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2009年1月

2009年1月31日 (土)

エヴェレスト街道を行く その16

日本人ツアー客

午後のひと時をそれぞれのんびりと体を休めていたときのこと。ロッジのオーナーとラジンが深刻そうな顔で、何やら話している。彼らの会話の中から「ジャパニーズグループ」という声が聞こえた。

俺は彼らに
「どうしたんだ?何かあったのか?」と尋ねると、
「今夜、16人の日本人のグループがここで泊まることになった。そこで隣のロッジがオーナーの兄弟が経営しているので、そちらへ移ったらどうか?」と言う。

俺はすぐに決断した。16人ものグループツアーとは一緒になりたくなかったから!俺たちの会話を「何事か?」と思ったのか、T夫妻と I さんもやって来た。彼らにも同じ説明をする。

「dsching、君はどうするんだ?」と E氏。
「もちろん(隣へ)移動する。君たちは?」と聞くと、
「君が移動するなら、俺たちも移動するよ!俺たちはもう仲間じゃないか!」と答えてくれた。

俺は彼らに、俺が知っている日本人ツアーのタチの悪さを説明した。参加者のほとんどがツアーリーダー任せ、そのくせ何か問題が起きたら文句ばかり。さらに自分たちだけの世界を作る、日本語しか使わない、他の人々とコミュニケーションしようとしない、もしかしたら俺たちに対して「ハロー」さえも言わないゾ、と。

そして、干してあったシュラフを片づけ、荷物をまとめ、となりのロッジへと移った。まったく、いい迷惑だ!俺は仲間たちに対して、

「申し訳なかった。同じ日本人として謝るヨ」と言うと、彼らは口をそろえて、

「dsching、君が謝ることないじゃないか!君は何も悪くない!君は彼らとは違う。インターナショナルだ!」と言ってくれたのだ。彼らは英語がへたくそな俺でも、「国際人」「仲間」と認めてくれた。本当に嬉しい!

俺たちが初めに泊まる予定だったロッジに、16人のグループが到着した。ロッジの前で記念写真を撮り始めた。16人といっても、もとはバラバラなのだろう、それぞれのカメラで同じ写真を撮っている。その様子を不思議そうに眺めている T 夫妻や I さん、そしてシンガポール在住のフランス人夫婦。

「自分たちも写真を撮ろう!」と E 氏が言うと、俺はカメラマン役を買ってでた。

その後は再び、自由に過ごす。このロッジにピーチワインがあると聞き、すると I さんが「私も飲みたい!」と言うので、一緒に飲んでみた。アルコール度数はやや高めだが、おいしかった。

ロッジの前のキャンプサイトでは、この日カトマンドゥからルクラまで飛行機で、そしてここまで歩いてきたというアメリカ人夫婦。彼らに「ハロー」とあいさつすると、「ハロー!あっ、こんにちは!」と日本語でもあいさつされた。俺はびっくりして、「こんにちは!」と言うと、「やっぱり日本人ですネ!」と、とても流暢な日本語が返って来た。

彼らは以前、京都に3年住んでいたことがあるそうだ。ご婦人は日本語がとても上手なのだが、ご主人は全く話せないらしい。彼らに16人の日本人グループのことを話すと、彼らもほぼ同感。ここまでの道中、何度か彼らと会っていたのだが、ほとんど誰も声かけようとしなかったらしい。

ご婦人はさらに、「日本人はせっかくの休みを、どうして自分のために使わないのか、なぜグループで行動するのか、とても不思議です。」と話していた。日本でもそのような光景を、何度も見ているからであろう。

そして私に対して、「あなたは今、トレッキングをしているけど、同時に英語の勉強もしてるでしょ?」と話した。

「英語の勉強?・・・あっ、そうか!」
「そう!だって英語でないと(仲間達と)コミュニケーションできないでしょ?」

言われてみれば、確かにそうだ。俺と仲間たちとの会話は常に英語。トレッキングをしながら英語の勉強、それも「生きた英語」を実践している!

「とても大事なことですヨ」と、ご婦人は話してくれた。

しばらくして付近を散歩していた T 夫妻が戻って来た。彼らは開口一番こう言った。

「dsching、君の言ったとおりだよ」と。

「何が」と思って聞いてみると、彼らは戻ってくる途中、ツアーで来ている日本人2人とすれ違ったらしい。日本人2人は前から歩いてくる彼らと目を合わせないようにしていたようだ。そこで、T 夫妻のほうからすれ違う直前に「ハロー!」とあいさつしたらしい。その時2人の日本人は、全く予期していなかったのか、びっくりしたようにあわてて「ハ・ハ・ハロー」と答えたそうだ。

俺が「”ハロー!”さえも言わないゾ」と話していたとおり、その日本人たちは挨拶しようとしていなかったのだ。T 夫妻は身をもってそれを実感したようだ。

だからこそ、逆に俺に対する皆の評価が高まったようだ。昨日の学生風の男3人組といい、今日のツアーグループといい、あまりにも恥ずかしい。「言葉ができない」のは俺だって同じ。でも、人として最低限、挨拶ぐらいできなくてどうする?海外へ来るのなら、もっとインターナショナルになれよ!

ここパクディンの村も、電気はまだない。明るいオイルランタンの下で夕食。もちろん、いつもの仲間たちとともに!そしてトランプ。いつもやっている「クレージー8(ページュ1と同じ)」ばかりではつまらないので、この日は「七並べ」。

ラジンは初めのうちの2~3ゲームは見ていたが、すぐにルールを理解したようで、当然「俺もやる」と言ってゲームに加わった。

「ねぇ~、だれ~?ここ止めてるのは?」
「さぁ?私じゃないわヨ!」
「知らないなぁ?」
「パス、何回までだった?」

などなど、にぎやかな笑い声がダイニングルームに鳴り響く。

そして就寝前、明日の出発時間の打ち合わせ。

「日本人ツアーグループより先にスタートしよう。人数も多いしペースも遅いだろうから、追い抜くのは大変だ。」
「じゃぁ、何時に起きて何時に出発する?」
「6時起床。7時半、遅くとも8時までには出発した方がいいだろう。」
「OK!」

そして床に就く。


パクディン・サンライズロッジにて

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2009年1月29日 (木)

エヴェレスト街道を行く その15

楽な一日

3月12日(木)晴れ
シュルケイ8:20~12:10パクディン

朝起きると左膝はまだ痛む。今日はほとんど登りだ。ゆっくり行こう。

今日も昨日同様、6人一緒にスタート。昨夜は、足の痛みもあって部屋で大人しくしていたが、ラジンや他の仲間たちは前夜のカリコーラと同じように、トランプをしていたようだ。そのせいだろうか、ラジンは俺だけでなく皆のガイドのようになっていた。

シュルケイからチャウリカルカまでは比較的、楽だ。途中、学校へ通う元気な子供たちと出会った。チャウリカルカからは多少のアップダウン。使い捨てカイロをバンダナに包み、膝に巻いて温めたせいか、昨日ほどの痛みはなかった。

気がつくと、まだ昼食前だと言うのに、この日の予定地パクディンに到着。あまりにも早く到着したので、俺は他のメンバーたちが少しでも先へ進むのでは、と気になった。

しかし、彼らもそれ以上先へ進もうとせず、I さんは「Today is very easy day ! (今日は楽な1日だったね!)」と言って、みんなそろって同じロッジにチェックイン。

92312 パクディンの村にあるロッジ。手前はドゥドゥコシ川。吊り橋を渡っていきます。

俺はいつもなら個室の2人部屋にするのだが、ドミトリー(相部屋)がすごく日当たりが良くて、そちらへベッドを確保した。窓を開けると、1階の屋根があってそして閃いた。

「シュラフ(寝袋)を干そう」

ラジンもそれを聞いて、「ナイスアイデア!」と言いながら、シュラフをとりだした。そしてシュラフを干していると、T 夫妻と I さんがやって来て、

「dsching、何やってるんだい?」と尋ねる。

「見てみろよ!日当たりがいいからシュラフを干しておくんだ!」

彼らはそれを見て、「自分たちも」と思ったのか、部屋へ戻りそれぞれのシュラフを干し始めた。

そして昼食を注文し、出来上がるまで皆、日向ぼっこしながらくつろいでいた。そして皆そろって昼食。午後は再び日向ぼっこしたり、昼寝をしたり、これまでの疲れを癒やすように過ごしていた。

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2009年1月28日 (水)

エヴェレスト街道を行く その14

さよなら!カリコーラ!

3月11日(水)晴れ
カリコーラ8:10~12:15ポイヤン13:30~16:00シュルケイ

今朝、ゲストハウスの売店で売っていたツナ缶を買い、チャパティにサンドして食べた。なんだか無性に食べたくなって、高いけど食べずにイライラするよりはいい。

A さんの調子が良くないようで、T 夫妻は1人ポーターを雇うことにした。このときも、ヤンジーを呼んで頼んだようだ。笑顔が素敵で働き者のヤンジー、皆の人気者だった。

印象深いカリコーラを1泊で去るのは淋しい気もするが、そうも言っていられない。まだ先は長いのだ!

この日は、T 夫妻が雇ったポーターを含め 6 人そろってスタートする。カリコーラより、急な登りが続く。1時間も登ると、カリコーラの村がずいぶん下に…。素敵な思い出をくれたカリコーラの村、そしてヤンジー!本当にアリガトウ!サヨウナラ!

92311

カリコーラの村を望む。
ヒマラヤトレッキングは、このような所を行くのです。



左膝は初めは順調だったが、徐々に痛みだしてきた。

ポイヤンにて、6 人皆そろって昼食とする。

我々が食事を待っていると、久しぶりに日本人と出会った。3 人の男、学生だそうだ。彼らはジリからナムチェまで 5 日で行くつもりだと言う。我々が 8 日かけて歩く道程をたった 5 日で!

それを聞いた T 夫妻と I さんは「スゴイ!彼らは鍛えられているのネ!」と言って、感心していたが、しかし彼らはそのとき、とにかく先を急ぎたかったのか、お店の人に自分たちが注文したものを、せかすように、こう言った。

「ご飯、ご飯」「ラーメンはまだ?」

英語でもなければネパール語でもない、日本語でこう言ったのだ。俺は彼らを、あきれた目線で見ていた。いくらなんでも、それはないだろう!ここで日本語が通じると思うのか?頭が痛くなりそうだ!お店の人も、「何?」って困惑顔で彼らを見ていたし。

実際に仲間たちも、「彼らは日本語を話しているのか?」と俺に訊いてきた。「そうなんだヨ」と俺は苦々しく答える。もちろん彼らも、それを知ってあきれていた。

我々がのんびり昼食をとっているのに、彼らは我々より後に来たにもかかわらず、昼食を終えた途端にスタートして行った。そしてガイドのラジンが・・・「クレージーだ!」と、一言。

初めこそ感心していた我々だが、ラジンの一言に皆、「確かに、あれはクレージーだ!」「このペースでいけば、間違いなく高山病にかかるわヨ!」と、彼らの行動を批判していた。俺も当然!彼らと同じ意見だ!急ぎすぎるうえに、通じるわけがない日本語!同じ日本人として「恥ずかしい~!」

ポイヤンからはハードな下り。階段のようになっているが、それでも道はあまり良くない。左膝が激しく痛む!

途中で皆に「俺はゆっくり行くから、先に行っていいヨ!」と言って、先行してもらい俺は遅れてゆっくり歩く。

キャンプをしながらトレッキングしているフランス人夫婦のポーターから声かけられた。

「バト・ラムロー・チャイナ!(道が良くないね)」

俺もうなずきながら、彼にネパール語で応えた。

「フンチャ、バト・ラムロー・チャイナ!(うん、道が悪いネ)」と。

彼とはこれまでにも幾度か会っていて、ネパール語しか話せない彼は、多少ネパール語を話せる俺とコミュニケーションするのを、とても喜んでいた。

皆より遅れることおよそ30分。なんとかシュルケイに到着。

ロッジのダイニングルームに、何枚かの絵葉書が!見たことがある景色だ!

「涸沢(からさわ)だ!」

北アルプスの紅葉の名所、涸沢の絵葉書がなぜかここに飾られていた。俺はラジンや仲間たちに「これは日本の絵葉書だよ」と紹介した。

足の痛みと疲れからか、この日は皆との団らんのひと時を過ごす気力もなく、夕食後は部屋で大人しくしていた。
このロッジは、電気はなかったが、部屋はこれまでの村同様にきれいだった。


シュルケイ、シェルパ・ガイド・ロッジズにて

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2009年1月27日 (火)

エヴェレスト街道を行く その13

可愛い働き者、ヤンジー

それにしても、このロッジの娘、ヤンジーという名前だそうだが、本当によく働いている。まだ2才位の弟がいて、母親のお手伝いをしているのだろう。

確かにネパールでは、どこへ行っても子供でさえ重要な働き手で、どの子供も一生懸命お手伝いしている。「もう一人前の大人だよ」といった表情だ。それゆえ、今一つ可愛らしさが感じられなかった。

しかしヤンジーは、今まで見てきた子供たちとは、表情がまるで違う。いつもいつも、ニコニコ、そして、ちょこまかちょこまかと動きまわっている。何かを頼んだ時も、注文したものを運んでくる時も、いつも笑顔を絶やさない。最上の笑顔!

一緒にいる仲間たちも、同感のようだ。何か注文するときは、必ず彼女を呼ぶ。すると、ニッコリ笑いながら小走りで聞きに来る。本当に素敵な少女だ。

「あの少女は、本当に一生懸命働いているよネ!それに、すっごく素敵な笑顔をしている。」と、何度も口にした。
すると A さんが「ヘイ、dsching !あなたも素敵な笑顔しているわヨ!いつもニコニコしている。」
I さんも「そうよ!あなたはいつもニコニコしている。」と言う。

ウレシイ!!

俺だって、皆が笑顔でいてくれるから、別館に泊まるというラジンを説得して、皆がいるここへとやって来たのだ。そして今、皆で笑いながらトランプで遊んでいる。最初は見ていただけのラジンも、ゲームに加わり、ルールを飲みこむと次第に笑顔になり、すっかり解けこんで楽しんでいた。

ロッジは、ちょっとした売店も兼ねており、ゲーム途中でふざけて売店のショーケースの向こうへ立ち、写真を撮ってもらおうとした。そのとき子供たちに声かけると、ヤンジーが嬉しそうにやってきて一緒に写真を撮ってもらった。

皆にヤンジーを、「俺の娘だ!」と冗談を言うと、
皆、「何言ってるのよ!あなたの娘にしては大きすぎるわヨ!」と笑いながら返してくる。

俺は何と幸運なのだろう!こんな素敵なメンバーと共にトレッキングを楽しみ、とても素敵な少女に出会った!

この日の夜は、いつもより夜更かしして9時半過ぎまで皆で遊んでいた。ムスタンコーヒーもいつもより多めに飲み、最高にハッピー!

床に就く前に、ヤンジーに持っていたペンなどをプレゼントした。折り鶴も作って贈りたかったのだが、折り方がどうしても思い出せなかった。残念だ。


カリコーラ・ファイブスターホテル

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2009年1月26日 (月)

エヴェレスト街道を行く その12

仲間たちとの楽しい夜

ここカリコーラにも電気がある。しかも、このロッジには蛍光灯があるのだ。出てくる前のトレッキングのイメージとは大違いだ。

夕食はシェルパシチュー。しかし、先日ジュンベシで食べたものとは異なり、ヌードルではなくライスである。「おかゆ」のような「おじや」のような「雑炊」のような…、でもとても美味しかった。

食後、ムスタンコーヒーという、ロキシー(ネパールの焼酎)のコーヒー割を注文すると、E 氏が
「dsching 、ムスタンコーヒー飲むのか?」と尋ねる。
「あぁそうだよ」と答えると、
「俺も!ムスタンコーヒー!」と E 氏。
「エッ!E 。あなたもムスタンコーヒー飲むの?ビールじゃなくて?」
「あぁ!ビールは高すぎる。でもムスタンコーヒーは安いだろ?」

彼は、昨日も一昨日もビールを飲んでいたのだが(さすがドイツ人、ビール好き)、ビールは中瓶で80~100ルピー。ムスタンコーヒーはカップ1杯10ルピー。これなら何杯か飲めるし、コーヒーも好きという彼にとって、一石二鳥!俺達2人はムスタンコーヒーで「カンパーイ!」。完全に意気投合!「飲み仲間」までできてしまった。

I さんが一度部屋へ戻り、そして
「トランプやらない?」と、トランプを持って戻って来た。俺はもちろん、T 夫妻も、「やろう、やろう!」と乗り気だ。

「”クレージー8”って知ってる?」と I さん。
「いや、分からない」と俺や T 夫妻。

I さんがルールを説明するのだが、俺も T 夫妻も日常的に英語を使っているわけではないせいか、何となくわかったような、でもわからない。しかし、少しは理解できたので俺は、

「とりあえず、やってみよう!やれば理解できるだろうから!」と言うと、
「そうだよ。まず、やってみよう!」と E 氏。

ガイドのラジンにも聞いてみると、彼は今まで全どトランプで遊んだことがないようで、「見ている」と言った。

カードが配られ、I さん主導のもとゲームを始める。そして俺は気がついた。

「わかった!これ、日本では ”ページュ1”って言うんだ!」

そして T 夫妻も

「俺たちも知ってるヨ!ドイツにも同じゲームがあるヨ!」と答えていた。

2ゲーム目からは、皆すっかり楽しんでいた。
俺はラジンにルールを教えながらプレイしていた。そして頃合いを見て彼に、

「そろそろやってみないか?」と尋ねるのだが彼は、
「いや、まだよく分からない」と言う。

さらに数ゲーム、4人で楽しむ。お互い勝ったり負けたり、一喜一憂!ロッジの人たちも、我々のにぎやかな声に微笑んでいた。俺と E 氏はムスタンコーヒーがなくなるたびに、ロッジの娘さんのヤンジーを呼んで注文する。彼女はいつもニコニコしながらやってくる。

もう一度ラジンに「やってみないか?」と聞くのだが、彼は「いや…」と笑いながら答える。俺は彼に

「見ているだけじゃ、絶対に覚えられないヨ!やってみろヨ!やれば解るから!」と言うと、
「そう!dsching の言うとおりヨ!やってみれば解るわヨ!」と I さんと T 夫妻。

とうとうラジンもゲームに加わった。初めのうちは、俺が多少手助けしたのだが、2ゲーム3ゲームと進むにつれ彼も完全にルールを理解したようだ。

日本、ネパール、ドイツ、カナダ。4つの国、言葉も文化も違う者同士がそれぞれの壁を克服し、一つのゲームを楽しむことができた。なんとも ” インターナショナル ” な交流だ。彼らとの距離が完全に無くなった。「飲み仲間」そしてトランプ。お互いに同じ時、同じ場所を目指して歩く者同士、絆が深まった。

920310_2 この日のロッジ「ファイブ・スター・ホテル」です。

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2009年1月25日 (日)

エヴェレスト街道を行く その11

「ヒマラヤの少女・ヤンジー」との出会い

昼食ができるまで、ずいぶん待たされた。
理由は…、我々が注文してから水を汲みに行っていた、つまり…、そこで初めて米を炊き始める、からです。

我々も昼食には早過ぎる時間(10:40)に着いていたし、何事もビスタリ(ゆっくり)の国だし…。

1時間ほど待って、ダルバートができた。山間地とはいえ、おいしい!特にカレー味のポテト!ポテトそのものが日本のものよりもおいしい!無農薬だからかな?

ダルバートをお腹いっぱい食べ、休憩した後、出発する。
ドイツ人の T 夫妻は既に出発しているので、I さんとガイドのラジン、そして俺の3人でカリコーラの村へと向かう。

ジュビンから1時間ほど、”へいこら”と登り切るとカリコーラはもうすぐそこ。
緩やかな下り坂を行くと、いつもよりずいぶん早い時間に目的地に到着。

しかし…、T 夫妻の姿がない…?ラジンが案内したのは、ファイブ・スター・ホテルの別館だった。T 夫妻は、本館へ行ったのだろう。 I さんはすぐにそちらへ向かった。

ラジンはここで泊るつもりのようだが、俺は彼に
「俺たちもそちらへ行こう!」と主張した。
だって T 夫妻は、俺たちが来ることを信じて待っているはずだから!それに、彼らと一緒のほうが楽しく過ごせるし…。

ラジンも俺の気持ちを汲んでか、「そちらへ行こう」ということになった。

ファイブ・スター・ホテルに着くと、E 氏は外でのんびり読書をしていた。
「A さんは?」と聞くと、体調が悪く部屋で休んでいるらしい。

部屋に案内され、ホットシャワーを浴びることにする。
ダイニングルームで皆でのんびりしていると、A さんもやって来た。

「大丈夫?」と声かける。
「何とかネ!」

この日はロッジの名前同様、宿泊客も我々5人だけ。
「確かに、ファイブスターだワ!」


ふと見ると、このロッジの経営者の娘さん、とても可愛らしい!まだ12~3才位だろうか?学校から帰って来てからずっとロッジのお手伝い。しかもニコニコ楽しそうに!

そして彼女は、軽めの食事を始めた。ツァンパ(麦こがし)だ。俺も少しだけいただいたのだが、味はあまりない。” 味気ないきび団子 ”のような感じだ。

それぞれのカメラで、5人そろって一緒に写真を撮った後、俺はロッジの娘へとカメラを向ける。しかし彼女は洗い物をしていて、なかなか振り向かない。だが、仲間たちの声とその場の雰囲気に気づいたのか、チラッと振り向いてくれた。

その瞬間を俺は逃さなかった。
彼女は俺の向けるカメラに、ニッコリと笑って答えてくれた。


920310_1_2

彼女は「アルプスの少女・ハイジ」ならぬ、「ヒマラヤの少女・ヤンジー」。笑顔がとても素敵でした。
「こんな女の子が、俺の妹だったらナァ!」と、思わずにはいられませんでした。

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2009年1月24日 (土)

エヴェレスト街道を行く その10

ファイブスター?

3月10日(火)晴れ
ヌンタラ8:00~10:40ジュビン12:30~14:00カリコーラ

 今朝も 6:30 起床。気温は10℃位。
朝食を終え、I さん、T 夫妻とともにスタートする。

歩きはじめると、左ひざが痛む。ラジンのペースに無理して合わせる必要はない。
ゆっくりマイペースで行こう。一緒にいる仲間たちも俺の膝を心配している。
E 氏は湿布を分けてくれるし、I さんも時折気にして「大丈夫?」と声かけてくれる。
嬉しい限りだ!

朝食がポリジ(粥)だったので、早々とお腹が空いてジュビンにて昼食とする。
I さんも同じ。E 氏は今、下痢気味らしい。彼はそれをジェスチャーで示した。

「食事をすると(お尻から)シャー、なんだ」って具合に。
これにはさすがに皆、理解することができた。

A さんはそれ以上に体調を崩しており、全く食がのどを通らないらしい。
彼らはここでコカ・コーラを飲んだだけ。俺とラジン、I さんは気長に食事を待つ。

T 夫妻は先に出発する前、
「今日もシェルパ・ガイド・ロッジズかい?」と尋ねた。
ラジンは「いや、今日はファイブ・スター・ホテルだ」と答える。

するとE 氏は、我々一人ひとりを指さしながら、
「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ!オォッ!俺たちちょうどファイブスターじゃないか?!」と、おどける。

これには皆、納得の笑顔!

「そうね、私たち5人のスターだワ!」と I さん。
「E、あなたってホント楽しい男だよ!」と俺。
「何言ってるの dsching ? あなただって同じでしょ?」とA さん。
「そうよ!だから一緒にいるんじゃない!あなたがいると楽しいもん!」と再び I さん。

実に愉快で楽しいメンバーがそろったもんだ!
この感じなら、毎晩一緒に楽しく過ごせそうだ!

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2009年1月23日 (金)

エヴェレスト街道を行く その9

トレッキングファミリー結成?!

リンモで楽しく会話をしているうちに、I さんと T 夫婦はティータイムを終え先へ進んだ。
俺はここでダルバートを食べ、お腹は満たされた。

食事を終え、左ひざの痛みに耐えながらタクシンドゥ峠を越え、そしてひたすら下る。
すると、ある一軒の店の入り口脇に、見覚えのある3つのザック。店の中へ入ると案の定、彼らがいた。

今度は俺たちがティータイム。彼らは昼食。しばし楽しい時を過ごし、そして俺とラジンは先へと進んだ。

1時間ほど歩き、またティータイム。ヒマラヤ・トレッキングはこまめに休憩し、水分補給しないと最後まで体が持たない。そして店を出ると…、

「ハロー!ハロー!」

呼んでいたのは E 氏だ。彼は走りながらやって来た。
俺たちは「何事か?」と思い、彼を待っていた。

ハァハァと息を切らしている E 氏に俺は、
「どうしたんだい? A さんと I さんは?」と、尋ねた。

彼は、「そのうちに来るヨ!」と、言って
「今日ヌンタラで、どのホテルに泊まるのか、聞くのを忘れていたんだ。どこに泊まるんだい?」と、尋ねた。

ガイドのラジンは、「シェルパ・ガイド・ロッジズだよ」と、答えた。
つまり彼は、この日も俺たちと同じロッジに泊まるつもりで、それを知りたいがために走ってきたのだ!だからこそ、彼らは昼食をとっている店の外にザックを置いておいたのだろう。俺たちが気づくように、と。やがて A さんも I さんも追いついた。

俺はすでにティータイムを取り終えたのだが、彼らに尋ねると、彼らはここでしばし休憩するらしい。そりゃそうだろう!みんな俺たちに追いつこうと、走ってきたのだから!

俺はラジンにヌンタラまでの所要時間を聞いた。

「2~30分だ」

「なに?ほんの2~30分?ラジン、もう一回ティータイムだ」

そう言って、皆一緒に同じ店で、再びティータイムを取った。
お店の人に、ずいぶん笑われた。出発したはずのトレッカーが、また入ってくるのだから当たり前か!

そして5人でヌンタラへ。ガイドと共に歩いているフランス人の男性も、そのロッジにいた。3日続けて同じ顔ぶれだ。

ここヌンタラにも電気がある。もちろんホットシャワーも。
このロッジのオーナーは、日本の登山隊に同行した経験があるそうで、日本料理も少々できるそうだ。

夕方、ロッジの近くを散歩しようとすると、E 氏も一緒に行くと言った。
彼は、日本のことを色々尋ねてきた。日本の形とかどのあたりに住んでいるのか、など。
彼らとの距離が、ずっと近づいたような気がした。

それにしても、一昨日のセテよりトイレが洋式になっているのが、意外な感じで面白い。


ヌンタラ・シェルパ・ガイド・ロッジズにて

920309  タクシンドゥ村のゴンパ(寺)

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2009年1月22日 (木)

エヴェレスト街道を行く その8

どっちが日本人?ネパール人?

3月9日(月)晴れ
ジュンベシ8:00~12:25リンモ13:50~14:45タクシンドゥ峠14:55~17:00ヌンタラ

 朝、起きてみると左ひざが痛む。登りはいいが下りが辛い。階段の上り下りさえも苦痛だ。やっと筋肉が慣れてきたころなのに…。それでも行かねばなるまい。

夕べ一緒にシェルパシチューを食べた仲間たちとは、実は目的地もスケジュールも同じだった。

ドイツ人の T 夫婦とカナダ人の I さんが持っていたガイドブックは、いずれも「ロンリープラネット」。「地球の歩き方」の元となるガイドブックだ。

俺のガイドのラジンがそれを見て、「それに書いてあるスケジュールで行くんだ」と言った。
最終目的地も、カラ・パタールで一致していた。

ドイツ人の E 氏は「それじゃぁ、俺たち最後までずっと一緒じゃないか!」と、すっかり意気投合。そして皆一緒にスタートした。

連日のように好天に恵まれたこの日、プッテンにて世界最高峰エヴェレストが姿を見せてくれた。まだまだはるか彼方ではあるが…。
トレッキング4日目にして、もはやエヴェレストを眺められるとは…!

リンモに到着し、俺は昼食。しかし T 夫婦と I さんは、まだお腹が空いていないようで、
ここではティータイムだけにしていた。

と、そのときである。突然日本語で声かけられた。

「あなたは日本人ですか?」

彼を見ると、明らかにネパールの人である。

「フンツァ、マ・ジャパニ・フゥ (ええ、私は日本人です)」

「おっ!なかなかネパール語できますネ」

「タパインコ・ジャパニ・デレィ・ラムロ・ツァ (あなたの日本語は上手です)」

「アハハ!面白いですネ!ネパール人の私が日本語で聞いて、日本人のあなたはネパール語で答える。すごく面白いです。」

ラジンは日本語は分からなくとも、俺のネパール語で会話の内容はわかったのだろう、とても笑っていた。
しかし、I さんと T 夫婦は全く分からない。
彼らは俺に「何語で話しているんだい?」と尋ねる。
「彼は日本語で尋ね、俺はネパール語で答えているんだ」と言うと、
彼らは皆、感心したように微笑んでいた。

食事を待っている間、声をかけてきたバジェンドラ氏とネパール語・日本語混合で会話したり、カトマンドゥで教えてもらった ”マルシャンディ・シャララ ” を歌ったり…。

彼は技術研修で1年ほど日本へ来たことがあり、今はコンピューター関係の仕事をしているそうだ。
日本では、名古屋へも来たことがあり
「お殿様とお姫様のお祭り(”なごやまつり”の”英傑行列”のことだろう)が、とても楽しかった」
と話してくれた。

まさか、ネパールの小さな山村で、地元のお祭りの話題が出るとは思いもしなかった。
 

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2009年1月21日 (水)

エヴェレスト街道を行く その7

シェルパシチュー

ロッジのディディ(お姉さんの意味)が夕食の注文を聞きに来た。
昨日、おとといと実は気になるメニューがあった。それは "シェルパシチュー " 。
そこで、そのシェルパシチューを注文する。

しかしディディは「シェルパシチューは一人分だけでは、作れない」と言う。
俺は一緒にいたカナダ人の I さん、ドイツ人の T 夫婦に
「シェルパシチューを食べてみないか?」と声かけた。

彼らは「シェルパシチュー?どんなシチューだい?」と聞く。
「さぁ?、俺も知らない。だからこそ食べてみたいんだ!」と答える。

彼らはディディに、シェルパシチューってどんな料理かを尋ねていた。
そして彼らは、「OK!食べてみよう!」とみんな賛成し、4人で注文した。

我々のテーブルに、シェルパシチューが運ばれてきた。
見てみると、カレーうどんか、カレーラーメンか、のようだ。
実においしそう!

俺だけでなく I さんも T 夫婦の E 氏 、A さんも同じ思いのようだ。
食べる前に我々は写真を撮ることにした。
ガイドのラジンにカメラを渡し、4人でシェルパシチューを前に

「We are Sherpa Stew Family ! 」と言いながら、初めて一緒に写真を撮る。

そして、シェルパシチューのお味は・・・、

「うまい!」

俺だけでなく、彼らも同じだ!

「Oh ! Very good ! 」
「Wao ! Very Delicious ! 」
「Dsching ! Nice Idea ! 」

かくして、4人の " シェルパシチューファミリー " が結成された。


夕食後、音楽に合わせてシェルパダンスをさせられそうになる。
そしてとうとう、他のトレッカーとともに踊るハメに!
I さんや T 夫婦は大爆笑!

ダンスの後、ラジンとフランス人の男のガイドが俺を呼ぶ。
彼らは俺に " ムスタンコーヒー " を勧めた。

「ムスタンコーヒー?どんなコーヒーだい?」

飲んでみると…、確かにコーヒーなのだが…、あれ?おい・・?

「ロキシー(ネパールの焼酎)が入ってるんだよ」

どおりで酒っぽいコーヒーだ!でもウマイ!
これはいい、最高にウマイ!
一緒にいた仲間たちにも勧めてみるが、匂いのせいか女性たちは敬遠!
E 氏は大丈夫のようだ。

ガイドたちの話によると、このムスタンコーヒー、飲みすぎると翌日起きられなくなる、とか。

ふと見ると、ラジンが横になってウトウトしている。
まさか酔いつぶれたわけではなかろう。
それを見た E 氏は、

「あそこで寝ているのは、君のガイドだろう?」

「あぁ、そうだよ!」

「オォ!ムスタンコーヒー!」
と、ひときわ大きな声で叫んだ。

E 氏はきっと、「ムスタンコーヒーの飲み過ぎで、酔いつぶれてるゼ!」
と言いたかったのだろう。

E 氏がそう叫んだ途端、ダイニングルームは大爆笑に包まれた。
私はもちろん、I さんも A さんも、さらには他の宿泊者、ロッジの経営者たちまでもが、
彼が言ったジョークに大笑いしたのだ!

そこに居合わせていた人々すべてが、一同に笑い合った!
国境も国籍も、言葉も超えて・・・!
なんて素敵なことなんだろう!!


ジュンベシ・シェルパガイドロッジズにて

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2009年1月20日 (火)

エヴェレスト街道を行く その6

ラムジュラ峠越え

3月8日(日) 晴れ
セテ8:00~11:25ラムジュラ12:30~ラムジュラ峠(3530m)~13:45タグトクボグ14:25~15:45ジュンベシ

 6時半起床。
朝食にポリジ(粥のようなもの)を食べ、それぞれ用意のできたものが村をスタートする。
まだ2日しか歩いていないのに、足に疲れを感じる。1本の棒を拾い、杖として歩く。

ラムジュラ峠への道は、登るにつれ雪道となってきた。
「危ないな」と思った矢先、スッテンコロリン!
「イッテ~!」 右ひじをはじめ、少しだけ出血。

それを見て、ガイドのラジンや周りの人が、薬を出してくれる。
昼食に立ち寄ったパッティ(茶店)のおばちゃんまで、マキロンを用意してくれるほどだ。
皆の好意が嬉しい。

昼食を終え、いよいよラムジュラ峠へ。標高は3530m。
そこからジュンベシへは、一気に下って行く。

タグトクボグで、我々より先行していたカナダ人女性とドイツ人夫婦に追いつく。
その後は我々が少し先を行くような形で歩く。

途中から左ひざが痛みだした。まだ3日目だというのに…。
ラムジュラ峠からの下りで、ガイドのペースに無理して合わせ、早く歩いたせいだろうか?

なんとかジュンベシに到着。
この日のロッジも「シェルパ・ガイド・ロッジズ」である。
チェーン経営なのだろうか?

我々がこのロッジに入って行ったのを見ていたのだろうか、
100mほど遅れて到着したカナダ人女性とドイツ人夫婦も、ここへやってきた。


このロッジには、驚いたことに、電気がある。そのうえホットシャワーも・・・!
さっそくシャワーを使ってみた。カトマンドゥを出て以来のシャワー、
「あ~、サッパリした!」

シャワー後、ダイニングルームへ行く。
「Oh ! New man ! 」と、おどけられるほどだ。
「そんなに変わって見えるかい?ひげを剃ったら、もっと変わるぜ!」

カナダ人女性とドイツ人夫婦に、名前を尋ねた。
カナダ人女性は、I さん。
ドイツ人夫婦は、E 氏とA さん。
これからはお互いの名前で呼び合うようになった。

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2009年1月19日 (月)

エヴェレスト街道を行く その5

セテ村の夜

夕方4時ごろ、セテへ到着。
ケンジャで出会ったフランス人男性と彼のガイド、一人で歩いているカナダ人女性もすでに到着していて、同じロッジだ。

ダイニングルームで彼らと談笑する。するとそこへ、さらにドイツ人夫婦がやってきた。
彼らはにこやかに「ハロー!」とあいさつし、「国はどこだい?」と尋ねてきた。
我々はそれぞれ「フランス」、「カナダ」、そして「ジャパン」と答えると、
「あなたは日本人だと思ってたわよ」と笑いながら言っていた。

それにしても、いったい何カ国語が飛び交うのだろうか?
もちろん共通語は英語しかないので、英語で言葉を交わす。

夕食は、エッグチョウミン(玉子入り焼きそば)とトマトスープを注文。
しかし、スープより先にチョウミンが…。しばらく待ってみたけど、来る気配もなく…。
仕方なくチョウミンを食べ始める。ゆっくり食べているのだが、スープはまだ来ない。

017_2  左の食べ物がチョウミン

 右はトゥクパと呼ばれる汁そば

「山と渓谷社 カトマンズ百景 内田良平著」より引用させていただきました。

とうとう、チョウミンを食べ終えてしまった。

ため息をつきながら、「ここはネパールだし、何でもビスタリ(ゆっくり)の国だし…」とぼやいていると、周りの仲間たちも笑いながら、「そうそう、そのとおり」などと言っている。

やっと、トマトスープが運ばれてきた。
そしてスプーンで一口…、「あつっ!アチャ~!アチッチッチッチッ!」と絶叫!!

みんな大爆笑!!

「Very hot ! Very hot ! デラィ タト ! デラィ タト !」と、英語とネパール語で皆に言う。
すると、俺やフランス人男性のガイドが「デリー タト!って言うんだ」と教えてくれた。
俺の声を聞いてロッジのスタッフはすかさず謝りに来た。

しかし、この一件で皆が大爆笑したせいか、我々の間の空気、雰囲気が一変したようだ。
あっという間に打ち解けあった。

食後も、彼らとずっとしゃべっていた。
英語力の貧しい俺でも、多少の会話はできる。
そうか!フランスもドイツも母国語があるんだ、
ってことは、彼らにとっても英語は日本と同じように、第二外国語なんだ。
俺と似たようなもんかな・・・?

その後、席を外したガイドのラジンとフランス人のガイドが俺を呼ぶ。
彼らは、ロッジのオーナーとともに、ロキシー(ネパールの焼酎)を飲んでいた。
呼ばれたからには、俺もこっそり頂いた。

ほろ酔い気分で、9時ごろ就寝とする。

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2009年1月18日 (日)

エヴェレスト街道を行く その4

ラリグラス

3月7日(土)晴れ
デウラリ8:10~11:45ケンジャ13:00~16:05セテ

 この日も6時30分起床。
チャパティ(薄いパンケーキ)、オムレツ、パイナップル缶で朝食とする。

デウラリからパンダール、ケンジャへは一気に1000m以上下っていく。昨日、あれほどしんどい思いで登ったのに…。この季節、ネパールの国の花である「ラリグラス(真紅のシャクナゲ)」がちょうど満開で、行く先々で心を和ませてくれる。

ちょうどその時、ラリグラスを見上げていると、一人の村人がやって来て、ラリグラスを一枝ポキンと折って、ニッコリ笑ってプレゼントしてくれた。年甲斐もなく感激!

ケンジャへ到着し昼食にする。昨日も会ったフランス人の男性とカナダ人の女性もいた。
フランス人男性のガイドに、片言のネパール語で話しかける。彼はえらく驚いたようだ。
彼らが出発するとき、「ペリ・ベトゥラ(また会いましょう)」と、お互いにあいさつをすると、
カナダ人女性は、「彼は日本語話せるの?」と尋ねてきた。

私は彼女に、「いや、今のはネパール語だよ。See you again.って意味だよ」と教えてあげた。
そして彼女がそこを出発するとき、「ペリ・ベトゥラ」と言って別れた。

その後我々も昼食を終え、出発する。
ケンジャよりセテへは、高低差900mの登り。登ったかと思ったら、下ったり…、ずぅっとこんな調子なのかな?
マイペースでゆっくり行こう。ラリグラスが身近にあれば、「ヨシッ!ガンバロウ!」って気になってくるから不思議。

920307

写真は、ケンジャ~セテ間で
ヒマラヤがずいぶん近づいてきました。
写っているのは、私のガイドのR氏。

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2009年1月17日 (土)

エヴェレスト街道を行く その3

help リーダーに追加 RSS デウラリ峠へ

3月6日(金)晴れ
ジリ7:45~11:00シバラヤ12:15~15:10デウラリ

いよいよトレッキングの出発です。

午前6時半ごろ起床。トレッキング中は、毎日早寝早起きの生活となる。
木陰の道では、やや肌寒さを感じる。登り下りをくり返し、シバラヤへ。

「初日だからゆっくり歩こう」と言うのに、それでもガイドのペースは速い。
シバラヤで昼食にする。ダルバートを食べる。
ここで同じトレッキング仲間がいた。ガイドを雇って歩いている一人のフランス人男性と、
そしてたった一人で大きなザックを背負っているカナダ人の女性。
彼らとしばし話をする。

ちなみに、エヴェレスト街道トレッキングは、ほとんどの人はジリからではなく、
カトマンドゥからルクラという村まで飛行機で行きます。
ルクラ~カラパタール往復は、2週間。
しかし、ジリから歩き始めるとカラパタールまで2週間かかります。
ゆえに、時間に余裕があり、かつ体力に自信がなければ、ジリからはとても歩けません。

昼食を終え、デウラリへは標高差1000m以上の登り。かなりきつい。
初日だけあって、疲れる。
デウラリ峠まで登ると、ガウリシャンカーの頂が頭をのぞかせている。
しかし、標高3000m近いここは、風も冷たく寒い。

それにしてもきつーい1日だった。

デウラリロッジという宿屋(?)に泊まる。
宿泊客は我々のほかに一人の若い日本人がいた。
彼は昨年もネパールを訪れて、その時もここへ来たそうだ。
このロッジは、若い夫婦が経営していて、彼は奥さんのことを、
「ヒマラヤのハイジのようだ」と言っていた。
彼はその後も「マイペースでのんびり行く」そうだ。(結局、彼とはその後会うことはなかった)

夕食は、ろうそくの灯りの中(電気はまだ通っていない)、
ララヌードルスープ(ネパールのインスタントラーメンの一つ)を食べ、体を休めた。

920306

写真は、デウラリへ向かう途中の様子。
ラリグラス(シャクナゲの一種;ネパールの国の花)がとてもきれいでした

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2009年1月16日 (金)

エヴェレスト街道を行く その2

help リーダーに追加 RSS 11時間、バスの旅

3月5日(木)晴れ
カトマンドゥ5:30~16:30ジリ

今朝4時20分起床。ガイドのラジンを起こして、まだ目のさめぬカトマンドゥの街へ飛び出す。
ラーニーポカリでリクシャ(人力車の自転車版)をひろい、バスパークへ。
乗るバスを確認して、軽く朝食。発車寸前にバスに飛び乗る。
夜明け前なのに、バスは超満員。
バスはカトマンドゥ盆地を出て、ラモサングからはほとんど山間部を走っていく。

ジリまではカトマンドゥよりおよそ110Km。山あり谷ありを11時間。
途中ヒマラヤの頂が見え隠れしたり、村の人々や牛、羊、馬などが同居していたり、車窓の眺めは飽きがこない。

昼食はダルバートにする。ダルバートとは、ネパールの一般的かつ代表的な食事。ご飯と豆から作ったスープ(ダルスープ)、タルカリ(野菜の炒め物)がセットになってます。お肉がつけば、ごちそう。おかわりは自由です。ご飯に限らずダルスープもタルカリもお肉も、こちらから「もういいです」と断らない限り、お店の人は「足りないもの(欲しいもの)はありますか?」と聞きに来ます。食いしん坊には、嬉しいシステムです。

015
ダルバート

夕刻ジリへ到着。ジリは大きな村だ。ゲストハウスにチェックインし、ガイドとともに村の小学校へ行ってみる。
校舎の中を覗いてみると、机もイスもある。当たり前といえば当たり前なのだが、8年前のアンナプルナトレッキングの途中で見た学校は、机がなかった。

子どもたちがまだ数人いて、彼らは黒板に書き残された数字を「ワン、ツゥー、スリー、…」と読んでくれた。ネパールでは早くから英語を教えているのです。

その後、彼らとともに一緒に写真を撮る。そしてゲストハウスへ。
夕食もダルバートにする。食事前にトレッキングの成功を祈って、ガイドとビールで乾杯する。

今日は、とりあえずバスの旅だったが、明日からは本格的なトレッキング。どんな旅になるのだろう。

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2009年1月15日 (木)

エヴェレスト街道を行く その1

エヴェレスト街道・カラパタール目指して!

今から17年前、「エヴェレストを間近で見る」夢を実現するため、ネパールへと旅立った。
当時の日本は、バブル経済が崩壊し、しがない個人事業主だった私は、廃業を余儀なくされ、この機会にと夢の実現に向かったのです。

旅の間書いていた「旅日記」、帰国後、ワープロで校正し今もアルバムとともに大切に保存しています。
しかし、このまま人目につかず自分だけの記録として終わるのも、もったいないので、ブログとして公開することに決めました。

古い話なので、情報としてはあまり参考になりません。
ヒマラヤの空気を、少しでも感じていただけたら、幸いです。

RSS プロローグ

1992年2月、エヴェレストをこの目で見たい、という思いを胸にネパールへと旅立った。
バンコク経由でカトマンドゥへ。

カトマンドゥで、情報・装備を仕入れ、トレッキング許可証を取得。
一人で行くはずだったが、ゲストハウスのスタッフの勧めもあり、ガイドを雇うことにした。
ガイドは、ラジン・タマン・シェルパ君。まだ24才だが、キャリアは6年。
つい最近もイギリス人トレッカーを、エヴェレスト街道・ジリ~カラパタールまでガイドしてきたばかりという。

出発前夜は、どのようなトレッキングになるのか楽しみで、なかなか寝付けずにいた。
そして3月5日早朝、いよいよ夢に向かってさらに一歩踏み出した。

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2009年1月14日 (水)

次回からの古い旅日記は・・・

初めは、ドイツの友人宅でのプチホームステイのことを書こうかと思いましたが…???

それには、彼らと知り合ったいきさつ、友情話も知った上のことで読んでいただいた方が良いのでは・・・?

ということで、別サイトに掲載している「エヴェレスト街道を行く」を、コピペして紹介しようと思います。

すでにお読みになられた方もいらっしゃるでしょうし、途中までという方もいらっしゃるでしょう。今後はこちらにも掲載しますので、何とぞよろしくお願い致します。

コピペするだけ(つまり、手抜き)ですので、ほぼ毎日更新できるかと思います。

引き続き、楽しんでいただけたら、幸いに思います。

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2009年1月13日 (火)

オーロラ紀行 最終回

3月5日(金)晴れ

(LH740)8:35関西国際空港9:27(南海電鉄)10:15難波10:30(近鉄)12:48名古屋

ウトウトできたのかどうかのうちに、ヨーロッパではちょうど真夜中の頃、日本時間で朝になったようだ。

7:00ごろ、最後の機内食となる。行く時の名古屋からの飛行機より、食事の内容は良かった。メニューも配られたし…。そして食事が終わるころには、もうすでに日本上空近くを飛んでいた。

飛行コースは、シベリアからモンゴル、中国を経て日本へ、山陰から瀬戸内海、四国を経て関西国際空港へ、、8:35、ほぼ定刻通りに着陸。

イミグレーション、荷物の受け取り、そして税関。税関では荷物を広げさせられることもなく、ヘルシンキで買ったトナカイの毛皮が敷物で、コートではないということを確認しただけにすぎない。

そして到着ロビーから南海鉄道の駅へ。列車の時刻表を見ると、わずか5分後に急行が出発する。その後に特急もあるのだが、難波に着く時間は大して変わらないので、急行で行くことにする。

難波で近鉄に乗り換えるのだが、この間が遠い。スーツケースはもちろん、背中にデイバッグ、手にはトナカイの毛皮を入れた紙袋とダウンジャケット。移動するのが大変だ。10分以上かかって近鉄難波駅へ。そして、あらかじめチケットショップで買っておいた回数券を指定席券に交換するために窓口へ。すると・・・、5分後に特急が出るところだった。

荷物を持ってホームへの階段をあわてて降りると、発車寸前。そして名古屋へと向かう。列車には食堂車も車内販売もないので、途中の大和八木駅の停車時間を利用して飲み物を買う。何しろ、あわててばかりだったから、喉がカラカラ。

名古屋へは12:48に到着し、バスターミナルへ行くと、これまたちょうど出る寸前。そして我が街へ。

日本到着後は、ほとんど待ち時間がないほどうまく接続し、自宅に電話連絡する間もないまま、13:20、無事帰宅。

3週間に及ぶ旅、抱えきれないほどのとても素敵な想い出を持ちかえり、旅は終わった。

Photo_2  30回にわたる旅日記

 楽しんでいただけたでしょうか・・・?

 長きにわたりお読みいただいた

 すべての方々へ・・・ありがとうございました

 ↑ プレゼントです

 

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2009年1月12日 (月)

オーロラ紀行 その29

ここで日本帰国便へ乗り換え。来るときは名古屋空港から出発したのだが、帰国便の予約が取れず、やむなく関西国際空港への帰国便を予約していた。出国手続きをし、出発ゲートを確認する。免税店で、フランケンワイン(白)とヴルスト(ソーセージ)2種類、パンに塗って食べるリーバーヴルスト、計27.03ユーロの買い物。

これで、帰りの空港免税店だけで157ユーロ(約21000円)使ったわけだ。ちょっと使い過ぎか・・・?でも、なかなかない機会だし、次のチャンスなんて何年後かわかりゃしない。

12:00、搭乗手続き開始。ヘルシンキでチェックインしているので、やはり窓側のシートで48Aだ。隣にはひとり旅と思しき日本人女性。食事がなかなか始まらず、お腹がすいてきた。その人も同じようで、それをきっかけにいろいろ話をする。

その女性は、ドイツ人のご主人を持ち、マンハイムに住んでいるそうだ。今回は一人だけで1か月ほど里帰りという。また、ドイツの食事や音楽、サッカーの話などしていた。私のドイツ人の友人が「オリバー・カーンはもしかしたら、近いうちに日本でプレーするんじゃないか?」と言っていたのを話すと、その女性も「スキャンダルとかもあったし、年齢的にもバイエルン・ミュンヘンではあまり試合に出られなくなるかもしれないから、可能性としては十分ありそう」と話していた。もし本当にオリバー・カーンが日本でプレイするとなると・・・、とても楽しみである。

そうこうして話しているうちに食事となる。なかなかおいしい。ビールも飲む。食後は眠ることにする。

機内泊

105  ドイツ・フランクフルト国際空港

 ここからいよいよ日本へ帰国

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2009年1月10日 (土)

オーロラ紀行 その28

3月4日(木)晴れ

ヘルシンキ・バンター国際空港9:25(LH3105)11:10ドイツ・フランクフルト国際空港13:20(LH740)

 朝5:30起床。トイレ、シャワーを済ませ6:10朝食。帰国まではもう機内食だけになるだろうから、限られた時間でしっかり食べておく。

6:35、朝食を済ませ、荷物をまとめる。デイバッグに詰められるものは詰めて、機内持ち込み手荷物にする。

そして7:00、チェックアウト。7:15の空港行きシャトルバスに乗り、7:25空港到着。そしてチェックインする。スーツケースは25Kgもある。CDやカメラはデイバッグに入れたのに…。超過料金は・・・、

「預ける荷物はこれ一つだけ?」と訊かれ

「はい、そうです…、お願い・・・」と手を合わせながら懇願すると、

笑顔でサービスしてくれました。

荷物が増えた分、思い出もたくさんできたわけだ。

チェックイン後は免税店をウロウロ。スウォッチの時計だ。前回ドイツ・スイスを旅した時、買わなかったからなぁ…、どうしようか迷った挙句、自分と母にも1つずつ、それぞれ32ユーロのお手頃なものを買った。

そして、これが一番迷った。トナカイの毛皮の敷物だ。北極圏のイバァロやイナリでも売っていたが、荷物としてかさばるのであきらめたものだ。しかし、ここでないと手に入らないだろうし、かと言って我が家に敷けるようなところもないし・・・。

他の客が、じっくり吟味しながら2枚買っていくのを見て、意を決して買ってしまった。65.55ユーロ、およそ9000円ほどか。とうとう買ったのはいいが、本当にどこに敷くべきか・・・、えらい荷物が増えてしまった。が、もし買わずに帰ったら、きっと後悔するような気がする。

9:00、搭乗開始。座席は5F窓側だ。9:25、動き出し、やがて離陸。

最後に見る北欧。森と湖が目立つ。といっても湖は凍り、一面雪野原だが。軽い食事が出て、定刻より早い10:30(ドイツ時間)すぎ、フランクフルトへ到着。わずか2時間ほどだった。

1032  ヘルシンキ・バンター国際空港

 いよいよ帰国の途に就く

104  飛行機から見たフィンランド

 森と雪原ばかりだ 

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2009年1月 8日 (木)

オーロラ紀行 その27

14:00過ぎ、駅へ戻り、歩き疲れたのでやや休憩。

14:50発のバスで空港へ向かう。15:20すぎ空港へ。しかし、間違えて国内線ターミナル前で降りてしまったため、国際線ターミナルまで歩くハメに。

そして空港内にあるホテルのレセプションで泊まれるかどうか交渉すると、部屋はツインしか空いてなくて、料金が189ユーロ(2万5000円以上)もする。仕方なく、ここで泊まるのは断念し、インフォメーションで近くのホテルを紹介してもらうことにする。

そして予約が取れた。Holiday Inn Garden Court で80ユーロだ。そこへは空港より無料のシャトルバスで行くことができる。16:15のシャトルバスに乗り、空港近辺のホテルを何軒か立ち寄って行く。

16:25、ホテルへ到着しチェックイン。荷物を解き、整理し直す。

17:30、サウナで1時間ほど汗を流す。部屋でシャワーを浴び、19:00、夕食へ。

Turkey のステーキ(サフランライス付き)とビール。21ユーロほどする。でもホテルの中で食べるから仕方がないか。うん、味は悪くはない。

食事を終え部屋へ。明日はいよいよ帰国。5:30には起きなければならない。部屋のミニバーでビールを1本だけ飲んで、眠ることにする。

ヘルシンキ・バンター、ホテル・ホリデーインガーデンコートにて

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2009年1月 7日 (水)

オーロラ紀行 その26

3月3日(水)晴れ

(Santa Claus Express)8:40ヘルシンキ(街中散策)14:50(バス)15:25ヘルシンキ・バンター国際空港16:15(シャトルバス)16:25ホテル・ホリデーイン

 今回の列車では、この間に比べるとあまり良く眠れなかった。それでも8:00ごろには起きる。8:40ヘルシンキに到着。

094  ヘルシンキに到着した

 サンタクロースエクスプレス

095  ヘルシンキ駅構内

 いろんな人々が行き交う

コインロッカー(3ユーロ)に荷物を預け、街へ。街の至る所にブロンズ像がある。街そのものが美術館のようだ。建物は、どれもこれも凝っていて、本当に美しい街並みだ。「バルト海の乙女」と呼ばれるのもうなずける。

09614  三人の鍛冶屋像

 道路の真ん中にある

09718  人魚とその子供??

 北欧らしい・・・

09820

 バルト海の乙女像

 本来は噴水になっている

 それにしても・・・

 見事な曲線美だ・・・

マルクト広場やオールドマーケットなど、あちこちうろつく。この日は天気も素晴らしく、真っ白な大聖堂が青空と雪にとても良く映える。

09921  マルクト広場

 この季節、お店は少ない

10025  ヘルシンキ大聖堂

 青空に映えます

10:30ごろ、STOCKMANN デパートでパイ2つとコーヒー(2.53ユーロ)で軽く食事とする。FORUM デパートでは、うさぎ毛のマフラーを母に、そしてバンダナを購入(7ユーロ)。そして、空港までのバス代を除き、小銭をすべて街頭募金に寄付した。

 10101

 ストックマンデパート

 歴史的建造物と言っても

 過言ではなさそうなデパートです

 いつ建てられたのでしょうか・・・?

10216  重厚な建物にさりげなく

 マクドナルドがありました

 景観は護られています

 入りはしませんでしたが・・・

 

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2009年1月 4日 (日)

オーロラ紀行 その25

16:30ごろ博物館を出て、街の中心部へ。

現金がほとんどなかったので、銀行のATMでキャッシングする。昨日もおろそうとしたのだが、MASTER CARD でおろせなくて困ってしまったのだ。しかし、よく考えたら VISA CARD は試していなかった。すると・・・VISA は受けつけてくれてキャッシングすることができた。これで少なくとも、明日の空港までのバス代やヘルシンキ駅で荷物を預ける小銭は用意できた。

そしてデパートのコーヒーショップでホットチョコレート(1.3ユーロ)を飲みながら休憩する。そしてほんの少しだけ買い物し、夕食へ。

この日も昨夜と同じ HARUNO PIZZA&KEBAB へ。ケパブ&ライス、サラダとコーラで8ユーロ。これでけっこうお腹もふくれる。そういえばライスを食べたのっていつ以来だろう?フィンランドへ来てから初めてのような気がする。

食事を終え、名残惜しむように夜の街を歩く。

169  ライトアップされたろうそく橋

 橋の名の由来分かりますよネ

19:20、ホテルへ戻り、ロビーで休憩し冷えた体を温める。

20:00すぎ、タクシーを呼んでいただき駅へと向かう。駅までは8.8ユーロだった。駅へ着くと、昨日サンタクロース村で見た日本人の団体がいる。どうやら同じ列車に乗るようだ。列車はすでに入線している。

171_2  サンタクロースエクスプレス

 とても長い列車だ

173  行き先表示板

 ヘルシンキへと向かう

Santa Claus Express 。21:00発の列車だ。荷物を寝台のある部屋へ置き、駅前の KIOSKI でカクテルとチョコレートを買う。

ヘルシンキまで11時間40分。カクテルを飲んだら、もう後は眠るしかない。

とうとう北極圏を去る。

177

 寝台車の中

 右側には洗面台も設置されている

 乗り心地は最高!

サンタクロースエクスプレスにて車中泊

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2009年1月 3日 (土)

オーロラ紀行 その24

13:00にツアーが終了し、ホテルへ戻る。少し汗をかいていたので、シャワーを浴びて良いか尋ねると、快く承諾してくれた。シャワーを浴び、着替えて休憩する。

14:30すぎチェックアウトし、夜まで荷物をフロントへ預ける。

地図を見ながらArktikm博物館へと向かう。地図通りに行くのだが、なかなか着かない。不安になって、道行く女子学生に場所を尋ねる。すると、もうすぐそこだった。

149arktikum  Arktikm博物館

 この地方の民族博物館だ

入場料(11ユーロ)を支払い、フロントに上着を預ける。

15:00ちょうどよりオーロラのビデオの上映(12分)が始まる。急いでそちらへ向かう。

Photo  *オーロラの絵葉書

 実際に上映されていたものではありません

Photo_2  幾重にも重なる

 光のカーテン

SIIDAで見たものとは違った内容で、オーロラだけでなく、この地方の四季の移り変わりなども紹介していた。そして館内を見学。

この地方のサーメ文化のほか、北極圏、フィンランドの歴史、風俗・風習などが模型や人形などを使って展示されている。

150arktikum2  動物の毛皮を

 身にまとっている

157arktikum9 頭のてっぺんから足もとまで

 完全に防寒している

158arktikum10  この地方の

 移動式テント

 毛皮で覆い

 中にはストーブもある

また、この地方に生息する動物の剥製も展示されていて、とても迫力があり、今にも動き出しそうなリアルさがあって、とても面白い。こういう博物館は、見ていて楽しいし、かなり好きなほうだ。

161arktikum13  トナカイ

 オス・メスともに角を持っている

162arktikum14  ヒグマにも見えますが・・・

 何というクマだろう・・・?

165arktikum17  云わずと知れた

 ホッキョクグマ(シロクマ)

他の見学者が写真を撮っていたので、俺も何枚か撮っていたのだが…、各展示室の扉を見ると、実は「撮影禁止」になっていた。あーぁ、ごめんなさい!  

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2009年1月 1日 (木)

あけまして

おめでとう

 ございます

Photo

旧年中はお世話になりました

本年もよろしくお願い致します  Photo

2009年 元日

慕辺未行

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