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2009年2月 8日 (日)

エヴェレスト街道を行く その24

ディンボチェでのひととき

ロッジで、ペリチェから高度順応のため、ここまでちょっと遊びに来たという日本人の学生2人と会い、話をする。
さらに、ロッジの庭のテントサイトにも1人の日本人。なんと彼は、たった一人でテントを持参し、マウンテンバイクでここまでやって来たのである。歩くことさえ大変な山道を、マウンテンバイクで・・・!

彼は、そこにいたすべてのトレッカーの注目を一身に浴びていた。が、悲しいかな、彼はほとんど英語ができないと言って、俺が通訳していた。

ドイツ人の T 夫妻やカナダ人の I さんをはじめ、誰もが彼のユニークな発想、冒険心に好意的だった。皆、にこやかに「日本人って、すごいこと思いつくんだなぁ!」とか、「カラ・パタールまで行くのかい?だったら、頑張れよ!」等など。

俺も彼に質問してみた。
「急な上り坂は、自転車担いで登ったのかい?」
「正直言って、担いで登ってる時間の方が長いです・・・」と、苦笑いで答えていた。

ここまでの道程を考えれば、確かにそうだろう。俺たちはザックを背負ってるだけだが、彼はさらにマウンテンバイクがあるのだから、その分、疲労も溜まるだろう。

彼は「実は高山病の症状が出始めて、チュクン(4730m)から下って来たんですよ」と、話していた。確かに、「へばってる」って感じだが、ここまで来ているんだ、ガンバレヨ!同じ日本人として、このバイタリティに拍手を贈りたい。

夕方、ラジンがこのロッジにはないチャン(ネパールの地ビール:濁り酒)を飲みに行こうと誘う。チャンなら、アルコール度数が低いから、高所でも大丈夫らしい。

チャンを飲みながら話をしていると、俺が間もなく30才という年齢にも関わらず、なぜ独身なのかと質問が集中。

「ビューティフルレディが来ないんだよ!」

冗談交じりに言うと、皆笑っている。さらに

「ラムロータルニ(ネパール語:美人、特に若い女性をいう)が欲しい!」

と、ネパール語で言うと、皆、大爆笑だ!
あ~ぁ、本当にネパールのラムロータルニと一緒になって、ネパールに住もうか?

夜、ロッジのオーナーと話をしているとき、俺はふと彼に、こう質問した。

「植村直己さんを知っていますか?」と。

彼の表情が一変し、しんみりと寂しげに、こう語ってくれた。

「直己は素晴らしい人だった。すごかった!でも彼は8年前(1984年)、カナダのマッキンリーで亡くなった。そしてその後、直己の映画を作るために、たくさんの日本人がこの街道沿いの村々にやって来たよ!」

俺は彼の言葉を聞いて、植村直己さんが、いかにネパールの人々に愛されていたかを実感することができた。
同じ日本人として、誇りに思う。


ディンボチェ、ソナム・フレンドシップ・ロッジにて

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コメント

今も飛行機から見下ろしたあの氷の山の中に植村直己さんは眠っている、そう思うと感慨無量ですね。日本人の若者も冒険に駆り立てるものがあり、それぞれの形でチャレンジしているのですね。


hannaさんへ

植村直己さんが行方不明になられて、まもなく25年になります。彼がカナダ・マッキンリーを単独登頂した翌日、1984年2月13日、交信が途絶えました。しかし、彼が成し遂げた偉業は、今も多くの人々の心に刻まれ、日本やネパールだけでなく、世界中に語り継がれていくと信じています。

投稿: hanna | 2009年2月 9日 (月) 09時15分

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