01 喉も渇いた。買い置きして持っていた、たった一つのミカンを食べた。「ウマイ sign03 」、生き返った happy02

何とか頑張って登り sweat01 、パッティ(茶店)にたどり着く。「リムカ(瓶入りのレモンジュース)」と言ってジュースを、さらにティー cafe を飲む。さすが山の中だけあって、リムカは6ルピー、麓の倍以上の値段だ sad 。再度登り shoe 、ヘトヘト wobbly になって峠へ sweat02 。峠のバッティに着いて、バタッ down と横になって wobbly ティー cafe を飲む。そこから20分下ったところがチョムロン。13:30着だ。

4  峠から見たチョムロンの村

  この付近では、かなり大きい村です。

カタカナで”ホテル・ヒウンチュリ”と書かれたロッジへ行き、部屋へ案内される途中、一人の日本人 fuji がいた。「こんにちは happy01 」と、お互いに挨拶する。彼を見て俺は、カルカッタで会った浦本氏(通称;おいら)の話と、ポカラで雨具をレンタルした時を思い出した。そして部屋に荷物を置いて、すぐに彼のところへ行って話しかけてみる。

「もしかして…、ムネさんですか happy01 sign02

「エッ sign02 ええ、そうです・・・」

「僕、2年前に北海道の釧路の・・・」まで言いかけると、

「アッ sign02 coldsweats02  ○○ユース(ホステル)のジンさん coldsweats01  sign02

驚いたものです sign03 約2年半ぶりの再会 happy01 sign01 彼は、俺が釧路にあるユースホステルのヘルパー時代、開所記念日まで3連泊してくれたホステラーだった。お互いに覚えていて、こんなヒマラヤの山奥の村での再会にビックリ happy02 sign03 巡り巡る人との縁、大切にしたいネ!

彼とは懐かしい思い出話や、カルカッタで会った浦本さんの話などで、盛り上がった happy01 。彼は2年前、釧路で3連泊した後、知床へ行き、お土産屋でアルバイトをしていた。浦本さんもそのころ、知床でアルバイトをしていたので、お互い知っていたようなのだ。また、彼は、たまたま立ち寄った女の子のグループから、その日は「釧路の○○ユースへ行く」と聞き、「ヘルパーで”ジンさん”っていう人がいるから、”よろしく”と伝えて wink sign01 」と、伝言をくれたこともあった happy01

このロッジはずいぶん混んでいて、ざわついていたが、ムネさんと楽しい時間を過ごすことができた happy01 。夕食ももちろん、彼と一緒だ。ベジタブルカレースープ、とても美味しかった。

チョムロン、ホテル・ヒウンチュリにて

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2009年5月24日 (日)

アンナプルナ内院に挑んで その2

11月6日 ”マハル君とグルン族”

ダンプス7:40(徒歩)10:45ビチュク11:15(徒歩)13:15ランドルン

 6:30に起床。朝日 sun に映えるアンナプルナ南峰とマチャプチャレ fuji 。ポカラに比べると、ずいぶん間近に見える lovely 。アンナプルナⅣ・Ⅱも見える。チャパティ(ネパールの薄焼きパン)を食べ、村を出発、7:40だ。

35  マチャプチャレ(魚の尾、という意味)

  頂上が魚の尾のようになってるので、

 この名がつきました

右手に各々の山脈を見ながら、昨日よりはずっと楽な登り happy01 。峠にあるパッティ(チャイ cafe 屋)で20分ほど休んで、ここで出会ったカトマンドゥに住むマハル君(20才)とビチュクまで一緒に歩く shoe 。彼は日本にペンフレンドを持ち、部屋には富士山 fuji の写真があるという。「いつか日本へ行きたい」と語っており、現在少しずつ、日本語を勉強中だそうだ。

また、彼の夢は「いつか自分の自転車 bicycle が欲しい」ことだそうだ。日本では自転車なんて、いつでも買えるのだが、この国ではまだまだ高価なもの。我々がマイカーを買うような感覚なのだろう。ビチュクで30分ほど休んで、マハル君と別れトルカへ、そしてランドルン。

ほとんど下りのこの日は、本当に楽だった。13:15に到着し、この日の宿はマチャプチャレロッジ。

この村では、米、とうもろこし、トヨ(里芋)、コト(ヒエかアワのようなもの)が獲れるらしい。このロッジの若い主人が、とても親切な人で、ポップコーンをいただいたり、「トヨ、トヨ」と言うので見てみると、里芋をふかしたものだった。土のついた皮をむいて食べると、とても素朴な味がした delicious 。何の味付けもしていない里芋だが、こんなにおいしい里芋は初めてだ smile 。さらにチップスなどをいただいて、夕食前だというのに、お腹いっぱいだ。

歯が痛くて wobbly 寝込んでいる女の子がいるようで、「何かいい薬を持っていないか?」と尋ねられ、しばらく考えてから、その子の痛む歯に、正露丸をつめてあげた。1時間ほど経って、痛みが治まったようで「Good one happy01 ,good one !」と、すごく感謝された。

日没後というのに、村がやけに明るい。月灯りだった night 。「月灯りが、こんなに明るいなんて… sign02 」。この日の宿泊客は、俺一人だけ。でも、とても暖かい雰囲気のロッジだった。

ランドルン、マチャプチャレロッジにて

*1984年当時のこのルート上の村は、電気はもちろん、上・下水道もガスももちろんありません。トイレさえないところも、珍しくありません。日本の生活とは、はるかにかけ離れた、素朴な暮らしをしていました。

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2009年5月23日 (土)

アンナプルナ内院に挑んで その1

 ”ヒマラヤ” と言えば、多くの登山家の憧れであり、ぜひともその頂上に立ってみたいと思う高峰、難峰がいくつもある。例えば、エヴェレスト、マカルー、マナスル、アンナプルナ、ダウラギリ等々・・・、8000mを超える山が幾重にもそびえている good lovely

日本でとりわけ登山歴があるわけでもないこの俺 coldsweats02 が(過去、1981年夏、北海道を旅した際、大雪山系の黒岳に登りお鉢平一周しただけ coldsweats01 )、頂上とは言わないが、高度約4000mのアンナプルナ内院まで行って来た scissors のだから、旅とはわからないものだ think

もっとも、このトレッキングコースは、登山というよりちょっとハードなハイキング shoe のようなもの happy02 だから、誰にでも行けるのだが・・・ happy01 。それでもやはり、体力がないとかなりきつい bearing 。しかし、俺はいよいよ、ヒマラヤの懐へ向って歩き出すことにする shoe

11月5日 ”出発”

ポカラ7:00(シティバス)8:00ごろシャイニング・ホスピタル8:20(乗り合いジープ)10:00スィケット10:15(徒歩)12:30ダンプス

 出発地は、ネパール第二の街、ポカラ。ロッジは ”ヒマラヤの花嫁” の著書 book で知られる平尾和雄氏が経営するスルジェハウス。

スルジェハウスに、トレッキング中は不必要な荷物を預け、ディバッグとシュラフだけの ”軽装” (と言っても、防寒用の手袋、ウールのセーター、雨具は当然持参。”最低限必要なもの” だけという意味での ”軽装”)で、7:00出発。シティバス bus で、街外れのシャイニング・ホスピタル hospital 前まで行き、そこからは乗り合いジープで未舗装のガタガタ道や浅い川の中を、1時間半ほど走り、スィケットへ。しかし、このジープは辛い wobbly sign01 揺れがひどいのは仕方がないが、何度エンストしたことか wobbly sign02 pout

2  ポカラの街から、乗り合いジープで

  ガタゴト揺られ、お腹もおかしくなりながら

  スィケットにたどり着きましたhappy02

  ここからトレッキングが始まります。

10:00に到着し、ここから ”徒歩 shoe ” の旅が始まる。腹ごしらえにチャイ cafe (ミルクティー)を飲み、ビスケットを食べ、いよいよ出発だ。時に10:15。15分ほど川原を歩くと、早くもきつーい登りだ coldsweats02 。階段のようになっている山道、直射日光 sun も強く、半袖 t-shirt でも暑い sweat01 。40分ほど登って休憩 coldsweats01 。田んぼや畑の畔道、民家の横を通って、再びきつい登りだ sad 。見たとたんに、それまでの疲れが出てくる shock 。しかし、”前進あるのみ” で歩き出す gawk

が、初めのペースはどこへ行ったのか despair sign02 、10分登って休憩、そして5分、3分、1分 watch と登らず休んだり・・・wobbly 。我ながら、体力のなさ despair 、日ごろの運動不足を痛感 shock 。途中で30分もの長い休憩を取って coldsweats01 sweat01 、ダンプスに着いたのが12:30。初日から飛ばすと、後々響く bleah ので、この日はここまでにする smile 。スルジェハウスで、トレッキングから帰って来た人からも、そのようにアドバイスされてたし・・・。

この日の宿を決め、昼食をとり、その後、村の小学校 school へ行ってみると、なぜか子供たちが「ワァーッ happy01 happy01 sign03 」と駆け寄って来て、片言の日本語で「こんにちはsign01 」だって happy01!カワイイ lovely !彼らは早くから英語も習っていて sign02 、簡単な会話はできる。日本では中学からなのに・・・ wobbly 。また、「空手を教えて sign01 」と皆に言われ、俺が高校時代、体育祭でやっていたリーダー(応援団)の空手の型を披露した coldsweats01 bleah 。その日は、それが子供たちの間でずっと流行っていた happy01

子供たちが、校舎の中を案内してくれた。石でできた校舎の教室には、電気 flair などもちろんなく、机すらない shock 。生徒たちは3~4人掛けの長椅子(間違っても、背もたれなどない)に座って、授業を受けているらしい。一応、黒板はあった。先生と話をしたかったが、あいにく、もういなかった bearing

夕方、ある子供が地面に何やら書いているのを見てみると、ナント、漢字の ”一、二、三・・・八、九、十” だったことには、驚いた good 。いったい誰に教えてもらったのだろう?でも、よく考えてみたら、彼らは最初に俺と会ったとき「こんにちは happy01 sign03 」と日本語であいさつしてきたし、教室内には日本のカレンダーがあったし・・・think 、もしかしたら、日本人の先生がいるのかな think ?海外青年協力隊の confident

夕食は、”ダルバート” という、こちらでは一般によく食べられる家庭料理を食べた。が、ここのは今一つおいしくなかった wobbly shock 。そして陽sun も沈み night 、何もすることがなく wobbly 、午後7時過ぎには、お休み sleepy

015  ダルバートです。これは”高級”!

  「カトマンズ百景:内田良平著」より引用

ダンプス、カルパナロッジにて

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2009年5月22日 (金)

感謝状 読者・コメンター殿 & ご質問の答えを…

いつもいつも、私の拙いブログを楽しみに読んで、コメントして下さっている皆さん(と言っても数人ですが)、本当にありがとうございます happy01 heart wink 。何年も、何十年も前の旅の話にもかかわらず、読んでいただけるだけで、感謝しています happy02 。心より、御礼申し上げます confident

ご覧のとおり、私のブログは「古い旅日記」ですので、これを参考に旅の計画を立てられたり、読まれたイメージをそのまま現在のものと受け止められると、ちょっと困るのです gawk が、難しいことは考えず、気楽に訪問されて catface 、コメントを残していただけたら、この上なく嬉しぃです happy01

ところで、親愛なる読者でありコメンター wink でもある青龍○段様より、いくつかご質問 sign02 をいただいていますので、お答えしようと思います。

インド、ネパールの場合、今書いている旅日記の頃(つまり1984年当時)は、少なくとも私が泊まった安宿は、たとえ個室であっても、シャワー・トイレは共同でした。シャワールーム=トイレで、もし誰かがシャワーを使っていると、その間そのトイレ toilet は使えません。別の階のものを使います。安宿ですから、歯ブラシはもちろん、タオルだってありません。洗濯も、シャワールームで、ゴシゴシと手洗いです。干す場所は、屋上などにありました。

再び1992年、さらに三たび1994年にもネパールを訪れ、その時に宿泊したカトマンドゥのゲストハウスの個室は、シャワー・トイレ付きの部屋もありました。しかし、タオルなど アメニティは何もなかったです。インド・ダージリンで泊まったゲストハウスも、行き帰りにトランジットで立ち寄ったタイ・バンコクの安宿も同じです。

Tシャツ t-shirt や下着、靴下、ハンカチはもちろん、ジーンズ denim さえも手 paper でゴシゴシ、足 foot で踏み踏み、洗っていました。洗った後、屋上に干すこともありましたが、あらかじめ日本から用意していたロープを部屋の中に張り、そこに干していたこともあります。

1本のロープ、これが実に役立ちます。洗濯物を干すことはもちろん、デーバッグに入りきらないものをロープを使って底に縛りつけたり・・・。荷物の梱包の際、衣類をロープでまんべんなく縛り、少しでもスペースを空けるなど・・・。私にとって、たった1本のロープは、海外旅行の必需品の一つです。

ヨーロッパでは、だいたい三ツ星クラスのホテル hotel を選んでいましたが、ときにはさらに高級な、ときにはさらに安価なホテルにも泊まりました。ドミトリーには泊まったことがなく、どこもすべてシャワーまたはバスタブ・トイレ付きの個室でした。下着などのちょっとしたものなら、ササッと洗ってクローゼットにあるハンガーに干したり、部屋にロープを張って干していました。アメニティに関しては、そのホテルのランクにもよります。バスタブ付きの部屋ですと、ボディソープやシャンプー、タオルはたいていあったと記憶しています。ヨーロッパのホテル事情については、私より bella さんに尋ねてみるほうが良いのでは?

ネパールの食料品(とくに、一般庶民の人々から、縁遠いもの)については、コメレスにも少し書きましたが、各国の登山隊の「余りもの wobbly 」と思われるものも売られていましたよ。ただし、「カップめん」は見なかったなぁ。袋入りのインスタントラーメン noodle なら、ありましたけど・・・。ネパールでは、チキンスープ味の「ララ・ヌードル」というインスタントラーメンが、その頃すでにありました。これは日本のものと変わらないほど、美味しかったです。ただ、「カップめん」に関しては、その後のネパール旅行の際、個人やツアーに関わらず、「いざという時」用に持ってきている日本人と何人か会いました gawk

トイレ toilet ・・・、う~ん、今はどうなのかなぁ?1984年当時はインドもネパールも、トイレの後はペーパーではなく、空き缶に水を入れ左手でかけながら洗っていました。故に、かの地では左手は「不浄の手 paper wobbly 」とされ、食事や握手をするときは決して左手を使ってはいけません。この習慣は、今でも生きづいていると思います。ただし、ホテルやゲストハウスには、この時代さすがに、トイレットペーパーは備え付けられています。しかし、トイレットペーパーを持っていくのは、正解です good 。海外でも、国内の山でも。できれば、邪魔な芯を抜いてペチャンコにするとよいです。マイカー car には芯を抜いたトイレットペーパーを、常備しています。

アジアの国々で、トイレの際にペーパーを使う習慣がない国では、トイレットペーパーは高価 upwardright wobbly なものです。ヨーロッパでは、鼻をかむとき、ハンカチを使う国もあります。これ、とても重要かつ大事であり、要注意 punch annoy bearing downwardright despair sign01 もし、欧米の友達がトイレ toilet の後、手 paper を洗った時、ハンカチを持っていなかったとして、親切心からハンカチを貸してあげたら・・・もしかしたら、イヤな顔 gawk angry sign03 をされるかもしれません。鼻をかんだ後(と思われてしまうかも?)のハンカチを差し出されてもねぇ・・・sign02 wobbly

アッ、そうそう思いだしました。山好きな女性友達が以前、山へ行く時は通称「どこでもトイレ toilet 」と勝手に名付けた「巻きスカート」を常に持参していたそうです。彼女曰く、「たとえ、見られそうになっても、これを使えば”あそこ”は見られないですむ coldsweats01 」からだそうです。ウーン!納得!

短期、長期に関わらず、私は1本のロープと、あらかじめ芯を抜いておいたトイレットペーパー、他には、明らかに日本で買ったほうがはるかに安いもの・・・、それらのものをよーく考え厳選して、海外に出かけるようにしています think 。ここ数年は、会社内での立場上、思い描いているような旅ができなさそうなので、大人しくしているのが、現状です shock weep crying sign03

このブログを書いている途中から、「行きた―い!」「どこか海外へ行きたーい!」と、頭の中を巡り巡ってます!誰か、助けてぇー sign01 crying  confident think sign03 lovely

*青龍○段さんへのコメレスに書きましたが、「カトマンズ百景」「エベレスト街道」「アンナプルナ周遊」、いずれも「内田良平氏著、山と渓谷社」から出版されていますので、もしよろしければ、お近くの図書館にもしあれば、お借りして、その写真集を見ながら、カトマンドゥや、この後書くアンナプルナ方面へのトレッキング、かつて書きました「エヴェレスト街道を行く」に思いを馳せていただけたら、とても嬉しく、光栄に思います。

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2009年5月20日 (水)

赤褐色の街にてⅠ その6

7.ポカラへ

 11月1日7時ちょうど発の ”スイスバス bus ” と呼ばれるミニバスで、ネパール第二の街、ポカラへと向かった。ポカラからアンナプルナ方面へトレッキング(山歩き;山旅) shoe するためだ。俺なんかにトレッキングできるのか think sign02 と不安だったのだが、ストーンハウスロッジで金井さんや岩田さんが、「僕らでも行くんだから、ジン君だって行けるよ!俺なんかもう36才だよ。岩田君だって30才なんだから、もっと若い君なら十分行けるよ wink !」と言われ、行くことにしたのだ。

ポカラまではおよそ200km。13:30ごろ到着した。宿は、皆から教えられていた ”スルジェハウス” にしようとしたのだが、あいにくこの日はもう、空きベッドがない weep 。このロッジの経営者は、ネパール人女性のスルジェさんとご結婚された平尾和雄さんという日本人男性で、作曲家・平尾昌晃氏とは親戚の間柄だそうである。日本人男性が経営しているロッジとあり、宿泊客のほとんどが日本人 fuji だ。

俺がこの夏、北海道で知り合った人たちも、「ぜひ、ここへ行け」と話していたし、「もし行ったら”よろしく”と伝えてくれ。もし平尾さんが思い出せなかったら、”ネパール野球大会”を開いたやつらだと言えば、思い出してもらえるだろう」とも頼まれていた。平尾氏にその旨伝えると、「ああ~、彼らか happy02 !」と、覚えていたようだ。その甲斐あってか、「明日、一人トレッキングに出かけるから、一つベッドが空くけど、来るかい?」と言われ、俺は「ぜひお願いします happy01 」と予約させていただいた。この日は近くにある他のロッジに宿泊した。

34  ポカラから見た

  マチャプチャレ(6993m)

  マッターホルンや、槍ヶ岳を

  彷彿とさせる形をしています

翌日朝、スルジェハウスに移動し、ここで情報を仕入れる。トレッキング・パーミットを申請、取得し、トレッキングに必要なものを保証金を払ってレンタルする。借りる際にノートに氏名やパスポートナンバーを記入するのだが、そのノートに知っている名前があった。”ムネさん”こと、広瀬氏である sign03 。カルカッタのモダンロッジで浦本さんから聞いてはいたが、彼もここで何かをレンタルして、トレッキングに行っているようだ。もしかしたら、ヒマラヤの山の中で、偶然ばったり・・・ happy02 、なんてこともあるかも・・・ think sign02

1  トレッキング・パーミット sign01

  これを取得しないと、トレッキングできません。

   トレッキングルートには、チェックポストがあり、

  パーミットを提示しなければなりません。

俺にとって特に必要なのは”雨具”だ。これは防寒にもなる。なるべく、と言っても、元々荷物は少ないが、体に負担がかからない程度の荷物で行こう、と思った。その結果、デイバッグにシュラフを縛りつけただけの荷物となった。皆が言うには、「どうせ風呂もシャワーもないんだし、洗濯もできないんだから、着替えたって意味がないよ wobbly 。同じものをずっと着てればいいんだよ。誰だって同じだから coldsweats01 sign01 」だそうで、着替えは最低限だけにした。

スルジェハウスの夕食は、日本食がメインの日替わりメニュー restaurant 。ハンバーグ、五目ずし、てんぷら、カレーライス・・・ delicious 。カレーライスは日本のものと同じで、とても懐かしく感じた。半月のローテーションで、メニューが最初のものに戻るそうだ。

トレッキングの準備がすべて整い、いよいよ出発前夜となる。金井さんと岩田さんは2日前に既に出発していた。彼らは「君は若いから、きっと途中で追いつくよ wink 」と言って、ヒマラヤ山中での再会を約束した。

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2009年5月19日 (火)

赤褐色の街にてⅠ その5

5.してはいけないもの

 ”いてはいけないもの ban ”、といえば当然、”あれ” です。そう ”あれ” です。世間では ”大麻” とか ”麻薬” と言っています。こちらでは ”ガンジャ(マリファナ;大麻の葉を乾燥させたもの)”、”ハッシーシ(チャラス;大麻の樹脂を固めたもの)” が、特によく売られています。もちろん、ネパールでも違法 ban であることに違いはありません。しかし、いとも簡単に手に入れることができるらしいのです wobbly (が、俺は決して買ってはいません。だって見つかった時、怖いじゃん weep )。

このストーンハウスロッジの日本人旅行者の中には、この大麻に溺れている人もいました。溺れてはいないものの、興味半分でしている人もいました。ある日、俺は彼らに誘われ、話をしているうちに好奇心 catface から、大麻を吸ってみました smoking 。ここ2年以上禁煙 nosmoking していた俺は「これも、日本では絶対に経験できないものだ~ sign03 」と思って、大麻を体験した。

その感想は、「ぶっ飛んだ~ sign03 wobbly 」。その時は皆でウィスキーを飲みながらだったけど、話が1からすぐに10になり、そして新たに1から始まりアッという間に10まで話がぶっ飛ぶ wobbly sign02 煙草 smoking ほどの害はないと言われるものの、アルコール bar と一緒では、やはりかなりヤバいものだ think 。これを知ったことも、俺にとっては一つの財産かもしれない bleah

注;後にも先にも、私の「大麻」体験は、この一回きりです。文中にも書きましたが、ネパールでも「大麻」は違法ですので、これを読んで「ネパールへ行けば、大麻が吸える」と誤解することがないよう、書き加えておきます。

6.インドでクーデター?

 とある夜、夕食後の帰り道、あちこちで人々が皆ラジオ slate に耳を傾けている。その表情は皆、真剣だ。「何かあったのかな think ?」と思って尋ねてみても、彼らの早口の英語では、こちらはついていけない coldsweats01 。しかし、インドで何かが起こったらしい、というのは分かった。

そして次の日、このストーンハウスロッジに滞在している一人の日本人がこう言っていた。「インドでクーデターが起こったらしい。日本の新聞でも、一面トップで載っているんだって!」と。インドの”インディラ・ガンジー首相”がシーク教徒によって暗殺されたようだ。それによりインドは、大混乱だとのこと wobbly 。インドへの渡航・入国も自粛するよう言われているらしく、これにより、インドが平穏を取り戻すまでは、ネパールに滞在せざるを得なくなった。

教えてくれた男性は、たまたま日本へ用事があって、電話 telephone をかけたところ、この事実を逆に教えられたそうだ。俺は両親へはもちろん、俺が今インドを旅していることを知っている人たちすべてに、手紙 mail を書いて送った。”俺は今、ネパールにいるから大丈夫だ happy01!”と。2~3日中にはポカラへ移動して、トレッキングに行くつもりだ。同じロッジに泊まっている金井氏や岩田氏の勧めもあって、トレッキングしようと思った。

*帰国後、両親の話によると、インドでのクーデターが報じられてからは、毎晩のように誰かから「何か連絡はありましたか think?」という電話 telephone が何本もかかってきていたらしい。インドへ行ったことは知っていても、ネパールへ移動したことは、両親でさえ、まだ知らせていなかったのですから!日本での心配をよそに、当の本人は、のほほんとお気楽に旅を続けていたのです happy02 (笑)!

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2009年5月18日 (月)

赤褐色の街にてⅠ その4

4.夕食(レストラン)

 この頃の夕食 restaurant は、一人で行くこともあった weep が、たいていはストーンハウスロッジの他の日本人の旅人と一緒 happy01 に行った。よく行くのは、ジョッチェン(通称:フリークストリート)にある”ジャスミン”。ここが安くておいしい delicious 。日本円で2~300円も出せば、腹いっぱい食べられる happy01 scissors 。ステーキだって100円そこそこだ happy02 。だから、フライドライス(炒飯)とステーキ、スープとか、スプリングロール(春巻)やモモ(ネパール風餃子;小龍包とほぼ同じ)を食べたり。他にもラーメンのようなもの、焼きそばもあって日本人にとっては、口に合うものが多かった smile

017  写真左;チョウミン(焼きそば)、

  右;トゥクパ(チベット風、汁そば) delicious

018  スプリングロール happy02

  これは絶品 sign03 ぜひ一度、お試しあれ wink

  (この2枚の写真は、内田良平氏の「カトマンズ百景」から無断で引用させていただきました。あしからず、ご了承ください confident !)

ジョッチェンは、以前から”ヒッピー”が集まるところで、安宿が多く、それ故、外国人向けの安くておいしい料理屋 restaurant が多くできたのだそうだ。しかし、昼間にこの辺りへ来ると必ず、「チェンジ・マネー dollar ?」「ガンジャ?ハッシーシ smoking ?」と、声がかかる。いわゆる「闇ドル」と「大麻」である。でも、彼らに対しては無視するか、一言「ノー angry sign03 」と言えば、それ以上しつこくして来ない。

お土産屋 present も多い。お土産は、値段の”ふっかけ”はそれほどしていないだろうが、その代わりなかなか負けてもくれない despair 。一度にたくさん買うといいのだろうが sad 、シビアだ wobbly

食後には”スタイリスト・パイ”というケーキ cake 屋へ立ち寄ることが多かった。以外にも、ケーキ cake はネパールの隠れた”名物”なんです。ここ”スタイリスト・パイ”のケーキ cake も、とても美味しく delicious 、一切れの大きさも日本のケーキの一切れの倍ぐらいある happy01 。そして、あまり、くどくはない。食後というのに、二つも食べたこともあったほどだ coldsweats01 。正直に言って、ここネパールにずっといたら、確実に太りそうだ danger coldsweats02 。それほど、”食”は日本人に合っている。

”ジャスミン”以外のレストラン restaurant へも行ってみたが、やはりここが一番おいしかった delicious 。しかし、ロッジから歩いて5分もかかるかどうかの”モモ屋”のモモは、1皿3ルピーでとても美味しく、昼食によく食べていた happy01

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2009年5月17日 (日)

赤褐色の街にてⅠ その3

3.カトマンドゥ郊外へ

 ときには足 foot をのばして、スワヤンブーナート寺院へ行ったり、隣町のパタンへ行ったりもした。また、滞在ビザの延長やトレッキング・パーミットの申請のために、イミグレーション・オフィスへ行かなければならないので、のんびりと歩いて shoe 遠出した日もあった happy01 。(注:イミグレーション・オフィスは、今は旅行者が多く集まるタメル地区にあるのですが、当時は中心部からかなり離れたところにありました。)

スワヤンブーナート寺院は、カトマンドゥの中心部から西へ行った高台にある。長い階段を上ると”モンキーテンプル”とも呼ばれるこの寺がある。ここにある仏塔(ストウーパ)には、大きな仏陀の目が描かれ、その目はすべてを見抜くという wobbly 。”モンキーテンプル”と言われるだけあって、確かに猿がたくさんいる happy02 。(注:仏塔のことを”ストウーパ”と呼ぶのですが、日本のお墓にある”卒塔婆(そとば)”は、この”ストウーパ”が語源となっています。)

20  スワヤンブーナート寺院

  仏塔に描かれた眼、いかがですか?

  ここは”仏教の総本山”とも言うべきお寺です。

ここから見るカトマンドゥの街は、まさに赤褐色(レンガ色) lovely 。夕焼けの頃は、特にだ!しかし、仏塔の周りには、しつこい土産物屋の売り子がたくさんいる。これには興醒めしてしまう gawk 。でも、このカトマンドゥの街を一望するならば、ここへ来ずにはいられまい。

隣町の古都パタンへも行ってみた。バス bus を利用すれば近いのだが、俺はあえて1時間ほどかけて歩いてみた shoe 。この街も古い街のようで、カトマンドゥのダルバール広場にも負けないほどの古いお寺がある。が、俺にとってはそれだけで、カトマンドゥと何ら変わり映えはなかった think

33  パタン、ダルバール広場

  古い寺院がたくさんあります

滞在ビザの延長や、トレッキング・パーミットの申請のために、郊外にあるイミグレーション・オフィスへも、何度か出かけた。入国時に1週間の観光ビザを取得した俺は、さらに延長すべく、そこまで歩いて行った。ストーンハウスロッジからは、およそ1時間ほどかかった shoe shoe sweat01

申請し受け取りまでは数時間かかる wobbly ので、その間その付近をぶらついていた。自然豊かなところで、いつも森の中を散歩したりしていた happy02 。申請したピザなどを受け取ると、再び街へと歩いて帰った。

31  ボダナート寺院

  カトマンドゥ郊外にあります

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2009年5月16日 (土)

赤褐色の街にてⅠ その2

2.カトマンドゥの街中で

 カトマンドゥの街の朝は早い。日の出から人々が活発に活動しているようだ。とはいえ、あまり早く起きても、何もすることがない旅人 wobbly は、ゆっくり起きる。朝起きて初めにすることは、やはり洗面とトイレ。そして外出し、朝食を食べに行く。パンやドーナツは、そこら中で売られているので、すぐに食べられる delicious

食後は、その日その日によってあちらこちら歩き回った。ラトナパークの芝生にゴロンと寝そべったり、この公園内のバザールを見て回って買い物を楽しんだり happy01 。カンティパトやニューロードといったこの街、いやこの国一番のメインストリートを歩いたり。ニューロードは、間違いなくこの国一番の繁華街で、宝石店 ring 、時計店 watch 、お土産屋 present など、高級な店が建ち並んでいる。また、航空会社 airplane 、銀行 bank なども、この道沿いに多くそろっている。にもかかわらず、それらの店の前で、野良牛 taurus が横たわっていたり、夜 night 8時過ぎには人通りもほとんどなくなって、開いている店も少ない shock 。そして突然、野良牛 taurus が「モゥ~!」と吠えるのである。笑ってしまう happy02

23  ラトナパークのバザール

  ここへ来れば、たいていのものが

  安く手に入ります。

24  ニューロードの東端です。

 ネパール一の繁華街です。

スーパーマーケットという名の、ちょっとした「デパート」もある catface 。ここには、おそらくこの国唯一(?)の「エスカレーター」があった coldsweats02 sign03 。ここ以外では、全く見たことがない wobbly 。ほとんどの店は、テナントとして入っているようで、高級サリー(インドやネパールなどの国の女性の、正装用のドレス)を扱う店が多かった。他にも、おもちゃや文房具、日用雑貨、食料品などを扱うお店もあった。しかし、ここでこれらのものを買うことができる人々って、いったいどれほどいるのだろう think  sign02

さらにニューロードを進むと、観光案内所 info02 があり、ハヌマン・ドゥーカ(旧王宮)があるダルバール広場。この広場の前にも、土産物を扱ったバザールがあり、また、この広場に面して”クマリの館”もある。”クマリ”とは”生き神様”のことで、まだ初潮を迎える前の、汚れのない処女 virgo の中から、厳正に選ばれるそうだ。こうして選ばれた”クマリ”は、この館内で1日中を過ごし、外へ出ることは、ほとんどないそうだ wobbly 。そしていつか、初潮を迎えると、”クマリ”ではなくなり、その座を次に譲らなければならない shock

”クマリ”を目にすることは、ほとんど無理 sign01 なのだが、いつだったか一度、一緒に歩いていた人が、この”クマリの館”に向かって大声で「クマ~リ~ sign03 」と叫ぶと、窓から幼い顔の少女 virgo 、つまり”クマリ”がちらっと顔を見せてくれた heart02 happy01 。その顔は、どちらかといえば”無表情”だった sad が、あどけない顔をしたまだ7~8才位の少女に見えた wink

ダルバール広場周辺には、他にもたくさんの寺院がある scissors 。どれも歴史的に貴重な建物ばかりだ good 。シヴァ寺院、ガネーシュ寺院、そしてカーラ・バイラブ像、ハヌマン像など、世界的な遺産ばかりだ lovely

ダルバール広場から北東へ延びる道が、インドラ・チョーク。この道沿いも、土産物から生活雑貨を扱う店が建ち並んでいる heart01 happy02 。そして、タメル地区もこのところ、賑わいはじめているらしい。土産物屋や旅行者用のゲストハウスが何軒かあるが、まだ新しいせいか、料金がやや高い shock

俺が宿としているストーンハウスロッジ近辺では、お店の名はないが、サキャさんが経営するお店によく行った scissors 。サキャさんとの出会いは、ある日の夜、たまたま店の前を通りかかった時に、彼が「こんにちは wink 」と日本語で声をかけてくれたのがきっかけだ。彼の店は、少しばかりの食料品と雑貨を扱っていた。サキャさんは、1年ほど技術研修のために日本へ行ったことがあるそうで、それ故、日本語ができるそうだ。彼は、「あなたがここに来るときは、日本語で話して下さい wink 」と言ってくれた happy01 。それからは、彼の店の前を通るたびに、彼がいるかどうか eye 覗いていた。彼がいると、何も買うものがなくても weep 立ち寄って、彼と日本語で会話し happy01 、いつもコーヒー cafe をご馳走してくれた。そうして彼との友情が始まった scissors

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2009年5月14日 (木)

赤褐色の街にてⅠ その1

*”赤褐色” で ”レンガ色” とお読みください wink

 アジア大陸の内陸部、チベットとインドの間にネパール王国がある。面積は約14万㎢(北海道の約2倍)、人口約1300万人という小さな国だ。ネパール入国後しばらくして、インド国内で、世界的かつ社会的な大事件が勃発し、インド入国が当面の間、できなくなったせいもあり、この国の首都カトマンドゥに10/21~10/31、11/22~12/17と2回にわたって約5週間過ごした。気候は、日中は穏やかで良い天気なのだが、朝晩はかなり冷え込む。12月になると、風邪をひいている人もずいぶんいた。自分なりに過ごしたカトマンドゥでの日々を、色々な角度から紹介してみたい。

1.カトマンドゥ到着

 10月20日、インドより傷心 weep のまま、ビルガンジの街を、朝7時発のバス bus に乗りカトマンドゥへ向かう。バスは、平原地帯から徐々に高度を上げ、山岳地帯をクネクネと登って行く。道路事情が悪く、バスはガタゴトとよく揺れる wobbly 。次第にお腹の調子がおかしくなってきた。刺すような痛みだ despair 。周りの景色を楽しむほどの余裕は、全くない sad 。何とかカトマンドゥへ到着。15:30だ。

バスはラトナパークの南、GPO(中央郵便局 postoffice )近くに着いた。バスを降りて最初に気づいたのは、ローカルバスで1種類、日本の’いすず’製のバス bus で、側面に ”1981  NEPAL-JAPAN  COOPERETION ”  と、両国旗が描かれていることだ catface 。そして人々の顔も、より日本人に近くなっている。いくぶん、ホッ happy01 !としたものだ。

俺は、あらかじめ教えられていた ”ストーン・ハウス・ロッジ hotel ” へと向かった。このロッジは「日本人御用達の宿 wobbly 」と言ってもいいほどで、宿泊客の9割が日本人だ(宿のオーナーによる)。料金も、ドミトリー(相部屋)7ルピー、シングル11ルピーと、およそ100円前後で泊まることができるのも、俺にとっては大きな魅力だ scissors 。もちろん、シャワー・トイレは共同。俺は、このロッジにチェックインし、腹痛が治まるのを待った。が、この日の夕食は結局、食べなかった shock

次の日は、さすがに体調も良くなり happy02 、街をぶらつき始めた。また、ロッジには日本人ばかりいることもあって、話し相手などには事欠かなかった happy01 。彼らとは一緒に夕食を食べに行ったり delicious 、闇ドル dollar (銀行 bank 以外での両替;正規のレートより換金率がいい bleah !)の情報をいただいたりしていた good

注:ネパールの首都、”カトマンズ”と表記されていることが多いのですが、英語(アルファベット)表記では、”Kathmandu”と書きます。できる限り、現地の人々の発音に近い表記で、あえて”カトマンドゥ”と表記致します。

 

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2009年5月13日 (水)

印・ネ国境を越えて その2

3.国境へ

 パトナからラクソールへは、バス bus で5~6時間かかる。車窓からは亜熱帯の風景が広がる lovely 。バスの乗り心地は、決して快適とは言えないが sad 、それでも俺は「いよいよヒマラヤだ、ネパールだ heart02 」という気持ちで高まっていた。

ラクソールの街に着くと、さっそくリクシャマンたちが待っていた。バス・スタンドから国境までは、まだ2kmほどある。さらにその向こう、ネパール・ビルガンジの街へも2kmほど。ためらうことなく、俺はサイクルリクシャ(人力車の自転車 bicycle 版)に乗った。

リクシャマンたちは、もう何人もの旅人たちを乗せたのだろう、慣れたもので、こちらから言わなくても、イミグレーションオフィス(出入国管理事務所)、税関へと俺を案内してくれる confident 。出国審査も終わり、間もなくネパールだ。

しばらく行くと、大きなゲートが見えてきた。「あ~、あそこが”国境”なんだ confident 」。空は、いつの間にか夕日 sun に輝いていた。今、リクシャマンが俺を乗せて走っているこの道が、やがてインドの国のものでなくなるのだ。

4.国境を越えて

 俺を乗せたサイクルリクシャは、とうとう国境のゲートの前まで来た。そしてついに、ゲートを越えた sign01 俺は、その瞬間、後ろを振り返った。インドの道を sign03 そして向き直り、ネパールの道を見た sign01 不思議なことに、何の変化もない同じ一本の道だった。なのに、あのゲートを境に、支配する国が違うのだ wobbly 。人々の顔つきも、道路を走る車の種類さえ違う(インドは、インド国産の”アンバサダー”という車がほとんど。ネパールは、日本では”廃車同然”の中古車が多い)。

イミグレーションで入国審査を受け、7日間の観光ビザを取る(ネパールは、入国時に1週間のビザ取得可能。最高3ヵ月まで延長可)。そして税関を通り、ネパール通貨(ルピー、1ルピー≒11円。インドルピーとの比率、1:1.45)への両替を済ませて、この日の宿、サガルロッジへと、サイクルリクシャは走った。

5.エピローグ

 俺の初めての陸路での国境越えは、サイクルリクシャと共に体験した。両国の国境の街の人々は、お互いに自由に行き来できるそうだ。陸続きの国境というと、どうしても重々しく考えがちであったが、この国境は、俺にとって非常に平和的に感じられた confident 。銃を持った兵士がいるとか、あちこちボディチェックされるとか、細々といろんなことを訊かれると思っていたのだが、そんなことは全くなかった wink

しかし、異国なんです。見るもののほとんどがインドとは違っていました。ネパール人って、顔つきが日本人に本当によく似ているのです。インド人と全く違うのです。なんとなく親近感を覚えました。そしてふと、安心感が漂いました confident happy01

明日は、このネパールの首都、カトマンドゥに向かいます。何かいいことがありそうな、そんな予感がしました catface

6.そして・・・

 ネパールの旅の後、再びこの国境を超えました。もちろん、サイクルリクシャで。インドへ戻り、日本へ帰るだけだったので、あのゲートを越えた時、無性に寂しくて、切なくてやりきれなかった weep 。「あぁ、これが国境というものなのか shock sign03 」と。

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2009年5月12日 (火)

印・ネ国境を越えて その1

1.プロローグ

 印・ネ国境とは・・・?文字通りインドとネパールの国境のことである。我々日本人にとって外国へ行くには、日本が島国である以上、陸続きでは出られない。陸続きの国境・・・何か重々しい感じがする。ヨーロッパでは鉄道やバスで国境を越えることが多いようだが、行かれた人は、どんな気持ちで国境を越えたのだろうか?俺が唯一体験した陸路での国境越え、インド~ネパール間は・・・。

2.デリーエクスプレス

 約20日間過ごしたカルカッタの街、何が何だかわからん街だった wobbly 。一言で表現するならば『喧騒の街』。道路はバス bus ・トラム train ・自動車 car ・自転車 bicycle ・ * リクシャ(人力車)・人 run ・・・。歩道を歩いていれば、今も根強く残るカースト制度を実感せずにはいられない。つまり、俗にいう『乞食さん』が『お布施』を乞うのである。

 * リクシャ・・・インドやネパールの他、バングラデシュやパキスタンにもある『サイクルリクシャ(自転車タクシー)』は有名だが、カルカッタだけは自転車ではなく、日本の人力車と全く同じもので、人間が人力でのみで走ります。

こんなカルカッタの街を”デリーエクスプレス”という名の列車 train で、パトナへと向かって出発する。デリーエクスプレスは、カルカッタ近郊のハウラ駅から、インドの首都ニューデリーを結ぶ夜行列車だ。

10月19日21:00発だ。駅へ着いて、まず乗客名簿を確認する。プラットホームの柱に張り出されてあって、そこに名前がなければ、予約されていない、ということなのだ。もちろん、俺の名前は載っていた。どの車両かも書いてあるのだが、その車両が全く分からない wobbly 。日本のように1号車2号車と順番になっていないのだ。先頭から最後尾まで探すも、わからない。出発時間も近づいてきている coldsweats02

こんな外国人相手に『席捜し屋』というのがいる wobbly から、おまけにチップを要求 sad してくる。俺としては非常に助かった happy02 のだが、やはり、わけわからん国だ、インドは think

デリーエクスプレスの寝台は硬かった wobbly 。「少しでも寝心地を良く」と思って、シュラフを広げた。インドでは、列車内での盗難は日常茶飯事のことらしいので、とにかく神経を使った。「これ以上盗られてなるものか angry !」と思って。

少しは眠ることができて、パトナ・ジャンクション駅に着く。7:30ごろだった。ここからは国境の街、ラクソールへとバス bus で向かう。

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2009年5月11日 (月)

カルカッタで食べていたもの

インドといえば、やはり”カレー”。しかし、ルーから作る日本のカレーとは全く異なりますので、あえて”カリー”と書きます coldsweats01

外国人旅行者が行くようなレストラン restaurant のカリーは、辛さはやや控えめ happy02 。しかし、そうではないまず外国人が来ないような、地元の人しかいないような、ちょっと(どころか、かなり)小汚い店のカリーは・・・?激辛 impact です wobbly !しかも、インドの人々は、食事は右手を使って食べるので、スプーンもない!熱い!辛い!口の中は大火事 bomb impact sweat01 です!

「水、水~ coldsweats02 sweat01 sign02

しかし、コップの中の水は・・・、

「に、、、濁ってるじゃん wobbly sign03

でも、飲まなければ、口の中の火事は治まりません。勇気を出して・・・一口「グビッ!」フゥ~ bleah sign01 そしてまた食べる delicious 、火事 impact 、水 japanesetea 、消火 confident 、食べる delicious 、火事 impact sweat01 、水 japanesetea 、消火 confident ・・・・・・・の繰り返し coldsweats01 。食べ終わったときには、コップの中身は、半分以上減っていた coldsweats02 sweat01

「明日、間違いなく下痢するな coldsweats01 coldsweats02 coldsweats01 sweat01 sign02

激辛カリーを食べた後は、お口直しにチャイ cafe を飲みました happy02 。チャイとは、インドでポピュラーなミルクティー。日本のお茶 japanesetea のような感じで、よく飲まれます。ミルクティーには違いありませんが、問題はその比率 wobbly 。ミルクと紅茶、1:1です。だから、結構甘いです。でも、カリーの後には欠かせません happy01

激辛カリーと不衛生極まりない水で、翌日、案の定、下痢を起こした俺 shock は、同宿の人に誘われ、中華料理店 noodle restaurant へ。そこで食べたのが「エッグ・ライス・スープ」。どんな食べ物か、なんとなく想像できると思います。おかゆ+おじや+雑炊を3で割ったようなものです。これは、下痢状態の胃腸には、とても優しかった happy01

朝食は、主にチャパティやローティと呼ばれるパン bread を食べることが多かったです。ナンとは違い、とても薄いパン(クレープのようなもの)です。カリーをつけてもおいしそう delicious ですが、よく行く店では、ジャムがついていました delicious

辛いばかりがインドではないので、インドのスィーツ cake も紹介します。

あるお菓子屋さんで一口サイズのケーキが何種類もありました lovely 。「おいしそうじゃん confident!」とばかりに、いくつか買って食べてみたところ、その味は・・・

「ゲェ~ wobbly sign01 激甘~ sign03

一口食べただけで、ギブアップ sad sign03 お砂糖の塊よりも、はるかに甘い!まさに、殺人的 despair sign03 激辛カリー impact sweat01 に激甘スィーツ cake sign01 「ほどほど」ということを知らんのか angry sign02 と思いたくなる bleah

「インドって、そういうのしかないの sign02 」と、誤解されてもいけない wobbly ので、俺の一番のお勧めを言うと、何といっても”ラッシー” happy01 。ヨーグルトドリンクです good 。プレーンもあれば、バナナ banana 、パパイヤ、マンゴーなど、フルーツがミックスされたものもあります lovely 。これはおいしい delicious sign03 です。口当たりもさっぱりしています happy02

そして、もうひとつ、”フルーツカード”。”カード”とは、ヨーグルトのことです scissors 。プレーンヨーグルトに何種類ものフルーツ apple banana が入っています。これは、たまらない happy01 ほどおいしいです delicious 。まさかインドに、こんなおやつがあるとは good happy01 意外でした wobbly

カルカッタでは、盗難に遭ったこともあり、精神的にかなり落ち込んで shock いましたが、モダンロッジに泊まっていた同じ日本人旅行者の方々が、食事に誘ってくれるたびに御馳走して下さって scissors 、大いに助けられ励まされ happy02 、次第に元気を取り戻しました happy01 。自宅からの送金 moneybag が届いたあとでさえも、チャイやラッシーを飲みに誘っていただき、いつも「これぐらいいいよ!」と言って、奢ってくださいました coldsweats01 happy01

おかげで、その後も楽しい旅を続けることができました。本当に感謝しています。心より「ありがとうございました confident sign03 」。

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2009年5月10日 (日)

カルカッタ盗難事件 その6

8.航空券再発行

 次は、航空券 airplane ticket の再発行だ。パキスタン航空のオフィスが、カルカッタにはないので、これはネパール・カトマンドゥで申請することにして、まずバングラデシュ航空だ。オフィスへ行って説明し、領事館と警察からの2通の盗難証明書を見せたのだが、スタッフ曰く

「あなたは失くしたのだから、新しいチケットを買わなければならない think 。再発行はできない gawk 」と、あっさり言った。wobbly

「そんなバカな pout sign01再発行できることは知っている angry 」と、俺も負けない。

言い争っているうちに、だんだん喧嘩腰になってきた。元はといえば、自分が悪いくせに。しかし、モダンロッジの人たちや領事館でも言われたように、バングラデシュ航空のオフィスのスタッフの質(タチ)の悪さ、横着さは非常に有名なので、強気で押さないと、何もしてくれないらしい coldsweats02

フロントにいる連中では話にならず、マネージャー(支配人)に直接掛け合ってみたが、これもラチがあかない sad 。その後もほとんど毎日のように、オフィスへ顔を出した。うるさいほどしつこくしないと、事が前に進まないからだ coldsweats01

何日目かでやっと、再発行の申請のための必要な書類を教えてくれた。俺はそれらを揃えはじめ、残るは”Recieving Stamp(収入印紙?)”だけとなった。「郵便局 postoffice に行けばある」と言うので行ってみたが、その類の切手はないと言う wobbly 。インドには3種類の切手(?)しかなく、うち1つはバンクシャル・コートへ行かなければ扱っていない、とのことだ。

「一体どうしろって言うんだ wobbly angry !」と、途方に暮れている時、助けてくれたのが、ボビーという27才のインド人。当然、俺は彼を警戒していた gawk 。必要以上に!しかし彼は、俺のへたくそな英語を、とにかく理解しようとしていた confident 。そし驚いたことに、一緒にバングラデシュ航空のオフィスへ行って、何が必要なのかを、問いただしてくれたのである happy02

すると、「トレザリーかバンクシャル・コートへ行け」と、先ほどとは違う答えだ。俺には「郵便局へ行け」と言っていたのに wobbly 。ボビーは、さらにフロントの奴らに何か聞いている。

オフィスを出て、ボビーは彼の自家用車 car の前で同乗していた彼の母親を紹介し、俺に車に乗るように勧めた。彼がどういうつもりでいるのか、本当に親切心からなのか、まだ半信半疑だったが、今の俺には、もうこれ以上盗られるものは何もないことは、わかっているはずだ。俺は、一抹の不安を抱きながらも、「まさか、母親が一緒にいるのに、悪事は働くまい」と、彼を信じ confident 、車に乗り込んだ。

彼は初めに、彼の勤務先へと向かった。会社内に俺を案内し、彼の上司と思われる方が、俺と応対している間に用事を済ませていた。そして再び車に乗ると、「私の家で、一緒に昼食 restaurant を食べないか?」と、誘われた。すでに車の中にいるのだし、「いい happy01 」も「いや pout 」もない。

彼の家に案内されると、彼はまだ新婚ホヤホヤ heart heart で、新妻 heart01 virgo を紹介してくれた。なかなかの美人だ heart02 。そして昼食 restaurant 。さすがに家庭料理はおいしい delicious sign01マトンカリーにベジタブルカリー、パン・・・、レストランで食べるよりは、はるかにウマイ happy01 sign03

ボビーは、この近所で子供たちに柔道を教えているそうだ。確かに体格も立派だ。なるほど、どおりで日本人の俺に親切なはずだ。彼は自分が”親日家 fuji ”であることを証明するかのように、日本のことが書かれた本 book を持って来た。その本を見てみると、文章は英語だが、富士山 fuji や新幹線 bullettrain 、浅草の雷門 thunder などの写真 camera も載っていて、彼は俺に日本について色々尋ねてきた。

やがて彼は、バングラデシュ航空で言われたトレザリーの場所が分かったようで、俺にそこへ行くバス bus へと案内し、車掌にも何か告げていた。きっと、俺が降りるべき所を車掌に話してくれたのだろう。別れ際、彼は「また困ったことがあったら、ここへ連絡しなよ wink 」と、1枚の紙 memo を渡してくれた。そこには、彼の氏名、住所、電話番号、ここまでのバスのルートとバス停が書かれていた。

トレザリーへ到着したが、この日の業務は終了しており、翌日行ってみると「バンクシャル・コートへ行け pout 」と言われた。相変わらず、この国はよくわからん wobbly 。あちこちとタライ回しにされる weep 。バンクシャル・コートで10ルピー支払って”Recieving Stamp”をもらう。切手と呼ぶには、あまりにも大きい。A4サイズほどの用紙だ。この用紙に、なぜこれが必要なのかを記入し、航空会社のサインがいると言う。

バングラデシュ航空のオフィスへ行くと、スタッフは「これじゃない pout !レシービングスタンプだ angry !」と言う。「郵便局に行けばある pout 」と。これではまったく、元の木阿弥だ。俺は微動だにせず、彼らと睨み合う gawk 。もう、どうにもならん angry 、と思うや否や、カウンターをドン rock sign03 と思いっきり叩き、

「Do you know ・・・ JAPANESE SAMURAI sign02 (テメェ、日本のサムライを知らないのか?) angry pout angry bomb impact punch 」と、啖呵を切った pout

それまで俺を、邪険に扱ってきた男も、さすがに、ひるんだ wobbly のか、それとももう面倒で関わりたくなかった gawk のか、「ちょっと待ってくれ coldsweats02 」とでも言わんばかりに、両手で俺の怒りを制し、「そんなに怒るなよ。私には、何の権限もないから支配人と相談してくる coldsweats02 」と言ってマネージャールームへと消えた。しばらくして俺を呼び、マネージャーと引き合わせた。マネージャーは、

「再発行には、レシービングスタンプが必要なのだが、それはこちらで用意する。ただ、その代金10ルピーだけ払ってくれないか think ?」と言った。

「今10ルピー払えば、すぐに再発行するのか gawk ?」と訊くと、

「もちろんだ bleah

こうして、レシービングスタンプ代を現金で払い、航空券の再発行を完了した happy02 。申請から8日目。そして領事館へ行き、無事再発行された事を報告しに行く。大沢領事は「エッ coldsweats02 sign02 もう済んだの sign03 ここでは、かなり早いよ。ふつう2~3週間はかかる wink 」と、驚いていた。これで、カルカッタですべきことは終わった。

9.カトマンドゥへ

 バングラデシュ航空のチケット再発行後、2~3日はやはり疲れが出た shock 。どこへ行こうか迷っていたが think 、モダンロッジで出会った人たちが皆、「犯人は、まずネパール人じゃないよ。云々・・・」と言っていたのを思い出し、季節的にもいいそうだし。こうなったら、ネパールへ行って、自分の目でネパールという国と人々を確かめるしかない think

鉄道のチケットを予約し、10月19日夜、事件からちょうど半月。カルカッタからパトナ経由で、国境を越え、カトマンドゥへと向かった。

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2009年5月 9日 (土)

カルカッタ盗難事件 その5

7.モダンロッジの旅人たちの心意気

 モダンロッジへ戻ると、オーナーや依然として泊まっている日本人の旅人たちが、「あれっ sign02 どうして think ?」という顔 coldsweats02 で、俺の方を見る。オーナーに盗難証明書を見せて、「日本から送金が届くまで、宿代を待ってほしい think 」と頼むと、快くOK wink してくれた。一昨日までと同じ部屋だったので、皆、顔なじみ。しかも、その部屋は日本人男性ばかりだった。俺は皆のアドバイスにも関わらず、荷物を持って出て行ったので、どんな顔していいのか、もう開き直って話すしかないと、事情を説明した sweat01

しかし、誰ひとりとして、俺を責める人はいなかった happy02 。それどころか、「そんな手口があるんだ sign02 sign03 」と wobbly sad angry 驚き、そのずる賢さに感心し、俺に同情さえしてくれた happy01

皆の「この先、どうするの sign02 」という問いに、

「このままじゃ帰れない bearing !お金 dollar が届いたら、そのお金で旅を続けます。だってそうしなきゃ、何しに来たのか分からないでしょ sad ?」と、目いっぱいの強がりを言うと、むしろ何もなくては旅が続けられないだろうからと、

「もし良かったら、これ、あげるよ wink

「これ、もういらないから、使いなよsmile

「俺、もうすぐ帰るから、それまで石鹸とシャンプー、貸してあげるよ wink !帰る前に、あげるから、買わなくてもいいヨ bleah !」

「下着もいるだろうけど、さすがに他人のパンツはねぇ・・・ bleah

「それは・・・、お金が届いたら自分で買います smile

と、Tシャツやジャージ、タオルが集まった。電話局で会った和田氏も、ここモダンロッジに宿泊(個室利用)していて、彼はこの夜も「ジン君、メシ食いに restaurant 行こうか?みんなもどう?ジン君のやけ酒 beer につき合わない?」と言って、夕食とビールに誘ってくれるし、それどころか、翌日も翌々日も食事の面倒を見てくれた happy01 。同じ部屋の人たちも、和田氏の誘いに快く賛成し、すっかりしょげてしまった俺 shock despair sad wobbly を、励ましてくれた confident 。ここ2~3日、精神的に滅入っていたのか、胃が痛み下痢もしたのだが、食べることだけは忘れずに体力を保った。

その後も、もう日本 fuji へ帰るのみと言う人たちから、タオル、シーツ、せっけん、シャンプー等々、旅に必要な日用品がそろい、小さなバッグ一つ分の手荷物ができた。「ネパールへ行くなら絶対に要るから」と、ウールのセーターを譲ってくれた人もいた。彼は「セーターを持ち帰ろうとすると、かさばって(荷物の)邪魔だから」というのが、本音のようだ。

名古屋の山田氏は「帰国後に帰してくれればいいから」と、余っていたインドルピー dollar (約1400ルピー≒3万円)を貸してくれた。彼は、あまりにも両替し過ぎていて、困っていた coldsweats02 wobbly ようだったのだ。でも、これだけあれば、まだまだ旅を続けることができる。(もちろん、このお金は帰国後、彼に連絡 telephone を取り、お返ししました wink 。)

さらに自宅からも、200ドル dollar (≒5万円)、東京銀行 bank へ届いた。銀行で出会った川崎の上田氏も、俺の話を聞いて、その日の昼食 restaurant とビール beer をご馳走してくれた。彼も以前、初めての海外旅行の時、香港で盗難経験がある shock そうだ。だから、「俺の気持ちが良く分かる think 」と、言ってくれた。

そして、どう見てもヒッピーにしか見えない、とても面白い浦本氏。彼は自分のことを「おいら」というので、ニックネームも”おいら”というらしい。彼も、ラッシー(ヨーグルトドリンク)やチャイ cafe を飲みに、よく誘ってくれた。彼は、”売る”つもりでいたポケットカメラ camera を、「ネパールへ行けば絶対、写真撮りたくなるから」と言って、そのカメラを譲ってくれた。さらに「もう帰るだけだから」と、シュラフ(寝袋)も貸してくれた。そのうえ、デーバッグも「あげるよ!」と譲ってくれた coldsweats02 。彼の住所を聞いて、「必ず帰国後に、シュラフを返します」と、約束した。(もちろん、これもちょっとした名古屋名物と共に、郵送でお返ししました。)

彼はまた、日本でも北海道をよく旅していて、ウトロ(知床)や斜里(知床半島の入り口の街)で、よくアルバイトをしていたと言う。よく行くお気に入りのユースホステルも同じところがあって、すっかり意気投合した happy01

彼、浦本氏がバンコク(タイ)へ向かう前日、一緒にカルカッタを歩き回り、夕食 restaurant もご馳走になった。俺は、貸していただいたお金や送金してもらったお金が、既にあったのにも関わらず、彼は「いいよ、いいよ wink !」と、いつもいつも奢ってくれた happy01 confident 。いや、彼だけではない。他の人たちだって、しょっちゅう誘ってくれた happy01 。その度にいつも、ご馳走してくれた lovely heart confident 。送金が届いた後でも・・・。俺は、「申し訳ない gawk 」気持ちはあったけど、先の旅のことも考えて、「少しでも節約できるのなら happy02 sign02 」と、みんなのご好意 heart に甘える lovely confident ことにした。

ロッジへの帰り道、偶然通りかかった映画館の前で、彼は

「アッ sign02 『ロッキーⅢ』やってるんだ sign03

「エッ sign02アッ!ホントだsign01

「見た sign02

「いえ、まだ見てないです weep sign01 ⅠとⅡは見ましたけど・・・despair

「見ていかない bleah ?」

と言って、一緒に映画『ロッキーⅢ』を見て(もちろん”吹き替え”無しの英語)、夜遅く night に帰宿した。

日本を離れて長く、また数多く旅していると、多かれ少なかれ、皆何かを盗まれたりしているらしい。そして、誰もが「犯人は、まず、ネパール人じゃないよ。その男が言ったこと(『カトマンドゥに住んでいる』)は、絶対に”ウソ”だよ!ネパール人に悪い人はいないよ。行ってみれば分かるよ!」と、話していてた。皆の、暖かい心意気を感じた think confident wink happy01 note

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2009年5月 8日 (金)

カルカッタ盗難事件 その4

6.領事館のアドバイス

 10月5日、朝6時ごろ、昨夜世話してくれた領事館勤務のインド人が迎えに来て、近くでチャイ cafe をいただき、「8時になるまで、この辺りで待っていてくれ」とのことで、ビクトリア・メモリアル・パークでボーッ think としていた。インドの人々の朝は早い。早朝からたくさんの人が集まって、ヨガのようなことをしている。日本なら、さしずめ”ラジオ体操”といったところか。

8時近くになって、領事館へ行き、日本領事の大沢氏にすべてのことを話した。話しているうちに不意に、自分自身の愚かさ despair 、人の良さに腹が立ち pout 、悔し涙 weep さえ浮かんだ。大沢氏にこっぴどく注意されたが、「パスポートがあるだけでも不幸中の幸い wink 」と、この後自分がすべきことを聞いて、動き出した dash

まず、領事館で大沢氏が盗難証明書(ポリスレポート)を作成してくれたので、それを持ってハウラ駅へバス bus で向かい、事件が起こったハウラ駅警察のサインをもらう。

次に中央電話局。場所は知らないが、品位がありそうな人に尋ねて、バスで行く。そして日本へコレクトコール telephone の申し込み。約2時間待ったが、日本の自宅へとつながった。「伏見(名古屋市内)にある東京銀行 bank からカルカッタの東京銀行へ、$200 dollar (≒5万円)、大至急電信送金してくれ」と、たったこれだけ伝えるのにも、音声がお互いに聞き取りにくいせいか、一苦労。

そして、そこで日本人の旅人、和田氏と出会った。彼から話しかけてくれたので俺は、「いや~、参りましたよ coldsweats01 !」と、事件の大筋を話した。再度、領事館へ向かう途中で、彼が昼食 restaurant とやけ酒のビール beer をご馳走してくれた。何ともありがたいご好意だ confident

そして領事館で大沢氏に、この日すべきことを終えたことと、今後のことを尋ねて、当分の間、宿とするモダンロッジへと帰った。

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2009年5月 7日 (木)

カルカッタ盗難事件 その3

4.事件発生

 いくら待っても2人は戻ってこない。「まさか・・・ coldsweats02 」の不安を感じた時、動物園の出口へ向かい、急いでタクシー car を拾ってハウラ駅へと向かった。そしてクロークルームへ。預かり証を差し出すと、係員は怪訝な顔つき think で「これは違うよ」と言う。しかし、確かに俺の名前も、パスポートナンバーも書かれている。窓口でもめていると、別の係員が

「あなたの荷物は、あなたと一緒に来た男が、1時間ほど前に取りに来たじゃないか gawk 。だからもう、ここにはないよ」と言う。

「なんだって wobbly !じゃあ、この紙は何なんだ angry ?」

「それは我々が発行している預かり証ではない pout

彼らに本物の預かり証を見せてもらい、さらに念のために、クロークルームを奥まで捜させてくれと頼み、捜してみたが、やはり、ない shock

かようにして事件は起こった。いや、起こしてしまった、と言ったほうが、今となってはいいのかもしれない。モダンロッジの人たちから、あれほど注意するよう言われていたのに・・・ crying 。自業自得、と言ってしまえば、全くその通りである。

5.野宿

 起きてしまった、いや、起こしてしまったと言ったほうが正解かもしれないが、とにかく動くしかない run 。何から始めていいのか分からないが、まず、自分が荷物の盗難に遭ったということを、あちこちで話し始めた。駅構内のブッキング・オフィスやポリスボックス(だと思う)に掛け合って見たが、「あっちだ、そっちだ」とタライ回しにされ、いい加減、頭に来たが angry 、ポリスボックスと思っていたところは、鉄道公安所か、それとも別の組織だったらしい coldsweats02

夕方5時過ぎに、やっと警察へたどり着いたのだが、詳しい話も何も聞かず、ただ「日本領事館へ行け gawk 」と言うだけである。まったく、取り合ってくれる雰囲気ではない sad 。しかし、俺も必死だ。「領事館の場所も知らないし、第一、金がない。どうしたらいいんだ pout ?」と、真剣に訴えた。一人のポリスマンが、わずかばかりのお金 moneybag を俺に渡し、バスへと案内し、車掌に何か話している。俺はそのバス bus に乗り、車掌に言われたところで降り、日本領事館へ着くことができた confident

しかしすでに、6時を過ぎているし、プジャの祭りでこの日まで領事館は休館だったそうだ。それでも4人ほどインド人の領事館員(?)がいて、必死で説明をする。俺はもう、半ば開き直りかけていた coldsweats01 。彼らにも「金がないから何も食べられない。でも腹が減った。今夜は泊るところもないから、ここで寝かせてくれ」と、彼らにとっては理不尽で無茶苦茶な要求。しかし、言ってみるもので、近くでジュースとビスケット、夕食も頂いた happy02

さらに、領事館近くのお寺がある広場へと案内され、簡易ベッドとシーツを持ってきてくれて、俺はこの晩、ここで野宿した coldsweats01 。周りを見ると”宿無し”のインド人たちが大勢いる。彼らはいつも、ここでこんな風に寝ているのだろうか?俺は、これ以上取られるものはない、と言ってもパスポートだけは身につけていたので、これだけは絶対に盗られまいと、注意を払った。

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2009年5月 6日 (水)

カルカッタ盗難事件 その2

2.ミスタージョンとの出会い

 10月3日。10月1日にここカルカッタへ着いて3日目。早くもこの街の雑踏と喧騒に嫌気がさし weep 、ハウラ駅に行こうとトラム(市電 train )乗り場をうろついていた。「ハウラ行きはどれだい?」「これはハウラへ行くの?」などと聞いているうちに、一人の男が近づいてきた。俺が「パトナからカトマンドゥまで近々行きたいのだが・・・」と言うと、彼は「それじゃ、ブッキングオフィス(鉄道予約案内所)へ行かなければならないよ」と教えてくれ、親切にも案内を買って出てくれた happy01

彼は偶然にもカトマンドゥに住むネパール人で、ジョンと名乗った。世間話やお互いのことを、俺は片言の英語で、彼は流暢な英語で話した。ブッキングオフィスで、翌日夜に出発する列車 train の寝台を予約。その後、ハウラ駅へ下見のつもりで彼とトラムに乗って行った。

時刻表や乗り場を確認し、構内のレストラン restaurant でターリーと呼ばれるインドの定食をご馳走になった。彼は「明日は暇だから、夜までカルカッタを案内する」と言った。切符のことから食事まで世話になっていたので、邪険にもできずOKした。これがまだインドへ着いたばかりの『日本的思考』で、トラブルの発端でもあった bearing

3.動物園へ

 翌10月4日、宿としているモダンロッジに泊まっている人たちから、「警戒した方がいいよ。夜まで荷物はここに置いておいたら・・・ gawk 」と言われたように、いったんは置いたまま出かけた。約束の時間に再会したミスタージョンは、「荷物はハウラ駅に預けておけばいいから」と言うので、俺は荷物を取りに戻った。宿の人たちは皆、心配している think 。「いや、大丈夫ですよ ok 」と言って、俺は出て行った。

ミスタージョンと駅へと向かった。駅のティーショップで、コーヒー cafe を飲む。するとそこにはもう一人、若者がいて、ピーターと名乗った。ジョンは「ピーターは来年、日本の名古屋大学 school に留学するんだ。友達になってやってくれないか?」と紹介した。するとピーターは、「日本の名古屋大学に留学するんだ。まだ何も知らないからよろしく頼むよ confident 。今日は君の案内や手助けをするから、日本で俺を世話してほしい」と語った。何となく怪しげな話だが、その場の俺は、いとも簡単に「OK!まかせとけ wink !」と、答えていた。

その後、クロークルーム(荷物一時預かり所)にザックを預けた。預かり証には、俺の名前とパスポートナンバーが記入、そしてザックの中の貴重品(カメラなど)をチェック。係員と一緒にクロークルームの奥まで荷物を運んで、預かり証を受け取った。

そして3人で、あらかじめ話していたとおり、動物園へタクシー car で向かった。動物園に着いてしばらくすると、ジョンは「ホテル hotel へ戻って、夕方、君とピーターと3人でパーティーができるように取り計らってくるから、ちょっと失礼するよ」と言って、彼は立ち去った。俺は「あぁそうか」と、相変わらずの調子。

そしてピーターとぶらぶらし、昼食にする。その時ピーターが、おかしなことを言った。「50ルピー moneybag 、貸してくれないか?友達が来るからすぐに返せる。ここの食事代を払うだけだ」と。いくらなんでも、50ルピーは高い。すると「20ルピーでいい。少し待っててくれ。すぐ近くの店に友達がいるから、20ルピー借りて君に返す」と言った。「ハウラ駅の時と態度や様子が違うな sign02 」と思った時には、もう俺一人だけが、そこに取り残されていた weep

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2009年5月 5日 (火)

カルカッタ盗難事件 その1

1.モダンロッジで

 カルカッタ空港に降り立ち、荷物を受け取って外へ出る。どのバス bus が街まで行くのだろうか sign02 coldsweats02 、探していると、一人の子供が近づいて来て、バス bus まで案内してくれた。彼の目的は『お金 moneybag 』をもらうためだ。そんな事とは全く知らない wobbly 、海外旅行初心者は、「金をくれよ bleah 」と、手 paper を差し出す子供に「No! angry 」と、激しく拒否 ng 。後から考えれば、可哀想なことをしたのかもしれない think 。彼らは、不慣れな旅行者を相手に親切にガイドし、それを生業としているのだから。

バス bus に乗り、空港の入国審査時に「今日はどこに泊まるのか?」と尋ねられ、「決めていない」と答えると、「じゃあ、モダンロッジ hotel へ行くといい happy02 」と勧められたので、バスの運転手に「モダンロッジの近くで降ろしてくれ」と頼んでおく。

30分ほど乗っていただろうか、運転手に促され、バス bus を降り、モダンロッジを目指す。この辺りは”サダルストリート”と言うらしい。道すがら、人に聞きながら ear 、たどり着くことができた happy01 。部屋はドミトリー(相部屋;1泊10ルピー、1ルピー≒22円)とし、その部屋の客は、皆、日本人 fuji だった。情報を仕入れるには都合がいい happy02

隣のベッドの浦本氏は、俺がかつて釧路にいた頃、彼は知床でバイトをしていたそうだ。話しているうちに、お互いに知っている仲間の名前も出てきた happy02 。”ムネさん(広瀬氏)”である。浦本さんの話によると、彼の北海道での仲間と偶然、この旅の途中で会って、その人から「ムネさんとも会った。今頃はネパールにいるんじゃないか?」と、聞いたそうだ。

インドでの最初の夕食は、同じ部屋の人たちと共に happy01 、近くのレストラン restaurant でカリーにした。日本のカレーと違い new 、スープのようなもの。ポテトカリーなら、ジャガイモが丸ごと一つ、エッグカリーなら、ゆで卵が丸ごと一つ入っている。それをライスにかけながら食べるのだ。日本のカレーは、あくまでカレーであって、カリーではない think 、ということが良く分かった confident 。でも、おいしい delicious 。旅行者相手が多いのか、辛さは多少控えてあるのでは?、と思う。

 翌10月2日、ロッジ近辺をうろつく。ニューマーケットへと足を運ぶ。この国の男性が着ている”クルタ・ピジャマ”を買うつもりで。どこもかしこも、ずいぶん高い shock 。買わずに引きさがると「○○ルピーにするから」などと言って、値を下げてくる downwardright 。それでも「いらない gawk 」と言うと、さらに下げてくる down downwardright 。「これがラストプライスだ down end sign03 」と言って、これ以上は負けられない、と暗に示している。これが彼らの手なのだ。その値で買ったとしても、彼らにとっては大儲けなのである。

しかし、この国、この街はいったい何なんだ sign02 どこからともなく「トモダチ」という声がかかったり、「金をくれ」と、しつこくついてくる乞食。そして、ガンジャやハッシーシなどの大麻売り。まとわりつくようなうっとおしさだ。

同じロッジに滞在している日本人の人たちから「今だったらヒマラヤfujifujifuji 見るには絶好の季節 good だよ。暑く sweat01 もなく寒くsnow もなく、雨 rain もほとんどないし。12月になると雪 snow が降り出すかもしれないから、先にネパールへ行って、その後インドを周ったほうがいいんじゃない wink sign02 」と、勧められた catface 。そうか sign03 ならば先にネパールへ行ってから、インドを旅しよう wink 、と決めた。

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2009年5月 4日 (月)

初めてのフライト その3

3.ダッカ、そしてカルカッタへ

 バングラデシュ航空(BG)063便ダッカ行き airplane は、約1時間遅れてバンコクを飛び立った。座席は指定されてなく、全自由席の小さな飛行機だった。わずか2時間ほどのフライトで、機内食 restaurant があるかどうか心配していたが、一応ついていた。ただし、ちょっと臭いが気になるサンドウィッチと小さなミネラルウォーターだけ weep 。そして、えらく美人なスチュワーデス virgo が乗務していたのには驚いた sign03 wobbly 。インド辺りは「美人が多い」、と聞いてはいたが、これほどとは・・・happy01

ダッカ(バングラデシュ)に到着し、空港ロビーでホテルからの送迎バス bus を待つ。しかし、そのバスがなかなかやって来ない。俺だけでなく、小林さんも、もう一人の日本人女性も、「本当に来るのかな?」と、だんだん不安になってくる sad 。待つこと2時間 gawk 。やっとバスが来て乗り込む。バスに乗ると、この夜中 night でもお布施 moneybag を請いに、たくさんの人々がバスの周りを取り囲み、手を差し出してくる。小さな子供を抱いた若い母親が、何か訴えかけるように話しながら、必死に手 paper を伸ばしてくる。

「この国には、このような人たちがまだまだいるんだ。『物乞い』という『こじきさん』達が!」

初めて受けた、大きなカルチャーショック shock !俺は、格安航空券を求め、安宿にしか泊まれない『貧乏旅行者』のつもりで、海外へ出てきたが、とんでもない sign03 ことなのかもしれない。ここには、想像すらできない生活を強いられている人たちが、実際に今、俺の目の前にいるのだ shock shock 。俺は、できるだけ彼らの方を見ないようにしていた。

そしてバス bus は、ホテル hotel へと向かう。往復とも、送迎バスと聞いているので、とりあえず、ダッカでの移動は一安心。

到着したホテルは、事前に聞かされていなかったので、ビックリ happy01 sign03 超一流のシェラトンホテル hotel sign03 自腹でお金を出すのなら think 、まず泊まることはないだろう wobbly 。部屋はシングルで、だだっ広く、テレビ、ラジオはもちろん、冷蔵庫に化粧台、ロングソファーにシングルチェアー2つ、シャンデリアに傘がついたデスクライトが3か所に!エアコンも一晩中かかっていた(が、これが効き過ぎるぐらいで、寒かった!)。日本なら1泊1万2万ではすまないだろう。まるでVIP待遇だ happy01 sign03 冷蔵庫から、飲んでもいいものかどうか分からないが、ビール beer を飲んでしまった。そして、最高の部屋の中で眠る sleepy ことにする。

 翌10月1日、朝8時に起き、冷蔵庫の中のサイダーを飲んでシャワーを浴び、フロントへ。すると「朝食 restaurant cafe が用意されています」ということなので(これは皆、予想外だったようだ。何しろ乗継2泊のホテル代込みの格安チケットなので!)、レストランへ行き、トーストと目玉焼き、紅茶が出された。朝食を頂けるとは、誰もが思ってもいなかったので、皆、感激していた happy01 happy01

食事を終え、9時に来るはずのバス bus を待つ、のだが、そのバスがなかなか来ない。昨夜のこともあるとはいえ、今回は飛行機 airplane に乗り遅れることになったら大変だ。1時間待たされて10時、やっとバスが来てくれた。空港に着くと、すぐに搭乗となった。受託手荷物は、バンコクからカルカッタまで行くように預けてあったので、何も手続きはない。

定刻の11:00にダッカを飛び立ち、カルカッタ(インド)へは、わずか40分。サンドウィッチの機内食 restaurant が出されたが、何か異様な臭いがする ng 。ドリンクはミネラルウォーター。しかし、昨夜のホテルに免じて許すことにして、11:10(バングラデシュとインドとの時差は-30分)にカルカッタ空港到着。

いよいよ、俺の海外一人旅が本格的に始まる heart01 。何が起こるか分からないが、来た以上は動くしかない happy01 。日本から丸3日。初めてのフライトが終わり、新たな時の始まりが来た。

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2009年5月 3日 (日)

初めてのフライト その2

2.バンコクでの1日

 バンコク・ドンムアン国際空港に到着し、入国審査、そして荷物を受け取り税関。空港内の銀行 bank で両替する。タイの通貨はバーツで、1パーツ11円ぐらい。夜中 night とあってリムジンバスも市バス bus も、鉄道 train も走っていない。同じ飛行機 airplane でやってきた日本人に声かけられ、共にタクシー car を相乗りして街へ向かう。3人で300パーツ、高いのかそうでないのかは分からない wobbly が、途中で運転手が料金を釣り上げてきた。一緒にいた男性が何やら「サムロイ」と怒り angry ながら言っている。彼が言うには「サムロイ」とは「300」という意味で、タクシー代を釣り上げてきた運転手に、文句を言っていたそうだ confident 。その甲斐あって、俺たちは最初の交渉通り、3人で300パーツだけ支払う。

3人とも航空会社から手配されたホテル hotel だったので、皆同じ、ビクトリア・ホテルで一致していた happy01 。初めての海外の街で、同じ仲間がいたのは、心強かった wink 。また、彼らは2度目の海外だったので、翌日は彼らと共にバンコクの街を歩くことにした happy01

ホテル hotel に着いてフロントでチェックイン。パスポートナンバーや氏名などを記入。ボーイに案内され、それぞれシングルに。日本のちょっとしたビジネスホテル hotel の設備と、大差はない。バスタブ、トイレ、ラジオ、化粧台ぐらいは整っている。この日はシャワーを浴びたのだが、これが失敗 shock sign01 ここは常夏のバンコク、体が火照って寝つけなかった wobbly

 翌9月30日、朝9時ごろ目覚めた。シャワーを浴び体を洗った。少しボーッ wobblysign01 として、昨夜一緒だった外山さんという男性と小林さんという女性、3人で街へ出る。1日だけのバンコクなので、俺はガイドブックも何もない despair 。バンコクは2度目という外山さんに任せて、ついて歩いた shoe

見たこともない果物 apple が、道端にあふれている heart02sign01 いくつもの屋台が並んでいる catface sign03 日本では、お祭り以外はこのような光景はないだろう sign02  マンゴスチンという果物を食べてみた。赤い皮で、柔らかいトゲのようなものが何本もついている。皮を割って中身を取り出すと、ぶどうのような実で、食べてみるととても甘くておいしい delicious  wink sign03  種が実の割に大きく、アーモンド大だ。

昼近くとなって、小さな店に入る。この国で英語が通じる人は少ない。街の中や三輪タクシー、空港に出入りするタクシーの運転手でさえ通じない wobbly 。だから、小さな店では、オーダーするのにも、カウンターで指さして「これ一つ」ってな具合で注文する。3人とも、ヌードル noodle を注文する。細い揚げ麺だ。昔『広東麺』というカップヌードルが売られていたが、そんな味だ。そして、ビタミルクを飲んでみる。米のとぎ汁とミルクを混ぜ合わせたような奇妙な味だ。どちらかといえば、マズイ。外山さんは「うまい」と言うのだが・・・ wobbly

店を出て次に、『果物の王様』と呼ばれるドリアンを食べてみることにする。形は『トゲのあるヤシの実』と言う感じで、中にバナナサイズの実が数本。俺たちは一切れずつ食べてみる。値段はさすがに高く、一切れ30バーツ upwardright 。味は・・・、何かくせがあって、どちらかと言うと、やはり美味しくない despair 。小林さんは、半分でギブアップ。俺は、意地で全部食べた。慣れると食べられる味なのだろうけど・・・。近くにいた地元の女性たちが、笑いながらこちらを見ていた shock

そして、ランブータンという果物。リンゴよりやや小さめで、色は赤紫。皮は染色にも使われるそうで、指についた赤紫色の汁がなかなか取れなかった wobbly 。これも中身を取り出して食べる。乳白色で親指大の実だ。口の中に甘みが広がる。これもウマイ delicious !癖になりそうな味だ happy01

街の中を食べ歩いて、「適当にバス bus に乗って、どこか行ってみよう」ということで、込み合っているバスに乗り込む。どこをどう走ったのかわからないが、チャオプラヤ川を渡ったのは確かだ。大きな寺院がいくつも見えるところで降りた。そしてぶらついてみる shoe 。カラフルに彩られた寺、金色に輝いている寺・・・、を外から眺めた eye

3時ごろとなり、そろそろホテル hotel へ戻って、空港へ6時までには行かなければならない。が、適当にたどり着いたところなので、帰りのバス bus が分からない・・・?英語が通じそうな学生風の男の人に尋ね、駅の近くを通るバスに乗る。いったん駅へ行って、インフォメーションで空港まで列車 train の時間と切符売り場を確認し、三輪タクシーに乗ってホテルへ戻る。

コーヒータイム cafe を取り、4時過ぎにホテル hotel を出て、バスで駅へ。バス bus は、この日4回乗って、いずれも1.5パーツ(16円)と、日本の一昔前の料金だ。17:20発の列車 train のチケット ticket を買う。わずか4パーツだ。ディーゼル機関車に牽かれ出発。座席 chair は、日本のローカル線と変わらない。約30分で空港があるドンムアンへ。そして出国手続きをする。外山さんはビルマへ、小林さんと俺はダッカ(バングラデシュ)を経由してカルカッタ(インド)へと旅を続ける。

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2009年5月 2日 (土)

初めてのフライト その1

1.旅立ち

 1984年9月29日正午、俺は新東京国際空港ロビーにいた。フライトまで、まだ4時間ある。オーバーオールにサンダル、そして無精髭と、一見”慣れた風”を装っていたが、しかしこれが初めてのフライトだった coldsweats01

2日前、「タフになって帰ってくるよ bleah 」と、言葉を言い残し家を出て、東京の友人宅に2泊お世話になった。トラベルエージェント(池袋)、検疫所(品川)、インド大使館(九段)と、1日使って回り、いよいよ出発の日が来た。

すでに海外を体験している人なら分かるでしょうが、初めて日本を飛び立つということは、不安と期待が複雑に入り交ざった、一種独特の緊張感に襲われる。まだ見ぬ世界、何が待っているのか分からない『荒野』を目指す気分だ think 。リラックスしようと思っても『フリ』だけで、ロビーをあちこちと落ち着かなかった。

午後2時過ぎにチェックイン。荷物を預けチケット確認、搭乗券 ticket を手にする。3時過ぎ、出国審査を経て間もなく搭乗だ。アナウンスがあり、持ち込み手荷物とボディチェック。俺の人相が悪いのか sad 、ポケットいっぱいのオーバーオールがまずかったのか、かなりしつこくチェックされ coldsweats02 、他の乗客はスッと通るのにイライラしてきた angry 。チェックも終わり、搭乗待合室で待つ。パキスタン航空(PK)763便カラチ行き airplane 。ついに搭乗だ happy02

俺の初めての飛行機 airplane は、定刻である16:00、滑走し始めた。高度がグンと上がって、やがて雲 cloud の上となった。雲海に陽 sun が射す。初めて見た雲の上の世界だ happy01 。どんどん南下していくのだろう。安定飛行になり、機内食 restaurant が運ばれてくる。日本風に、そうめんやのり巻きがあった。が、お世辞にも「美味しい」と言えるものではなかった gawk 。まあそれは、「格安チケットだし・・・」などと思って妥協 bleah

最初の経由地はマニラ(フィリピン)だ。現地時間で19:00(時差-1時間)到着。外は雨 rain だ。スチュワーデスに促され、トランジットで空港ロビーにいったん降りる。南国フィリピン、さすがに暑い sweat01 !ヨーロッパへ向かうという日本人数名と雑談する happy01 。皆、初めての海外だと言う wink 。思い思いに期待や不安、どこへ行くかを話し合っていた heart02 happy02 。この時期に行く人は、やはりフリーの人が多く、予定もさほど立てていない bleah 。ただ一人、試験休みを利用して3週間旅行するという東大生は、一応、予定をまとめていた。

再度搭乗し、マニラの夜景 night を眼下に、飛行機 airplane はバンコク(タイ)へと向かった。2度目の機内食 restaurant が運ばれる。フィリピン料理のようだが、やはり美味しくない・・・ ng 。半分ほど残して、サイダーをもらった。

現地時間で22:30過ぎ、バンコク到着。日本との時差は-2時間(24:30)である。降りる時に、マニラで話をしていた人たちが、シートまで見送りに来て「良い旅を」と言ってくれた。嬉しかった happy01 。初めて踏む海外の土、そこは、どしゃ降りの雨 rain だった。

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2009年5月 1日 (金)

初めての海外へ 準備編

1.序の想い

 今、緊張と開き直りが入り交ざった妙な気分である think 。何度もひとり旅は経験してきたが、さすがに海外ともなると平静ではない gawk 。まして、行き先はインド・ネパールである。しかし、俺の北海道での仲間には、インド旅行経験者がずいぶんいる。彼らから情報・知恵を得て、俺は旅立つ。

2.きっかけ

 旅立つ前には、当然それなりのエピソードはある。「行こう」と思ったのは、北海道で知り合った人たちの勧めもあったけど、それ以上に、今の俺に「必要だ」と思ったから。この夏の旅(北海道)の後、自分の夢・将来に不安を抱き、思い、悩み、自信すら失った wobbly 。地元にいるにしろ、北海道で暮らすことにしても、今いる”ぬるま湯”から脱しきれないと思った gawk 。で、それならインドへ行って、鋭気と失った何かを取り戻してみよう、と考えたわけ think 。何もかも一人でしなくちゃいけない異国で生きられたら(旅できたら)、自信ぐらいは取り戻せるでしょ coldsweats01

 さて、ここから先は海外へ行ったことがない人、いつかは行こうと考えている人向きに国内ガイド、いわゆる俺の体験談です。ただし、あくまでインド・ネパール向けのガイドであって、旅費や物価の高い国へ行こうと思う方は、金銭感覚をその国に合わせて下さい bleah

3.まずはパスポート

 これがないと日本から当然、脱出できません。また、海外で失くすと、非常に面倒なものだそうです。各都道府県庁の旅券課などに行けば、自分でも取得できます happy02 。申請に必要な書類のうち、厄介なものが”預金残高証明書(預金通帳でよい)”らしいです。俺もたった32万円(郵貯のみ、銀行にもいくらかある) despair でしたが、何とかパス。某ガイドブックには、東京~カルカッタ間37万円とか・・・?よく、もめなかったものだ coldsweats01

4.トラベラーズチェック(T/C)

 これは、旅行小切手と言って、現金と違い盗難に遭ったり紛失・損失しても、発行控えを持っていれば再発行が受けられる、という大変便利なもの happy01 。さて、俺はインドビザ申請に必要な$800(≒20万円、$1≒¥248)を替えました。これだけあると約1年、インドにいられるとの話も聞いたけど・・・、ホントかな?せいぜい半年でしょ?で、その時の銀行員との会話を・・・。

銀:どちらへ行かれますか?

俺:インド、ネパール

銀:(奇妙な目、驚きの顔で)変わった処へ行かれるのですネ。ハワイとかグアムはずいぶんいましたが・・・。

どこへ行こうと、俺の勝手だろ angry

5.ビザ申請

 これは渡航先国によって不要な国もあります。また、有効期間も様々なので、あらかじめ調べて下さい。各国在日大使館で申請できます。必要書類は、国によって多少違うと思いますが、ただ参ったのは、申請書がすべて英語で書かれてあり、英語で書かなきゃいけないこと wobbly 。ここはまだ、日本だぞ!何で英語で書かなきゃいかんのだ pout ?一応、見本があったけど、1枚書くのに15分ぐらいかかった(フン pout !いいだろ angry !)。ちなみに、ネパールビザは現地で申請。どないしよう・・・ weep !?

6.航空券

 これは旅行会社、航空会社によって千差万別!!市販のガイドブックによると3~40万円もする(正規料金)らしい。冗談じゃない shock !何とか格安のチケットを、と思い、ある人からの紹介で某トラベルボックスで交渉。成田~カルカッタ間往復1年オープンで、なんと15万3千円 happy01 !しかも、途中で乗り換えるバンコク(タイ)、ダッカ(バングラデシュ)でのホテル代込みなのだ!超格安  sign03 bleah

7.予防接種

 インド、といえば世界中の病気のほとんどがある、と言われるほどの所。予防接種も打たないより打っておくほうが、当然良い。もしかすると”イエローカード(予防接種証明書)”がないと、入国できないかもしれない sad 。で、俺も検疫所でコレラ予防接種を打ちました。コレラの場合、2回に打ち分けるのですが、ここは1本目690円、2本目190円と、これまた超格安 happy01 !普通の病院で打つと、2~3千円はするとか・・・ wobbly

8.いざ、出発

 ここまで来るのに、ずいぶんスムーズに行ってるように書きましたが、本当は・・・ gawk ?インド・ネパールに対するイメージも書きとめたかったけど、次回でダブったりするかもしれないので、とりあえずパス。

1984年9月29日 16:00 パキスタン航空カラチ行きでバンコクへ airplane

いよいよ国外脱出。新たなるたびたち。元気で行ってきまぁす sign01 happy01

*今日のこのブログの内容は、あくまで1984年当時のことですので、現在とは異なることも多々あると思います。それに対するクレーム等は一切ご遠慮ください。

また、このブログは、かつて私が所属していた旅のサークルの会誌に寄稿したものを、そのまま書き写したものであることを、あらかじめご容赦ください。

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